第18話 星だけが見ていた③

(1)


「話が盛り上がってきたところですが、連れが疲れてきたようですので。そろそろお暇します」


 リカルドの様子がおかしいと察したのか、シャロンがそう告げると、女性たちは不満げに表情を曇らせる。しかし、彼女たちが口を開くより先に、「もしよろしければ、連絡先を教えていただけますか?そうすれば、あらかじめ日にちを指定してまた一緒に飲むことができますよね?」と、シャロンが先手を打つ。すると、女性たちはたちまち機嫌を直し、揃って彼に連絡先を教えた。


「後日改めて僕の方からお二人に連絡差し上げますね」


 シャロンは連絡先を手帳に書き記し、とどめと言わんばかりに最高の笑顔を浮かべてみせた。


「では、お先に失礼します。リカルドさん、行きましょう」


 女性たちに笑みを見せる一方で、シャロンは強引にリカルドの腕を取り、店を後にする。


 杖をついて歩くリカルドに合わせてシャロンもゆっくり歩く。時間をかけて辻馬車の停留所に辿り着き、その中の一台に乗り込む。

 シャロンと向かい合い、前かがみで杖にもたれながら、リカルドは呟くように問う。


「シャロンさん。君は、あの噂のことを知っていたんだね……」

「えぇ」

「じゃあ、僕が噂の情夫だと気づいていたんだね?」

「あれだけ派手な暴行事件が発生したのに警察が犯人を逮捕した、という話を全く耳にしない上に、そんな噂が流れてきたのですよ?貴方が渦中の情夫だというのは大して考えなくても見当つきます。僕はあくまで貴方の怪我を治すことに興味があるだけ。貴方個人の問題にはまったく興味がなかったので、わざわざその話を持ち出さなかった。それだけのことですよ」

「君らしい考えだね。でもね、君は興味なくても、僕自身が噂を信じて欲しくないからいくつか訂正させてほしい。僕は彼女の情夫なんかじゃない。彼女が娼婦だということも、次期男爵に囲われていることもまったく知らなかったんだ。知ってしまった時には、もう引き返せないくらい彼女を愛してしまっていた。どうしても諦めたくなかったし、手放したくなかった。だから」

「危険を承知で、この街から逃げ出そうとした、と?その女性を想う愛情と情熱は尊敬に値しますが……、それにしては取った行動が浅慮過ぎませんか」

「なっ……」


 思いがけない厳しい言葉に絶句する。


「貴方はダドリー様がどういう方か、よく調べたのですか?いずれは伯爵家のご令嬢と結婚されるのです。いくらお気に入れであっても、一介の娼婦などいずれは手放すくらい目に見えているじゃないですか。どうしてそれまで待とうとしなかったのです?大方、事実を知って混乱した貴方が、焦って行動に出てしまったのでしょうが。まぁ、今まで好き勝手生きてきた貴方が待ったところで、彼女の身請け金を用意するだけの財力もないですし、余計に焦ったのかもしれませんね」


 シャロンの見下しきった物言いにさすがにカチンときたが、言い草はともかく正論には間違いない。


 彼の言う通り、ダドリーについて情報をもっと得ていれば。行動する前にもう少し様子を見てみようと考えたかもしれない。

 今まで真面目にコツコツと働いてさえすれば、その貯えと様子を見ている間に働いて得たお金を持ってして、彼女を身請けできたかもしれない。


 今のこの状況は、己の甘さや無鉄砲、引いては、何にも縛られず自由に生きてきたと言えば聞こえはいいが、様々な責任を放棄し、楽をして生きてきたツケが回ってきたに違いない。


 まだ偉そうに講釈を垂れるシャロンの声すら耳に入らず、ただ愕然としていたが、無意識に小さくつぶやく。


「……自分の、今までの生き方を変えてでも、例え夢を諦めてでもいいから傍にいたい。そう思える人と出会ったら……、君にも僕の愚かな行動の意味がわかるだろうね……」


 シャロンは一瞬虚を突かれ、押し黙ったものの。あからさまに眉間に皺を寄せ、いつものように高慢そうに鼻を鳴らす。


「僕だったら、自分の人生と夢の枷のなる人など絶対に愛したりしません」


 あぁ、実に彼らしい言葉だ。

 リカルドは妙に納得した後、シャロンに向かって弱々しく微笑んだ。





(2)

 

 マクレガー家に戻ってからリカルドは、シャロンに浴びせられた辛辣な言葉を何度も何度も頭の中で繰り返しては考え込む。


 広場で暴行された夜。夜空に瞬く星々が金貨に変わり自分の元へ降り注いでくれれば、などと願った。けれど、今はその儚い願いさえ単なる甘えとしか思えなくなっていた。


 自分との仲を引き裂かれ、ダドリーにも捨てられたミランダは、今どんな思いで生きているのだろう。考えるだけで、やるせない気持ちに駆られる。


「……痛っ……」


 そんなに長い距離を歩いた訳じゃないのに、左足がズキズキと痛みだす。苦悶の表情浮かべ、黙って痛む箇所を撫でさする。


 怪我が完治するまで、おとなしくマクレガー家の世話になるのが、今の自分にとって最善の道だろう。しかし、そうしている間にも時間は刻々と過ぎ去っていく。


 このままでいてはいけない。

 ミランダを苦界から救い出したい。


 いくらダドリーに捨てられたとはいえ、彼女は歓楽街でも一、二を争う高級娼館の人気娼婦。身請けするとなれば大金が必要となる。


 だったら、やることはたった一つ。

 死にもの狂いで一生懸命働き、資金を貯めるしかない。


 行動に移すなら一日でも早い方がいい。

 シャロンにはまた無鉄砲だの計画性がないだのと批難されるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 噂が広まっている以上、この街で働くつもりは毛頭ない。自分の居所を知ったダドリーが何らかの妨害を働かないとも限らない。


 音を立てないよう静かに荷物を纏め、マクレガー家の人々へ向けて手紙をしたためる。

 今まで世話になったことへの感謝の気持ち。勝手に出て行くことへの詫び。

 怪我の治療費と杖はいつか必ず返す約束などを綴ると、手紙を客間のベッドへそっと置く。


 キャスケットを目深に被り、小さなトランクを抱える。杖をつきながら、こっそりとマクレガー家から出て行く。

 まだ暗闇が支配する午前四時過ぎ。始発の汽車に乗るべく駅へ向かった。

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