第2話 ハーゲット家 1
「坊ちゃんもなかなか美的センスが身についてきたようですね。シオンは嬉しく思いますよ」
そう言って俺の頭を撫でる我が家のメイド――シオンは元々俺の両親が立ち上げた傭兵団の一員だ。
年齢は今年で二十三歳。種族はハーフエルフ。
因みに、ハーフエルフなので耳は普通である。ツンとしてない。
ただし、老化は遅い――と、夏の祭典で購入したゲームの設定資料集に書いてあった。
さて、彼女とはメイドと領主の息子という関係性ではあるものの、実際は歳の離れた姉弟のような気安い関係性と言った方が正しいだろう。
それでも黒を基調としたメイド服を着る彼女は、元剣士とあってスタイル抜群。顔もクールなお姉さんといった感じ。
しかし、彼女は外見だけじゃなく実力も伴っている。
傭兵団の中では最年少でありながらも、剣の実力は親父に次いで二番目。
当時は幼い見た目に反して、戦場では前線で大暴れしていた――と親父とお袋が語っていたっけ。
両親が自慢気に語る実績を踏まえると、どう考えてもメイドになる器じゃない。
だが、今の俺にとっては都合がいい。
「ねぇ、シオン。僕に戦い方を教えてよ」
この世界は現実だ。ゲームじゃない。
ゲームのようにレベルという概念は無いし『訓練コマンド』から伸ばしたいステータスを選択すれば自動で上昇するわけじゃない。
もちろん、スキルなんてモンもなければ自動で覚えたりもしない。
実際に体を動かし、学び、鍛えなければ成長しないのだ。
「戦い方を?」
「うん」
俺の問いに対し、シオンの眉がぴくんと動いた。
恐らく、彼女は小さな俺に「まだ早いですよ」と言うだろう。
しかし、前世の記憶を取り戻した今、周囲にいる大人達の気持ちは手を取るようにわかる。
「お願い。ダメ?」
俺は母親から受け継いだ顔面偏差値、そしてまだ八歳という子供の魅力を駆使する。
シオンの着るメイド服の裾を掴み、上目遣いで甘えるように。
「……んふ」
ほら見たことか! シオンの顔が嬉しそうに――いや、待てよ? なんかすっげえ……。変態チックな表情になってない? 口から涎出てない?
「良いでしょう。シオンが坊ちゃんを鍛えて差し上げます。ついでに私好みの細マッチョ体系美少年に育てあげて差し上げます」
シオンは口の端から漏れる涎を手で拭きながら言った。
俺は彼女に教えを乞うたことを後悔しつつある。
大人しく親父から教われば良かったかもしれない。
「しかし!」
内心心配していると、シオンは人差し指をぴんと立てて顔をズイと近づけてきた。
「まずは今日のお勉強からです。座学が終わった外に行きましょう」
「えー……」
生憎と俺には時間が無い。
運命の日、破滅の第一歩は四年後にやって来るのだ。
四年後までに最低でもオークを殺せるほどの実力を身に着けていないといけないのだから。
「いいですか、坊ちゃん。馬鹿は罪です。いくら顔がかっこよくとも、馬鹿であればモテません。お嫁さんを迎えることはできませんよ?」
「シオンも? 僕が馬鹿だったらシオンもお嫁さんになってくれないの?」
「いいえ、シオンはなります。坊ちゃんが私好みの細マッチョになってくれたら無条件でお嫁さんになります」
やっぱりこのメイドやばいじゃん。
「ですが、馬鹿はよろしくありません。馬鹿な男は――何も考えずに戦場へ飛び出して大暴れします。その尻拭いをしていたのが、貴方のお母様と私です」
シオンは「馬鹿男は何も考えずに剣を振り、運良く爵位を手に入れたのです」と続けた。
完全に親父のことじゃんね。
しかしだ。
繰り返しになるが俺には時間がない。
「じゃあ、テストを出して!」
「テスト、ですか?」
「そう! 僕は馬鹿じゃないって証明するから! シオン、テストしてよ!」
馬鹿じゃないと証明できたら、外で戦い方を教えてくれと。
「良いですよ。ですが、坊ちゃんが馬鹿だったらどうしましょう?」
「馬鹿だったら大人しく座学を受ける。だめ?」
「それだけじゃダメですね。座学を受けつつも『シオンお姉ちゃん、ちゅきちゅき♡ 僕は将来、細マッチョになってシオンお姉ちゃんと結婚すりゅ♡』と言ってくれないと」
親父を馬鹿呼ばわりする割には、自分も違ったベクトルで馬鹿じゃねえか?
しかし、今の俺には絶対的な自信がある。
受けよう、その挑戦。
俺は静かに頷くと、シオンはフッと笑って――真剣勝負を前にした剣士のような表情を浮かべた。
「第一問ッ!!」
デデン! って効果音が聞こえてきそうなくらい気合が入ってやがる。
そんなに子供からちゅきちゅき言われてえのか。
「私達が住む国の名前は!?」
「ログレス王国! ハーゲット領はログレス王国東部にあります!」
設定資料集を毎晩読んでた甲斐があるぜ。
正解どころか、領地の場所まで当ててやった。
――我らがハーゲット男爵領は王国東部にあるド田舎領地だ。
屋敷がある領主街は街と呼ぶには小さすぎる規模であり、領内の総人口は点在する村も合わせて三千人程度。
領主街には小さな商会や運送商会があるものの、どれも規模が小さく有名とは言い難い。
街の運営は元傭兵団のメンバーも関わっており、現在の領地運営は傭兵団時代の延長って感じ。
求められた答え以上の回答を行ったせいか、シオンの顔には驚きの表情が浮かぶ。
だが、彼女も彼女で負けられないのだろう。
顔に出た驚きを消し、またしても真剣な表情を見せる。
「第二問! ハーゲット領で最も多く収益を上げている商売はなにか!」
「小麦生産!」
ド田舎すぎる領地であるが、幸いにも大地は肥沃。
周辺に住んでいた農民にお願いして小麦の栽培に力を入れてもらい、領内で消費する分プラス万が一に備えての備蓄分を確保。それ以外は他領に輸出してお金を稼いでいる。
「最近では領地の東側で甘いイチゴが実ったと喜んでいたよね? イチゴの生産量を上げて、ゆくゆくはハーゲット領ブランドに育てるのはどう?」
またしても回答以上の答えを口にすると、シオンは遂に口を半開きにして固まってしまった。
「……坊ちゃん。いつの間に賢くなったのですか?」
「毎日シオンが教えてくれたおかげだよ」
ニコッと笑ってやると、俺を見つめるシオンの頬がぽっと赤くなった。
「どうしましょう。シオンは濡れてしまいました」
それが子供に言うセリフかね!
「どう!? 僕は馬鹿じゃないでしょ!?」
とにかく、これで俺には一定の学があると分かったはずだ。
世界観の設定を暗記するほど資料集を読み、繰り返しプレイして得たゲーム知識を駆使しただけだが、この現実世界に生きるシオンには説得力のある回答だったに違いない。
「……ええ。坊ちゃんは賢いです。良いでしょう、私の負けです」
そう言ったシオンの表情がキリッとなる。
「ですが、お願いですから『シオンお姉ちゃんちゅきちゅき♡』と言って下さい。言ってくれないと私のやる気が出ません」
「シ、シオンお姉ちゃんちゅきちゅき」
「……んふ。私も好きッ!!」
ニヤァと笑ったシオンは俺に抱きつき、頬に繰り返しキスを浴びせてきた。
本当に大丈夫か、この人。
後々になって犯罪を犯さないか心配だ。
◇ ◇
さて、無事にテストをクリアした俺はシオンを連れて庭へと出てきたわけだが。
改めて自分の体を服越しにペタペタ触ってみると……。
たぶん、平均的な子供より体は細い。
前世の世界に比べても、今世の世界に比べても。
いや、前世の子供時代は食ってる物が違うから比較対象にならないか。
ただ、今世も……。ド田舎暮らしではあるが、特に家が貧乏ってわけじゃない。食卓に並ぶ食事の量も極端に少ないってわけじゃないし。
体が細いのは生まれ持った体質なのかな。
今日からたくさん食わないと。
「まずは筋肉つけたい」
シオンに戦い方を教えてくれと言ったものの、戦い方を知っていても体が十分に動かなきゃ意味がない。
彼女に指南を受けつつ、同時に筋力トレーニングも並行して行わなければ。
脳内でトレーニングのメニューを考えていると――
「さすがです、坊ちゃん。筋肉はシオンも大歓迎です。ですが、無駄に体を大きくするのはナンセンスですよ」
シオンは俺と目線を合わせると、肩をガシッと掴みながら言葉を続ける。
「貴方の父であるアンドリュー団長のような筋肉剥き出しの暑苦しい男になどなってはいけません。男は細マッチョ。いいですね?」
どんだけ細マッチョが好きなんだよ。目が真剣すぎるだろ。
「それにですね。筋肉一辺倒な人は筋肉を過信して俊敏性を捨てる思考に陥ります。馬鹿マッチョになってはいけませんよ?」
ほど良い筋肉と俊敏性の両立。それこそが強さの秘訣だとシオンは語る。
これは彼女なりの戦闘理論なのだろう。
彼女は女性ということもあって、どうしても今世の男性と比べると筋力で劣る。その劣った分をスピードでカバーしてきた剣士だ。
そうして、実際に戦果を上げてきた実績もある。実績に基づいた理論なだけあって説得力もある。
「分かった。僕はシオンみたいになる」
「んふー! 最高ッ!!」
頬を赤らめながら鼻の穴をぷっくりと大きくさせるシオン。彼女は立ち上がり、距離を取って「さぁ!」と大きく両手を広げた。
「まずは遊びの延長から。私の体にタッチしてみなさい」
実にシンプルな要求だ。
俺は頷きながらも足に力を入れ、彼女に向かって走り出す。
両手を広げたままの彼女に手を伸ばし、あと少しで触れるといった瞬間――視界から彼女の姿が消えた。
「え!?」
「ふふ」
まるで瞬間移動だ。
彼女は俺の側面に移動し、大人の余裕を見せながら小さく笑う。
「んっ!」
だったら、と再び足に力を入れる。
子供だと油断しているシオンを誘うようにフェイントを交えながら彼女を追い回すのだが何度やっても追いつけない。
「ふぅ、ふぅ……」
ああ、クソ。
この体は体力が無さすぎる。子供ってのはもっと体力があるもんじゃないのか。
前世の頃によく遊んでやった姪っ子でも、もう少し体力があったように思えるのだが。
「私の裏を掻くように追い回すのは見事です。ですが、体力が絶望的ですね」
シオンは肩で息する俺の顔を覗き込み、この程度では戦場で生き残れませんよ? と脅してくる。
「坊ちゃんは戦うのではなく、頭脳を駆使した方がよろしいのでは?」
「だめ」
俺は間髪入れずに否定した。
「僕は強くなる。父様や母様、シオンみたいに」
決意の宣言を口にすると、シオンはまた鼻の穴をぷっくりと大きくしてニヤつく。
「シオンお姉ちゃんみたいに強くなる、と言い直してくれません?」
「シ、シオンお姉ちゃんみたいに強くなる……」
「おっほ! 最高!」
彼女は俺を抱き寄せると、再び頬にキスの嵐を繰り返してきた。
「こ、これからも強くなるための訓練に付き合ってくれる?」
「いくらでもちゅきあってあげる♡ ちゅっちゅっ♡」
シオンの熱いスキンシップを受け続けていると、庭に新しい人物がやって来た。
「……シオン、人の息子に何をしてるの?」
様子を見に来たのは俺の母。エリス・ハーゲットであった。
赤いセミロングの髪を後ろで結び、エプロンを身に着けたまま庭にやって来た母は、シオンのスキンシップに口元をヒクつかせていた。
「これは将来の旦那様とのスキンシップです」
「いや、将来の旦那様って……」
ぶっ飛んだシオンの思考には、付き合いの長い彼女も頭を抱えてしまうようだ。
ただ、俺にとってはこれまた丁度良いタイミング。
「母様! 僕に魔法を教えてよ!」
俺はシオンの腕から抜け出し、母親の元に駆け出した。
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