第8話 手を握って、身を寄せてくる理由はなんなのか
女の子と揃って家を出て通学路を歩くというのは、学校から一緒に帰るよりも不思議な心地だった。夏休みならなおさらで、見慣れた道も浮足立って、新鮮に見える。
ただ、並んで歩いているかというとそうでもなく、あいも変わらずユウさんは俺の後ろを数歩離れて付いてきている。揃って、というのはやや語弊があるかも、なんて彼女との距離を見て思う。
住宅街を抜けて、商店街を抜けて。
山の麓から中腹にある学校まで伸びる道を歩く頃には、すっかり体中が汗で濡れていた。夏の強い日差しで、遠くが揺れて見える。歩いて行くのはなかなか厳しい。
ただ、山を切り開いた道は、木々に囲まれていて影になっている。視界的にも、アスファルトよりも自然の中は涼しげで、幾分マシになる。どうあれ、登るのは辛いけど。
家から近いとはいえ、ここに学校を建てた奴は許さん。
恨み節を力に登っていると、ようやく校門が見えてくる。門は開けっ放しで、静けさを除けば学校のある平日と変わらない光景がそこにあった。
「アイドルのレッスンとかかな」
「……はぁ、そ、……かも、しれ」
「水飲みな」
と言ってみても、俺もユウさんも手ぶらだ。通学路ゆえに道はある程度整っているとはいえ、山登りは華奢な彼女には厳しかったらしい。見るからに文系で体力なさそうだ。
足ほっそいもんなぁとついつい見てしまう。エロい目で見るというよりは、折れそうで心配になる。
こんなところで待たせるのもよくないけど。
「木陰にいて」
言うだけ言って、校舎に走る。
校舎の入口も開いていて、どこからか声が聞こえてくる。どこかの部活動なのか、アイドルのレッスンなのか。
なにをやっているのかは知らないけど、俺が二年に上がって芸能クラスが新設されてからは、昼夜問わず明かりが点いているのは珍しくはなかった。
夜、商店街から山を見上げると、明かりが見えることがある。
なにしてるんだろうなぁと気になることはあるけど、俺がその答えを知ることはないだろう。
明かりのなくならない校舎に思いを馳せながら、自動販売機で水を二本買う。そのまま戻ると、校門脇にある木陰で、膝を抱えて萎れているユウさんが目に入った。
「はい」
「あ、りがとう」
へとへとだった。
白くなった顔を見て心配になりながら水のペットボトルを渡すと、会釈をして受け取る。そのまま、キャップを開けて……開けて、あけて。
「これでいい?」
「……ごめん、なさい」
開けたら、ようやく飲んでくれた。
いくらなんでも体力なさすぎではなかろうか。運動した後じゃあるまいし、と思って、それが間違いじゃないかもしれないと考え直す。
もしかして、俺の家まで走ってきた?
そこから休憩も挟んでないとしたら、この有り様も頷ける。本当にただただ体力がないだけの可能性もあるけど、どうなんだろう。そもそも、いつから玄関前にいたのか。母親が見つけなければ、そのまま玄関前をうろちょろしていたままだったかもしれない。
真相はわからない。
でも、そこまでしてなにをしに来たんだろうと、ユウさんの用件を訊きたい欲求が膨れ上がる。かといって、疲れ切った彼女を急かすわけにもいかない。
疼く心を、太ももを指で叩いて誤魔化す。人間、落ち着かないと動きたくなるものだ。
そうして待っていると、ユウさんがふらつきながらも立ち上がる。
「もう、大丈夫」
「本当?」
弱々しく頷いているのを見ると、言葉とは裏腹に心配になる。でも、先ほどよりは顔色はいいのは確かだ。それに、校門脇で休むよりも、校舎裏のベンチの方がまだいいか。
「おかねを」
「あるの?」
尋ねると、ぽんぽんとスカートを叩いて、頭が項垂れた。
「……ごめんなさい」
「じゃあ奢りだね」
今度返すと言うユウさんの言葉を突っぱねる。たかだか水の一本程度。格好つけるわけじゃないけど、大した問題ではなかった。
項垂れて謝るユウさんを連れて、校舎裏を目指す。
高校二年の七月になって足を運ぶようになった校舎裏は、夏休み前となにも変わらずそこにあった。
青々と茂る木々に、陽を照り返す校舎。そして、大きな幹のそばにある、今にも朽ちそうなベンチ。
学校の敷地のあちこちで、芸能クラスの新設に伴う工事が行われているのに、ここだけまるで夏の一瞬を切り取ったようになにも変わっていなかった。
刺すような日差しだけは変わっててもよかったけどと、心の中で文句を垂れながらベンチに座る。枝葉が伸びて、木の屋根の下にあるベンチ付近は少しだけ涼しげだ。
とはいえ、暑いは暑い。
体感温度が二、三度下がったところで三十度を下回ることはなく、自動販売機で買った缶ジュースの結露のように、汗が肌を濡らす。
隣に座るユウさんの体調もあまり芳しくない。
水を飲んだところで、すぐに汗として体外に出てしまうのだから焼け石に水だった。こうまでして、勇気が必要な用件とはなんなのか。
できればユウさんが話を切り出すのを待ってあげたい。けど、それで倒れたら元も子もなかった。
早めに終わらせて、どこかで涼もうと決めて俺から話を促そうとしたのだけど、出鼻を挫くようにユウさんが手を握ってきた。
ベンチの上で、しっとりと濡れた手の平が重なる。
それは暑さのせいなのだろうけど、なんとなく緊張に由来するものも混じっていそうだと思う。俺も似たようなものだったから。
「……どうかした?」
不意の行動に声が上擦りそうになる。
それでも、どうにか平静を維持していたのだけど、それもユウさんが俺の胸に頭を押し付けてきてあっさり崩壊してしまった。身を寄せてくる彼女の行為に、体が硬直する。
外気の熱気とは違う、人肌の熱を感じる。微かに聞こえる荒い呼吸が肌を伝って鼓膜を震わせる。頭がのぼせたようにくらくらしていた。
「なんでもない」
胸元から返事があった。
「けど、もう少しこのままでいさせて」
その声は切実で、からかうような色はなかった。
だから、冗談でもなんでもなく、本気の行動なのはわかる。
確かに勇気のいる用件ではあった。
それは認めるけど、かといってなんの意味があるのかまではわからない。これから俺がどうすればいいのかも。
応えるように抱きしめればいいのか。それとも、跳ね除けるべきなのか。
太陽を見上げた時の視界ように頭の中は真っ白で、明瞭な答えなんて出てこない。ただ石のように固まって、彼女の行動に身を任せることしかできなかった。
ほんと、なんなんだろう。
わからない。でも、嫌ではないから、まぁいいか、ってユウさんの好きにさせる。
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