第3話 鞄を返すのは自分の手で
そんなことはどうでもいいと、羞恥の熱を飛ばすように
「ユウの鞄をヨゾラが持ってるって、どういうことよ」
問い質すような言い回しに僅かに上体を後ろに下げる。どういうことって言われても。床に置いている二つの鞄。その内の一つを持ち上げて天津に差し出す。
「鞄、返しといてほしいだけ」
用件は済んだ。
よし帰ろうと席を立って、じゃ、と片手を上げる。そのまま天津の脇を抜けようとしたら、首根っこを掴まれた。ぐえー。
「説明しろ?」
「……うぃ」
締まった首を叩いて、解放を求める。ぱっと手を離され、ふぅと息を吐き出す。振り返ると、席に戻るよう顎で示されたので渋々戻る。清楚な格好と違って、その態度からはガラの悪さが窺えた。
騙されてるなーと、世間のファンたちに同情してしまう。
「で、どういうこと?」
「どうって」
天井を見て、天津を見る。
「この前、家に来た時に忘れていったから」
「……その時点でおかしいでしょうが」
それはそうだけど、それを天津に言われるのは少々心外だ。
頭が痛いというように天津が肘をついて額を押さえる。
「ユウがなんでヨゾラの家に行ったのよ」
「さぁ? 対抗意識じゃないの?」
思っていたことを口にすると、天津はぐむっとなる。俺の向けていた威圧が蝋燭の火のように小さくなっていく。最後にはしゅぼっと消えて、俯きがちに「……そんなわけない」と言い訳のようにこぼした。
真相はともかく、そんな反応をするということは、自覚があるというか心当たりはあるのだろう。俺から話を振っといてなんだけど、重くなった空気に気まずさを覚える。
カクテルでも飲んで紛らわそうなかなと注文を考えていると、「ん?」と天津が疑問の声を上げる。
「そもそも、なんで私がヨゾラの家に行ったのをユウが知ってるよ?」
「…………なんでだろうね?」
ふいっと顔を背けたら、げしっと足を蹴られた。足癖悪いぞ。
責めるような目で見られて、顔の向きを正面に戻せない。話したからって、なにがどうってわけじゃないし。口止めもされてなかったし。俺が悪いわけじゃないよね?
うん、悪くない。そう思うけど、開き直れるほど俺の心は強くなかった。
「と、ともかく」
「……」
「ともかく、ね?」
ぱんっと手を合わせて強引に話を元に戻す。しらっとした半眼を向けられているのを、引き攣る笑顔で受け流す。
「悪いんだけど、鞄、ユウさんに返してといてくれない?」
ぴくっと天津のこめかみが動く。
悩むように目を閉じて、はぁ、と小さく息を吐いた。
「……ヨゾラから返して」
「え」
予想外の返答だった。
大好きな妹の鞄だ。むしろ率先して返してくれると思っていただけに、断られるなんて微塵も考えていなかった。
「なんで?」
「なんでも」
尋ねても答えてはくれない。責任の一端は俺にあるとはいえ、姉妹なんだから鞄を返すぐらい簡単なはずだ。不満ではなく、純粋な疑問があって天津を見ていると、
「……できない」
固い、重苦しい声になにも言えなくなる。
頬をかく。
天津の事情に踏み込む気なんてないのだけど、結果的に触れてしまったらしい。気まずい空気に首の後ろを撫でる。
「なら、明日返すかな」
「いますぐ返しに行けばいいでしょ」
今日は何度驚かされればいいのか。返答なんて求めてなくって、ただ俺が自分で返すというのが伝わればいいと思ったひとりごとに返事があった。
見れば、天津は顔を上げていて、いつものようにむすっと不機嫌そうに唇を結んでいた。
「行けばって、今から行けるわけ」
「住所送る」
俺が無理と言う前に、ぱぱっとスマホを取り出して操作しだす。スマホが震える。ポケットから出して確認すると、天津の家があるであろう住所がメッセージアプリに届いていた。
いいのか、これ。
一応、アイドルの住所だろうと心配になるけど、送ってきた本人は気にした素振りを見せず、さっさと帰ろうとしている。
「私からヨゾラが行くって連絡しとくから」
「まだ行くとは」
「あぁ、そうだ」
こっちの言い分なんて聞かず、席から立ち上がった天津が思い出したように言う。
「今度からシノって呼んで」
それじゃ、と言い残して去っていく。首根っこを掴む隙なんてなく、確かな足取りで衝立を出ていく。カランッと鳴ったベルの音。
囲いに残された俺は、中途半端に腰を浮かせて固まったまま。
「そんな勝手な」
不満を口にしたところで、届ける相手はもういない。
だいたいシノって。
ユウさんが姉に対抗意識を抱いているようなことを言ったけど、本当はどっちなんだろう。正反対なようで似ている双子。テーブルに置いたスマホに表示される住所を今一度見て、はぁ……と大きく肩を落とす。
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