兆し
起床。
久々に目ざめの良い朝だ。
「よし!全員揃っているな!」
エルドの掛け声と共に、門兵連中が一斉に姿勢を正す。
「最近、下街のスラムを中心に麻薬の摘発があった。
外部から持ち込まれた物もあるかも知れない。これまで以上に荷物検査に注意しろ!」
麻薬か。
前にトレバーが見つけてたっけ。
他の門だと賄賂もあるみたいだし、そこから通してしまったのだろうか。
その後、本日の役割をそれぞれ言い渡される。
今日は格子役で、俺とベルナールが担当らしい。
「!」
視線を感じた方向に目を向けると、ジラールが気まずげに目を反らす。
少しだけ嫌な気分だ。
……常に堂々としたカーブルトなら、さっと仲直り出来たのだろうか。
・
・
・
格子部屋に入る。
相変わらず薄暗くて埃っぽい。
俺は真っ先に窓を開け、部屋に日差しと新鮮な空気を迎え入れる。
壁外では今日も人々が列をなしている。
最近暖かくなってきたせいか、服装が少しだけ涼し気だ。
「格子役は経験があるのか?」
ベルナールは、いつも通りの小声だ。
彼は近くの木箱の上に、普段は被っている兜を脱いで置いた。
改めて見ると、顔立ちは端正な方だが色白でやせている。
ベル坊ちゃん、と影で言われるのも分かる気がする。。
「前にフォルさんと入りました」
「……そうか。じゃあ説明はいらないな」
「はい」
最初に2枚の落とし格子を、ベルナールと協力して巻き上げた。
体に力を入れると、少し痛みが走る。
隣のベルナールも辛そうだ。
床下からドンドンとせかされる音を聞きつつ、急いで巻き上げを行う。
「……よし」
巻き上げ機を留め具にセットし、近くの木箱にどっしりと腰を落とした。
ふぅ……
妙な達成感だ。
今日の仕事はこれで終わりで良いのではないだろうか。
窓辺の木箱に座ったベルナールは、そのまま壁外の様子を監視している。
「……」
「……」
どの位そうしていただろうか。
蜘蛛の巣の張った天井を眺めつつ、貯金の問題や別の仕事を探そうかと悩んでいるとベルナールが口を開く。
「傷の方は、もう良くなったのか?」
何だ?
ひょっとして心配でもしてるのか?
「……まだ痛むところはありますけど、今はこの通りよくなりました」
「……そうか」
「……?」
そこで会話が途切れ、少しして再びベルナールが口を開く。
「あの時、マルネール様を止められなかった事は、悪かった」
意外だ。
普段から愛想のない奴だと思っていたが……
まさか気にかけてくれていたのか。
「いえ……ありがとうございます」
「家宰殿は常識的な人だ。
今回の事を真に受けて、ユーヤを解雇しろというようなことは言わない。
領軍もそんな命令は簡単に受け入れないだろう。
どちらかと言えば長女様と親しいし、エルドさんだって簡単には聞き入れないはずだ」
門兵組織を取りまとめている領軍は次女のマルネール派ではなく、
長女派という事か。
これは良い話だ。
あの問題が尾を引いて、遅れて上街からの命令で解雇になる事はなさそうだ。
問題はあの次女、マルネールだけか。
「ありがとうございます。ベルナールさんも色々と手配してくれたんですか?」
「僕がやったのは取次だけだ。まさかこんな事で出自が役立つなんてね」
皮肉気な口調だ。
「次女様は、いつもああなんですか?」
噂には聞いていたが、想像以上だった。
一生のトラウマだ。
「昔は、今のような人ではなかった。
遠目からだと、純粋な子供だったと思う。
いつしかマルネール様の悪い噂が増えてきて、今ではこうなってしまった」
何か理由があったのだろうか。
だからと言って、その苛立ちを他人にぶつけていい理由にはならないだろうに。
・
・
・
用事があって門の近くを歩いていた時、エルドと目が合った。
「……」
緊張に唾を飲む。
普段から変化を見せない、鉄仮面。
その下に、どのような感情が隠されているのか見えてこない。
「体の調子はよくなったか」
「は、はい」
「そうか……癒し手様の御力を?」
「はい。治癒の祈祷を受けました」
「だろうな。そうでもしないとここまでは良くならない。
痛みはもうないのか?」
「まだ少しあります」
「大分良くなって来たなら、そろそろ検査役に復帰してもいい頃かも知れないな」
「そ、そうですね」
またあの肉体労働をやらないといけないか。
今の快適な環境とも、そろそろお別れか。
「ん、エルドさんにユーヤじゃないか」
そう言って輪に入ってきたのはトレバーだ。
息苦しい雰囲気が、少しだけ和らぐ。
「どうしたんですか?エルドさん」
「体も良くなってきたようだし、そろそろ検査役に復帰してもらおうかとな」
「おお、いいじゃないか。これで完全復帰だな。
ユーヤ、もう体に痛みはないのか?」
「まだちょっと痛みはありますね……」
「そうか……それじゃもう少し先の話になるか。
ま、もし復帰する時は俺も同じ検査役として出来るだけフォローするよ」
そう言ってトレバーが肩を叩く。
「あ、ありがとうございます。(そもそも復帰したくないけど……)」
「そうだな。復帰する時はあまり無理をせずにやってくれ。
何かあったらトレバーか他の門兵に相談しろ。
それでは、用があるので先に行く」
そう言ってエルドは去っていった。
「そう言えば、最近ジラールと何かあったのか?」
「え、何で?」
急な話題だ。
どうして知っているのだろ。
「今朝からの雰囲気かな。何か気まずそうだったぞ?」
雰囲気か……
確かにカーブルトのように、勘が鋭い人もいる。
根拠のない直感で、命を救われた場面があった。
トレバーもカーブルトと同じで恐らく直感型だ。
だから勘が良いのだろうか……?
でも、元々ジラールと仲直りしたいと思っていたのは確かだ。
良い機会かも知れない。
「……実は最近、言葉のはずみで酷い事を言ってしまって、後悔しているんです。
でも、中々切り出せなくて……」
「うーん、そうだな。
俺の方からもジラールに何となく聞いてみるか」
「ありがとうございます……!」
何はともあれ、渡りに船だ。
悩み事が一つ解消できそうだ。
「お前達位の年代だとよくある事だ。とりあえず確認してみるよ。
……さ、そろそろ行くか」
「はい!」
・
・
・
午後の業務が再開した。
ずっと黙っていても気まずいので、とりあえず話しかけてみる。
「そう言えば最近、望郷の騎士、モラン卿の話を聞いたんですが、
ベルナールさんは彼を見た事がありますか?」
上街出身のベルナールなら、顔見知り程度にはなっているかも知れない。
外を監視したまま、ベルナールが答える。
「……遠目で何度か見た事はある。
正直あまり知らないな」
素っ気ない答えだ。
いや、ブロンと同じか。
彼の事を肯定的に思えるタイプではないのだろう。
「……確かに人々からの人気は凄いけど、そのせいで逆にカウンセルから煙たがられている。前に意見が対立した事もあったし」
「カウンセル……ですか?」
「……この都市の意思決定機関だ。領主様、領軍代表、家宰殿、教会代表などの都市運営に関わる人たちで構成されている。
ある日、カウンセルの決定に対してモラン卿一人が堂々と異議を唱えた事があった。
色々あって、カウンセル側が折れたんだ」
個人が、都市に勝ったのか。
民衆と王の威光があれば、都市も白旗を上げるしかないのか。
「どうしてそんな事に?」
「話すと長くなるから簡単に言うと、都市の利益のために道理をねじ曲げたカウンセルに対して、モラン卿が異議を唱えた形だ。
それ以降、モラン卿は煙たがられて、カウンセルから外されて微妙な立ち位置らしい」
救国の英雄も、今や窓際社員か。
諸行無常だな。
その内、闇落ちしなければいいが。
「世間で語られている、モラン卿の活躍の話って本当なんですか?
正直、凄すぎていまいち信じられないというか……」
「……話の内容を完全に把握している訳じゃないけど、
前に立ち聞きした限りだと、あまり嘘は含まれていなかったはずだ。
卿はこの地で生まれ、両親を失い、若くして戦地に向かった。
戦場の活躍については、遠い場所の事だから分からないけど、
実際に聖剣を握って、大きな活躍をしたらしい」
「……」
内心で黒い感情が渦巻いた。
全てを持ちえた男。リディアと同じく、持っている側の人間だ。
俺のような人間とはおよそ正反対だ。
「でも、その功績のせいで煙たがられているのは皮肉だな。
名声が高すぎて、砦からは遠ざけられる一方だ。」
そう言ってベルナールは鼻を鳴らした。
「彼が、名実ともにこの都市で最強という事ですか?」
「……さあ?僕の趣味は史実の調査だけど、誰が戦いに強いかなんて下賤な話をするつもりはないよ。
気になるならブロンのような冒険者崩れにでも聞いてみればいい」
ベルナールの顔には、嘲りの色があった。
暴力に関する事に関して下に見ているようだ。
そういう所だぞ。
門兵みたいな力仕事に就いておきながら……
「史実の調査と言うと……そう言えば開祖王の伝説に関しては詳しかったですよね。他にお勧めの戦いとかあるんですか?」
「知りたいか?」
「……はい」
それまでの暗い響きから一転、食い気味な口調。
彼は饒舌に話し始めた。
「神々の天空城が崩壊し、アルティリアは大火に包まれた。
オーリヤックも例外ではなく、旧き神々の教えは忘れ去られた。
時の王は病に伏せり、諸侯は自分たちの利益の為に争い始めた。
長い戦乱の時代の始まりだ。
古の6つの部族、そして、オーリヤックの4大名家。
彼等が一斉に争い始め、力ない家は次々と下されていった。
再び国を統一するまで、そこにはいくつものドラマがあって――」
「ハ、ハハ……」
長話の予感。
間違えて押してしまったスイッチは、その後数時間回り続けた。
・
・
・
「ん?もうこんな時間か」
ベルナールから歴史の講釈を聞かされ続けて数時間。
眠気に耐えつつ話を聞いていると、四の鐘が打ち鳴らされた。
外から差し込む光は、気づけば夕焼け色。
閉門直前のラッシュで、人々の騒がしい声が聞こえていた。
・
・
・
閉門作業を行い、帰路についた。
ずっと講釈を聞いていたせいか、体が重い。
その代わり、この国の歴史なんかの色々と興味深い話も聞けた。
この国は大きく分けて10の貴族家が支配している。
陽の部族を筆頭にした、建国の七部族。
沼地、闇夜、騎馬、古木、豊穣、半島。
そして、他の六部族を抑えるべく興された、陽の部族の三貴族家。
このカヴェルナの左にいるのが、沼地の部族、ロトゥム家。
そして右側にいるのが、陽の三貴族の一つ、タウラス家。
二つの部族に挟まれた小人が、一都市しか有しないカヴェルナ。
よく分からないが、このカヴェルナは両者と仲が良くないらしい。
ロトゥムとは部族的な対立がある。
タウラス家とは、歴史的に争いがあったらしい。
両隣とも険悪。
ご近所付き合いの下手な街だ。
・
・
・
宿に到着。
食堂のいつもの席に座り、ぼうっとしながら食事を待つ。
「お疲れさん。今日も疲れた顔してるね」
「うるふぁいですね……」
マガリの軽口に適当に返事をしつつ、食事を終えて自室に戻る。
部屋の扉を閉めて、一呼吸ついた。
初めて入室した時と比べて、少し散らかった部屋。
俺は装備を脱いで椅子に腰かける。
窓辺の景色は夕焼けから夜に移り変わろうとしている。
「……」
ゆっくりと息を吸って、吐く。
窓辺からのぞく夕日は、ほとんど沈みかけている。
思えば、ここ最近は大変だった。
突然リンチされ、死を望みながら、理不尽に生を与えられた。
体は治っても、心は治らないまま、ちぐはぐな日々を過ごした。
でも、家族や兄弟、人には色々な事情や考えがあると分かった。
そして何より、カーブルトならこんな事でいつまでもくよくよしないのだろう。
それに半死半生だった俺を台車に乗せ、トレバーは病院まで運んでくれた。
彼のような人も、いる。
……うん。
そうだな。
俺がこの都市に来た時は、色々と気を遣っていたはずだ。
今のような投げやりな態度じゃ、よくないよな。
とりあえず、久々に半透明化の訓練を行うか。
ようやく体も良くなってきた事だ。
今は何もやらないより、何かやって気を紛らわしていたい。
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