第8話 同級生の女の子を部屋に上げる
自宅までの道がこんなにも長く感じたのは初めてかもしれない。
同じ道のはずなのに、いつもの倍以上の長さに感じる。それは歩く速さが普段より遅いからなのか、それとも一緒にいる相手がいて、気もそぞろだからなのか。
そもそも、どうしてさっきは背中にひっついていたんだろうと後ろを見る。ふと、天津さんの顔が上がる。
「な、なに?」
なんでもないと首を左右に振る。
位置も反応も学校を出た時のものに戻っていた。俺の影を踏まないぐらいの距離を保って、とてとてと付いてくる。
級友がいた時はわかる。
顔を見られたくなかったんだろうし、人見知りが発動したんだろうというのも。けど、その後もしばらくの間くっついていたのがわからない。
まるで文句を言うみたいにぐりぐりおでこを押し付けてきて……なにかやったかなぁと心配になるけど、級友をあしらっていたぐらいで天津さんが怒るようなことをした記憶はなかった。
女心と秋の空というけれど、変わりやすい天津さんの心模様を予測するのは俺には難しい。
こんな状態で家に上げていいものか。
なんて思うけど、自宅はもう目の前だった。
商店街を抜けて、車の行き交う道路を越えて。
閑静な住宅街といった一軒家が密集した地区にある我が家。土埃の被った門を開けて、悩む間もなくこっちこっちと招くしかなかった。
おっかなびっくりなんて言葉が似合う様子で門を越えてくる。振り返って、丁寧に門を閉めている。
その間に俺は鍵を取り出して玄関を開ける。
下駄箱の外に靴がいくつか並んでいるけど、それは普段から置いてある。
母さんは……帰ってはいないか。
わかってはいても安心する。天津姉の時とは違って、家にいたわけじゃないからもしかしたらがあった。胸を撫で下ろす。
「あ、えと……上がってもだい、じょぅ……ぶ?」
俺の後を追って天津さんも玄関に上がるけれど、そこで立ち止まってしまう。
なにをいまさらと思うけれど、玄関できょろきょろと不安や緊張した振る舞いは見たことがある。しかもごく最近。
靴を脱いで、玄関に上がりながらふむっと顎を撫でる。
「初めて男の家に上がる?」
途端、ぼっと火が点いたように赤くなって、真下を向く勢いで俯いてしまう。
内気っぽい性格をしているから不思議はなかった。むしろ、男の家になんて上がり慣れてますから、と言われたら女性不信になりそうだ。
そもそも、異性どころか同性と話している姿すら見たことがない。男の家どころか女の子の家にすら上がったことすらなさそうだ。
ふむ。でも、それは天津姉も同じか。
妹に関わる俺にだけかもしれないけど、あのトゲトゲとした攻撃的な性格で仲のいい友人がいるとは思えなかった。隣に誰かが並ぶ姿が想像できない。
黒と白。
正反対な双子だと思っていたけど、似ている部分もあるのかもしれない。それが友達いなさそうというのは、いいのか悪いのか。
双子って不思議だなぁ。
そんな感心にも似た感想を抱いている間も、天津さんは羞恥の熱に浮かされて玄関に立ったままだった。あ。
「ごめん、からかうとかそういうのじゃなくって、君のおね……」
「……おね?」
天津さんが小さく首を傾げる。
君のお姉さんもそうだったからと続けそうになったけれど、喉元で押し返す。そういえば、姉と比較されるの嫌がってるみたいだった。優劣を付ける意図はないけど、比べようとはしてしまった。
「……ないでもない。
ごめん。気にせず上がって」
うまい言い訳を思い付かず、強引に誤魔化す。
きょとんと不思議そうにしていたけど、それだけだった。
詮索してくることはなく、むしろ意識が逸れたおかげか、緊張も少し和らいだ様子だ。
赤みが抜けた白い頬を小さく動かしながら、「お。お邪魔、します……」と密やかにこぼして靴を脱いで上がってくれる。
「いらっしゃい」
「っ」
応えたつもりだったのだけど、天津さんはまさか返事があるとは思わなかったのかびくっと肩が跳ねた。怯えるようにこちらを見上げてきて、こくこくっと頷く。
怯えさせるつもりはなかったんだけど。
どうにも扱いというか、接し方がわからない。
とはいえ、そうした小動物めいた様子を見るとなんだか落ち着きもする。必死そうな天津さんには悪いとは思うけど。
慌てたり、取り乱しているのを見て落ち着くというのは性格がよくない。
けど、寂しげだったり、迫ってきたり。
物静かな一面しか知らなかった彼女の別の顔ばかり見せられて、ここ最近は驚かされてばかりだった。
だから、俺の抱く印象そのものの今の天津さんはやりやすくもあった。
……まぁ、家に来てる時点で、いつもの天津さんとは違うのだろうけど。
こっちと手招きしながら玄関すぐの階段を上がる。
上がりきって、近くにある自室のドアノブを掴む。ぐっと握り込んで、少し躊躇う。
変なものはない……よな。
普段から疚しいものは置いてないけど、いざ通すとなると心配が浮上する。とはいえ、ここでいつまでも固まっていれば、天津さんも不審がるはずだ。
一抹の不安を残しつつも、ドアを開けて「入って」と促す。
「し、失礼しま、ぅ」
緊張が声に出ている。ふるふるだ。
やはり、男の部屋というのは見慣れないのか、きょろきょろと挙動不審。首を回して餌を動かすリスに見える。買われた猫が初めて家にやってきて、自分の居場所を探しているようにも。
このままほっておいたら入口で立ちっぱなしでいるかもしれない。
「とりあえず」
ベッドからクッションを掴んで、ローテーブルの前に置く。
「ここ、どうぞ」
ポンポン叩くと、おっかなびっくり足をするように入ってくる。
ゆっくり、ゆっくりと歩いて、音も立てずにクッションの上に正座した。……座った、というには腰が浮いている気もするけど、腰を下ろしただけよしとしよう。
室内をいちべつして見られて困るものがないことを確かめつつ、軽く手を上げる。
「飲み物とか持ってくるから、少し待ってて」
「お、お、かまい、な……く」
声が上ずっている。緊張がピークっぽい。
構われるために来たんだろうという指摘は内に秘めつつ、天津さんの声を背に受けながら階段を降りる。……降りようとして、ドアを閉める直前で立ち止まる。
考えて、
「ねぇ」
「ひゃっ⁉️」
悲鳴と一緒に天津さんがびくんっと跳ねる。一センチくらい浮いたんじゃないかってぐらいの跳ねっぷり。器用だなと思いつつ、ひょっこり顔だけ出して注意しておく。
「ベッドの下とかなにもないから。
天津さんなら大丈夫だと思うけど、一応ね、一応」
「え、な、に」
戸惑う天津さんを置いて、やっぱり大丈夫そうだと安心しながらドアを閉める。
そこまで非常識とは思わないけど、念の為……ね?
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