第12話 籠の鳥⑤
(1)
「いたぞ!あそこの二人だ!!」
突然の叫び声に振り返れば、フロックコート姿の男たちが二人を取り囲むように駆け寄ってくる。ミランダは男たちの顔を確認すると身を強張らせた。
そう、男達は、ダドリーの命令で酒場で暴れ回った彼の取り巻きだった。
リカルドの腕にきつくしがみつく。 リカルドも彼らが何者か瞬時に理解したようだ。
「……ミラ、走るよ。邪魔になりそうなら、トランクは捨てていいから」
ミランダだけに聞こえる小声でリカルドに告られるやいなや、彼に手を引かれながら一気に駆け出す。
「待て!!」
当然男たちも二人の後を追ってくる。が、二人の方がわずかに足が速かった。追いつきそうで追いつけない。
聖なる夜に、暗闇の木々の間、一組の男女を身なりの良い男数人で追い回す様は異様な光景だ。屋台の店主や客たちは何事か、と、彼らを遠巻きに眺めるしかない。
「ミラ!広場から早く出よう!遊歩道に入れば、人ごみに紛れて奴らを振り切れる!!それまで頑張って走ろう!!」
「わかった!!」
とにかく、広場を無事に抜けさえすれば――、リカルドと共に無我夢中で走り続けるミランダだったが、ふと、ある疑問を抱く。
確か
たまたま今回は四人集まっただけなのか。それとも――
背筋に怖気が走る。
最後の一人がどこかに潜んでいて、突如として目の前に現れでもしたら。
だめだ。最悪の事態を想定して怖がっていてはいけない。
恐ろしい想像を断とうと、走りながら首を横に振りかけたその時。
二人の前を、細長く黒い影が立ち塞がった。
リカルドはその黒い影を避けようと更に走る速度を上げた。けれど、それは虚しい努力に終わった。
黒い影がリカルドに力一杯体当たりを仕掛け、避けきれなかった二人は諸共に転倒。固く冷たい地面へ、その身が投げ出された。
黒い影――、他の男たちと同じくフロックコート姿の最後の一人は起き上がろうとするリカルドを突き飛ばし、再び地面へと転がした。
「やめて!!」
ミランダは男を止めようと起き上がったが、時すでに遅し。残りの男たちも二人に追いついていたのだ。ミランダは立ち上がると同時に男たちの一人に羽交い絞めにされてしまう。
成す術もなく、残る四人が地面に蹲るリカルドに暴行を加える様を、泣き叫びながら眺めるより他がない。血に塗れていくリカルドの顔、苦しげな呻き声。ミランダの叫び声に悲壮感が増していく。
「彼は何も悪くない!!悪いのはダドリーを裏切った私!!彼じゃなくて、私を殴るなり蹴るなり、犯すなりすればいいじゃないっっっ!!!!」
「……ミラ!……何を、言って、るんだ!!……」
「まだ口を利けるだけの余裕が残っているのか!」
殴られながらも、ミランダを窘めるようにリカルドは力なく呟くが、すかさず顔を蹴飛ばされてしまう。
「お願い……。私のことはいくらでも好きにしていいから。これ以上彼を傷つけないで……」
「無理な話だ。ダドリー様からは『男には何をしても構わないが、女は拘束する以外、一切手出しをするな』と命じられている」
事務的に答える男を憎々しげに睨むも、却って冷静さを取り戻したミランダはある疑問をぶつける。
「ねぇ……、何で、私達の居場所が分かったの……」
男は相変わらず無表情のまま、機械的に答える。
「ダドリー様曰く『この街で私に逆らえる者など誰もいない。金を出しさえすれば誰もが全て思い通りだ』とのこと」
「どういうことよ……」
「あんたとあの男の動向は、ダドリー様が雇った裏稼業の人間によって常に見張られていた。つまり、あんたたちが出会い、お互いに惹かれ合ったことまでダドリー様には全て筒抜けだったって訳さ。夢を見させるだけ見させ、一気に絶望の底へ叩き落とす。それがあの方を裏切ったことへの最大の罰だそうだ」
「…………」
自分なんかと関わらなければ。
リカルドは今こうしてダドリーの取り巻きたちから暴行を受けることはなかった。自分と出会わなければ。
すぐ目の前では、男たちの一人がギターケースを使ってリカルドを殴り始めている。
あれは人を殴るためのものじゃない。
辛いことや苦しいことをほんの一瞬でも忘れさせてくれる、心地良い音色を引き出すため、ちょっとした幸福感を味わわせてくれるものなのに。
「もういいでしょ!!これ以上彼を殴るのはやめてよ!!」
必死で泣き叫ぶミランダを嘲るように、男たちは振り向いて下卑た笑いを彼女に向ける。すると、ミランダを拘束する男の口から、耳を疑う発言が飛び出した。
「ケースの中身で殴ってやったらどうだ?」
男たちはにたり、一様に嫌な笑みを口元に浮かべ、ケースからギターを取り出すと。地面に倒れ込んだまま、すでに身動きできなくなったリカルドへ、それを力いっぱい振り下ろした。
その瞬間、ミランダの意識は遠退き、目の前が暗転していった。
(2)
丸一日以上意識を失ったまま、ベッドに横たわるミランダを、ダドリーは黙って見つめる。
永遠の眠りの呪いに掛かった茨姫のように、ずっと眠り続けるミランダの顔は泣き膨れて腫れ上がり、本来の美しさがすっかり損なわれていた。
あの後――、引き続きリカルドを暴行し続ける仲間を置いて、ミランダを拘束していた男は気絶した彼女を抱えてスウィートヘヴンへ送り届けた。そして、ダドリーの元へ駆けつけ、事の顛末を彼に報せたのだった。
本来ならば、脱走を謀った娼婦は罰として拷問を店の者から受ける。だが、ダドリーがマダムや店主と交渉し、今回に限っては免除されることとなった。
マダムからは『ダドリー様はミランダに甘い』と言った旨の発言をされたが、むしろ拷問にかけられて死んだ方がよほど楽だったかもしれない。
恋人との仲を引き裂かれただけでなく、自分のせいで恋人の命が奪われたかもしれない苦しみを、彼女は一生背負わされるのだから。
リカルドとかいう男が本当に死んだかどうか、ダドリーには一切分からなければ知る由もない。
ただ、後に残った四名の男達の報告によると『瀕死状態になるまで暴行した末に広場の隅へ捨て置いてきた』らしい。
真冬の寒空の下、何時間も気絶した状態のままなら凍死する可能性が高い。
つくづく愚かな男である。
一介の娼婦のために、その身を犠牲にするとは。
心中で、顔すら知らないリカルドを嘲ると、ダドリーは再びミランダの寝顔に視線を戻す。
冴え凍るコバルトブルーはミランダを見つめているようで、ある女の姿を重ね合わせていた。
その女と出会ったのは約四年前――、ダドリーが国有数の名門大学を卒業し、家を継ぐべく王都からこの街へ戻った頃だった。
上質な金糸を思わせるプラチナブロンド、やや吊り上がったアイスブルーの大きな猫目が特徴的な美貌を持つその女を初めて見た時、まるで高級な猫のようだと人知れず見惚れたものだ。
しかし、その女とダドリーはお互いに接点を持つことすら許されない存在であった。貴族のダドリーと、下働きのメイドでは住む世界が違い過ぎた。
ダドリー自身も一瞬は見惚れたものの、卑しい下層の使用人風情に劣情を抱くなど、とすぐに思い直そうとした――、が。
ダドリーの視線に気づいた女は周りの目を盗み、彼にそっと微笑みかけてきたのだ。
使用人が屋敷の主人に笑いかけるなど、不遜極まりない行為。にも関わらず、今度こそダドリーは彼女から目が離せなくなってしまった。
女が向けた笑顔はある種の誘いかけをする妖艶さを湛えていた。若かりしダドリーがその妖しげな女に魅了されてしまったのは言うまでもない。
程なくして、その女とダドリーは人知れず屋敷で逢瀬を繰り返すようになっていた。
今にして思えば、その女に対する感情は愛情や恋慕などという美しいものではなかった。情欲や征服欲といった、どろどろとした泥濘のような、屈折した醜い感情に取り憑かれていたとしか思えない。
その女は表面上はダドリーに従っているように見せ掛けてはいたが、彼を掌で転がしては上流の若者との火遊びを愉しんでいるのが見受けられた。そんな彼女を何としても屈服させてやりたいと、ダドリーは躍起になっていた。女がダドリーに完全に屈する日は遂には訪れなかったけれど。
父に女との関係が見つかった――だけでなく、屋敷に頻繁に訪れていた成金の男が女を見初め、彼の愛人となるべく女は屋敷から出て行ってしまったのだ。
他の誰もが自分にひれ伏し必死で媚び諂う中、その女だけは一度たりともダドリーに屈しなかった。そのことが彼の、誰よりも高い自尊心を大いに傷つけたのだ。
そして、今、眠り姫と化しているこの娼婦――、ミランダも、その女同様いつまで経っても自分に屈しようとしなかったし、平然と裏切ろうとさえした。
一度ならず、二度までも、しかも下層の女に虚仮にされるとは。
思えば、その女――、確かエマという女とミランダは面差しもよく似ている、と、今になってようやく共通点が見えてきた。
ダドリーはほんの僅かに眉間に皺を寄せ、不快げに軽く溜め息を吐きだす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます