療養編

最悪の目覚め

 目を覚ますと、薄暗い部屋と木の天井が見えた。


「~~~~~~~ッ」


 とたんに、信じられないような痛みが体中を駆け巡る。

 片目……片目が、見えない?


「カッ カハッ」


 痛みにもだえていると、人が近寄って来る。


 二人とも年齢は16,7位だろうか。

 教会の修道女のような格好だ。

 一人は金色、もう一人は青みがかった髪をしている。


「痛みますか?」


 金髪の修道女が尋ねる。


「……は、はひ」


 上手く言葉が発せない。

 呂律の回らない下で、何とか返事をする。


「み、みひゅ……(み、水……)」


 強烈な喉の渇き。

 水が欲しい。


「お水ですね……こちらを」


 青髪の修道女は水の入ったコップを差し出した。

 それを受け取ろうにも、腕に鋭い痛みが走る。

 俺は、震える手でゆっくりとコップを掴む。


「!」


 痛みでコップを取りそこねる。

 水を全てこぼしてしまう。


「あっ」

「……無理をなさらなくても大丈夫ですよ。

 カロル、もう一度水を入れていただいてもよろしいですか?」


 金髪の修道女は、青髪の修道女カロルに言った。


「はい」


 そう言ってカロルは走り去っていく。

 俺はふと、辺りを見渡した。


 薄暗い大きな部屋。

 周囲には複数のベッド。

 枕元にはろうそくが灯っている。


「こ、ここふぁ……(ここは……)」

「ここは、下街東区教会付属の修道病院です」


 病院……

 どうして?


 そこで、俺は直前に何があったかを思い出した。

 ただ傍観する同僚、騎士達、重役。

 恐ろしい荒れ狂う海の瞳。


 その取り巻き達の、下卑た笑い声。

 痛みのあまり、途切れた意識。

 醜い人のありさまが、眼に焼き付いていた。


「あぁ……」


 思わず、嘆きが漏れる。


「貴方は今日の昼過ぎ、昏睡状態のまま運び込まれました。

 そのまま半日、寝たきりの状態でした」


 ……今はもう真夜中、という事か。


 ああ。

 明日の出勤、どうしよう。


 こんなボロボロの体で、働けるとは思えない。

 が、働かなければ宿泊費が払えず、宿を出るしかない。

 貯金は、ほとんどない。


 最初からまっとうに生きようとせず、

 スラムの流民にでも媚びへつらっておけばよかったかな。

 そうすれば、いざとなれば俺もスラムの住人になれたかも知れないのに。


 ……しかし、あの暗く危険な裏路地で生活できるか?

 いや、きっと無理だ。


 行く当てがない。

 貧困が苦しい。

 どうしようもない苦しみで、呼吸が荒くなる。


 賠償金を求めようにも、相手が相手だ。

 貴族相手に、裁判なんて起こせる訳もない。

 かえって、二度目のリンチにあうかも知れない。


 どうして、被害者がこんなに苦しまねばならない?

 理不尽だ。


 俺は悩み続けた。

 その間、金髪の修道女は何も話さず、じっと様子をうかがっていた。


「お持ちしました」


 悶々と悩んでいると、カロルがコップを持って戻ってくる。


「ありがとうございます」


 そう言って金髪の修道女はコップ受け取り、

 俺の口元にゆっくりと近づける。


「……」


 俺は水をゆっくりと飲む。


「!」


 口内に水が染み、思わずむせそうになる。

 殴られた時、口の中も切ったらしい。


「大丈夫ですか!」


 金髪の修道女はすぐにコップを取り上げ、

 枕元の小さな台に置いた。


「しみますか?」

「……」


 痛みで言葉が出ない。

 代わりに頷く。


「失礼ですが、貴方の鎧は一度取り外させていただき、

 代わりに傷口を処置しました」


 カロルが言った。


 感触を確認すると、確かにチェーンメイルとシャツが脱がされている。

 代わりに包帯らしきものが巻かれている。


「あ、あひがふぉ、ごふぁいまひゅ(ありがとうございます)」

「当然のことをしただけです」


 カロルは優し気な口調で言った。


「寝起きで、色々と混乱しているところすみません。

 早速ですが検診をさせていただいてもよろしいでしょうか。


 外見だけでもある程度は判断できるのですが、

 正確な病状を把握するために触診もさせてください」


 金髪の修道女が言った。

 俺は無言で頷いた。


 ・

 ・

 ・


 金髪の修道女が俺の上半身の各部分を触る。

 都度、反応を見て隣のカロルと相談する。


 20分程度だろうか。

 触診を終え、金髪の修道女が向き直って言った。


「お待たせしました。病状についてご説明します。


 まず、右腕に関して、複数個所に打撲による内出血。

 それと骨折の症状が見受けられます。


 左腕に関しても、骨折が無いだけで同じような状況です。

 最低でも数週間は休まないと、以前のように両腕を動かすのは難しい状態です。


 胴体部分に関しても複数個所に打撲と内出血が見られます。

 呼吸をする度に脇腹と肺に鋭い痛みがあるとの事ですので、

 恐らく肋骨にも損傷がある状態です。


 吐血の跡から、臓器にもダメージがある可能性があります。

 こちらも数週間療養しないと、体を動かすのは危険だと思われます。


 左足の骨も、ひびが入っているようです。

 最低でも一か月は、治療期間が必要です。


 顔に関してですが、顔中に殴打の跡があり、各所が腫れあがっています。

 左目も腫れており、目も開けられない状態ですね。

 頬の陥没と、鼻が曲がっている事から、骨が折れているようです。


 まとめると、全治数週間から数か月の治療が必要になります」


「……」


 俺は絶句した。


 思っていたよりも酷い病状。

 それ以上に、数週間以上の治療というのがまずい。

 その間収入が途絶えるとなると、入院費すら払えない。


「本来、癒しの祈祷を行うには、ある程度の寄付等が必要です。

 しかし、一神教に改宗する事により、寄付を免除する事も可能です。


 もし手持ちがないようでしたら、後者の方法で何とか進めてみたいと思うのですが、

 いかがでしょうか。」

「……」


 癒しの祈祷……

 どうやらそれを行えば、本当に傷が良くなるらしい。


 確かにこの方法であれば、俺はまだこの世界で命を繋げるのかも知れない。

 でも――


「……い、いらない、れひゅ(いらないです)」


 か細く、しかしはっきりと俺は答える。


「……え」


 優し気だった金髪の修道女の表情が固まる。


「ど、どうして?」


 金髪の修道女が困惑しながらたずねる。


「……」


 俺は考える。

 ここでか細い命を繋いでも、何になるだろう。

 また安い給与で、見合わない危険を冒して。


 周りにはぺこぺこして、自分より一回り下の年の奴に馬鹿にされながら、

 辛い肉体労働を続けるのか?


 そもそも、こんな問題を起こし、貴族に目を付けられた。

 門は再び雇用してくれるのか?


 門を追い出された場合、他の仕事が見つかるのか?

 そうまでして頑張って、何になる?


 実際に門兵をやってみて分かった。

 俺は英雄じゃない。

 便利なチートもない。


 臆病な性格でまともに戦えない。

 正直、相手に殺意を向けられるだけで手足が震える。


 このまま戦いの道を進んでも頭打ちは近い。

 そこらでおっちぬのが関の山だ。


 最初は冒険者として身を立てる事に憧れたが、結果はこのザマだった。


 半透明化は、戦い自体が強くなる訳じゃない。

 かくれんぼが多少うまくなるだけだ。

 しかも夜限定。


 もし、透明化なんて外れ能力ではなく、

 魔法能力等があれば結果は違っていたかも知れない。

 遠距離から一方的に相手を攻撃し、

 公の場で人々の名声を得ることも出来ただろう。


 だが、俺の引いたカードは透明化。

 それだけの話だ。


 これでも、唐突にこんな危険な世界に飛ばされてから、

 俺は懸命に生き抜いてきたつもりだった。


 カーブルトとの冒険、門兵としての辛い仕事。

 身の危険、金、時間、体力、プライド。

 色々な物を差し出して、何とか人生をやり直そうとした。


 それが理不尽に蹂躙された上に、今度は信仰まで差し出せと?

 唯一のより所だった思考、心までも差し出させと?


 だとしたら俺に何が残る?

 今度は命でも差し出せってか?


 この世界は、俺から全てを奪わないと満足できないのか?

 好きで来たわけでもない、この世界に。


 つまるところ、どちらを選ぼうと大差ないのだ。

 信仰を選んで命を繋いでも、先の見えない底辺生活への逆戻り。

 信仰を選ばず、ここを追い出されても野垂れ死ぬだけ。


 この先ずっと続く苦痛。

 この先少しの間だけ我慢すれば終わる苦痛。

 二つの内どちらかを選ばねばならないなら、俺は後者を選ぶ。


「祈祷を受けずにこの場所で今後も治療したいという事でしたら、

 相応の料金をいただく事になりますが……それも、数か月分になりますよ?」


 金髪の修道女は意図が分からず、困惑して質問した。

 隣のカロルは俺の意図を察したのか、悲し気にうつむいた。


「このばひょは、かりまひぇん」

(この場所は借りません)

「それは、どういう」

「もう、いひることい、ひゅかれまひた」

(もう生きる事に疲れました)


「……」

「しゅぐにでみょ、おいらひてくらひゃい」

(すぐにでも、追い出してください)


 これ程の重症だ。

 追い出されても、まともに動けずに野垂れ死にするだけだろう。

 だが、それで良い。


 本来、引きこもりだった時点でこうなる結末だった。

 それが少し遅れただけだ。


 不思議と、俺の腫れていない右目には涙が溜まり、頬を伝った。

 救えない事に、まだ生きていたいと思う自分もいるようだった。


「……」


 二人の修道女は少しの間黙り込んだ。

 涙で目がにじんでいたせいで、二人の表情は見えなかった。


「貴方は、それで本当に良いのですか」


 金髪の修道女は、それが間違いであって欲しいと、

 懇願するように聞き直した。


「やにかにああがっていきうのも、たたあっていきうのも、かかあっていきうのも、もういやだ」

(何かに抗って生きるのも、戦って生きるのも、関わって生きるのも、もう嫌だ。)


 少しでも体を動かそうとすれば、鋭い痛み。

 呼吸をする度、肺や脇腹に刺すような痛み。

 腫れたせいで左目は見えず、言葉も満足に発せない


 頭痛がひどく、思考もまとまらない。

 発熱があるようで、気分も悪い。

 半殺し状態だ。


 生きているだけで、酷い苦しみだ。

 それならいっそ、もう終わりにしてしまいたい。

 体力も、気力も、金も、もう残っていないのだから。


「……」


 二人の修道女は少しの間沈黙した。


「……!」


 唐突に目に何かが触れる。

 布のようなもので目元の涙が拭かれたようだった。

 目の前の景色がはっきりと見えるようになった。


 金髪の修道女は目に一杯の涙を溜めて、

 今にも泣きだしそうな顔をしている。


 青髪の修道女は悲し気に、

 しかしどこかで、あきらめたような表情をしている。


「貴方をここに連れてきたのは、貴方の同僚の門兵の方々です。

 急いでやってきたのか汗をかいていて、

 貴方を頼むとお願いされました。

 それでも生き続けるのは嫌ですか?」


 金髪の修道女はなおも食い下がった。


「……カハッ」


 傷のせいで声にならなかったが、

 傷が無ければ明確な失笑になっていたに違いない。


 連中がどんな事をしたにせよ、

 あの時傍観者だったのは紛れもない事実だ。


 自分より強い相手の前では、下っ端を生贄に捧げておきながら、

 ただ病院に運び込んだだけで罪が許される訳がない。


 ……ただ、自分が逆の立場なら、恐らく同じようにしだろう。

 そこは、強く責める気にもなれない。


「いやれす(いやです)」

「……貴方はまだ15歳位ですよね?

 それなら、この先生きていればいい事もありますよ」

「……カハッ」


 俺はまた失笑した。

 まだ若く希望のある15歳の時点で既にこうなってしまっているのに、

 この先良くなるとどうして信じられるだろうか。

 そもそも俺の実年齢はもっと上だ。


「……いや、れす(いやです)」


 俺は金髪の修道女の潤んだ瞳を見つめ、

 か細く、しかしはっきりと答えた。


「……ッ」


 金髪の修道女が言葉につまり、涙目になりながら、

 かけるべき言葉を探そうとしている。

 その様子を見て、カロルは金髪の修道女の肩にそっと手を置いた。


「……カロル」

「患者が拒んでいる以上、治療を施す事は難しいかと」

「ですが」

「勝手に決まりを破って処置を行えば、

 他区の教会や上街の司教様からおしかりを受けます。

 そうすればエタン神父にもご迷惑がかかります」

「……」


 金髪の修道女は唇を噛んでうつむいた。


「私たちに出来る事は、退院の準備だけではないでしょうか」


 そうだ。

 それしかない。

 貴方たちが出来る事は、それしかないのだ。


「……今はまだ、病み上がりですよね?

 今晩は一度考えていただき、明日の昼にまたお話を聞かせて貰えませんか?」

「……」


 それでも、金髪の修道女は食い下がる。

 恐らく、俺はあきれ顔をしていたと思う。


 初対面の人間に、どうしてそこまで気を使えるのだろう。

 いちいちそんなに気を使っていたら、疲れてしまわないのだろうか。


 彼女は、俺のこの判断が一時の病の弱気から来ていて、

 明日になれば考え直すと思っているらしい。


 この判断は自分なりに熟慮した結果だ。

 明日になっても、その合理性は失われないだろう。


「わたひのいへんは、かわいまへん」

(私の意見は、変わりません。)


 再度、彼女の目を見据えてはっきりと伝える。


「……そう、ですか」


 彼女は俺の意思を目で受け止め、静かにうつむいた。

 俺は内心、一息ついた。

 ようやく分かってくれたようだ。


 俺は体を動かそうと試みる。

 問題はどうやってここから出ていくかだ。


 下半身は左足の骨折程度。

 壁に手を付けば、歩くこと自体は可能だろう。


 が、上半身はまともに動かせない。

 出て行っても、まともに食事も取れないだろう。


 ……ハッ!

 俺は何を考えているんだ?

 これから野垂れ死のうってのに、食事の事なんて。


 そんな事は考えても無駄。

 後は野となれ山となれ。

 俺は体の痛みを我慢し、何とか立ち上がろうとする。


「……ん?」


 見ると金髪の修道女は目をつむり、

 その両手を俺の前にかざしている。

 そして、何かを早口で唱えているようで――


 まさか、コイツ――


「リディア様!」


 カロルが驚いたように声を上げる。

 俺はその場から身をよじって避けようとする。

 が、痛みで上手く動けない。


 直後、体の各所が不思議な熱を帯びる。

 その熱はどんどんと上昇し、声を上げてしまいそうになる。


「熱ッ」

「お止め下さい、リディア様!」


 カロルが金髪の修道女、リディアの手を引っ張る。

 しかし金髪の修道女は手先を反らさない。


 少しすると、各所から熱が引いていく。

 代わりに、どっと疲労感と倦怠感が押し寄せてくる。


「な、何を――」


「簡易的な治癒の祈祷を行いました。

 重い傷を治癒したので強い反応があったかと思いますが……熱かったですか?」


 先ほどに比べれば各所の痛みが和らいでいるように感じる。

 本来なら泣いて喜ぶ所だろう、しかし―――


「このクソアマッ!

 俺の話を一言でも理解していたのか?!」


 自分でも少し驚くような暴言が口に出る。

 が、それを失言とは思わない。


 この女は下らない自己満足のために勝手に治療を行い、俺の苦しみを長引かせた。

 必死で固めた死の決意を、勝手にかき消した。


 隣では、カロルが困ったように自分のこめかみを押さえていた。

 リディアは暴言に慣れていなかったのか、

 怯えたように一瞬表情を強張らせた。

 が、すぐに毅然として言い返した。


「私の都合で無理に祈祷を行った事は謝罪します。

 申し訳ありません」


 リディアは丁寧な口調で言った。


「ですが、この選択を貴方に後悔させるつもりはありません」

「……は?」

「治療の対価として、貴方には週に二度、本教会に通っていただきます。

 そこで主の御言葉を聞いてください。

 絶対に後悔はさせません」


 ……何だコイツ。

 ……何を言っているんだ。

 宇宙人と話しているみたいで気持ち悪い。


「ッ……そんなものに何の価値があるんです?!

 話を聞けば僕の悩みが全て解決するとでも?!

 貴方がやった事は許されない!」


「……はい。そうです。私の行いは到底許される事ではありません。

 患者の意思と、教会の決まりをねじ曲げてしまいました」


 リディアは伏し目がちに言った。

 よく見ると顔には汗が滲んでいて、疲れているようだ。

 治療術による疲れだろうか。


「ですが、癒し手として、ここで見殺しにする事はできません」


 そう言ってリディアは顔を上げ、俺の瞳を見据えた。


「ッ」


 恵まれて整った顔の造形。

 見た人の心を溶かすような夕焼け色の瞳。

 人生に負い目がない、堂々とした表情。


 自分の中に一本通った芯があり、

 確かな自我と揺るぎない信念がなければ出来ないような佇まい。


 俺のような、敗者の死にかけた希薄な瞳ではない。

 活力と、希望と、人生に負い目が無い者の瞳だ。


 何もかもが自分と対極の存在。

 その曇りなき眼で見据えられると、

 途端に目を反らしたい衝動に駆られる。


 本来俺が彼女を責めているのにも関わらず、

 俺はその目から、視線を反らさないようにするだけで精一杯だった。


「教会の癒し手として、患者を見殺しにする訳にはいきません。

 でも、後悔はさせません。

 主の御言葉によって、貴方を導きます」

「ッ」


 俺は彼女から少しでも逃れるように、上半身を反った。


 化け物。

 名も無き獣や夜の騎士達以上の化け物。


 同じ言葉と都市に住みながら、生涯理解し合えない対極。

 狂信者。そんな言葉が思い浮かぶ。


 人を一方的にけなし殴る女も、人を一方的に救う女も。

 言葉が通じないという時点で大差ないではないか。


 俺はとうとう、我慢できずにリディアから視線を反らす。

 リディアは続ける。


「治癒の祈祷は傷を癒しますが、

 その分、体に急激な負担がかかります。

 症状が重ければ重いほど、負担は強まります。

 そのため、治癒の祈祷は数度に分けて行う予定です」


 どうりで。

 この疲労感と倦怠感はそれが理由か。

 気力までは治癒してくれないらしい。


「今回は表面部分ではなく内部に働きかけた祈りでした。

 内臓の痛みや骨折の痛みを和らげてくれるはずです」


 そう言って、リディアが俺の胸元――肋骨の部分に触れようとする。

 俺は無意識に後ずさり、リディアは悲し気な顔をした。


「傷が癒えるまでは、ここで療養を――」

「それ以上は、看過できません」


 はっきりとした声で、カロルが言った。


「ですが、シスター・カロル」

「貴方は決まりを破って患者に無償で祈祷を施しました。

 その上、無償で療養もさせるおつもりですか?」

「それは」

「貴方の慈悲の心は存じていますが、

 度が過ぎています。


 他の恵まれない人々にも示しがつきません。

 この都市には、助けを求めている人々が無数にいる事をお忘れなく」

「……はい、軽率な行いでした。

 助言に感謝を、シスター・カロル」


 カロルはこちらに向き直って言った。


「貴方の意思に反し、祈祷を強行した事に関して、

 謝罪させてください」

「……はい」


 カロルの瞳は鳶色で、金髪の修道女とは違い鋭さがあった。


「お話の通りですが、私たちは貴方を無償で療養させておく事はできません。

 修道院も無償で成り立っている訳ではないという事をご理解していただけますか」

「理解します」

「治療は施されたとの事ですが、

 骨折している箇所の痛みや胴体の痛みは和らいでいますか?」

「……はい、先ほどよりも大分良くなりました。その分倦怠感は酷いです」

「かなりの重症でしたので、副作用は酷いのでしょう。

 最低限、日常生活は遅れそうな程度には回復しましたか?

 そうでない場合、料金をいただければ明日以降もここで療養が可能ですが」

「いえ、回復しました。療養は必要ありません」


 俺は食い気味に言った。

 実際に日常生活が送れるかはともかく、金銭的な余裕はない。


 明日も出勤しないと門兵を首になるかもしれない。

 それに何より、この場所とリディアから離れたかった。


 カロルがてきぱきと話しを進めていく中、

 リディアはその様子を不安げに見守っていた。


「……そうですか。それでは、今はもう真夜中ですから、

 明日の朝に退院という事でよろしいでしょうか」

「それでお願いします」

「承知しました。それでは、ゆっくりとお休みください」


 そう言ってカロルは立ちあがる。


「貴方にも、聖なる牡鹿の導きがあらん事を」


 そう言い残して、リディアも立ち上がった。


「あ、そうだ、すみません」


 一つ言い忘れていた事があった。


「門は一の鐘と同時に開門するので、

 それよりも早く起こして貰っていいですか?

 明日も仕事なので」


「「……」」


 二人の修道女は目を合わせて、小さくため息を吐いた。

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