8


 翌朝、俺たちは早朝から再び歩き始めた。


 本当なら昼頃まで体を休めたかった所だ。

 ただ、銅仮面の男が言うにはここからは敵が多くいるらしい。

 日の出ている内に、出来るだけ歩を進めようという事になった。


 あと、二日……

 カヴェルナまではあと二日のみ。

 ここまでの旅路から見ればあと少しの距離じゃないか。

 そう言い聞かせ、眠気と疲れで倒れこみそうな体を奮い立たせる。


 隣の彼は歩けてはいるものの、足元が覚束ない。

 出血の影響か、焼灼の反動か。

 いざという時、俺が支えないと……


 昨日は夕食を食べていなかった。

 そのため、保存食の豆をかじりながら歩いている。

 しかし、彼は食事を取る気力もないようだ。


「……」


 脳内では、昨日のことが何度もよぎる。

 目の前で彼の腕に差し込まれる刃。

 頭をフルスイングした時の感触。


「……」

「……命を懸けた戦いは、初めてだったか?」


 鋭い質問が投げかけられる。

 よほど暗い顔をしていたのか。


「はい」

「そうか」


 少しの間沈黙が続く。

 彼は再び口を開く。


「お前はやるべき事をやった。誰も責めない」

「はい」

「そして上手く立ち回った。

 唐突に表れた4人の騎士。

 暗闇での長い戦い。

 特に銅仮面の腕前は頭一つ抜けていた。

 一歩間違えれば、今頃俺たちは死んでいた。」

「あの時、僕とカーブルトの二人がかりで銅仮面に切りかかっていたら、勝てましたか?」


 脳裏には炎を背にした銅仮面が立っていた。

 部下が次々と倒れ、最後の一人になっても退かなかった。

 堂々とした態度は崩さなかった。


「可能性はかなり低かった。

 奴と数度打ち合った時点で、相当な腕前だと確信した」


 ……そんなに強かったのか。

 本当に戦わなくてよかった。


「だが、最後に勝ったのは俺達だ。そうだろ?」


 そうだ。

 結局、最後に勝ったのは自分たちだ。


「カーブルトよくあんなに頭が回りますね。

 僕がただの従者じゃないなんて」


 俺はただの遭難者。

 我ながら、足手まといもいい所だ。


 しかしカーブルトは咄嗟に俺の事をただの従者で無いと言った。

 戦力と誤認させた。

 そして銅仮面は二対一の不利を悟り、見逃してくれた。

 もしその機転がなく、銅仮面が襲い掛かってきたら……


「もし僕があの銅仮面と戦っていたらどうなりましたか」

「すぐに切り捨てられていただろう」


 カーブルトはあっさりと言った。


「ハハッ それは本当に戦わなくてよかったですね」


 あまりにも率直な言われ方。

 思わず笑ってしまう。

 笑うしかない位の力量差だ。


 本当に困難の連続だった。

 思い出すのも嫌な位だ。

 それでも今笑えているのは、結局勝ったのは自分たちだったからだ。


「でも、僕にはやっぱり冒険者は向いてないかも知れないですね」


 斬りかかるのも、斬られるのも嫌だ。

 命を奪うのも、奪われるのも嫌だ。

 正面切っての戦いには向いていない。

 今回の事でよく分かった。


「それが人としての正常な感覚なのかもな。

 俺みたいな連中は、頭のねじがどっかに飛んじまってるらしい」

「……それは間違いないですね」


 残念だが、それは疑いようのない事実だ。


「言うようになったな」


 彼は愉快げにそう言った。


 ・

 ・

 ・


 日が沈むと、すぐに野営の準備を始める。

 大部分の食料を入れていた荷物袋は捨ててしまった。

 水も食料も底を尽きかけている。

 カーブルトの体調も良くない。

 彼が疲れている分、俺が頑張らないといけない。


 カーブルトを先に寝かした後、夜の番を始める。

 目覚まし草の端をかじりつつ眠気を飛ばす。

 ひどい味に思わず水が飲みたくなる。

 いかんいかん。

 水は病み上がりの彼の分だ。我慢しないと。


「……」


 しかし……社会人よりもよほど過酷な労働をしている気がする。

 社会復帰を名乗っても良いんじゃないか?


 日が沈んで2、3時間経った頃。


「……」


 音だ。

 周囲に、何かがいる。

 音の方向に目を凝らす。

 暗闇に人の輪郭が浮かび上がり、微かな腐臭が漂う。


 死者。

 意思のない骸骨が一体、ぶらぶらと歩いている。

 一体だけなら、やれるか?

 腰元の剣に手を伸ばす。


「!」


 死者の後方から別の音。

 馬鉄の音。馬のいななく声。

 くぐもった声で何かをしゃべる男達。

 無数の無機質な歩行音。

 心臓が激しく鼓動し始める。


 闇夜で姿のほとんどは隠れている。

 それでも、異形達が列をなして来たのだという事だけは分かる。


 周囲にどれだけの数がいるんだ?

 何十、いや、何百?

 生きた心地がしない。

 緊張のせいか、気分が悪くなってくる。

 静かに戻り、寝ている彼の肩をゆする。


「病み上がりの所、すみません。

 静かに、起きてください」

「……ああ」


 彼は苦し気に体を起こす。

 すぐに状況を察してくれたようだ。


「これからどうします?」

「……とりあえずここから離れよう。

 道を迂回してカヴェルナを目指す」

「分かりました」


 俺たちは手探りで暗闇を進む。

 暗闇で敵がほとんど目視できない。

 音と感覚だけが頼り。

 分かるのは周囲が敵だらけという事だけ。


 姿や数が分からない分、不安が募っていく。

 暗闇の中、もし敵にぶつかってしてしまったらと思うと足が止まる。

 次の瞬間、仲間を呼ばれてミンチにされる。

 いや、死者になって永遠にさまようくらいなら、まだミンチの方が救いがある。


 緊張のせいか喉が渇く。

 呼吸が苦しい。

 もし彼がおらず自分一人だったらと思うと怖くなる。

 怯えて動けなくなっていたに違いない。


「……」


 しばらく歩くと開けた場所に出た。

 月明かりで、この辺りには木が無い事が分かる。


「……まずいな」


 彼が呟いた。

 眼前の暗闇の先に、無数の蠢く輪郭が見える。

 同時に、ひどい腐臭が鼻を突く。

 無数の死者がそこにいる。

 こんなに沢山……

 戦争でもするつもりか?


「……どうします、カーブルト」

「……」


 彼は少し考えこんで言った。


「待とう」

「……何を待つんですか?」

「機会だ」

「機会、ですか?」


 困惑していると、彼は続けて言った。


「博識な小人が言うには、数に劣る俺達が出来るのは耐える事だけらしい。

 大勢に勝つには、敵がミスをするまで負けないように耐え続けろと言っていた。

 奴ならきっとこうしたはずだ」

「……前に言っていた小人の学者ですか?」

「そうだ」

「信頼しているんですね」

「喧嘩なら負ける気はしないがな」


 カーブルトが俺を信頼して任せてくれたように、自分もその小人を信じてみよう。


 ・

 ・

 ・


「!」


 待ち続けてしばらく経った時、異変があった。

 遠くに小さな灯りが見える。

 灯りはこちらに近づいてくる。

 数台の荷馬車だ。

 左右には大きな火が焚かれている。


「獣避けに火を焚いたか。

 だが、今夜は……」


 彼が気の毒そうに呟いた。

 荷馬車がはっきりと見える距離まで近づいた時。

 急に馬車が動きを停めた。


「う……」


 よく見ると、馬車の周りには無数の骸骨がしがみ付いている。

 まるで、馬車を丸ごと暗闇に引きずりこもうとしているようだ。


「今の内だ、ここを渡るぞ」

「……」


 荷馬車から目が離せない。

 荷馬車から男が数人出て来た。

 剣を振るうも、一人また一人と群れに飲みこまれていく。


「おい、聞いてるのか」

「……あ、俺」


 何故か目が離せない。

 何かやらなければと思うが、何をすればいいのか分からない。


「よく聞け、ユーヤ」


 彼は俺の肩に手を置いて、低く抑えた声で言った。


「俺達は英雄じゃない」

「ッ」


 そうだ。

 自分も彼も一騎当千の英雄でもないし、魔法使いでもない。

 今までの旅路で分かり切っていたはずだ。


「……分かりました。すみません」

「行くぞ、ついて来い」


 ・

 ・

 ・


 何とか開けた場所を抜け、再び身の隠しやすい林に入る。

 獣の息遣いや死者の歩く音は聞こえ続けている。

 一寸先も不確かな暗闇の中、息を押し殺して歩き続ける。


「ッ」


 唐突に目の前の暗闇に輪郭が浮かび上がり、心臓が止まりそうになる。

 ゆっくりとした動きと腐臭からして、死者だ。

 少しの間身を隠していると、輪郭はゆっくりと去っていった。

 それを見て、俺たちは再び歩き始める。


 近くで物音がするだけでも、心臓が止まりそうになる。

 緊張のせいか、腹も痛くなって来る。

 この一晩で一年ほど寿命が縮んだに違いない。


 しかし一体、いつまで続く……?

 腐臭、足音、気配。

 何時間も何時間も。

 眠気、空腹、疲れ、痛み。

 ……息が、詰まりそうだ。

 もう、限界だ。

 いっそ――――


「!」


 周囲の気配が一斉に動き始める。

 腐臭、獣、死馬。

 無数の気配が一斉に動き始め、駆け回り始める。


 ばれたのか!

 周囲の気配は嵐のように激しく動き続けている。

 周囲四方に気配がする。

 逃げ場所はない。


 一瞬、脳裏に走馬灯がよぎる。

 振り返れば、後悔ばかりの人生だった。

 出来れば、やり直したかった。


 ……せめて、襲ってきたら、せめて最初に一太刀入れてやる。

 死者となって永遠にさまよう位なら、いっそここで――

 俺は腰元の剣を握り、目の前の暗闇を凝視し続ける。















「お」

「ん」


 微かな光がよぎる。

 月光か?

 見上げると、木々の間から光が差し込んでいる。

 ……日の出だ。

 新たな世界を照らす、黄金の輝き。

 気が付けば周囲の邪悪な気配は消え去っている。


 生き残った、のか?

 足から崩れ落ちそうになる。

 抑えていた眠気がどっと押し寄せてくる。


 ……ただの朝日が、妙に目に染みるじゃないか。


「カーブルト」

「ああ……終わったな」


 長い悪夢が、ようやく終わった気がした。


 ・

 ・

 ・


 朝日が昇り始めても、俺たちは歩き続ける。

 本音を言えばすぐに寝転んでしまいたい。

 しかし、彼が言うには急げば今日中に到着できるとの事だ。

 もう一晩壁の外で過ごすのは……絶対に嫌だ。

 もう耐えられない。


「……」


 朝日の中、俺たちは黙々と歩き続けた。

 しかし、今日中に街に着くのか。

 妙な不安がよぎる。

 俺は、この世界でやっていけるのだろうか。


 前世では社会で挫折した。

 いくら暗闇の中で危険を切り抜けても、それはまだ始まりでしかない。

 本当の試練はここからか。


「怖いか?人のいる世界に戻るのは」

「それは……怖いですよ」

「よかったら俺達と一緒に旅をしてみるか?」

「え?」


 思ってもない提案。


「俺達はこれからもアルティリアを見て回るつもりだ。

 よかったらついてくるか?

 ただし、常に金欠だから満足に金は払えない。

 相変わらず危険だらけの旅になるだろうな」

「……」


 こんな酷い目にあったのにも関わらず、これからも旅を続けるのか。

 火傷も完治していないのに、どこからそんな気力が?


「……カーブルトには、敵わないですね」

「それが俺達、南方人だ」


 ……そうだな。

 最初から落ち込んでいても、仕方ないか。


 ・

 ・

 ・


「……ん?」


 しばらく歩くと、はるか前方に塔のような物が見えて来る。


「ようやく見えたな」


 彼が安堵の声を漏らす。

 あれがカヴェルナだろうか。

 更に近づいて行く。

 それは色々な建物の連なりだった。

 一つの大きな丘陵を中心に、その頂点から麓の周りまで、無数の建物が広がっている。


 丘の頂点にそびえる大きな建物が見える。

 それは四方を白い壁に囲まれている。

 鐘楼のような塔だけが、壁からひょっこり顔を出している。

 偉い人が住んでいそうだ。


 その周囲には小奇麗な建物が等間隔で並んでいる。

 そこから壁を隔ててもう一つ街があり、それは麓の周りまで広がっている。

 壁を隔てて下の街並みは、上にあるそれと比べてごちゃごちゃしている。

 雑多な印象。

 上街と下街という事か。


「あの頂点の壁の中に領主様が住んでいるらしい。

 元々は監視拠点として、高い場所に建てられたのが街の始まりらしいな」

「へえ~」


 四方を囲む壁。

 確かに貴族が住む洒落た館というより、監視拠点の砦に見えなくもない。


「この街は門の検査が厳しい事でも有名だ。

 隣の領地とも仲が良くないし、異形との戦争中である事を差し引いてもな」

「そんなにですか?」


 不安だ。

 まさか、街に入れないなんてないよね?

 大丈夫だよね?


「ああ、噂だとずっと前に、門兵の不手際でまずいものを入れちまったとか」


 まずいもの……

 怪しい薬とかだろうか?

 無職の俺は、まずいものには入らないよな?


 ・

 ・

 ・


 都市を囲む城壁の前にたどり着く。

 近くで見ると、壁は見上げるほどの高さだ。

 横から見ると、街を囲む壁ははるか遠くまで続いている。

 何百、いや何千メートルの規模だろうか。

 想像もつかないな。


 城壁の周りには堀もあった。

 と言ってもまだ浅く、ほとんど掘り進められていない。

 目の前の門には、既に3、4人の入市者が並んでいる。

 彼らは、門の手前に設置されている小屋で何かを話している。


 門の左右には数人の門兵がいる。

 立ち話をしたり、サボって城壁にもたれ掛かっている。

 上を見ると壁上にも人が立っている。

 強行突破は無理そうだ。


 門兵達は動きやすい胴当てや肘当てを装着し、その上に服を着こんでいる。

 下半身も脛当てとその上から厚いズボンを履いている。

 武器は槍。


 ただ、中にはちゃんとした装備や武器などをしていない人もいる。

 普段着に近い服や長剣を腰に差している。

 統一された装備が正規兵なら、自由な服装をしている人たちは冒険者という所か。


 自分たちの番がやってくる。

 窓口小屋に近づいていく。

 窓口小屋の中には一人の男、窓口の外にも一人の男がいた。

 この二人が審査役と言った所か。

 外の男がカーブルトに話しかける。


「無事に戻って来たか、アンタ」

「ああ、おかげさまでな。

 出発する時に色々教えてくれて助かった」


 顔見知りなのか?


「何、気にするな。いい差し入れを貰ったんだ。

 少しでも借りが返せたならそれでいい」

「そりゃよかった。どうだった?」

「ハハ、そりゃ―――」


 そう言ってカーブルトは男と話し始める。

 察するに、カーブルトは門兵に贈り物をしていたようだ。

 代わりに、壁外に関しての情報、水場や寝床のおおまかな場所を教えてもらった。

 用意が周到だな。

 長旅の中で身についた処世術か。


「夜の騎士達に出会ったんだが、イゴールって奴を知っているか?」


 そう言ってカーブルトは腰元にぶら下げた鉄仮面をつつく。

 いつの間にか戦利品と言わんばかりに回収していたものだ。

 審査役の男は、仮面を一瞥して続けた。


「夜の騎士とかち合ったのか?

 それに老騎士イゴールか。そりゃ災難だったな。

 冒険者や商隊が何度被害にあった事か

 他には何か異常はあったか?」


「昨日の夜に死人たちが群れのように歩いていたぜ。

 商隊が文字通り丸呑みされるのも見た。

 ここから一日位の距離だ」

「……そうか、まったく忌々しい事だ」

「まあ、連中が数百の規模で出没する事は珍しい事じゃないですよ」


 小屋の中の、まだ若い審査役の男がそう付け加える。

 あれが珍しい事じゃない?

 危険度がバグってないか?

 少なくとも、俺は一年は街を出ないぞ。


「とりあえず上に報告は上げときます」

「ん、そうだな、そうしてくれ。

 我々には望郷の騎士殿もいる事だしな……それと」

「……」


 門兵はじろりとこちらを見た。

 来た。


「そっちの小さい流民は何だ。

 まだ15、6って所か。

 ここを出る時には、居なかったはずだよな?」


 唾を飲む。

 もし都市に入れないと言われたら……今度こそおしまいだ。

 今夜にも獣の餌になるか、腐った死体の仲間入りをするか。

 出すか?

 ジャパニーズ土下座。


「こいつは荷物運びとして東門から町を出た。

 こいつは元々この町にいて、これから帰る所だ」


 事前の相談通り、カーブルトが嘘の説明をする。


「ふぅん……」

「……」


 門兵の無遠慮な目線。

 少し緊張する。


「身分証はあるんですか?」

「無いよ。都市に滞在する不法流民は皆そうだろ」

「それなら入れないな。

 一度出ちまったら入れない。それが掟だ」


 領主としては、沢山いる不法流民を追い出したい。

 だから都市から出る分には勝手だ。

 代わりに、入市する時には身分証がないと許可が与えられない。


「そこを何とか頼めないか?

 ここで追い出しちまったら、どうかるか分かるだろ?」


 審査役の男は、わざとらしく考え込む。


「……決まりは決まりだ。

 しかし、あんたの頼みとあっちゃ考えてみよう。

 俺にも慈悲の心はあるしな、但し……」

「ああ、分かってる。

 誠意が足りなかったよな。これはほんの気持ちだ」


 そう言って、カーブルトは門兵に近づいて何かを握らせる。

 ……すまない。

 少し機嫌が良くなった男が続ける。


「ハハ、何、わきまえてくれればいいんだ。

 俺は愚かにも都市から出ちまった馬鹿な流民を、慈悲の心を持って再び迎え入れた。

 一体誰がこの行為を咎められる?」

「救世主様も誰も咎めないだろう。あんたはやるべき事をやった」


 そう言ってカーブルトは門兵を軽く叩くと、先に進み出した。

 門の下をくぐる。


「……すみません」

「ここまで旅をした仲だ。今更謝る必要なんて無いぞ?

 感謝の言葉ならいくらでも受け取るがな」

「はい……ありがとうございました」


 つくづく、最初に出会えたのが彼でよかった。

 門を潜り抜けると町の景色が見えて来る。


 おお……

 鮮やかな色の建物が左右に列をなし、大通りを形作っている。

 街角には鮮やかな色の布や果物、手工芸品が並べられている。

 人々の声が絶え間なく響き渡る。


 建物はどれも大きい。三階建てはある。

 家の屋根には緑の苔が生えている。

 古びた看板には手描きの文字が見える。

 読めはしないものの、風情を感じさせる。

 見たことも無い光景ばかりだ。


 台車に食べ物を乗せて引く男。

 荷馬車に乗って進む商人。

 街角で食べ物の売り子をしている子供。

 道端で音楽を奏でる人。

 出勤途中なのか寝ぼけ眼で進む人々。

 チェーンメイルを来た傭兵風の男達。

 町を巡回する衛兵。


「こっちだ。」


 カーブルトの先導で、大通りから脇道に逸れる。

 すぐに景色が一変する。


 奥に進むにつれ、建物は小さく、道幅は狭まって曲がりくねる。

 建物の外観もみすぼらしいものになっていく。

 建築様式もバラバラ。

 増改築を繰り返して積み重なった建物は、今にも崩れそうだ。

 地面もむき出しの土になっている。

 異様な雰囲気だ。


「確か……こっちだったかな」


 散乱するごみを避けつつ、薄暗い通りを進む。

 ふと見ると、壁にもたれかかっている人達がいる。

 ずっと前に動画で見た、海外のスラム街のようだ。


「行き場を失くした者たちだ。目を合わせるな」

「……分かりました」


 周囲を警戒しながら進む。

 狭く暗い街角で、ふいにカーブルトが立ち止まる。

 目の前の店には、古びた看板が立てかけられている。


「ろくでなしの溜まり場亭……確かここだったな」


 入り口をくぐる。

 店内は薄暗く、木箱を椅子代わりに座っている中年の男達がいる。

 スラムの住人のようだ。


 その内何人かが俺たちの方を見た。

 が、カーブルトが堂々と見返すとすぐに視線を戻す。

 間を置かず、奥の方から何人かの男達が足早に近づいて来る。


「待ってましたよ」

「こっちの仕事は終わりました」


 知的そうな男。

 毛皮の被り物をしている男。

 中東風の民族衣装の筋骨隆々とした男たちがやって来る。


「旦那ァ、久しぶりの旅はどうでしたか?」


 中東風の男が親しみを込めてカーブルトの体を叩く。


「んがっ?!」


 カーブルトが声を上げる。

 焼灼した箇所の近くだ。


「ひょっとして、また響くような傷を作ってきたんですか?」

「今度はどんな面白い冒険を?」

「ま、まあその話は後にしてだ。話し合いはどうだった」


 知的な男が答える。


「とりあえずお目通りできました。

 向こうも乗り気みたいです。

 後は交易路が確保できれば、話は進むかと。」

「買い付けの方は?」


 今度は毛皮の男が答える。


「とりあえずしばらくの物資は揃えました。

 馬車の手配もできました。

 出立の準備は整っています」

「中々やるじゃないか。

 やはりお前を成長させるために仕事を任せたのは正解だったな」

「ただ羽を伸ばしたかっただけじゃないの?」


 毛皮を被った男がすかさずそう言い、どっと笑いが起こる。


「まあ待て待て、俺もただ遊んでいた訳じゃないぞ。

 夜の騎士達と会って来た。

 見ろ、これが連中の仮面だ!」


 そう言って腰元の鉄仮面を自身の顔に被せて見せた。

 仲間達はおおっと驚きの声を上げる。


「ただ、こっちも手ひどくやられちまった。

 後で教会の癒し手の所に行かないとだめだな」


 一転して仲間達が非難の声を上げる。

 どうやら、癒し手とやらの代金は高いらしい。


「と言うか、いつまでほっつき歩いてたんですか?

 もう出発の時間ギリギリですよ」

「マジか……もうそんな時間か」

「正直、待つべきか置いていこうか相談している最中でした」


 騒がしく話す彼らを見て、少しだけ寂しさを覚える。

 カーブルトには、この世界に沢山の友人達がいる。

 それに比べて、俺は……

 話が一区切りつくと、カーブルトが振り返る。


「……」

「……」


 微妙な沈黙が流れる。


「何だか、長かったな……」

「ええ、本当に」


 過酷な旅の出来事も、今となっては良い思い出のようだ。


「そういえば返事を聞いてなかったが、よかったらお前も来るか?俺達の旅に」

「はい、考えていたんですが……

 僕がここに転移したのは、何か意味や理由があるのかも知れないと思うんです。

 ひょっとしたら帰る方法も見つかるかも。

 だからもう少しこの場所に残るつもりです」


 それに、彼に着いて行ったら、頼り過ぎてしまうかも知れない。

 だらしない自分に逆戻りだ。


「そうか、そうだな……それも一つの手だ。

 お前ならきっとその理由を見つけられるだろう

 ……俺はお前に会えてよかった」

「……」

「暇つぶしの旅だったが、お前のおかげで楽しかったよ。

 特に夜の騎士達と戦っている時に戻ってきてくれたのは痺れたぜ」

「カーブルト、俺……」


 世話になりっぱなしだった。

 色々な事を教えてくれた。

 急にこんな物騒な世界に飛ばされ心細くてたまらない時、目の前の彼がどれほど有難かったか。

 これで終わりだと思うと、何を言えばいいのか分からない。

 迷って沈黙している俺を見て、彼は続ける。


「これは単なる助言だと思って聞いてくれ。

 この世界で生きるのは確かに色々と大変だ。

 俺たちみたいな異邦人は特にな。

 ただ、かといって弱気になるのはよくない。


 もう少し肩の力を抜いてみたらどうだ?

 身構えていると機会を逃す。

 少しだけ踏み込んでみろ、案外、うまく行くかも知れないぞ?」

「……僕にできますか?」


「お前にならできるさ、いい戦士になれるし、いい友人を手にする。

 何たってお前は、俺の仲間だからな」


 カーブルトは手を差し出した。

 その手を握り返して握手をした。

 その手には力がこもっていて、少し痛い位だった。


 ・

 ・

 ・


 都市の外まで彼等を見送った。


「いつか俺の故郷に来い!歓迎するぞ!」


 カーブルトが荷台からそう声をかけてくれる。


「ええ、いつか!」


 彼等はそのまま遠くまで行ってしまい、そして見えなくなった。


「……」


 街を振り返る。

 生き抜くのだ。この世界で、

 現実を受け入れて。


 手元にあるのは腰元の剣に、カーブルトから貰った硬貨と鉄仮面のみ。

 一人で外国で生きていくのは、少し心細い。

 でも、やり直す機会は与えられた。

 生かすも殺すも、自分自身か。


 二度目の人生だ。今度こそちゃんとしないとな。

 彼と今度会った時、堂々としていられるように。


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半透明の影 穏田省吾 @test-user-8693744

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