第7話 アイドルな双子の姉は、根暗な妹が心配。
俺がマスターさんの笑顔に動揺している間に、対面に座る天津にも同じドリンクを隙のない所作で差し出している。
「シノちゃん」
「……だってぇ」
マスターさんに呼ばれて、天津がいじけたような声を出す。それだけでなく、バツが悪そうな顔をしていて、ちょっと意外。
購買で出会った初対面の時から、なにかに怒っているような不機嫌な顔ばかりしていたから、親に叱れた子どものような反応は第一印象からだいぶズレる。
バーなんて格式高そうなお店に入るのにも
俺から見る関係性は、獰猛な獣を手懐ける飼育員さんだけど。
「今なんかバカにした?」
「してない」
勘がいいのかなんなのか。けど、また「シノちゃん」ってたしなめられて、しょんぼりしてしまう。
トゲトゲとした攻撃的な雰囲気が鳴りを潜めて、落ち込む姿は愛嬌があってかわいらしい。ただ、そんなことを考えていると知られたらまた睨まれそうなので口元を引き締めておく。
代わりに、「マスターさん」と呼び、結露で濡れたグラスを遠慮気味に指で叩く。
「あの……頼んでないんですけど、これは、……えっと」
どう受け取ったらいいのか。
失礼にならないよう、訊き方に悩んでいると察してくれたのか隙のない笑顔で頷いてくれる。
「初めてシノちゃんがお友達を連れてきた記念のサービスです。だから、気にしないで飲んでください」
「友達じゃない」
噛みつくように天津が否定する。
そうだけど。真正面から言われるとちょっと複雑である。ただ、否定する要素もないので黙る。
「ありがとうございます。いただきます」
「はい、どうぞ」
断るのも失礼だろうと頂戴すると、お盆を胸に抱えて促してくれる。
バーって、一見さんお断りでもっとお硬いイメージがあったけど、マスターさんにそんな雰囲気はなかった。
バーテンダーとはこういうものなのか、人柄なのか。
大人だなぁと思っていると、また「シノちゃん」って呼ばれて天津がびくっとしている。
「……なに?」
「入店した時から思っていましたが、無理やり連れてきましたね?」
大正解。
天津が顔をしかめる。
「シノちゃんのことですから、おそらくユウちゃんのことで焦っていたのでしょうけど、迷惑をかけてはいけませんよ」
「わかってる」
「なら謝りましょうね?」
え、と顔を上げる天津に、できますよね? と笑顔で語っている。
こっちを睨んで、マスターに困惑の目を向けて、そのまま俯く。黙っちゃった。
「…………ごめん」
絞るように謝ってくれる。抵抗が見て取れるようだ。
なんか、凄いな。
最初から不機嫌が一貫していた天津が謝るなんて思っていなかった。
飼育員というか、マスターさんは猛獣使いなのかもしれない。
しかめっ面で火の輪をくぐる天津ライオンを想像する。うん、似合わない。
「許してあげてください。誤解を受けやすいですけど、いい子ですから」
いい子……?
頭の中で疑問が浮かんだのだけど呑み込む。ここで言葉にするほど空気は読めなくない。
こくこくっと頷くと、「優しい子ですね」と微笑まれて照れる。男というのは大人なお姉さんに弱いのだ。
ゆっくりしていってください。
そう言って戻っていくマスターさんの後ろ姿を見ていたら、
「鼻の下伸びてる」
と、言われて咄嗟に鼻に触れてしまう。あ、と思った時には遅くって、じーっとジト目で睨まれて顔が熱くなる。
ふいっと、天津がテーブルに肘を突いて顔を逸らした。
「マスターは美人だからしょうがないと思うよ」
「……ありがと」
わかっていて見逃してくれる優しさ。マスターさんの言う通り天津はいい子なのかもしれない。
無意識に女性のお尻を追いかけていたのを指摘される恥ずかしさといったらない。まぁ、気付かせたのも天津だけど。
恥ずかしさを誤魔化そうとグラスに手をかけようとしてやめる。
お酒じゃないよね?
途中から忘れていたけど、ここはバーだ。本来はお酒を楽しむ場所。
学生服を着て、見るからに未成年な俺や天津にお酒を出すとは思えないけど、もしかしたらがある。ご馳走してもらうのに恐縮して、なんのドリンクか訊き忘れていた。
淡い黄色……レモンサワーはもっと透明だったはずだし、ジュース、でいいんだろうか。
グラスを掴もうとして、でもやめて。
うーんと悩んでいると、対面で呆れのこもった吐息をもらされた。
「ノンアルに決まってるでしょ」
挙動でバレていたらしい。天津が自分のグラスに薄い唇を触れさせる。
「レモネードね」
「まぁ、そうだよね」
うんうん。頷いて俺も一口。酸っぱい。ほっと安堵の息がこぼれる。
レモネードなのは、外の暑さにやられて汗だくだったからなのだろうか。
「マスターさん、優しいね」
「当たり前」
そう言いながらも、我が事のように薄い胸を張っている。飼い主大好きな犬かな。
お酒かどうかに悩んだのに誤魔化す意図はなかったけど、結果的に頬に溜まっていた熱はレモネードの冷たさと酸味に流されていった。
ちびちびと飲みながら、まだ夏の暑さを残している体内を冷やしていく。
こういう店だとむーでぃーな音楽が流れているイメージだけど、静寂を切り取ったように無音だった。
無理やりお店に連れ込まれたからよく見てなかったけど、もしかしたら開店前だったのかもしれない。
バーが活気づく時間帯は夜だろう。放課後とはいえ、まだ店を開くには早そうだ。
俺のせいではないとはいえ、迷惑をかけたかもと今になって申し訳ない気持ちになる。
「その、ごめん……」
と、まるで心を読んだようなタイミングで謝られて、けふんっとレモネードでむせる。謝ってるわりに「なに?」と咎めるようなジト目で見られながら、けほけほ喉を整える。
なにはこっちの台詞なんだけど。
「なんの謝罪、……?」
「無理やり連れて来てごめん、って意味」
考えなしだった。そう言って、バツが悪そうに銀の瞳を横に泳がせて、俺の視線から逃げている。
ちょっと意外。
「悪いなんて思ってたんだ」
「バカにしてる?」
ぶんぶんと首を横に振る。
「……まぁ、マスターに言われたのもあるけど、軽率だったから。
事情を訊くにしても、もう少しうまくやるべきだった」
「事情は訊くんだ」
「当たり前でしょ」
そこは当然らしい。どうあれ、こうやって向かい合って根掘り葉掘り問い質されるのは規定路線だったようだ。
「妹が心配だったんでしょ?
驚いたけど、結果的にご馳走になっちゃったし、あんまり気にしないでいいよ」
「……マスターには後でお礼を言っておく」
落ち着かなそうに、天津がグラスの縁を指でなぞる。
「……あの子は口下手で、人と目も合わせられないし、おどおどした根暗だから心配なのよ」
「…………本当に心配してる?」
「は? してるけど?」
「そうなのかぁ」
悪口に聞こえたのは、俺の受け取り方の問題だろうか。
兄弟姉妹なんていないからわからないけど、これぐらい包み隠さずに言えるのは家族らしく、仲の良い証拠なのかもしれない。たぶん。天津の口の悪さのせいもあると思うけど。
「でも、だから。
ユウが誰かに素顔を見せるなんてありえない……はずなの」
付け加えた憶測は苦いものを食べたような、絞り出す声だった。
姉から見て、それぐらいありえないことだったんだろう。
普段から見ているわけじゃないから定かじゃないけど、天津の言う通り、俺が知る限り教室で眼鏡を外すことも、前髪を分けることもなかった。
でも、素顔を見せてくれた時はそんなだいそれた雰囲気もなくって、さらっとしたものだったよなぁと当時を思い出す。
「気になるなら俺じゃなくて、本人に訊いてみれば――」
「それができれば……!」
至極真っ当なことを言ったつもりだったんだけど、ガタッと机を倒す勢いで立ち上がって、凄い剣幕で怒鳴られる。
けど、すぐに我に返ったようにハッとなって、ふっと蝋燭の火が消えるように消沈。しずしずと椅子に沈んでいく。
「…………苦労、しない」
「そ、そっか。ごめん」
ヤバい。地雷踏んだかも。
謝ってはみたけれど、気まずくなった空気は変えようがなかった。息が詰まる。
入店した当初とは違う意味で身の置き場に困ってしまう。ぐいっとレモネードをあおる。一気に飲み干してコトッとグラスをテーブルに置くと、カランッと残った氷がグラスの中で音を立てた。
「とにかく」
勢いで誤魔化す。
「なにか勘違いしてるようだけど、俺はただのクラスメートだから」
そして逃げる。
結論だけ言って、椅子から立ち上がる。そのまま回れ右をして立ち去ろうとしたのだけど、「待って」とテーブル越しに身を乗り出した天津に腕を掴まれてしまう。あー……逃走失敗。
まだなにかあるの……?
うへーと口の両端を下げると、天津が顔を伏せた。きゅっと掴んでくる手に力がこもる。
「……連絡先、教えて」
「え、やだ」
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