第5話 十一歳 1


 更に一年が経過し、俺は十一歳になった。


「ほっ、ふっ!」


「踏み込みがあまいですよ! もっと思い切って!」


 三年間欠かさず続けたトレーニングは徐々に成果が出始め、今ではシオンのスピードを完全に追えるようになっていた。


 俺の拳を弾くシオンの顔も真剣な表情に変わり、稀にだが彼女は大きく避ける動きを見せるようになったし、組手が終われば汗を掻かせることも可能になってきた。


 ただ、相変わらずシオンは素手だ。シオンの得意とする剣を使っての組手は未だ無い。


「シオン、剣は使わないの?」


「可愛い坊ちゃん相手に剣を使うメイドがどこにいますか」


 トレーニングの休憩中に問うてみると、シオンはスススと近寄ってきた。


 そして、然も当然のように俺のシャツをめくり上げて腹筋を触りだす。


「ああ、いい感じ……」


 最近の俺はシオンの理想に近い筋肉に成長してきたようで、顔をうっとりさせながら――たまに涎を垂らしながらのスキンシップが年々に増してきている。


 だが、俺だって学ぶんだ。


「こしょこしょ」


「ひゃん!」


 腹筋に頬擦りしていたシオンの耳をくすぐってやると、彼女は実に可愛らしい声を上げる。


 ハーフエルフだから耳はヒューマンと同じの形をしているけど、敏感なところはエルフと変わらないのが彼女の弱点だ。


「……坊ちゃんは歳を重ねる毎に悪い男になっていきますね」


 弱点を突かれたからって……。


「シオンだけズルいよ。僕だってやられっぱなしじゃないからね」


「まぁ、男らしい。シオンは年々濡れる頻度が増えているんですよ? 責任とって?」


 耳をくすぐられたせいか、ほんのり頬を赤くしながらシオンは言う。


 ……人生二週目の俺だから耐えられているけど、マジのガキだったら確実に性癖歪んでるだろ。


 いや、これが彼女の作戦か? マジで俺と結婚しようとしているんじゃ?


 読めない彼女の思惑に疑問を抱くが、少なくとも今はそんなこと考えている場合じゃない。


 トレーニング! とにかくトレーニングだ!


 ――さて、シオンは武器を用いたトレーニングを行ってくれないが、代わりを務めてくれるのは我が領地最強の男である親父だ。


「ようし! 全力で来い!」


 親父は木剣を持って相手してくれて、尚且つこちらも革のガントレットをはめた上で魔法の使用アリという実戦に近い形式でのトレーニングに付き合ってくれる。


「ふんっ!」


 だが、こちらはシオン以上に実力差を感じる結果に毎日終わる。


 全力で振った拳は木剣でガードされるし、衝撃波を使った決め手の一撃もギリギリ回避されてしまう。


「ほらっ! 受け止めてみろ!」


 親父が振り下ろした木剣に合わせ、俺は衝撃波の魔法陣を貼り付けた拳を振り上げる。


 木剣に拳をぶつけて防ぐと、衝撃波が発生して木剣を叩き折る。同時に俺の腕にはジーンと痺れが走り、思わず顔を歪めてしまった。


 拳をガードするためのガントレットを装備しているとはいえ、親父の馬鹿力は子供の体では完全に受け止めきれない。


 しかも、まだ全力じゃないってんだからね。


 剣を折られても余裕の笑みを浮かべているのが証拠だろう。


「ガハハッ! いい一撃だ! さすがは俺の息子!」


 豪快に笑う親父は俺の頭をクシャクシャと荒々しく撫でるが、こちらとしては実力差を痛感する毎日なのであまり嬉しさは感じない。


 ……あと一年だ。


 あと一年で俺はどこまで強くなれるのか。


 若干の焦りを感じ始めた俺は、現段階での実力を知るために家族へある提案をした。


「魔物を狩ってみたい?」


 俺の提案を聞いた母様は露骨に嫌そうな顔を見せる。


「ダメよ。何言ってるの。レオンはまだ十一歳でしょう?」


「坊ちゃんが怪我したらシオンは悲しいです」


 母様とシオンは完全なる「ダメ」を突き付けてきた。


「ん~。俺は良いと思うけどなぁ。俺もレオンと同じ歳の頃は魔物狩りで金を稼いでたし」


 唯一賛成してくれるのは親父だ。


 ただ、親父も「まずは俺が狩るところを見せるのはどう?」と魔物退治の見学をさせる段階からの提案だったが。


「何言ってるのよ! 貴方が子供だった頃とは状況が違うの!」


「そうですよ。貧乏で野生児だった貴方とは違うんです。坊ちゃんはすごく可愛くて賢い子供なんです」


 ただまぁ、親父の提案も大反対されるんだけどね。


 それにしても酷い言われようだ。


 親父、同情するぜ。


「しかし、どうするかな……」


 自室に戻った俺は窓の外を見ながら考える。


 窓の外に見える大きな山を見つめていると、頭の中にはどんどん焦りが降り積もっていくのだ。


 来年に向けて少しでも確信めいたものが欲しい。現状の実力を把握し、弱い魔物なら倒せるという自信が欲しい。


 でも、家族は未来を知らないので反対する。


 これがもどかしく、気持ち悪い。


「……よし」


 結果、俺は「こっそり魔物狩りに行く」という選択肢を選んだ。


 子供らしく勝手にしてしまおう。バレたら我慢できない子供を演じてしまおう、と。



 ◇ ◇



 俺は「外を走って来る」と言って屋敷を出て、そのまま山へ直行した。


 街のすぐ近くにある山には魔物が棲みついていることで有名だ。


 そして、領主である親父の狩場でもある。


 親父は領主としての仕事と並行しながら、元傭兵団の仲間達と街に近付く魔物を狩るという仕事を毎日して――いや、ストレス発散か?


 とにかく、大人達は街に魔物が入り込まないよう警戒しているし、家に帰ってきた親父の土産話にもなっている。


 そういった話を聞くことで、既に生息する魔物の種類はリサーチ済み。


 主に生息しているのは、国の定めた危険度ランク――Dランクと称される『ブラウンウルフ』という狼に似た魔物と『ワイルドボア』と呼ばれる猪に似た魔物の二種類だ。


 二種類とも同じDランクと定められた魔物ではあるが、強さ的にはワイルドボアの方が強い。


 ワイルドボアは幼体から体が大きく成長すると体長二メートルにもなる。


 巨体と鋭利な牙を用いて他の魔物を蹴散らしてしまう魔物だが、山に生息している数はそう多くないという。


 となると、主に戦うのはブラウンウルフの方だろう。


 山の麓に足を踏み入れた俺もブラウンウルフを相手にしようと考えながら、道なき道を進んでいく。


 すると、早速見つかった。


「グルル……」


 俺を威嚇する一頭のブラウンウルフ。


 茶の毛並み、鋭利な牙。人間に対して問答無用に殺意を向ける目。


 大きさは大型犬くらいだろうか?


 殺意剥き出しな目を見つめると、嫌でも「逃がしてはくれないんだな」とわかる。


 いや、最初から逃げる気もないのだが。


「…………」


 俺は革のガントレットをはめた両腕を持ち上げてファイティングポーズを取る。


「……さぁ、来い。俺を喰い殺してみろ」


 初めて魔物と対峙して、怖いか怖くないかで言えば怖い。


 前世でも街に熊が下りて来ただけで大騒ぎしてたんだ。それ以上に殺意剥き出しな生き物と対峙するってなると、内に広がる恐怖心は想像の倍以上である。


 だが、それ以上に俺は「死にたくない」と思った。


 ここで負けるわけにもいかないし、一年後に起きる悲劇を回避しなきゃいけない。


 俺は「死にたくない」んだ。


 俺は死亡フラグを折るためにトレーニングを積んできたんだ。


 だから、ブラウンウルフ如きで躓いてられない。


「グウォンッ!」


 唸り声を上げていたブラウンウルフが俺に向かって飛び掛かって来た!


 大口を開けて、人間の肉など簡単に食いちぎってしまう鋭利な牙をこれでもかと見せつけて。


「―――ッ!」


 しかし、見える。


 俺の目にはブラウンウルフの動きが完全に見えている。


 シオンより遅い。


 合わせられる。


 俺は腰を捻りながら拳を溜め、同時に魔法陣を構築して拳に貼り付けた。


「シッ!!」


 飛び込んで来たブラウンウルフに合わせ、その殺人的な頭部めがけて拳を振るう。


 俺の拳はブラウンウルフの横顔に突き刺さる。


 拳には骨を粉砕する感触が伝わってきて、同時に接触時に起動する衝撃波が追加ダメージを与える。


 バヂン。


 結果、ブラウンウルフの頭部は砕け散り、紫色の血が盛大に飛散する。


 残ったのは硬い岩を粉砕したような感触と首から先が無くなったブラウンウルフの死体。


「…………」


 ブラウンウルフの返り血を頬に浴びながらも、俺はその場に立ち尽くしてしまった。


 今、俺の中にある感情は何だろう?


 トレーニングの効果が通用したという歓喜? 初めて生き物を殺したことへの恐怖? 自分の実力が想像以上だったという驚き?


 なんにせよ、浴びた返り血を拭く気にもなれない。


 脚が震える。


 ガクガクと震える脚をさすりながら、座り込まないように我慢する。


「ふふ……」


 漏れた笑みの意味は自分でも分からなかった。


 ――ガサ


 草が揺れる音がした。


 音の方向に顔を向けると、そこにはもう一頭のブラウンウルフがいた。


「グルル……」


 仲間の死体を見たからか、先ほどの個体以上に敵意を向けてくる。


「いいぜ。やろうや」


 丁度良い、と俺は再びファイティングポーズを取るも――俺の前に現れたのは一頭だけじゃなく。


「全部で九頭?」


 近くにいた群れが仇討ちにきたか? それとも単に血の匂いに惹かれてきただけ?


「いや、丁度良い」


 自分でも不思議なくらい、今の俺は興奮している。高揚している。


 自分がどこまで通用するのか、九頭のブラウンウルフを殺せるのか試してみたい。


 これを乗り切れば、きっと俺は大本命のオークも殺せるようになるはずだから。


「やってやろうじゃん」

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