第8話 運命の日 - 最初のフラグ 1


 遂に運命の時がやって来てしまった。


 願わくば避けたい運命だったが、甘い願望は厳しい現実によって打ち砕かれてしまったのだ。


「オークの数は?」


「ハッキリ見たわけじゃねえが……。たぶん、五十はいる」


 親父はガーディンさんの報告を聞くと眉間に皺を寄せ、太い腕を組みながら唸る。


 オーク五十体というのは脅威的な数だ。


 オーク一体で大体ブラウンウルフ十頭分くらいの強さがあると考えると、むしろ親父が相打ちで街を守ったのも奇跡に近い。


「悠長に構えてる時間はねぇぞ」


 ガーディンさんがオークを目撃したのは山の中腹らしく、どうやらオーク達は山越えを行って領地へと入り込んだようだ。


 オーク達は一直線に街を目指し、進行ペースも想像以上に早い。このままであと数時間もしないうちに麓へ到達するだろう、と。


 ……既に知っている通り、オーク達は確実に街を襲うつもりだ。


 山を下るオーク達が人間を恐れて進行ルートを変えることなどあり得ないだろう。


 このままオーク達は街へ押し寄せて、街に住む人々を全員殺すまで止まらない。


「……戦える者を揃えてくれ。何としても街を防衛する」


「了解だ」


 玄関を出て行くガーディンさんを見送ったあと、親父は俺達家族に振り返る。


「聞いた通りだ。俺は街の防衛に向かう」


「……私も魔法使いとして戦おうか?」


 母様は不安そうな表情を見せつつも、元傭兵魔法使いらしい申し出を口にする。


「私も前線に出ましょう」


 もちろん、シオンも。


 しかし、親父は二人に対して首を振った。


「いいや、エリスとシオンは屋敷に残れ。ここで戦えない連中を守ってくれ」


 オークの群れに対し、街の非戦闘員は屋敷の敷地内に避難することになっており、二人は避難民の防衛をするよう告げられた。


 ここもゲーム内で語られた通りだ。


 二人は生き残る。


 だが、シオンだけは途中で「防衛隊が崩壊しかけている」という情報を聞き、屋敷を飛び出して前線に向かってしまう。


 結果、シオンは片足と片目を失った状態で戻ってくる。介護が必要な状態ではあるが、生き残りはするのだ。


 ただまぁ……。その後は母様が狂って……。シオンも責任に耐えきれずに自殺してしまうの運命となってしまう。


 ……絶対に回避せねばならない。


 家族が壊れるのだけは、絶対に。


「父様、俺も戦うよ」


「馬鹿言うな!」


 この時ばかりは普段優しい親父も怒声を上げた。


 だが、直後に親父の顔が歪む。


 そして、俺の頭に手を乗せるのだ。


「お前は確かに強くなった。だけどな、オークは他の魔物とは訳が違うんだ。人類よりも遥かに強い魔物なんだよ」


 親父は俺と目線を合わせつつ、肩に両手を乗せて。真剣な表情で告げる。


「お前は母さんとシオンを守ってくれ」


 ゲームの中のレオンにも同じセリフを言ったのかな。


「お前を失ったら……。俺は耐えられん」


 馬鹿言うんじゃないよ。それはこっちのセリフだよ。


「……分かった」


 親父の言葉に形だけの頷きを返した。


「それじゃあ、俺は言ってくる。エリス、頼んだぞ」


「ええ。アナタ、気をつけて……」


 両親は抱擁を交わし、そして親父は武器を持って屋敷を出て行った。


 バタンと玄関の扉が閉まるも、母様は扉を見つめながら動かない。


「……さぁ、坊ちゃん。避難してくる住民を受け入れる準備をしましょう」


「うん」


 俺の気を紛らわそうとしたのか、シオンが準備に誘う。


 俺も彼女の提案に乗りつつ住民の受け入れ準備を始めて――一時間後には街の住民が続々と屋敷の敷地内にやって来た。


 女子供は優先して奥に案内され、街の男達が敷地の入口方面を固める。その上で屋敷の護衛を任された親父の仲間達である元傭兵二人が入口付近に立つ。


 俺達三人は備蓄した食料の確認を行いつつ、負傷して戻って来た戦闘員に使う応急処置セットなども用意して。


 全ての準備が終わったのは、親父が出て行って三時間ほど経った頃だった。


「さて……」


 自室に戻った俺は密かに準備を始める。


 服は動きやすいものに着替え、腰のベルトはややキツめに締めた。


 机の上に置いてあった愛用の革製ガントレットを掴み、自室の窓からコッソリと抜け出そうとしていた時――


「坊ちゃん」


 声に振り向くと、ドアの前にはシオンが立っていた。


「どこに行くつもりです?」


 彼女は表情を変えぬまま問うてくる。


 彼女は緊張している時、余計に表情を変えないように努める癖がある。


 冷静さを保とうと自身を押さえつけているのだろう。


「散歩だよ」


 俺も普段と変わらぬ声音で言うが、これが余計にシオンの心をかき乱したのかもしれない。


 彼女は遂に表情を崩し、苦々しい顔で俺に迫る。


「こんな時に何を言っているのですか!」


 彼女は俺の腕を掴んで離そうとしない。無理矢理押さえつけてでも行かせない、と必死だ。


 だけどさ、シオン。


 このままではダメなんだよ。


「シオン、俺はみんなが大好きだよ」


「私だって坊ちゃんが大事です!」


 シオンは俺を抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめながら耳元で呟く。


「貴方は私の全てです。坊ちゃんがいなくなってしまったら……。私は……」


 耐えられない、と。


「俺だってシオンがいないと耐えられないよ。母様も父様も、みんながいないと耐えられない」


 抱きしめられることで拘束されていた俺は、彼女は耳に手を伸ばす。


 くすぐるようにサワサワと触ると、シオンは「あっ」と声を上げて力が緩んだ。


 その隙に彼女の腕から脱出すると、逆に彼女の両腕を掴んで壁に押し付ける。


「これからの人生、俺には家族が必要なんだ。シオンが必要なんだよ」


 ズイと顔を近付けて更に言葉を続ける。


「だから、俺は絶対に守る。小さな頃に約束した通り、絶対にシオンを守るよ」


「坊ちゃん……」


 お互いの鼻先が触れるくらいの距離で問うと、シオンは瞳を潤ませながら吐息を漏らす。


「シオン、俺を信じられる? 信じてくれる?」


 潤んだ彼女の目を見つめながら問うと、彼女はそっと視線を外した。


「……坊ちゃんはいつの間にか悪い男になってしまいました」


「そうかもね。でも、家族を守るためなら悪い男にもなるよ」


 そう言って笑うと、彼女は逸らした視線を元に戻した。


「坊ちゃん、絶対に帰って来てくれますか? 本当にシオンのことを守ってくれますか?」


「もちろん。父様を連れて絶対に帰ってくる。帰って来たら、またシオンに筋肉を触らしてあげる」


「……じゃあ、約束です」


 シオンはスッと顔を動かし、俺の頬にキスをした。


「行って来るね」


「はい。お早いお帰りを」


 革のガントレットを掴み、シオンに見送られながらも窓からぴょんと飛び出した。


 屋敷を囲む木板の壁を越え、俺は山に向かって走り出した。



 ◇ ◇



 レオンが屋敷を飛び出した頃、山の麓では既にオークとの戦闘が始まっていた。


「怯むな! 一体ずつ確実に仕留めろッ!」


 領主であるアンドリューは、かつて戦場を共にした仲間達と共にオークの群れと激突。


 元団長らしい的確な指示を出しながらも応戦を続けるが……。


「オオオオッ!!」


「ぐっ! がっ!?」


 豚に似た頭部、薄汚れた茶の肌と強烈な体臭を放つ巨漢。木の棍棒を振り回すオークもまた、人類に対して怯みを見せない。


 人類を遥かに上回るパワーを持つオークを前に、元傭兵達は一人、また一人と倒されていく。


「団長!」


 頭を潰された仲間の死体を目撃したガーディンは、自慢の弓術でオークを牽制しながらアンドリューに叫ぶ。


 彼の声には「何か打つ手はないか」という問いも含まれていただろう。


 アンドリューもまた、大剣を振るってオークの胴体を両断しながら眉間の皺を深くする。


 ――やはり、オークが持つ個々の戦闘力に対し、人間側が大きく劣っているのが問題だ。


 領地最強であるアンドリューはオークを相手に一人で戦えているが、他の者達は三人で一体を相手にするのがやっとの状況。


 アンドリューが奮戦しようにも殲滅スピードが間に合っていない。


 このままでは圧殺されるのがオチだ、とまともな人間なら誰しもが思うはず。


 しかし、彼らは街を背負っているのだ。


 全滅前に退くこともできず、援軍も期待できない。


 突如として現れたオークの群れに対し、アンドリュー達は限定された戦力のみで応戦する以外に道はない。


「豚共め……!」


 この時、アンドリューは覚悟を決めたのだろう。


 仲間を生かすため、後ろにいる街の住民、愛する家族を守るために。


 彼は握っていた大剣を一層強く握りしめ、覚悟を決めた表情で剣を持ちあげる。


「野郎共ッ! ふんばれッ! 俺達が負けたら次は街の連中が殺されるッ!」


 自身の体に喝を入れ、正面にいるオークへ向かって突進。


 上段に振り上げた大剣を力いっぱいに振り落とし、オークの体を真っ二つにした。


「俺達は負けねえ! 俺達はこれまでも生き残ってきた! 勝って来たんだッ!」


 傭兵団の団長として、領主として、父親として、アンドリューは声を張り上げながら仲間達を鼓舞し続ける。


「おおっ!」


「そうだ! 俺達は今回も生き延びるぞッ!」


 彼の鼓舞は確実に仲間達を奮い立たせ、その証拠にアンドリュー達の勢いが増す。


 圧されつつあった状況は再び拮抗状態に戻るが――


「団長ッ! あぶねえ!」


「ぐっ!!」


 突如、群れの奥から物凄いスピードで棍棒が飛んで来た。


 アンドリューは大剣の腹でそれを防ぐも、態勢を崩して背中から倒れてしまう。


 この時、彼は見た。


 群れの奥に控えるオークのリーダーを。


 外見はほぼ他のオークと同じものの、口から鋭利な二本の牙を生やした特殊な個体を。


 棍棒を投げつけてきたのはあいつだ。


 通常個体よりも更に上の力を持つ、あいつだ。


 あいつを仕留められれば群れの統率力は落ちる。そうすれば人間側にも勝機が見えてくる。


 強烈な攻撃を浴びながらも、アンドリューは確かに勝利への道筋を見つけた――のだが。


「団長ッ!!」


 背中から倒れたアンドリューを仕留めようと、棍棒を振り上げたオークが迫る。


「チッ!!」


 アンドリューは慌てて起き上がるが、相手の方が早い。


 オークが棍棒を大きく振り上げ、今まさに叩きつけようとした瞬間――


「オラァァッ!!」


 オークの首が爆発した。


 パァン! と水風船が破裂したような音を立てて爆発した。


「嘘だろ……!」


 それを成し遂げたのは誰か。


 唯一の援軍として駆け付けたのは誰か。


「父様、立って!」


 それはアンドリュー・ハーゲットが愛してやまない、自慢の息子だった。

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