第9話 双子の姉と折半したお菓子を妹に出す

 いつかと同じように冷蔵庫を漁る。

 あの時はお茶ぐらいしかなかった。けど、今回は真っ黒な炭酸飲料がある。赤に、白い英語が書かれたラベル。お菓子もファミリーパックが、キッチン棚の中に無造作に入っている。


「食べていい……か?」

 ちょっと悩む。

 家族の、ってわけじゃない。それなら気にも留めない。いいかーってなる。

 でも、これはあの日。天津姉と折半で買った物だった。あの後、結局近くのコンビニまで買いに行ったんだけど……まぁ、それはいい。

 ともかく、全部が全部が俺のだと言える物ではないということだ。


「でも、いっか」

 どうせもう来ないだろう。

 それに、出す相手は妹だ。置いていったのだし、人気アイドル様だ。そこまでケチ臭くないだろうとお菓子類を引っ張り出す。


 お盆に載せて、飲み物をこぼさないように慎重に階段を上がる。行儀が悪いと思いつつも、軽く開けたドアを足で開く。

「お待た、……せ?」

 目を見開く。

 ベッドの下に頭を突っ込んでいたから――ではなく。

 外では見ることのなかった、素顔を晒していたからだ。


 眼鏡を外して、髪を解いて。

 長い前髪を分けた間で、なににも遮られることのなくなった琥珀の瞳が、部屋に戻ってきた俺を見上げている。

 雰囲気からなにからなにまで、本当に別人みたいに変わるな。

 何回か目にしたけど、慣れたとは言えない。こうして、身構える間もなく突然見せられると、どうしても一瞬見入ってしまう。

 我を忘れるなんてなかなかない経験を、ここ一週間でどれだけしたことか。


 天津さんの顔を見たまま立ち尽くしていると、彼女は顔を隠すように前髪をちょいちょいと俯き気味に撫でる。

「あつ……かった、から」

 言い訳のような呟き。事実、そうなのだろうけど、それを指摘するような冷静な判断力は残っていなかった。

「う、うん。そう……なんだ」

 話し方がうつったようにしどろもどろになってしまう。ぜんぜん、平静を保てない。

 速まった鼓動を極力無視しながら、部屋に入ってローテーブルにお盆を置く。


 ベッドに転がっていたリモコンを掴んで、「つけときゃよかったね」と冷房のスイッチを入れる。ピッと起動音が鳴った。エアコンの開いた口から冷たい風が流れ出すけど、頬の火照りは冷めそうにない。


 空いた手でドアを閉める。扇風機をつける。

「ありがとう……」

 密やかなお礼に応えたものか悩む。けど、聞こえてしまったので、「気にしないで」と囁くように言っておく。普通に口にすればいいのに、なんでか気恥ずかしさがあってどもってしまう。


 やりづらいなぁ。

 ローテーブルを挟んで対面に座って、俯き気味な天津さんの顔を見るとそう思う。

 そわそわする。

 実際、お互いに顔をあっちこっちに向けて落ち着きとは程遠い。

 まるでお見合いみたいだ。……いや、お見合いって。変なことが頭に過って、余計に身の置き場に困る。自分の部屋なのに。


「お姉、ちゃんとは……」

 ぽつりと声がして顔を上げる。

「なにをして、たの?」

「なにって」

 上体を僅かに下げる。

 一瞬、変な想像をしてしまったけど、窺うような天津さんの顔に照れはない。そういうことじゃないよね、うん。と、自分の妄想を振り払い、当時のことを思い出す。

 でも、大したことはしてない。


 天津さんが恋する乙女の顔をしていたから問い質しに来ただけ。

 ただ、それも勘違いで、天津さんは俺が不躾なことを言ったから怒っていたのであって…………あれ。

 思い出して、それすらも間違っていることに今になって気付いた。あの時は、怒ってないことにほっとして深く考えていなかったけど、そもそも天津さんは最初から怒っていなかった。

 だから、勘違いをしていたのは俺だ。天津姉じゃない。


 それなら、天津さんは――

「星観くん」

 名前を呼ばれる。思考の海から意識が現実に浮上する。


 なにかあったの?

 焦燥が浮かぶ天津さんの顔。なにかあったわけじゃない。でも、と至ろうとする結論に喉が動いた。固く結んだ唇を僅かに開く。

「……妹のことを心配していただけ」

「それだけ?」

 まさか、君が俺に恋してる、なんて。

 そんな世迷い言を天津姉が口にしていたなんて、本人を前に言えるはずもない。

 だから、すぐに『それだけ』と頷くべきだったのに。

 呑み込んだはずの動揺が喉を詰まらせて、言葉が口から出てこなかった。


 中途半端に頷いただけ。

「なにか、あったの……?」

 内心の動揺を見抜かれたのかはわからないけど、天津さんは見逃してはくれなかった。

 そのままなにも訊かないでくれればよかったのに。

 そう思うけど、返ってきた問いかけに答えないわけもにいかない。答えなければ、なにかあったと決定づけるものだから。


 姉に、妹に。

 どうして俺は自分の部屋で『私の姉妹になにをしたんだ』って問い詰められなくちゃいけないんだろう。

「……、あったって」

 口ごもる。

 天津さんの話を語るわけにもいかない。本人を前にして言えることと言えないことがある。悪口ではない。けど、これは言えないことだ。

 くっ、どうして俺がこんな悩まないといけないんだ。ふてぶてしい天津姉を思い出してイライラしながら、他になにかあったっけと当時の状況を記憶から引っ張り出す。


「人のベッドに転がって、漫画読みながらお菓子を食べた、かな」

 苦し紛れに出た言葉。ダメかも、と喉を流れる汗を感じる。

 事実だけど、明らかに求められている話とは違う。誤魔化したいのが見え見えだ。


 ブウォーっと扇風機の音が部屋を巡り、外からはジジジッとセミの鳴き声が響く。

 夏だな、と感じさせる静寂。

 でも、空調のせいだろうか。背中を流れる汗がいやに冷たくって、ぶるりと震えてしまう。


「さ、寒いから、冷房ちょっと下げ――」

 にへらと愛想笑い。

 四つん這いになって、ベッドの上のリモコンに手を伸ばしたら、いきなり天津さんが立ち上がって手が止まる。体が固まる。


 な、なに?

 緊張に息を止めながら、天津さんの動向を見守っていると、そのままベッドに寄ってぼふんっとお尻を沈めた。

「て、手を、……貸してもらっても、いい?」

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