夜の散歩
数分かけて全身の透明化が完了。
服を脱いで全裸になり、忍び足で廊下に出て階段を下りる。
「……」
心臓の音がうるさい。
局部もスースーする。
寒いし、何より恥ずかしい。
もしこんな姿を見られたら、確実に変態だと誤解を生む。
たちまち宿屋を叩き出されるだろう。
そうなれば、俺もスラムの仲間入りだ。
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周囲を警戒しつつ、ゆっくりと宿屋の扉を開けて外に出る。
外は暗くなっている。
軒先にはぽつぽつと蝋燭の火や発光石が置かれている。
この暗さなら、体を動かした際に出てしまう歪みは気づかれる可能性がなさそうだ。
光りに照らされる自身の影や、
足音に気を付けて道の脇をひっそりと進む。
すれ違う人々は、ほとんど気が付く様子が無い。
よしよし、今のところは良い調子だ。
やはり昼間は使えない能力だが、夜はその限りではないらしい。
後は制限時間の問題か。
恐らく今の透明化の限界は2、3時間。
宿から離れられる範囲には限りがある。
そこだけ気を付けないとな。
とりあえず、普段門へ向かう道を進んでみるか。
夜は道が暗くて迷いがちだが、普段から見知った道なら安心だ。
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当初は肌寒さや羞恥心が強かったものの、
途中から慣れてきて楽しくなってくる。
心の底から、ゆっくりと息を吐く。
ああ……安心する。
普段は怖くて通れないような、危険な狭い小道でも堂々と歩ける。
すれ違う人々の無遠慮な視線も無い。
誰に気兼ねする事も無い。
あの令嬢だって、この状態の自分を探し出す事はできないだろう。
まるでこの都市に自分ひとりしかおらず、独り占めできたような感じだ。
都市を覆う、暗く大きな闇に溶け込んでいくにつれ、
矮小な自分が希釈されて、包み込まれていくような安心感がある。
俺はこの瞬間だけ、一人の非力な底辺の外国人では無かった。
誰でもなく、何者にも縛られない影になれた。
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影の出てしまうような灯りの多い場所は避けつつ、門への道をたどる。
暗い道を進み続ける内、自然と道幅はせまくなり、段差もひどくなって来る。
背の高い建物の隙間から、ひっそりと月日が差し込んでいる。
狭い裏路地のような場所になっていた。
気がつけば妙な匂いがただよっている。
どこからか人の叫び声が聞こえ、タマがヒュンっとする。
あ、まずいな。これ。
裏路地の奥の、スラムに向かう危険な道に入っているのか。
よく王国民が襲われ、犯罪者の逃げ込む場所。
昼間なら、絶対に入らないような場所だ。
幸いにも、外部東門まではあと少し。
迷わない内にさっさと引き返そう。
「……!」
引き返そうとした時、狭い通路の先に二人の男がいるのが見える。
こんな危険な場所で何を……
とりあえず、関わりたくはない。
危険なスラムの知り合いは、異邦の剣だけで十分だ。
俺は真っ当な方法で、第二の人生をやり直したい。
危険で違法な連中と関わるのは御免だ。
仕方ないので回り道をしようとした所、
え……
不意に彼等の話声が聞こえた。
それは見知った声だった。
「それで、あのババアの事はちゃんと終わったのか?」
普段と違って、明るい響きのない声だった。
な、何だ?
何を言っているんだ?
「ええ、今じゃ街はずれに埋められていますよ。
トレバーさん」
ババア……まさか、この前トレバーに訴えに来たあの中年の女性か?
埋められたって……どうして?
「ご苦労さん。全く……たまったものじゃねえぜ。
しかし、あのババアも馬鹿だよなあ。犯人の俺に助けを求めるなんて」
「門兵が点数稼ぎのために、わざと密輸品を仕込んで検挙しているなんて思わんでしょうな」
……は?
「夫婦そろって間抜けな奴等だよ。きっと、夫の方もそろそろ後を追うだろうな……
とにかく助かったよ。
日頃からああやって門での立場を固めておかないとな。
そうじゃなきゃ、あんた等も困るだろう?」
「ええ、もちろんです。
トレバーさんがいつも密輸品をこっそり通して下さるおかげで、私たちも大助かりです。
これはわずかばかりですか、どうぞ……」
そう言って男はトレバーに何かが入った袋を手渡す。
密輸……
話が追い付かないが、確かにトレバーが検査を簡略化して荷物を通した事は何度かあった。
仕事を効率的に回すためのものだと思っていたが、まさか……
「へへ……毎度気が利くな。あんたの旦那にもよろしく。
しかし上街の糞親父、たかが一度賄賂をもらったったくらいで、
こんなきったねー下街の仕事に回しやがって、
せめてこの位、お駄賃もらわないとやってられねーよ」
貰った袋の感覚を楽しみつつ、トレバーは笑う。
めまいがする。
足腰に力が入らない。
思わず、その場にへたりこむ。
「ああ、それと門兵が酒場通りで仲違いしていた件、教えてくれて助かった。
おかげで、貸しが作れそうだ」
「お役に立てましたか?」
「ああ、新入りの薄汚い流民崩れのバカだが、もう少しで取り込めそうだ。
今まで大分手助けしてやったからな。
ったく、善人を演じるのも疲れるな。その分こき使ってやるか」
「取り込むと言えば、前に取り込もうとした門兵はいかがしましたか?」
「あ?フォルの事か。あいつもがめついバカで取り込めそうだと思ったんだが、
別の奴が理由をつけて邪魔をしやがる」
「感づかれているんですか?」
「薄々感づいているが、どうにも出来ないって所だろうな。
俺と事を構える度胸なんてないさ」
「それは良かった。
もし何かあれば、お役に立てるよう取り計らいましょう」
座り込んでいるだけなのに、どんどん呼吸が荒くなる。
胸をぎゅっと抑える。
重ね合わせたカーブルトの影が崩れていく。
それは、恩人の顔を被った悪魔だった。
「ま、代わりにその流民崩れが取り込めそうだ。
それが出来たら、奴を使ってもっと多くの物を通せるだろうな。
今の一人のままじゃ通せる量に限界がある。
まあ、次女に半殺しにされた時はさすがに焦ったけどな。
間も悪い上に、運も悪いと来た! ハハハ!」
そう言って、二人は笑い合う。
視界の隅に、涙がにじむ。
あれ程、助けられたのに。
あれ程、信頼していたのに。
「それは有難い話ですが……あまり賢い人物だと困りますよ。
利用するなら、ある程度間抜けの方が使い勝手が良い」
「何、それなら気にするな」
トレバーは、暗闇でも分かる位に口角を釣り上げる。
「あいつ、俺が罠にはめてやった入市者を見て、何て言ったと思うよ?」
「はて、何と?」
「組織が、門兵の検査能力を確認するために、あえて送り込んだんだとよ。
四つの外門の内、それぞれに密輸品を通して、どの門が一番物が通りやすいか確認しているんじゃないかと言いやがった!」
二人は可笑しそうに声を上げた。
「確かに、そんなまどろっこしくてリスキーな方法は取りませんな。
門兵を篭絡した方がよっぽど安全という物です」
「目の前に犯人がいるっていうのに、あんな見当違いの事をしたり顔で言いやがって、俺は、もう、笑いをこらえるので、一杯で、一杯で……!
ヒーヒヒ、たまんねえ!あの間抜け面!」
腹を抑えてトレバーが笑い声を上げた。
喉元まで湧き上がってきた吐き気。
口を押えて我慢する。
見えない足場が、ガラガラと崩れ去っていく。
やがて二人は談笑しつつ、通路の向こうに去っていった。
・
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そこからの記憶はあやふやで、気が付いたら俺は部屋のベッドに横たわっていた。
唯一覚えているのは、嘔吐し続けた事だけだ。
喉が渇いたが、ベッドから立ち上がる力が無い。
ぐったりと力が抜けて、動けない。
……今思うと、俺は何て馬鹿だったんだろうか。
自分の都合のいいように、あんな男を恩人と重ね合わせた。
安心したかったから。
反吐が出る。
あいつの善人ぶった振る舞いも、
騙されてヘラヘラしていた自分も。
俺は、俺は……相変わらず人の見る目がない。
ただの成長しないひきこもりだ。
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