5
夜になった。
道から少し離れて、森の中でひっそりと荷物を解いて野営の準備を始める。
彼から指示されて簡単な罠を周囲に撒いていく。
彼自身も何かを地面に置いている。
「カーブルトさん、その置いてある小袋は何ですか?」
「酒場で仲良くなった冒険者から譲って貰った、獣除けの匂い袋だ」
へえ、そんな物があるのか。
便利だな。
確かに影の獣とは二度と遭遇したくないものだ。
「効くんですか?」
「さあな?実際の効果は分からない。
でも折角だから使わせてもらっているんだ。……嗅いでみるか?」
「はい……げほっ」
慌てて顔を反らす。
きつい薬品のような匂いだ。
「これは動物じゃなくても寄って来ませんよ」
「そうだろ?故郷の連中に嗅がせたらさぞ驚くだろうな」
そう言って面白そうに笑った。
悪戯を想像する子供か?
「もう片方の石は何ですか?」
「これは守護の石と呼ばれる道具らしい。
これを置いておくと魔を遠ざける効果があるらしい」
……明らかに胡散臭い気がする。
霊感商法じゃないよな?
「本当に効果があるんですか?」
「それも分からないな。
だが守護聖教が専売している守護の石は高価だが本当に効果があるらしい」
「守護聖教?前に言っていた一神教とは違うんですか?」
女性を埋葬している時に、確か一神教という言葉が出たはずだ。
「そうか、宗教の話も覚えてないんだったか。
俺もあまり詳しくはないが、大昔アルティリアは多神教だったらしい。
しかし唯一の神を崇める宗教が広まり始めた。それが一神教だ」
「うーん。思い出せないですね」
思い出せないというより、そもそもこの世界のことなど何も知らない。
それも知らず、人の好い彼は続けて説明してくれる。
「記憶喪失に関してはゆっくりと思い出していけばいいさ。
時間はまだあるしな。その後、両者は激しく争った。
しかし、最終的には一神教が多神教を追いやり、異端とした。
だから基本的にはどの国も一神教だ。
そうして平和になったかと思われたが、今度は入れ替わるようにして魔王が現れた。
そしてこの地に流民と異形達がなだれ込んで来た」
いやぁ~乱世乱世。
そのうち3つの国に分かれて争わないよな?
「異形達の攻撃は激しく、一神教による繋がりを中心とする同盟は連敗だったらしい。
一神教の聖職者は人の傷を癒す奇跡の術を使えるが、異形達はそれを上回る勢いだった」
まあ、傷を癒すだけじゃ相手は倒せないしな。
「そこに、どこからともなく現れたのが結界術。
複雑な儀式と高価な道具で結界を構築し、異形達を退ける事に成功した。
その結界術の創始者が結界の聖女と呼ばれる人物で、彼女を崇めるのが守護聖教会だ」
「その結界術によって、異形の侵攻を押し留めていられるんですね」
「そうとも。結界術がなければ今頃、アルティリアは端から端まで、魔王軍の旗が上がっていたと言われている。
一神教は他の宗教を認めない教えだが、結界術がなければ異形共には勝てない。
そのため守護聖教をしぶしぶ認めているようだ」
「両者は仲がいいと言う訳ではないんですか?」
「戦時中という事もあって表立った対立は起きてない。
だが、実際には仲はあまり良くないと見ている。
お前もあまり肩入れはせずに一線を引いて対応した方がいい。
どちらかに与すると言う事は、もう片方に睨まれるという事にもなり得るからな」
確かに宗教の話と言えば日本でもデリケートな問題だった。
この世界でもあまり関わらずにいよう。
触らぬ神には何とやらだ。
「……」
「……」
会話が途切れて、辺りを見渡す。
森は深い闇に包まれていて何も見えない。
代わりに空を見上げると星々が夜空に見える。
夜空に浮かぶ星か……こうして見上げるのも何年振りだろうか。
いつもは味気ない部屋の天井を眺めているだけだったなあ。
「夜と言えば、もう一つ注意しておかないといけない事があった。
夜の騎士についてだ。」
「夜の騎士?」
「俺達が前に見たような死者とは別に、意志を持った死者と言うのもいるらしい」
ふむふむ。
……あまり聞きたくない話の予感だ。
「そいつらは生前は騎士で、夜な夜な死んだ馬に乗って夜道を駆け回っているんだと」
「語り手のたわごとじゃないんですか?」
「酒場で意気投合した冒険者から聞いた話だ。
暗闇の中から突然、死者の騎士が馬に乗って襲って来たらしい。
蹄の音は、騎士が暗闇から姿を見せるまで全く聞こえなかった。
そいつらのせいで、冒険者たちは馬が駆けられるような見通しの良い道はできるだけ避けているらしい」
「それは……」
にわかには信じがたい話だ。
日本でそんな事を言われたら、心の病を疑っただろう。
だが、すでに獣や死者を見た後だと、本当にいるのかも知れない。
とすると、野盗、獣、死者、夜の騎士。
この四つと遭遇する可能性があるという事だろうか。
出来ればどれとも会いたくない。
何とか見逃してもらえないだろうか。
俺は恐る恐る尋ねてみる。
「野盗、獣、死者、夜の騎士、どれが一番危険だと思いますか?」
「状況や相手の数にもよるが……夜の騎士だろうな。
同じ人間の野盗、お前でも倒せた獣、意志のない死者。
それに比べて騎士は馬に乗っていて、しかも意思がある。
そんな奴等が数人現れたら、逃げる事も難しいだろう。
馬が入って来られないような、林か川の近くを歩く事を意識して進まないとな。
しかしこの先、そんな地形はいくらあったか、それか……」
ぶつぶつと考え事をする彼に質問する。
「カーブルトさんでも、勝てないですか?」
「当たり前だ。俺を何だと思ってる?
俺は一端の戦士だが英雄じゃない。
訓練と経験を積んだこの国の兵士達を同時に相手にできるとしたら、せいぜい2、3人くらいが限界だ」
逆に言うと、2、3人ぐらいなら同時にできるのか……
「お前は戦おうとせずにすぐに逃げ出せよ」
「……はい」
戦わずに逃げろと言われて、正直いい気分はしない。
しかし、何の経験もない自分が戦ってどうする?
勝てるイメージはおろか、立ち向かえるイメージすら湧かない。
「そう不安になるな。
聞いた所によればうまくやって連中から見逃がして貰った人もいるらしい」
「そうなんですか?」
光明が差した。
「連中の生前はこの国の騎士らしい。
だから連中を騎士として尊重して、丁寧な態度を心がければ気分を良くして見逃がしてくれるらしい」
「丁寧な態度、ですか?
何かの特別な作法が必要とか?」
「その辺りは詳しく聞いて無かったな……
いや、実際には聞いていたんだが、酔いが回って途中で寝ちまったんだ」
彼はあちゃーといった顔をした。
「俺の部下は色々と聞いていたらしいんだが……」
「そう言えば調味料にワインがありましたよね、それを献上して見逃がして貰う事はできませんか?」
酒と言えば高級品のイメージがあるし、それで何とか見逃してくれないだろうか。
この際死者が酒を飲むのかという議論は棚上げしておく。
あくまで誠意だけ伝われば良いのだ。
「……半分しか残ってない使いかけのワインだ。
連中が飲みかけでも喜んで受け取るような呑兵衛ならいいが」
「……止めときましょうか」
煽っているようにしか見えない気がする。
「他に、何か贈りものになりそうなものはないですか?」
「貴重品は街にいる部下に預けたままだ。
それ以外だと、何かあったかな……」
そう言って彼がごそごそと荷物を探る。
それらしい物を取り出すたびに、ああでもないこうでもないと話し合う。
そんな事をしている内に、夜は更けて言った。
・
・
・
その後、数日は同じように旅をした。
彼はその間、火のつけ方をはじめとする色々なサバイバル技術を教えてくれた。
故郷の話やアルティリアに関して知っている事――感銘を受けた観光地やどの場所でどんな料理が美味しかったか等――を色々と教えてくれた。
夜に死者が近くを通り抜けたり、獣の息遣いがした事はあったものの、黙ってやり過ごす事が出来た。
ひょっとして、匂い袋や守護の石が効いたのだろうか。
ありがたや、ありがたや……
足を向けて寝れないな。
え、私ですか?
もちろん、私は最初から疑っていませんでしたとも。
ふと隣で歩く彼を見る。
表情からは疲れや恐れは見えない。
背筋を伸ばして堂々と先を歩いている。
不思議な人間だ。
見ず知らずの自分をここまで世話し、嫌な顔一つしないとは。
獣のように直感で動くタイプ、コミュニケーション能力も高い。
確固たる自分の芯を持っていて、この地まで旅を続けて来た。
自分とは正反対だ。
だから尊敬と疑問と、僅かな嫉妬が入り混じった。
どうして、そんな風になれるのだろうか。
・
・
・
筋肉痛で痛む足をさする。
いつもと同じように、寝る前に明日の事を話している時。
「カヴェルナまであと4、5日位かな」
「もうそんなに近くなったんですか」
あと数日で平和な場所に戻れる。
やっとこの危険から解放される。
この際、旅が終わる前に聞いておくか。
「前から聞きたい事があったんですが……」
「何だ?」
「どうしてそんなに振舞えるんですか?」
「急にどうしたんだ?」
彼は少し笑っていた。
確かに少し恥ずかしい質問だ。
しかし聞きたい。
「どうして無償で僕を助けてくれたんですか?
どうして大変な経験をしていても、堂々としていられるんですか?」
強制的に人間社会に戻されて、社会復帰させられるのも目前。
そう考えると、内心で言いようのない焦りとプレッシャーを感じ、気分が重くなる。
だからこそ、その理由を知りたいと言う焦りがあった。
「……」
彼の雰囲気が変わった。
先ほどまでの雰囲気ではなく、真剣に考えてくれている。
「……理由としては、やはり俺の故郷が原因だろうな。
貧しい土地だから、協力しないと生きていけなかった」
「人と協力する事が大切だという事はよく知っています。
でも、あなたはその上で沢山の苦労を経験したのに、どうしてそんな風に振舞えるんですか?」
他人を尊重して協力する事。
それが大切であるという事は身に染みている。
だけど、人は正しくあろうとしても擦れてしまうものだ。
少なくとも自分はそうだった。
そしてあの狭い牢獄で何年も悩んで苦しんできた。
「……そうだな、確かに話の本質はそこじゃないな」
彼はボツボツと話し始めた。
「まだ俺がお前くらいの子供だった頃の話だ。
その時はまだジャフアルドという国なんてなかった。
土地の半分が砂漠で、3割が荒野で、人々の殆どは残り2割の水源にほど近い場所で生活してた。
当時はただの無法地帯だった」
彼は苦い記憶を嚙み潰すかのように、目覚まし草を噛んだ。
「元々、今まで誰も寄り付かなかった場所だ。
周囲の国々からは流刑地とされて利用され、罪人や行き場のない少数民族や訳ありが住んでいた。
そこに行き場を失くした流民達も移住してきて、細々と各地で生活していた。
国ですらなく、流民達や罪人達は僅かな水源や食料を巡ってずっと争い続けていた。
そりゃそうだ。誰にも余裕なんて無かった。
今日食べるものも満足に見つからなかった。
全ての人が互いを睨んでいた」
どこかのスラムか、紛争地帯のようなものだろうか。
テレビではそんな光景をよく見たが、平和な国に住んでいる自分にとっては他人事だった。
「だが、最初にある一人の男が川から水を引こうと言った。
荒地に水を引いて、畑を作ろうと。
そうすればこの国は豊になると。
それを聞いた人々は、とうとうおかしくなったかと大笑いした。」
「どうしてですか?」
「ひび割れた不毛の土地が、柔らかい土になって作物が実るなんて誰も想像できなかった。
そもそも畑が何かと言う事を知らない人も多かった。
それに、水利権は川向かいの力を持った民族の支配地域だった。
下手に手を出せば、ただでは済まない。
案の定、彼は川向かいの民族から痛めつけられ、川の内側にいる人々達からはあざ笑われた。
その時は、俺もあざ笑っている男の一人だった。
彼の成果を破壊し、彼に拳を振るった。」
彼が自分の手を見た。
「それでも彼は一人で作業を続けた。
罵倒、暴力と軽蔑、そして猛暑の中で一人続ける作業。
彼は体を粉にしながら動き続けた、何年も何年も……」
彼は懐かしむように目を細めた。
「しかし、彼が膝を屈しようとする度に、助け船が出された。
最初は小人の放浪学者が共に治水の方法を考え始めた。
次に砂漠にたむろしていた流れ部族が彼に協力してくれるようになった。
そして成果が出始め、人々が少しずつ集まって来た。
俺はそれを見ても、いつか失敗するだろうと思っていた」
「……」
「ある時、食べ物がなくなった俺は空腹で行き倒れた。
仲間からの裏切りにあったんだ。
あの場所じゃ珍しいことじゃない。
その時、彼は倒れた俺を助けて無償で食事を振舞った。
俺は、前に彼を殴りつけた男だと名乗ることもできず、顔を隠してただ食べた。
食べ物を取り上げられるのが怖かったからだ」
「……」
「食べた後で、やはり白状した。
俺はあんたを殴って罵声を浴びせた男だ。
これで飯が無駄になったなと言った。
飯代替わりに、殴られてやろうと思った」
「……それで、どうなったんですか?」
「……彼は、それを最初から知っていた。
知っていた上で、食べ物を恵んでくれたんだ。
行く当てがないなら、よかったら畑仕事を手伝って欲しいと言われた。
俺はその時、自分がひどく恥ずかしくなった」
「……」
「俺は彼と出会うまでは、酷い人間だった」
彼は後悔するような口調だった。
普段の陽気な彼とは似ても似つかない。
「盗み、恐喝、暴力……人を殺したことも。
だけど、何年も身を粉にして働く彼の姿を見て、力になりたいと思った。
彼と共に働き始め、苦楽を共にした。
そして俺はそれを見た。
荒地は少しずつ緑地になっていった。
硬い土は柔らかくなり、一輪の花も咲いた。
その景色を見た時、俺は本当の意味で満たされたと思った」
それが彼を、カーブルトを変えたのか。
「すごい話ですね……」
彼が今こうしていられるのは、その人物との出会いがあったからという事か。
「その人が、ジャフアルドの王様なんですか?」
「彼は人の悪意によって死んだ。
唐突な最後だったが、最後まで信念を曲げなかった」
「……それは」
それ程の人間でも、死ぬときは死ぬのか。
現実は甘くないな。
彼はそこまで言って口をつぐんだ。
「教えてくれてありがとうございます」
「いいんだ。彼の行いは色々な人に知られるべきだ」
「……」
「……」
それから少しの間、沈黙が続く。
俺は緊張しつつも口を開いた。
「カーブルトさん、もし僕が別の世界から来たって言ったら、信じますか?」
思わず言ってしまった。
言った傍から後悔が押し寄せる。
信じて貰えるだろうか?
自分だったら絶対に信じない。
漫画かアニメの見過ぎかと鼻で笑うはずだ。
それでも、この先行の見えない暗い孤独な世界で誰かに分かって欲しかった。
知って欲しいと思ってしまった。
そして―――
「……確かにそう考えれば辻褄は合うのか」
こちらの気も知らず、彼はあっさりと言った。
「最初は記憶喪失と聞いていたが、やけに言動がはっきりしているとは思っていた。
故郷の連中と同じように、後ろめたい過去があって嘘をついているのかと思っていたが……」
「信じてくれるんですか?」
「信じるよ」
彼はあっさりと言った。
「ここ数日見てきたが、お前は嘘がつける程器用な人間じゃないだろ?
流民にしてはおかしな服装で、人っ子一人殺した事がねえって面だ。
そんな奴がどうしてあんな場所にいるのかが分かった。
あの森に転移したんだな?」
「……本当に、信じてくれるんですか?」
勇気を振り絞って伝えたつもりだった。
なのに、彼はあっけなく肯定した。
これでは何日も悩んで来た自分が馬鹿みたいじゃないか。
「信じるも何も、アルティリアは人の傷を治す奇跡や、死者が歩き闇に獣が住まう地だぞ?
正直理解不能な事だらけだ。
それが一つ増えただけだ」
「……」
声が上手く出てこない。
慌てて顔を隠す。
「おいおい、それ程の事か?
人に言えない過去なんて誰でもあるだろ?
俺の犯罪歴に比べればお前のがよっぽど上等だ」
そう言って彼はニヤッと笑った。
・
・
・
そこからは彼と色々な話をした。
日本と言う国の事。
自分がどうしようもない人間だった事。
右も左も分からず必死で森をさまよった事。
この先の不安な未来の事。
堰を切ったように言葉が流れ出る。
彼は何も言わず話を聞いてくれた。
そして時折、助言もくれた。
やがて一通り話し終えると、ゆっくりと空を見上げた。
空には満点の星空が広がっていた。
美しい景色だ。
「カーブルト」
「何だ?」
「星空って、こんなに綺麗だったんですね」
「そうか?いつもと変わらん空だ」
「ハハッ そうですね」
安心したせいか一気に眠気が襲って来る。
意識はゆっくりと眠りの中に沈んでいく。
そしてこれが、平和に過ごせた最後の夜となった。
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