密輸と望郷の騎士

 検査をしている内に、段々と酔いがさめ、思考が明瞭になって来る。

 不本意だが、目覚まし草のおかげらしい。


 隣のベルナールを見ると、普段よりも検査の動きが速い気がする。

 歴史学者にも気を使わせてしまったらしい。


「すみません、ベルナールさん。

 ようやく酔いがさめてきました」

「……今回だけだ」


 お、反応が返ってきた?


「あ、ありがとうございます」


 僅かなやり取りだったが、

 歴史の話以外で反応が返ってきたのは初めてだ。


 俺は行列に目を向ける。

 気が付けば、行列は残り少ない。

 あと4,5個のグループを捌けば、今日の仕事は終われそうだ。


 いけない、いけない。

 油断して気が緩んだ時が一番危ないのだ。


 ソ〇ルシリーズで、あと少しまで追い詰めたボスに、

 何度逆転ホームランを打たれた事か。

 その度に、何度コントローラを投げ出そうと思った事か。


 そうだな。

 あと少しだからこそ、気を抜かずに行こう。


 ・

 ・

 ・


 次の入市者は、籠を背負った市民と護衛の冒険者達だ。

 ここ数日の勤務において、何度か見た顔だ。


「今日はどこまで言って来たんですか?」


 ジラールがいつものように問いかける。


「近くの森で、食べられる物を探してきただけだ。

 キノコや山菜が主だ。

 後は、動物が罠にかかったかの確認位だ」

「何かかかりましたか?」

「いや、相変わらずさっぱりだ。

 そろそろ冬眠から覚める頃なんだがなあ。

 最近は温かくなってきたし」


 いつもと同じように、一行は装備や荷物を検査台の上に置いていく。

 何かの山菜。

 土のついたスコップ。

 手縄や手ぬぐい。

 粗織の上着。

 どれもある程度使い込まれていて、年季が入っている。

 俺はそれらの荷物をざっと検分——と言っても、他の門兵の見様見真似で触っているだけ——していく。


 ……ふむ。

 問題なさそうなので、ヨシ!

 ただの市民だこれ。


 目の前にいるのは、30代位の疲れた顔をした市民だ。

 動きやすい地味な色のシャツで、所々ほつれている。


 この町で暮らしていくために、

 今の内に知り合いを作っておいた方が良いかも知れないな。


「疲れましたか?」

「……ああ、そうだな」


 男は最初こちらを見て、一瞬言葉を詰まらせてから答えた。

 やはり異邦人には驚くか。


「収穫は中々見つからないですか?」

「……それもあるが、壁外活動は気を張るからな。

 そっちの方が疲れるよ。

 この前も、護衛をつけなかった知り合いが、

 壁外から戻って来なかった」


「……そんな状況なんですか」

「……門兵なのに知らないのか?

 壁の外は、無法地帯だ。

 何をしても、誰にも見つからなければそれまでだ」


 男はうんざりするように吐き捨てた。


「……それは」


 人間同士での奪い合い、殺し合いがある、と言う事か。

 貧困は深刻だとは思っていたが、ここまで……


「……お疲れ様です」


 それ以外に、何を言えばいいか分からなかった。


「……悪いな、湿っぽくなっちまったか」


 その表情には無数の皺と土埃を帯びている。

 哀愁のある表情も相まって、疲れが見える。

 ……市民も大変だ。


「いえ……

 私の名前はユーヤと言います。

 最近、この門にやってきました。

 皆さんのお役に立てるよう頑張りますので、

 よろしくお願いします。」

「ああ、こちらこそ。

 俺はマシューだ。」

「こちらこそ、よろしく……ん?」


 気が付くと、隣にトレバー。

 無言で立っている。


「……?」


 トレバーは、マシューが置いた、

 粗布の上着を手に取り、無言で眺める。


「……?」


 何を……

 唐突に、彼は大声で叫ぶ。


「全員、武器を取れ!現行犯だ!」


 ……は?


 周囲の門兵達が次々と武器を構える。

 無防備の入市者達の前に、四方から剣先が向けられる。

 2人の冒険者はともかく、

 4人の市民達の顔は恐怖に歪む。


「待て!これは何かの間違いだ!」

「そうだ!俺達が何をした!」


 抗議の声が上がる。

 エルドが近づいてくる。


「エルドさん。

 この上着、何か埋め込まれています。

 僅かに、感触がある」


 トレバーは粗布の上着のポケットの部分を指で念入りに触る。

 人々の視線が、マシューに注がれる。


「し、知らねえっ、俺は、何もっ 」

「破っても?」

「仕方ない」


 トレバーは、懐から取り出したナイフで上着を裂く。

 破れた部分から、小さな麻袋が取り出される。

 トレバーがその中身を手のひらに出す。

 ……何かの粉末だ。


「ち、違う、俺じゃねえ!俺じゃねえ!」


 マシューは必死に叫ぶ。

 半狂乱だ。


「白々しいぞ!」


 トマスの声が飛ぶ。

 他の門兵達も、視線を鋭くしてマシューを睨む。


「この上着は、数日前に市場で格安で買ったんだ!

 売れ残りだからって……はめられたんだ!」

「ひざまずいて後ろを向け!」


 騒ぎを聞いて、ランドンも降りて来た。

 彼も空気を読だのか、すぐにマシューに武器を向ける。

 小声で隣のジラールに確認する。


「これは……何の騒ぎですか?」

「どうやら、上着に密輸品が埋め込んであったみたいで……」

「何ですかこの騒ぎは?

 今度はワイン商人でも通ったから分捕ろうって?」


 全く場違いな事を言いながら降りて来たのはフォルだ。

 緊張感が無さすぎる。

 フォルはエルドにひとにらみされ、顔を青くしていた。


「ほ、本当だ!信じてくれ!俺はやってない!」

「良いから、後ろを向けと言っている!

 他の連中もだ!」


 トマスが声を張り上げる。


「お前の言い分については、衛兵達と相談しろ。

 ここで騒いでも無駄だ」


 口を挟んだのはロジェだ。


「……う」


 男は諦めたように跪く。


「他の連中も同じように……早くしろ!」

「嘘だろ……!」

「おいおい……マジかよ!」

「家族に何て言えば!」

「お前のせいだぞ、マシュー……!」


 他の入市者達も、次々と跪いていった。


 ・

 ・

 ・


 彼等を衛兵達に引き渡した後も、検査は続く。

 気が付けば、四の鐘が鳴っていた。

 閉門作業を終え、俺は一息ついた。

 今日も色々あったが、何とか無事に終わった。


 やり遂げたという達成感と、

 ここまで頑張っても、僅かな日給しか貰えない悲しさ。

 二つの相反する感情。

 何とも言えない気持ちだ。


 ……いけないいけない。

 ネガティブになるな。


 言うならば、今は修業期間。

 どんな事でも修行と思い頑張ろう。

 どんな金額にも感謝だ。


「もう、酔いは冷めたのか?」


 背後からトレバーの声だ。


「おかげさまで。

 あの目覚まし草が効いたみたいです」

「良薬は口に苦し、だな」

「いくら何でも苦すぎる良薬ですね。

 そう言えば、先ほどは凄かったですね」


 あの短時間の中で、よく縫い付けなど見つけられたものだ。

 その位、真剣に確認しているという事か。


「まあな」

「お、ひょっとしてさっきの件の話ですか?」


 口を挟んできたのはフォルだ。


「ええ、そうですが……」

「俺もちょっと聞いたんですけど、

 手触りで仕込みを見つけたって本当ですか?」

「そうだ。感触から仕込みを見つけた」

「いや、本当に凄いっスね?!

 どうやったら見つけられるんスか?」

「お前達にもその内出来るようになる。

 副業に集中しすぎて、見落とさないか心配だがな」

「ア、アハハ……

 いや~、トレバーさんには敵わないっす。

 流石は時期監視役!」


 トレバーも、副業については良く思っていないらしい。


「その内……僕でもトレバーさんみたいに出来るようになるんですか?」


 俺は半信半疑で尋ねる。


「もちろんだ。その内慣れる。

 密輸の方法に関しての情報は朝礼でも伝えられるし、

 段々とパターン化されて来るんだ。

 縫込み、局部、二重底。


 それと、入市者への質問や目線なんかも加味してな。

 ユーヤはまだ日々の検査だけで精一杯かもしれないが、

 余裕が出てきたら気が付くようになるさ」

「……頑張ります」


 俺も、いつかは余裕を持てるのだろうか。

 その前に、入市者との戦闘で殺されてなければいいが……


「トレバーさんは、前にも現行犯で取り押さえてましたよね?」


 ん?前にもあったのか?


「……数か月前にもあったな。

 あの時は、二重底の靴だったか」

「……凄いですね」


 俺は驚きの声を漏らす。

 そんな細かい部分まで見ているのか。


「やっぱりトレバーさんは凄いですよ!

 外部西門には目利きのカルメンとか言う検査役がいるみたいですが、

 こっちにはトレバーさんがいるって対抗できますよ!」


「俺の知らない所で、勝手に張り合いに出すなよ。

 それとカルメンは実際、目の利く人物だ。

 ま、武術に関しては俺に敵わないだろうがな」


 確かに、前に見た弓矢の腕前は見事だった。


「おいフォル、さっさと来い!飲みに行くぞ!」


 トマスだ。


「すいませーん。今行きます!

 じゃ、そう言う事なんでお疲れ様です!」

「お疲れ、トマスさんにもよろしくな」

「はい!」


 そう言って、フォルは駆け足で走っていく。


「……あの人の舎弟ってのも大変だな」

「ええ……」


 あのトマスの事だ。

 舎弟も大変だろう。

 ただ、同情はしないぞ?

 取り入っておこぼれを貰ってるんだしな。


「……あの男、あの上着を格安で購入したらしいが、本当だと思うか?」


 トレバーが唐突に言った。


「数日前に購入した、という話ですよね」

「そうだ。お前はどう思う」

「……」


 単純に考えるなら、嘘だろう。

 密輸組織から、情報を吐くなと脅されている。


 だから、嘘で押し切ろうとした。

 ヤクザの末端と同じだ。


 ……しかし、あの表情や勢いは何というか、

 気迫があった。


「嘘と切り捨てれば、それで終わる話だろう。

 だが、もしあの話が本当だとしたら?


 例えば、そうだな……単に誰かをおとしめたいとする悪意があって、

 それが罠の仕込まれた衣類を売る理由だとしたら?」

「……」


 利益を得るためではなく、

 単に人をおとしめたいという純粋な悪意。


 ……貧困と差別、腐敗役人と乱暴者のはびこるこの街の事だ。

 確かに、どのような人間がいるか分からない。


 この狭苦しく、憂鬱とした雰囲気を孕んだこの街ならば。


「それ以外だと、お前には何が思い浮かぶ?」

「それ以外……ですか」


 俺はとりあえず、思いついた考えを述べる。


「検査能力を図っていたとしたらどうでしょうか。

 外門は4つ、その中で一番検査の緩い門を見定めているとか?

 本番の前に、最適な門を探している可能性があるかも知れません」

「……そういう考えもあるか」


 トレバーがわずかに頷く。


 近々、大きなものを密輸しようとして、

 この都市の審査能力を試していたら?


「確かに、これが何かの前触れの可能性はあるな」

「……もし何か起こりそうなら、僕も力を尽くします」


 と言っても、俺に何ができるだろうか。

 何も出来ないかも知れない。

 出来るのは、全力で取り組むことだけだ。


「……その時が来れば、な……」


 ・

 ・

 ・


 業務が終わった。

 俺は今日もジラールと夜の街に繰り出した。

 街角には怪しげな蝋燭の火が灯る。


 ぼやけた火の輪郭の中には、

 女性や荒くれ者達が浮かび上がる。


「今日も付き合っていただき、ありがとうございます」

「いえいえ……こちらこそ」


 物好きな男だ。

 俺のような、人種も何も違う男を連れて何が楽しいのだろう。

 それ程喋れるわけでもないし、

 仕事ができるわけでもないのに。


「僕の一押しの話があるんです。

 尊敬する人物の話です。後悔はさせませんよ」


 ホントォ?


 前の話は、物語としては全体で見れば面白かった。

 が、所々突っ込みどころもあった。

 そして、ほぼ詩人の妄想だった。


 ベルナールから聞いたときは、肩の力がガックリと抜けたものだ。

 嘘を嘘であると見抜ける人でないと、

(詩を楽しむのは)難しいのかも知れない。


 まあ、いいか。

 細かいことは。

 こうして誘ってくれたのだ。

 楽しむ事で応えよう。


「いつの時代の話なんですか?

 開祖王と同じ時代ですか?」

「700年も前じゃないですよ。

 まだ存命中の人物で、望郷の騎士、

 あるいは、王色の騎士とも呼ばれている人の話です。

 詳しい話は……一緒に聞いて楽しみましょう」


 存命中。

 史実とかけ離れた妄想を聞く事はなさそうだ。


 例の酒場に到着し、押戸を開く。

 俺達はウェイターから案内されたテーブルに着席する。


 やがて詩人は話し終える。

 周囲から拍手と褒め称える声が飛ぶ。

 そして、人々は希望の詩をリクエストする。


 そのうちのいくつかが、望郷の騎士のものだ。

 彼の話は、人気らしい。


 詩人がリクエストに応え、手に持ったギターをゆっくりと弾き始める

 伴奏のパイプも音を鳴らす。


「今回は、すんなりリクエストが通りましたね」


 ジラールがほっとしたように言った。

 前回は、ケンカ寸前だったからね。

 良かったね。


「その姿は 金糸の髪色 夕日色の瞳 陽の部族

 その剣は 部族に伝わりし剣 魔を祓い 人を導く

 その馬は 純白の巨躯 透き通るたてがみ

 その鎧は 光輝く白鉄 光を宿し 聖騎士の装い

 その名声は あまねく国内に轟いた。


 王と諸侯の厚遇 褒美 されどその瞳は曇りなく。

 その者の名はサー・モラン・ジャフル、

 カヴェルナが生み出した稀代の英雄なり-----」


 そうして物語は始まった。


 モランは騎士の息子として生まれた。

 父と母、モランと病弱な妹の4人暮らし。

 家に使用人は無し。

 騎士と言っても下級のようだ。


 しかし、そんな平和な生活も唐突に終わる。


「冥府の鎌がこの地を訪れた。

 旧き神々の怨念。見えざる刃。

 それがこの国を覆い、多くの命を闇へと連れ去った」


 不気味な曲調に一転。

 周囲の人々から嘆きの声が漏れる。


 疫病的な何かだろうか。

 母は病に倒れ、日に日に弱まっていく。

 一家に暗い時代が訪れた。


 それを見た父は家に帰らなくなった。

 代わりに、酒場にいる時間が増えた。

 幼きモランは、母親の看病と、病弱な娘の世話をしたらしい。

 この時、彼の年齢は12。

 小学生くらいの年だ。


 一年後、献身的な介護にもかかわらず、母親は病死。

 更に追い打ちをかけるように、

 父親は酒場の給仕娘と駆け落ちした。


「許せねえ、モーリスの野郎」

「墓の前で詫びさせてやれ」


「親無き家には、あわれ二人の子が残された。

 金に困り、人々からの心無い声。

 二人の子は、人知れずゆっくりと……」


 この不幸だらけの二人は、どうなってしまうのか。


 しかし、そこで救いの手が差し出された。

 今のカヴェルナの領主様だ。

 当時はまだ一役人だった彼は、二人を哀れんだ。

 若干12歳のモランを特例で砦の従騎士にしたらしい。


 おかげで、給金をもらえるようになった。

 しかしそれは、新たな受難の始まりだった。


「小人の騎士。子供の真似事。不義の父の子。

 足をかけられ、後ろ指を差されるその姿!

 ああ、どれ程の不名誉、どれ程の屈辱!」


 支給された装備は、子供の体に合わず不格好。

 父親の一件もあり、周囲からはボロクソだったらしい。


 母親の死、父親の逃亡、人々からの罵声か。

 色々と不幸が続くな。

 スパチャの一つでも投げたい気持ちだ。


 一年ほどそんな生活をしていた所、唐突な知らせがあった。

 異形と戦う、前線への派兵が決まったのだ。


 それは街に悲しみをもたらした。

 ある者は覚悟していたと割り切り、

 ある者は親しい人との別れを惜しみ、

 ある者はみっともなく逃げ出した。


 そんな中、モランは自分からこう言ったらしい。


「年齢ゆえの配慮は不要。

 私はとうに覚悟を持っている。

 恩に報いるため、この身を異形に捧げよう!」


 人々はそれを聞いてはやし立てた。


 14歳なのに、覚悟が決まってるな。 

 日本ならまだ中学一年だ。

 流石にこの部分は創作だよな?


 まあ、昔は15歳で成人の時代もあった。

 こういう奴もいたのか……?


「運命よ

 故郷に一人残された、病弱の娘を哀れみたまえ。

 最後の家族の帰らぬ時、彼女もまた絶えるだろう。


 運命よ

 悲運の子、若き騎士を助けたまえ。

 過去と未来に希望なく、捨て身の意思に身を固め。


 運命よ

 不死の魔の手、死と冒涜の軍団から兄妹を救いたまえ

 馬鉄と具足、不義の名が彼を捕える前に 

 主よ、彼に救いの手を差し伸べたまえ」


 そう言って、伴奏は緩やかにリズムを止める。

 周囲の人々から拍手と感想が上がる。


「我らが英雄、望郷の騎士殿に乾杯!」


 人々が思い思いに感想を述べ、また次の曲がリクエストされていく。

 ジラールや一部の客は、詩の続きをリクエストした。

 が、他のリクエストに流されてしまう。


「残念ですが……そろそろ時間ですね。

 良かったら残っていきますか?」

「いえ、一緒に帰ります」


 続きは少し気になる。

 が、夜の街は一人で歩くには物騒だ。


 ・

 ・

 ・


「どうでした?望郷の騎士の前編は」

「中々面白かったです。

 特に、度重なる不幸が訪れた所とか」


 まだ立志編といった内容だ。

 具体的な見せ場らしき物もなかった。

 が、昨日と比べて物語が地に足が付いている。


 普通の人にも起こりえるような苦しみは、

 身近な出来事のように感じられる。


「そうでしょう?僕も気に入っているんです。

 聞く度に勇気づけられますから。

 でもこれから先はもっと凄い展開になりますよ」


 ジラールは声を弾ませた。


「楽しみですね。

 そう言えば何で王色の騎士って呼ばれているんですか?」

「それは次に聞いた時の楽しみに取っておきましょう。

 僕の口から言うのはもったいないなあ」


 ジラールは楽し気だ。


「モラン卿の家ってこの、都市のどこにあるんですか?」

「それなら知っていますよ。確か上街にある-----」


 そんな事を話しつつ俺達は夜の街を抜けて行った。


 ・

 ・

 ・


「……起きて起きてよッ!言ったからね!」

「……ふぁあい」


 差し込む朝日に、顔を反らす。

 眠気を押し殺して、ベッドから立ち上がる。

 床の木板からひんやりと冷たさが伝わってくる。


 うう……

 もう少し寝ていたいなぁ。


 ・

 ・

 ・


 俺は一階に降りて食堂に入る。

 雑談しながら食事する人が何人もいる。

 宿泊客以外にも、近所の人々が混じっているようだ。

 俺はいつもの隅の席に座る。


「あー、マガリ、僕の朝食は----」


「はいはい!

 いつもの安いメニューね。ちょっと待ってて!」

「……」


 言いたい事が無い訳でもないが、今は忙しい時間帯。

 大目に見よう。

 何事にも我慢は必要だ。


「……!」


 うとうとしていると、ガシャンと音がして目が覚める。

 見れば朝食が置かれている。


「おはよう!眠そうだけど大丈夫?」

「はい、何とか。

 何と……今日は肉の入ったスープですか?」

「はいはい、貧相なスープですみませんでした!

 冗談が言える位には元気なのね……仕事の方は順調なの?」


「昨日も飲みに連れて行ってもらいました。

 人間関係も悪くないと思います。

 ……ひょっとして、心配してくれたんですか?」

「もちろん。ユーヤさんの場合はお小遣いも頂けるんだし、

 もっと長く居て欲しいわ」


 マガリは茶化した口調で言った。


「フフ……そうですか」


 俺はコップに口をつける。

 ……口達者で、可愛げのない子だ。


 でも、これだけ喋れるのだ。

 前世の俺のようにはならないだろうな。

 別の席からマガリを呼ぶ声が聞こえる。


「はーい、今行きます。

 それじゃ、お駄賃は週末にまとめて下さいね」

「分かりました。いつもありがとうございます」


 ・

 ・

 ・


 俺は服を脱ぎ、勤務用の服に着替える。


 長袖の上からチェーンメイルを被る。

 鉄の重さと、冷たさが覆いかぶさる。

 最近は、この重さにも慣れて来た。


 次に革製のブーツに足を通し、紐を結んでいく。

 初日は紐を結ぶのも一苦労だった。


 今は、多少は早く結べるようになった。

 と言っても、適当な方結びだ。


 次に籠手を両手に装着し、盾を背中にセットする。

 数日経っても、背中の重さには慣れない。


 甲羅を背負った亀が、直立歩行するようなものだ。

 重心が狂う。

 最後に腰帯を装着し、剣がしっかりと装着されている事を確認する。


 数日経つが、この重さには慣れない。

 昔、サラリーマンのスーツは窮屈そうに見えた。

 が、この重さに比べてなんて楽な格好だったのか。


 まあ、文句を言っても仕方ない。

 もう日本には戻れそうもないしな。


 これが俺のスーツだ。

 さて、今日も出勤するか。

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