第8話 思春期の高校生は恋バナに興味津々
週も折り返しを過ぎて終わりが見えてきた。
いつもと変わらない通学路をジリジリと背中を焼かれながら登る。
高校を選んだ理由は近かったから、という怠惰でなんともありきたりな理由だったけど、一年以上通っているうちに後悔が大きくなっていく。
「あっつ……」
いくら徒歩圏内とはいえ、登校の度に山登りなんてしたくはなかった。
高さが上がるにつれて、陽の強さが増している気がする。額を拭うとべっとり。汗で濡れた手を見ると、余計暑くなってくる。
サボりたいという欲求が強くなっていくけど、足は着実に傾斜を上がっていく。俺って真面目だなーと、自分を鼓舞しているうちに学校が見えてきた。
もう少しだと思っていると、ポケットのスマホが震える。
「なんだよぉ」
校門は目前。先生がいないか警戒しつつ、木陰に入ってスマホを見る。眉間にシワが寄った。
「やっぱ教えるんじゃなかった」
妹の様子を訊いてくるシスコンからのメッセージを無視しつつ、ふらふらと校門を抜けていく。
■■
校舎内の自動販売機で買ったジュースで喉を潤した後、教室に行く。
ドアを潜って、あー生き返るー……と冷房に体と心を癒やされる。そのまま席に着こうとしたけど、視線が吸い寄せられるように隅っこの席を見る。
ちょこんと椅子に座っている天津さん。
微動だにしないから、等身大の人形でも置いてあるみたいだ。教室の背景に溶け込んでいて、この子があの自己主張激しい天津の妹なのかと人間の神秘を感じる。同じ親からリスとドーベルマンが生まれることってあるんだなと。
相変わらず眼鏡と前髪で隠れている顔。似ている容姿が見えないから、余計に姉妹なのか疑いたくなる。
「あー!」
「……っせぇ」
不意な大声に顔を顰める。鼓膜が破れるかと思った。
自分の席に座って振り向くと、入口で級友が大口を開けて間抜けな顔をしていた。どうして朝っぱらからこんな元気なんだ。バカだからか。
不満を込めて胡乱な目を向けていると、バチンッと視線がぶつかる。そのままずんずんっと近付いてくる。
「お前ー!」
「ふん」
鞄で殴って黙らせる。ほんとうるさい。
けど、それで静かになるどころかヒートアップしたのか、ぶつけた鞄なんてきにも留めず振り払う。
そのまま鞄を払った手で、ビシッと指をさしてきた。
「昨日、商店街で一緒にいたちょー格好いい美人さんは誰だよ!」
「……」
こめかみがぴくぴくする。
さ、最悪。こいつに見られてたのか。
天津と一緒にいるところを知り合いに見られている可能性は考慮していたけど、該当者が級友だったことに頭を抱えたくなる。なぜなら、こいつは声が大きいから。色々な意味で。
ざわっと級友の大声に反応して、教室内の空気が変わるのを感じる。ほんと、一番面倒な相手に見られたものだ。この後の展開を想像してやだなー帰りたいなーと帰巣本能が刺激されるけど、面倒を起こしてくれた級友が逃がしてくれない。
「で、誰? 彼女? 恋人? ガールフレンド?」
「……どうでもいいだろう」
「よくない!」
バンバンッと机を叩いて抗議してくる。こいつの口、縫って二度と開けられないようにしたいなー。
普段ならこれぐらい適当に流しても、えー? とか、なんでー? とか文句を言いつつ引き下がるのに、今日はしつこい。やはり高校生。思春期真っ只中だからか、男女のあれこれには興味津々らしい。
天津と恋人? ……ないない。
想像して、ありえねーと鼻で笑う。けど、級友にとってはありえなくはないらしい。
「黒いマスク付けてて顔はよく見えなかったけど、パンクっぽい雰囲気の格好いい女の子!
うちの制服着てたし、どーゆー関係なのかちょー気になる!」
目敏い。
商店街は通り抜けただけで長居していないのに、よく見ている。こいつとはすれ違っただけだろうに、そんな印象に……まぁ、残る見た目をしているか、天津は。
「ただの知り合いだから」
「でも手ー繋いでた!」
そうだね。繋いでたね。
でもあれは捕まったと表現すべきもので、恋人の甘いあまーいきゃっきゃてれてれとは違う。
ただ、そんなことを言ったらじゃーどういう関係だと話しがループしそうなので呑み込むが。
「どーでもいーだろー」
「よくなへぶっ」
鞄で顔面を叩く。「諦めぶげっ」よろよろと這い上がってくるしつこい級友の頭を鞄で叩いて沈める。沈める。沈める。
「ふぅ」
一仕事終えて額を拭う。やりきった。
自分の席で息絶えた級友の冥福なんか祈らない。
朝から疲れた。へばっと机に突っ伏したら、肩をちょいちょいっと突かれる。いらぁ。
「なんだ……よ?」
「ほ・し・み・くん?」
顔を上げたら、笑顔が眩しい同級生の女の子が見下ろしていた。しかも一人だけじゃなく、爛々と瞳を輝かせた女の子たちが、いつの間にか俺の周りをぐるっと取り囲んでいる。
ひくっと喉が引き攣る。
「お話、聞きたいなー」
目元に影がかかった、とびっきりの笑顔が迫ってくる。
■■
「厄日か、今日は……」
放課後になってようやく教室から開放された俺は、校舎を出て深く深くため息をこぼす。
今思い出してみても、散々だった。
どれだけなんでもないと説明しても誰も納得しない。そんなわけないよねー? とか、ほんとーはー? とか、ニマニマしながら疑ってかかってくる。
なにかあってほしいんだろう。とりあえず、俺から好きという一言を引き出したいように思えた。事実なんてどうでもよくって、同級生の女の子たちにいいようにおもちゃにされていたんだろう。
だからといって、級友みたいに鞄で殴るなんて女の子にできるわけもなく、たじたじになって否定を繰り返すしかなかった。端的に言って地獄だ。
女子に構われているのを羨ましがる奴もいたけど、そんないいもんじゃない。ほんとうに……はぁ。
帰りのホームルーム後にも捕まりそうになったけど、さっさと鞄を持って逃げてきた。あー……と、後ろから聞こえてきた残念そうな声が恐ろしい。
明日になったら忘れててくれないかなーと切に願いながら校門を一歩出たら、「星観くん」と呼び止められる。
「……? あの、どうかした……?
そ、そんな身構えて」
「天津さんか」
同級生の女の子たちに先回りされたのかと思った。いや、自販機寄っていたとはいえ、天津さんも十分速いのだけど。
そういえば、お昼の時も、いつの間にかいなくなってるし。くノ一かなにかなのだろうか。気配の消し方がプロだ。
首を傾げている天津さんになんでもないと手を振る。振って、ちょっと考えて、今度は違う意味で手を振り直す。
「うん、それじゃまた」
「ままま、待ってっ」
「……? はい」
止められる。
さようならの意味で声をかけられたと思ったのだけど違ったらしい。ひらひら振っていた手を下ろす。
なんだろう。彼女がなにか言うのを待つが、えっと……と手を合わせてもじもじ。俯いたり、上を向いたりと落ち着きがない。おどおどした根暗、という天津姉の言葉が蘇る。
やや行き過ぎな気はするけど、姉として心配になる子ではあるよなと思う。そんなことを考えていると、ようやく天津さんが声を発した。
「き、昨日……お姉ちゃんと、その、……会って、た?」
君もか。ふへ、と口から疲れがあふれだす。
「ごごご、ごめんなさい……っ」
「あー……や、こっちこそごめん」
たぶん、またか、っていう気持ちが顔に出てたんだろう。
天津姉もだったけど、姉妹揃って顔色を窺うのがうまいなぁと思う。俺が顔に出やすいだけかもしれないけど。
「ほら、教室のあれが……ね」というとわかってくれたらしい。
「お、お疲れ様です」と頭を下げられて、「いえいえお気遣いどうもありがとうございます」と俺も頭を下げる。
ぺこぺこ。
校門の横でなにをやってるんだろうね。通り過ぎていく生徒たちから怪訝な目で見られる。
俺が昨日会った相手が天津姉だと察した理由は天津姉のわかりやすい容姿と……声のでかい級友のせいだな。うん、明日しばく。
正直、またかーという気持ちはやっぱりなくはない。けど、尋ねるに至った動機は同級生の女の子たちとは違うだろう。
好奇心ではない、別の感情。
それが姉を心配してなのかはわからないけど、性格的にも興味本位というわけではないはずだ。
伝聞だ。別人だと言い張れば簡単にお茶を濁せる。
けど、声をかけるのにも苦労していそうな天津さんが勇気を出して訊いてきているのだから、俺も真面目に答えるべきだろう。
天津姉との会話を思い出す。少し悩んだけど、まぁ、口止めされてるわけじゃない。
「会ったよ」
と、素直に答えることにした。
「――」
ただそれだけだったのに、なにかショックを受けたように天津さんが息を呑んだ。下唇を噛み、耐えるような仕草が痛々しく見える。
心配……とも違うような。
彼女の中でどんな感情が渦巻いているのかわからないけど、見ているこっちが戸惑ってしまう。そんな弱々しい変化があった。
「ま、えから……知り合いだった、……の?」
恐る恐るといった様子で確認してくる。
昨日も今日も質問攻めだなと思いつつ、「違う違う」と否定する。
「ただ、あー…………なんか絡まれた」
嘘じゃない。けど、話した内容については誤魔化すことにした。
会っていたことについてはいまさらだからいいけど、話題は天津さんについてだ。天津姉の反応からしても、天津さんとなにかあるというのだけは察せられた。部外者の俺が軽い気持ちで語るべきじゃない。
けど、言い訳がなんにも思いつかなくって、雑な誤魔化しになってしまった。
自分で言っておいてなんだけど、なにかありますと白状しているようなものじゃないか。
さすがに追求してくるかなぁと思ったけど、「そう、……なんだ」と呑み込んでくれる。
ただ、追求されなくってよかったとは言えない。
納得したのとも違う。
諦めたように肩を落として俯く天津さんの姿を見ると、安堵よりも心配が先に立つ。弱った子リスを見ている気分だ。
「儚い夢だったなぁ……」
囁くような小さなひとりごと。
聞こえてしまった呟きがなにを意味するのか。考えようとしたら、そっと手を取られて目を丸くする。
姉とは違い、今にもすり抜けてしまいそうなぐらい、弱々しい力。
「明日、一緒にお姉ちゃんのライブを観て」
起伏のある胸の前まで掲げられ、願うように両手で包まれる。
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