第4話 side.天津シノ それは好意であって、好意じゃない。
ゲームセンターでヨゾラと別れて、そのまま電車に乗る。平日の昼間の車内はがらがら。下りともなれば余計に少なく、縦に伸びる車両には私しか座っていない。
だから、まぁいっかって息苦しさを感じていたマスクを外す。アイドルの時とは化粧を変えているから、マスクなんてなくても気付かれる可能性は低いけど、普段は気にするに越したことはない。
なにより……と思いかけてやめる。顔を隠す理由を人のせいにしたくはなかった。私が悪い。それでいい。
電車の椅子なんてクッション性は皆無。座り心地なんて配慮されてないけど、肩に感じる疲労感のせいか根が張りそうなぐらい体が重かった。
午前中はラジオの収録だったので、体力という意味ではあまり使っていない。適当に愛想を振りまいて、同じレギュラーのアイドルの子ときゃっきゃと百合営業みたいなことをして、それぐらい。
ヨゾラとのゲームセンターでも疲れることなんてしてないけど。彼の言葉を思い出して、また肩が重くなる。私の周りだけ重力が増したような、そんな感覚だった。
乗り過ごしそうになる電車からどうにか降りて、駅に立つ。
学校のある駅とは違って、昔からなにもない場所だった。変わらないまま、でも廃れていっている。それをよしと誰が決めるのかはわからないけれど、変わらない場所があることに安堵を覚える。
いつまでも今のままであってほしい。ありえない、そんな願いが私の中には常にある。
炎天下の中、歩くのが面倒だからタクシーを使いたい。でも、ここら辺にそんな便利な物は走っていなかった。十からそこら。乗り換えなしの電車一本で駅を超えただけなのに、一気に不便になる。
現在から過去へ。
まるで時間が逆行しているかのようだ。
「はぁ……めんど」
バスの時刻表を見ても、丁度行ったばかりで次は三十分後。そもそも、駅から発車するバスの本数が一時間に一、二本しかないのが少なすぎる。田舎かよ。田舎か。
しょうがないので引きずるように足を動かして歩く。七月の終わり。まだまだ夏は盛りで、化粧という私の化けの皮を剥がそうと太陽が輝いている。
恨めしく火の玉を見上げて睨む。もちろん、それで手を緩めてくれるほど太陽は融通が効かない。
諦めて歩いて。
へとへとになった頃、ようやく家が見えてくる。昔から変わらない、平屋の一軒家。
子どもの頃は瓦屋根なんて普通だと思っていたけど、アイドル活動やら学校やらで地元から離れることが増えると、むしろ自分の家の方が珍しいことに気が付く。サンタクロースが実在しないと知った時ぐらいの衝撃があった。
「ただいま」
一応声をかけるけど、父が帰っていないのは知っている。というか、大の大人が週の真ん中に仕事もせず家にいたら問題だ。血の繋がった父親であっても、働いたら負けなんて言い出す男を養う気はない。
でも「ユウは……」ありそう。
ふと浮かんだ妄想が現実味を帯びて心配になる。人付き合いが少ないせいか、コミュニケーション能力に難がある。悪い男に騙されやしないかと、姉としては気が気ではなかった。
手洗いうがいだけはどうにかこなして、部屋のベッドに倒れ込む。結局、駅からの道中で体力まで使い切って、体も心も疲労でいっぱいだった。まだ外は明るいのに、うつらうつらする瞼が眠気を誘う。
これだけ疲れたのに、ユウには会えずじまい。わざわざ降りる必要もない駅で降りて、駅前をうろちょろしていたけれど見つけられなかった。
……実際に見つけた時に、声をかける意気地はないけど。
姿を見るだけでも、安心したかった。
代わりにバスから降りるヨゾラを見つけた。
本当にただの偶然。けど、仕事が終わってから一時間近くも駅周辺をうろついていたんだ。偶然と断言するには微妙なところだった。ストーカーと、ヨゾラが不審に思うのもわからなくはない。
それに相手がヨゾラではないとはいえ、自分の行動を振り返ればストーカーという行為を否定しきれないのが痛い。
ユウと仲のいい同級生を呼び出して、ユウの話を訊く。ユウはいないかと、妹の住む街の最寄り駅をうろつく。行動を振り返れば振り返るほどヤバい女だ。なんて奴だ。私だ。死にたい。死ね。
「あがぶぇ」
曲りなりにも夢を売るアイドルが出しちゃいけない声が出た。というか、女として駄目だった。ひとしきり悔恨に苦しんだあと、画面の割れたスマホをバックから引っ張り出す。
割れてからそのまま。修理は面倒で、かといって機種を替える気にもならない。まだ使えるというだけで使い続けているスマホ。
九割の諦めと、一割の期待を込めて通知がないか見たけど、あるのはマネージャーから仕事のメール。あとは、今日のラジオで一緒だった女から『今度ご飯行きましょ~♡』という誘いだった。うぜー。小さな期待があったから余計にそう思う。
返事をする気も起きず、スマホを放り投げる。
ベッドに放おったつもりだったけど、さ、どん、と床に落ちてしまった。だから画面を割るんだと、自分の適当さに呆れる。
連絡なんて来るはずがないのはわかっている。
「でも、期待するなって」
無理だ。
だって、残ってる。ユウからのメッセージが。
ライブを観たいっていう、数年ぶりに来たユウからの連絡。
舞い上がって、でもライブの予定なんかないぞと慌てた。授業の一環で校庭でライブの真似事をすることもあるけど、ユウの性格的に不特定多数がいる状況というのは落ち着かないだろうと思った。
だから、学校側に無理を言って、まだオープンしてなかったライブ会場を貸し切った。芸能クラス唯一の本物という肩書は伊達ではなく、建物は完成しているからと特別に許可が下りる。
アイドルの人気なんてどうでもいいと思ってたけど、この時ばかりは夜明けのアイドルの名声に感謝した。
夏にやるライブのリハがあるって嘘を
本当のライブ以上に緊張して、手汗が酷いことになっていたのを覚えている。だって、数年ぶりの連絡だ。それは、仲直りしたいという提案だって思う。思った。
のに、
「ヨゾラめ……っ」
ユウの隣に立つヨゾラを観て、すぐにそうじゃないと理解できた。しかも、なにあれ詐欺かよみたいな
不満はある。むしろ、不満しかない。
でも、ユウからの連絡は本物で、ユウ限定(おまけ付き)ライブの後、久しぶりに妹と話す機会が得られたのは素直に嬉しかった。
舞台を下りて、まるでアイドルとの握手会の気分で望んだのだけれど、『ユウ?』と声をかけても上の空。
目がぽーっとしていた。
潤んだ瞳、火照る頬。
ユウの瞳に映るのが私であればよかったのだけど、相手は間違いなくヨゾラで。そんな顔を見れば、女なら誰だって恋する乙女だって判断する。
その判断は今日まで続いていた。奥歯がぐぎぎとなるけど、ユウの幸せのためならと怒りを呑み込みもした。
でも、と。
勘違いかもしれないと、今日、ヨゾラからユウの言葉を聞いて思った。
私にライブを観せてと頼んだのは、惚れた男にいいところを見せようとしたんじゃないかと思っていた。尽くすというか、貢ぎそうな性格をしている。
でも、冷静に思い返してみると、私のライブをヨゾラに見せたのは、試したかったからなんじゃないかって思う。
ヨゾラが私を好きにならないかって。
ユウをユウとしてではなく、夜明けのアイドルの妹としてだけ見るようにならないかって。……昔の、ユウの友達や、同級生たちみたいに。
「……っ」
思い出すだけで、胸が痛む。
すでに数年も前の出来事だ。なのに、刻まれた傷はかさぶたさえできておらず、さっき切ったばかりのように生々しい痛みを発している。
――わたしは、天津シノの妹なんて名前なんかじゃない……!
目の前で言われたように、鮮明に思い出すユウの叫びに罪悪感ばかりが募る。それは
ヨゾラはなんというか、普通だ。でも変だ。
どこにいてもおかしくない普通の男子高校生で、特別目立つような容姿も性格もしてない。
でも、私がアイドルと知っても臆さないし、下手にも出ない。たとえ、興味がなかったとしても、アイドルというだけでなにかしらの感情を向けてくるのが普通なのに。
好意であれ、嫉妬であれ。なにかしらの感情を。
そうした肩書に惑わされない、フラットな距離の取り方は、
「悪くないよね」
うん、悪くない。
……まぁ、最初の出会いが出会いだったので、それが尾を引いている可能性はあるけど。
たぶん、そうしたヨゾラの人との接し方をユウも好ましく思っているんだと思う。
まったく。
双子の姉妹なのに性格は正反対。食べ物の好みも、趣味も全然違うのに、悪くないと思う男だけは一緒なんて、嫌な偶然だ。でも、ユウと似ている部分があることに口元がにへっと緩む。我ながら重症だ。
ただ、私は異性としての好意じゃない。あくまで、友人としての悪くないだ。今日、その部分をヨゾラにあっさり否定されて腹が立ったけど、これまでの私の行動を鑑みれば仕方ないことだ。呑み込むしかない。
でも、ユウは違う。ヨゾラを異性として見ている、そう思っていた。
『……わたしを観てくれる人と来たかったっていうのは、好意なのかな』
勘がいいなと思う。
たぶん、それは間違ってない。きっとユウがヨゾラに向ける気持ちは好意であって、好意じゃない。
夜明けのアイドルの妹としてではなく、ただの天津ユウとして扱ってくれる。ただそれだけを重視している。彼の口から聞いたユウの言葉は、そのことを如実に表していた。
確かにそれは大切なことだけど、恋よりももっと前。友達としての付き合いの前提のようなものだ……と思う。友達いないし、恋なんてしたことがないから確証を持って言えないのが悔やまれる。
これが私の勘違いならいい。
でも、そうでないのなら、そうした歪んだ状態にしてしまった責任は私にある。だから、確かめなけれならない。私のせいで、ユウやヨゾラを傷付けるわけにはいかなかった。
ベッドの下に落ちたスマホを拾う。
震える指先でロックを解除して、メッセージアプリを立ち上げる。
スクロールして、見つける。
天津ユウ……私の妹。
もう吐きそう。
喉から迫り上がってくる酸っぱさを追い返しながら、繋いで……かける。
『……お姉ちゃん?』
でないかも、と思った相手は存外あっさり出て。
久方ぶりに呼ばれる妹からの呼びかけに、心臓がぎゅっと握りつぶされるようだった。
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