他愛ない話

 

 早朝


 最初の祈祷よりかは多少マシとはいえ、

 倦怠感の取れない体を引きずって門に到着する。


 本当は体調不良で休むことを考えたが、貯金もない。

 貧困は辛い……


 本日の業務として、俺は初めて格子役を言い渡された。

 相方は……フォルだ。

 殴りかけてから、まともに話していなかったので気まずいな。


 ……まあ、仕方ない。

 これも仕事だ。

 割り切ってやろう。


 ・

 ・

 ・


 フォルを先頭に、階段を上っていく。

 重いドアを開けると、そこには薄暗くほこり臭い部屋があった。


 部屋の中心には、2本の柱が立っている。

 2本の柱には手押しの巻き上げ機が取り付けられている。

 そこから鎖のようなものが、天井に釣られた滑車を通して地面に繋がっている。


 それぞれ、下の2つの門を閉じる格子と繋がっているのだろう。

 部屋の各所には、武器のような物や埃を被った木箱、矢や松明のようなものが置かれている。


 まるで倉庫だ。


 フォルは部屋に入ると、真っ先に窓を開けた。

 薄暗い部屋に、朝日が差し込む。


「よし、とっとと準備を終わらせちまうか」

「準備……ですか?」


 日頃からの出来事もあり、いぶかしむように尋ねる。


「ああ、今日も並んでやがる……」


 窓の景色を覗きながら、フォルは忌々しげに言った。


「床下の連中が開門作業をする前に、両方の落とし格子を上げるんだ。

 じゃないと、床の隙間から剣や槍が差し込まれるぞ」

「……はあ」


 そう言えば、開門作業をする時に何度か格子が上がっていくのを見たな。

 あれの作業の事か。


「ま、今のお前には無理か、作業の流れだけ見とけ」

「……分かりました」


 お前には無理と言う部分で苛立つものの、抑え込む。

 このまま突っかかっても、前回の二の舞だ。


 フォルは俺を一瞥すると、手前の柱に取り付けられている、巻き上げ機の留め具を外して、取っ手を両手で回し始めた。

 回すには力がいるらしく、踏ん張ってゆっくりと動かしていく。


「よいしょっ……!」


 取っ手を回すと同時に、地面からゆっくりと、大きな格子が上がってくる。

 格子は太い網目状の金属網で、長い使用のせいで傷んでいる。


 凄いな。

 落とし格子なんて相当重いだろうに。

 いや、あの巻き上げ機を使うと、簡単に上げられるようになるのか?


 フォルは格子が上がり切った事を確認すると、巻き上げ機を留め具で固定した。

 その後もう一つの柱の巻き上げ機の側に立ち、同じように踏ん張りながら落とし格子を巻き上げていく。


「……重くないんですか?」

「あ?重いに、決まって、んだろッ……」


 巻き上げていく途中で、床下からドンドンと叩く音が聞こえた。

 門兵達の催促だ。


「ッせーな!すぐやりますよ!」


 2つ目の格子も巻き上げると、どさっと窓にもたれかかる。


「あー、終わった……何で立ってんだ?座れよ」

「失礼します」


 椅子らしきものがないため、近くの木箱に腰掛ける。

 フォルは窓の外の景色を眺めている。


「この仕事に関してだが……正直楽な仕事だ」

「はあ」


 自分からそれを言うのか……

 とんだ横着役人だ。

 まあ、楽な方が有難いか。


「くっちゃべってようが何してようが文句は言われない。

 でもな、一個だけやっちゃならない事がある。分かるか?」

「……さあ?この仕事は初めてなので」

「合図を見逃さない事だ。

 エルドさんから送られる一瞬の合図。

 それを受け取ったら、次の入市者連中を格子の中に閉じ込めないといけない」


 そう言えば、前に格子が降りてきて入市者を閉じ込めた事があったっけ。

 あの事件も、肝が冷えた。


 窓の景色を見ながらフォルは続ける。


「格子を落とすタイミングが少しでも遅れたら、入市者達を取り逃がす。

 外側に取り逃したならともかく、内側に取り逃したらまずいぞ。


 内側に待機人員はいないし、門周辺の一般人に被害が出るかも知れない。

 そのまま取り逃がしでもしたら、間違いなく門兵の内、何人かの首が飛ぶだろうな」


 首が飛ぶ。

 単に解雇されるという意味なのか、それとも文字通り首が飛ぶのだろうか。

 怖くて聞けないな。


「合図ってどんなものなんですか?」

「エルドさんが手を上げるんだ」

「手……ですか?」


 紛らわしい動作との見分けがつくのだろうか。


「実際には、エルドさんが手鏡を手の内に忍ばせるんだ。

 だから一瞬光る事でそれが本物の合図か見分けられる」


 手鏡ね。

 確かに陽光で反射するだろうし、遠くからでも見分けがつくか。


「僕は今、怪我だらけです。

 格子なんて重い物を落とすなんて出来ますか?」

「あ?落とすだけなら巻き上げ機の留め具を外すだけでいい。

 それならお前でも出来るだろ?さっき外し方は見てたよな」

「ええ、まあ……」


 確かに、外すだけなら何とかなるか。

 とりあえず、大した仕事はなさそうだ。

 これはいい仕事だな。

 後はフォルがいなくなれば、緊張もせずにすむのだが……


「……」


 フォルは窓からずっと外を覗いている。

 ……常に見張っていないといけないのは疲れるな。


 しかも、少しでも格子を落とすタイミングを間違えれば命取りだ。

 タイミングは、本当に見極めないといけない。

 入ってまだ二か月も経ってないような新人に、こんな仕事を任せて大丈夫なのか?


 大丈夫な訳ないだろ……


 ・

 ・

 ・


「……」

「……」


 互いに無言の、気まずい時間が続く。


 恐らく俺がフォルに良い感情を持っていないように、

 フォルも俺に良い感情を持っていないのだろう。


 それは今までの言動からも分かる事だ。

 それどころか、俺が殴ろうとした事について、内心怒っているのかも知れないな。


 ・

 ・

 ・


「……!」


 俺ははっと目を開ける。

 うとうとしている内に、気が付けば二の鐘が打ち鳴らされている。

 鐘の振動で、部屋の上部から砂埃のようなものがパラパラと落ちる。


 フォルは頭上にかかった砂を払いながら話し始めた。

 数時間ぶりの会話だった。


「……飯時だな。じゃあ行くか」

「二人ともですか?」

「?……そうだ」


 ……そうか。

 壁上監視と同じで、昼時は片方が残らなければいけないと思っていたが、

 昼時は門も通行止めだし、俺達はいらないか。

 フォルは部屋を出ようとして、木箱に腰掛けている俺を見た。


「飯、行かないのか?」

「いえ、ちょっと……」

「? そうか」


 そう言ってフォルは部屋を後にした。


「……」


 今はあまり、外を出歩きたくない。

 全身包帯男となった事で、すれ違う人々の視線は変わっていた。

 今までの流民をさげすむ軽視の視線から、病人や老婆を見るような哀れみの視線に。

 どちらも、気持ちの良い物ではなかった。


 勝手に同情される点を考えれば、軽視の方がまだマシだった。


 曰く、二度目の祈祷のおかげで、数日たてば外傷も良くなるようだ。

 そうなったらこの包帯は取っても良いらしい。

 この窮屈な紐切れとも、あと数日の辛抱でおさらばだ。


「……!」


 フォルが扉を開けて戻ってくる。

 早い。

 出て行ってから、まだ数分しかたっていない。

 忘れ物でもしたのか。


「ほら」

「え?」


 フォルは片手に持っていたパンを差し出した。

 何が起きたか分からない。


 毒か下剤が入っているのか?


「……いいんですか?」


 恐る恐る尋ねる。


「いいから」

「はぁ……どうも」


 とりあえずパンを受け取る。

 近くの木箱に、フォルが腰掛けた。


 パンにはキャベツや玉葱とソース、

 チーズのようなものとわずかながら肉が挟まれている。


 肉が挟んであるなら、そこそこの値がしたに違いない。

 少なくとも、普段の俺では手が出ない。


 ……ひょっとして卑肉トラップを仕掛けられたんじゃないよな。


「食べないのか?」


 まじまじとパンを見ていると、フォルが尋ねた。

 見るとフォルの方は既に同じパンを食べているようだ。


 それなら、まあ……

 食べてみるか。


 恐る恐る口にしてみる。

 ええい、ままよッ。




 ……お、思ったより美味しい。


 普段口に出来ないような肉やチーズ。

 常に空腹だった体に染みる。

 挟まれた野菜が心地よい歯ごたえ。

 濃い口のソースも自分好みだ。


「美味しいか?」

「ええ、美味しいでふ」


 俺は貪りながら答える。


「だろうな。俺の知り合いがやっている店だ。

 贔屓目を抜きにしても、うまい」

「お友達のお店なんですか?」

「ああ、近所だったから、昔はたまに遊んだんだ」

「へえ……そうなんですか」


 ……妙に態度が柔らかいな。


「実を言うと、最近妹に怒られたんだ」

「……はぁ」


 へえ。

 そりゃまた、どうして?


「お前とのやりとりを妹に話してな。

 この前殴られそうになった事を話したら、怒られたんだ。

『今までの話を聞いていて思ったけど、アンタはもうちょっと考えた方が良い。

 闇討ちされても、文句言えないよ』だってさ。

 全く、口ばっかり達者になって敵わないな……」


 フォルは居心地が悪そうに頭を掻いた。

 そこにはいつもの意地悪な先輩の姿はなく、

 妹に突き上げられて悩む、不器用な兄の姿があった。


 この兄にしては、ずいぶんと出来た妹さんだな……

 別腹か?


「確かに、俺の今までの言い方には多少問題があったよな」


 多少?


「軽はずみな発言だった。すまん」


 フォルは気まずげに言った。


「……」


 俺は考えた。


 実際、フォルの発言や態度に何度も苛立った。

 だが、逆の立場になってみるとどうだろうか。


 もし俺が門兵だったとして、普段から孤立してスラムに住む、関わりのない人種が配属されて来たら?


 どう接するか迷うはずだ。

 気遣えばいいのか、逆に雑に扱って反応を見るかも知れない。


 相手の人格や環境が分からないから、距離の取り方も分からない。

 ましてやフォルは15そこら。俺の一回り下の年齢だ。

 この世界なら成人かも知れないが、日本だとまだまだ子供だ。


「謝ってもらいましたから、まあ、これ以上は……」


 正直に言えば、リンチを傍観したことについては許していない。

 ただ、それを直接フォルに言っても仕方がない。


 ……逆の立場なら、恐らく俺も、怖くて動けなかった。


 今回はそれは差し置いて、今までの態度についての謝罪を受けておこう。

 ここで頑固になっても、何かいいことがあるわけじゃないしな。


 ・

 ・

 ・


 そこからはパンを食べつつ、他愛のない話をした。

 この下街で生まれた事。

 友達の事。

 この街そのものの事。


 男手一つで育ててくれた冒険者の父親が、数年前に壁外の仕事中に帰らぬ人となり、今は兄妹だけで生活をしている事。

 生活は苦しいものの、門兵に正規雇用されて周囲を見返し、妹に良い生活を送らせてやりたい事。


 フォルが一方的に話していただけだったが、俺はそれを黙々と聞いた。


「おっと、そろそろ昼休憩が終わるか」


 そう言ってフォルは視線を窓の外に移す。

 俺は聞きづらかったものの、聞いてみたかった事を尋ねた。


「フォルさん、今話していいですか?」

「フォルでいいよ。痒いような敬語もいらない。それでなんだ?」

「……僕がいない間、僕をここに残すか残さないかで議論があったと聞きました。

 フォルはどちらでしたか?」

「……それは」


 フォルの目線は外に向けていたものの、緊張しているのが伝わって来る。


「……正直に言えば、俺はお前がここに残る事に反対だった。

 俺はこの仕事でずっとやっていくつもりだし、家族にもいい暮らしをさせてやりたい。

 だから……次女様に睨まれたくなかった」

「……」

「領主様に目をつけられて、この門に悪い事が起こってしまうと思った。

 だから……俺はそう選択した」


 フォルは言いにくそうに言った。


「正直に言ってくれて、ありがとうございます」


 少なくとも、言い逃れするわけでもなく正直に話してくれた。

 家族と同僚。

 前者を選ぶのは当然だ。


「フォルからしたら、僕がこうして勤務している事も反対ですか?」

「いや……その件に関してはエルドさんがお前を残すと決めた事だ。

 それに、あの我儘な姫様に好き勝手されるのも癪だしな」

「……そうですか。」


 再び沈黙が部屋を支配する。

 俺は壁にもたれかかり、ゆっくりと息を吸って気分を落ち着かせる。


 今朝に感じた沈黙の息苦しさは、大分薄れていた。


 ・

 ・

 ・


 沈黙の間、時々、とりとめのない会話が続いた。


 俺は暇だったので、部屋を動き回り埃のかぶった荷物を物色していた。

 すると荷物の間に妙なレバーを見つける。


 なんだこれ?

 このレバー、下ろしたらどうなるんだ?

 ちょっとやってみたいな。

 念のためにフォルに聞いてみるか。


「フォル、ちょっといいですか?」

「ん、何だ?」


 窓辺で頬杖をつきながらフォルが答える。


「このレバーって何のためのあるんですか?」

「ああ?それか……ふぁぁぁ、とりあえず絶対に下げるなよ」


 フォルはあくびをしながら答える。


「どうしてですか?」

「それはデストラップだ。門の床下が抜けるぞ」

「?!」


 俺はさっと手を引っ込める。


「どういう事ですか?」

「包囲戦を想定して作られた罠の一つらしい。

 それを下げれば、敵さんは剣山に真っ逆さまだ。


 まあ、今使えば下を通っている入市者が穴だらけになるんだけどな」


 マジかいな。

 そんなやばいものがあるなら、事前に言ってくれ。


「事前に説明してくださいよ?」

「悪りィ、まさかそんな隙間のレバーを見つけるなんて……

 俺も完全に存在を忘れてたわ」


 忘れてたじゃないよ。

 一歩間違えれば、罪のない入市者が穴だらけ。

 俺達処刑台行きだったぞ?


「夜勤の人が言うには、最後に使われたのは5年前のカヴェルナ防衛戦の時らしい。

 その時は敵の死体で剣山が埋まったらしいぜ。文字通りの死体の山だったんだと」

「本当ですか……」

「今じゃほこり被ってっけどな。

 あと、そんな感じのトラップがいくつかあるから、あんまりこの部屋は触らない方がいいぞ」

「それは最初に言ってくださいよ……」


 何だろう。

 初めてフォルに突っ込んだ気がする。


「そういえば、トマスさんは僕が残る事についてどう思っていましたか?」


 まあ大体、予想はつくけど。


「……反対だったよ。

 あの人には、一人で育てている子供がいるんだ。

 そのことを考えたのかもな」


 ・

 ・

 ・


 窓から差し込む陽光が、夕焼け色に移り変わる頃。


「!」


 都市中に響く鐘の音。

 今日の業務はこれで終わりだ。


 が、まだ行列が続いている。

 今日は残業だ。


「先あがっていいぞ。後は下の行列が全部捌けてから、格子を落とすだけだしな」

「いいんですか?」

「いいぜ。そんな体なんだから、早めに帰れよ」

「ありがとうございます」

「だから敬語はいいって……それじゃあまた明日な」

「はい、お疲れ様です」

「おう」


 フォルは監視をしたまま、手だけ振り返した。


 ・

 ・

 ・


 壁を降りると、門の様子が見える。

 門兵達が、緊張した様子で入市者と話し合っている。

 忙しそうだ。


「ッ」


 入市者が通って来る。


 先頭を歩くのは、いつぞやのゴルカだ。

 180近い身長。ラガーマンのような体格。褐色の肌。堂々とした態度。

 使い古されて馴染んだ軽装は、それだけで一角の冒険者だと分かる程だ。


 その後ろに、同じく堂々とした表情と足取りで歩くいつもの3人がいる。


「ん、お前は……」


 ゴルカが俺に気が付いた。

 俺は背中に、じっとりと冷や汗を感じ始めた。


「……どうも」

「ひでー格好だな、お前」


 ゴルカの側に立つ片手剣の男――この前数日で首になるとか言った奴――が言った。


「うわ……」


 弓を背負った長髪の女も、嫌悪感をにじませている。


「その装備……ひょっとしてこの前会った新人の門兵か?」

「え、ええ、まあ」

「そう言えば、次女様にリンチにされた流民の門兵がいたと聞いていたが、まさかこんな……」


 ゴルカが言葉を失っていると、隣の仲間たちが続けた。


「まさかあの腰抜かしてた門兵君?!アハハ、踏んだり蹴ったりだね!」


 何が可笑しいのか、弓を持った女が大笑いする。


「ッ」


 怒りに拳を握りしめるが、口には出さない。

 公権力にも平然と反抗し、実力があり、危険なスラムに潜む連中。

 反感を買ったら、それこそ二度目のリンチにあうかもしれない。


「言ってやるなよ……元々ボロボロだった短剣が、折れた短剣になっただけだ。

 いずれは折れる定めだった、そうだろ?」


 相手の目を一瞬睨むが、気圧されてすぐに反らす。


「おい、同じ流民だからってあんまり可愛がるなよ」


 ゴルカがそう言って仲間をいさめる。

 その気遣いすら心苦しい。


「柄の悪い連中ばかりで悪いな、こんな状況で大変だろうが、同じ流民同士頑張ってやっていこう」


 そう言ってゴルカは俺の肩に手を置いた。

 手は重く、硬かった。


「……はい」


 俺はその二言を絞り出す事しか出来なかった。


 ・

 ・

 ・


「ユ、ユーヤ!大丈夫だった?」


 背後から駆け寄る音とジラールの声が聞こえる。

 俺はその足音が近づく前に、宿に向かって駆け出していた。

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