第4話 怒ってなかった。なのに償いをさせられる。

「ごめん」

 校舎裏に着いてさっそく謝ると、大きな眼鏡の奥で天津さんが目を丸くしてきょとんとする。

 不意打ち成功……ではなくって。

 なにも伝わっていない気がする。そもそも、なにを言われたのか理解していない顔だ。鳩が豆鉄砲というのは、こういう顔なのかもしれない。


 固まる。

「うぇっ」

 と、再起動すると今度はブルブル振動する台に乗っているように天津さんが小刻みに震えだした。

「ななな、なん、で……っ?」

 謝っているのに逆に驚かせてしまった。

 ベンチに座りながら唇をはわっとさせて慌てふためく天津さんを見ると、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

 なだめるためにも、謝って理由を説明しておく。


「いや、この前のライブの時、勝手なこと言ったなと思って。

 ……なんか怒ってたみたいだし」

「うぇっ」

 鳴き声みたいな声が天津さんの口からもれる。やっぱり小動物かなにかなのだろうか。


「ライブ、の、ときって……」

 呟いて、じゅっと赤面。

 あぁ。

「怒ってる?」

「ち、違う……!」

 わたわたと天津さんが胸の前で小さく両手を振る。


「お、怒ってないから」

「でも、顔赤い」

「~~っ」

 より赤みが増す。

「こ、こここれはっ……あ、つい、……から」

 そうなのか。……そうなのか?


 それなら教室を出た時点で赤くなっていそうだけど、天津さんにそんな変化は見られなかった。そもそも、以前、ここでお弁当を食べていた時は、汗をかいてこそいたけど真っ白な肌だったと思う。

「校舎裏に呼び出されて、生意気だなお前ってシメられるのかと」

「や、やらない」

 ぶんぶんっと手に合せて首まで左右に振る。


「まぁ、さすがに今のは冗談だけど」

 しれっと言うと、え……と固まって、ぷくっと小さく頬が膨らんだ。

「怒った」

「これは、今……」

 頬を膨らませたまま、顔を背ける。

 やっぱりリスか。頬をつつきたくなる丸さだ。


「でも、そっか。怒ってないか。あはは……はぁ」

 なら、よかった。

 重かった肩が軽くなる。謝るため、誠意として立っていたけど、ようやくベンチに腰を下ろせた。

「心配だった。

 言わなくていいこと言ったから」


 勝手に気持ちを想像されて、代弁されて。

 苛立ったのは本当。けど、それを口にする必要も、ましてムキになることもなかった。売り言葉に買い言葉ってわけじゃないけど、どうしてか我慢できなかった。

 別に天津姉を好きになるって言われたところでどうでも……よくはないけど。うん。あれはそういう対象じゃない。でも、あえて強く否定する必要もなかった。


 ただ適当に相槌を打って、それで終わり。なのに、

「どうしてだろう」

「……気にしてくれたの?」

 俺のぼやきに天津さんが口を開く。


 たぶん、俺の考えていることとは別の疑問なんだろうけど、なにかを期待するように彼女が上目遣いで見てきて、なんとも面映い気持ちにさせられる。そっぽを向いて、頬をかく。

「嫌われたくないでしょ?」

 ちょっと照れくさい。


 好きだと告白したわけじゃないのに、それに似た羞恥が胸の内でうずいている。

 恋でも友情でも。

 なんであれ相手に好意を伝えるというのは恥ずかしさが伴うものなんだなって身を持って実感する。


 俺の言葉を受けて天津さんはこくりっと頷く。

 控えめに、でもしっかりと。

「わ、わたしも、……星観くんに…………」

「天津姉が家に乗り込んで来た時は、壮絶に怒ってるかと不安で……ん? 今、なにか言って…………た?」


 話すタイミングが被ってしまった。

 なにを言おうとしたのか。

 訊き返そうとしたのだけど、変な空気を感じ取って口を閉じる。

 さっきまであった戸惑いや焦りは鳴りを潜め、彼女の目元に暗い影がかかっている。俯いているからなんだろうけど、なにか雰囲気が……?


「お姉ちゃんが、星観くんの家に行ったの?」

 硬質な声だった。

 それに、これまでたどたどしさすらあったものではなく、芯の通った話し方になっている。ただ、滑らかになったかというとそうではなく、むしろ硬さは増している気がする。

 はわっ、ふわっとした柔らかさがなくなっていた。


「あ、あー……うん。

 来たっていうか、突撃してきたっていうか」

 夏なのにどうしてか、背中に寒気すら覚える。

 急に気温が下がったかと思うけど、今日は雲一つない快晴だ。見上げてみても、青々とした空に陽が輝いていて、これでもかってぐらいびっかびかだ。

 なのに、なんだろうね?


 不思議に思いながら顔の向きを元に戻すと、金色の星が迫っていた。

 うわっと仰け反ると、それが天津さんの瞳だとわかる。いつの間にか眼鏡を外していて、晒した目元。まるで天津姉のように鋭く吊り上がった目尻に恐ろしさを抱く。

「な、なに?」

 急な至近距離に息を呑む。びびる。


「今日、星観くんは謝るつもりで来たんだよね?」

「そう、だけど?」

 でも怒っていたのは俺の勘違いで、さきほどなかったことになったはずだ。そうだよね? と確認したいけど、天津さんの妙な迫力に喉まででかかった同意の言葉がしゅるしゅると胃に戻っていく。


「償うんだよね?」

「まぁ、俺にできることなら、はい」

 怖い。

 思わず敬語になりながらも頷いてしまう。

 つもりが消えて償うことになってるけど、訂正する勇気はなかった。 


 この流れって、俺になにかさせるつもり?

 さっきまで怒ってないって言ってたのに、急にどうして。ずい、ずいっと顔を寄せてくる天津さんに合わせて俺もどんどん仰け反っていく。

 姉にも負けない整った顔が迫ってきて、考える余裕なんてない。いつしか、ベンチに押し倒されるような体勢になってしまい、青空に瞬く金の星を見上げていた。


「そ、それなら……」

 喉を鳴らす音。

「わ、たしも、星観くんの家に行かせて」

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