第28話 星屑が齎すは希望の光①

 (1) 


 スターが居候し始め、二カ月が過ぎようとしている。

 季節は長く厳しい冬が終わりを告げ、穏やかな春がそろりそろりと控えめな足音を立て、少しずつ近づきつつあった──




 スターは四つん這いで床に膝をつき、懸命に掃除をしていた。居間と廊下は先程磨き終わった。残るは玄関周りのみ。

 水を張った掃除桶にブラシを突っ込む。まだまだ寒さが残る初春の時期において、水仕事はなかなか厳しい仕事。だからと言って適当に済まそうとすれば、たちまちミランダからこっぴどく叱られてしまう。


 桶のふちに濡らしたブラシの刷毛を押し付け、余分な水分を取り除く。丁寧に、腕に力を入れてゴシゴシと磨いていく。玄関の端から真ん中、真ん中から反対側の端へ。

 汚れの見落としがないよう、隅々まで目を配らせながら。


「頑張ってるじゃない」


 玄関の扉が開く。箒とちりとりを手にしたミランダがスターの背中に呼びかける。家周りの掃き掃除を終え、中へ戻ってきたのだ。


 ミランダはスターが床掃除を行う姿を無言でじっと眺める。手を動かしつつ、スターの背中に緊張が走った。

 この二カ月、ミランダから家事に関する注意を散々受け続けた名残で、注意されなくなった今でもつい身構えてしまう。


「ミランダ。終わったよ」


 ブラシと桶をそれぞれの手に持ち、スターはミランダに確認を促す。

 ミランダは丹念に磨かれ、光沢すら放つ茶色い床板に目をうんと凝らして目視する。スターは大きな身体を竦ませ、ミランダの返事を静かに待つ。


「うん、とっても綺麗に磨かれてる。ありがとう」


 ミランダからこ褒め言葉に、スターは安心し、ほーっと息を吐き出す。


「さ、リカルドもそろそろ出先から帰ってくる頃だし、お茶でも淹れて休憩しよっか」

「やったー!!」


 スターは桶とブラシを持ったまま、両手を上げて喜んでみせた。大柄な身体に反し、年相応の少女らしい無邪気な反応が微笑ましく、ミランダは目を細め、表情を和らげた。


 この家に来た当初、スターは掃除一つろくにこなせなかった。

 ちょっと注意をするだけですぐに不貞腐れて手伝いを放り出してしまったり、「うるせぇ、クソばばぁ」と怒って反抗したり。

 時にはミランダと激しい口ゲンカを繰り広げることも。


 それでもミランダは決して匙を投げようとせず、根気にスターと向き合った。

 次第に二人は打ち解け始め、今では本当の母娘みたいな関係に変わりつつあった。


「スター、また髪がくしゃくしゃだよ」


 片付けを終いたスターの髪に、ミランダは手を伸ばしてそっと触れる。

 スターの髪はミランダと同じプラチナブロンドだが、癖のない真っ直ぐなミランダの髪とは違い、スターのは癖の強い縮れ毛。櫛でよく梳かさないとすぐに広がってしまう。


「髪を梳いてあげる。寝室においで」


 ミランダはスターを手招きし、寝室へ。

 寝室の鏡台へと座らせ、ごわごわした硬い髪を強く引っ張らないよう、注意しながら櫛で優しく整えていく。

 広がり放題だったスターの髪は、櫛で梳かれる度少しずつ収まっていった。


 スターの髪を梳かしつけていると、ミランダはあることをふと思いつく。

 琥珀色の大きな瞳を輝かせ、鏡越しにスターへといたずらっぽく微笑む。


「せっかくだから、ちょっと遊んでみてもいい?」

「へ?」


 スターの後頭部のちょうど真ん中ら辺で後ろ髪を左右に分ける。

 左側に流した髪の表面を三つの毛束に分け、三つ編みを作る要領で一回編み込む。

 編み込んでいない残りの髪を使い、三つ編み部分に付け足していくように、更に細かく編み込んでいく。

 左側が終わると、今度は右側も同じように編み込んでいく。


 スターはミランダの器用な手先を物珍しそうにずっと眺めていた。けれど、きっちりと髪を編み込まれた自分を鏡で確認するなり、気恥ずかしさに目線を泳がせる。

 ミランダは俯くスターの肩を優しく撫で、鏡を見るよう促す。


「三つ編みでもいいかな、って思ったけど、やっぱり編み込みの方が垢抜けて見えるかも。よく似合ってる」

「なんか……、自分じゃないみたい。ねぇ、ミランダ、これどうやってやればいい?教えてよ」


 編み込みのお下げを両手でつまむスターに、「いいよ。早速今夜にでも、編み込みの作り方を教えてあげる」と、快諾する。


「本当!?やったね」

「いーえ、どういたしまして」


 頬や鼻の周りに散った雀斑といい、あどけなさが残る顔立ちといい、無理して大人ぶるよりこういう素朴な雰囲気の方がスターには似合う。

 スターのはにかんだ笑顔を前に、とても穏やかな気分にミランダが浸っていると。


「ただいまー、ミラ、スター、どこにいるんだい?」


 いつの間にか帰って来たらしいリカルドの、二人を呼ぶ声が廊下に響く


「さっ、リカルドも帰ってきたし、私たちも居間に行くよ」


 ミランダはスターの肩をポンと軽く叩き、椅子から立ち上がらせると、二人で寝室を後にした。






 (2) 


 居間のテーブルをミランダとスター、リカルドとで囲み、お茶を飲む。


「そう言えば……、パン屋のラドクリフさんが、店番や屋台を開く時の売り子を頼める人を探してるって言っててね。スターのことを話したら、ぜひうちの店で働いて欲しい、ってさ」


 リカルドの話にミランダとスターはお茶を飲む手を止め、彼を注視する。

 次に発する言葉を待ちかまえる二人に、リカルドはやや気まずそうに一瞬目を泳がせる。


「ただ……、住み込みで若い女の子を雇うのは家族もいるし、ちょっと無理なんだって……」


 またか。ミランダとスターは揃って肩をがくりと落とす。


 この国の法律では、十五歳未満の子供は賃貸住宅を借りて住むことが禁じられている。まだ十三歳のスターがこの家を出て働くには、住み込みの仕事をする以外、方法がない。


「住み込みの仕事となると……、リチャーズ侯爵様の屋敷で使用人を募集している話もあるけど……。スターの場合、お屋敷奉公よりも小さなお店でコツコツ働く方が合っているんじゃないかと僕は思うんだよね……」


 まだようやく家事を一通りこなせるようになったばかりなのに加え、言葉遣いが悪く、短気で突っかかりやすいスターでは、由緒正しい貴族の屋敷で働くのは少々荷が重い。


 探せばいくらでも仕事は見つかるーー、などと言ってはみたものの、実際はそう簡単に事は運ばない。スター以上にミランダとリカルドにとって悩みの種であった。


「あのさ、ミラ……」


 リカルドが、歯の奥にものが詰まったかのようにもごもごと口ごもりながら、ミランダにこう切り出した。


「いっそのこと、スターが十五歳になるまでうちで彼女の面倒を見続けない?もちろん、働いてもらう前提にだけど」


 ミランダは表情を強張らせて黙りこむ。かまわず、リカルドは更に続ける。


「これはスターのためでもあるけど……、ミラのためでもあるんだ」

「私のため?」


 怪訝そうに眉根を寄せ、ミランダはリカルドをまじまじと見返す。


「だって、スターが家に来てから、ミラはお酒を一滴も口にしてないよね?それどころか、お酒のこと自体忘れてるよね??」

「……あっ……」


 言われてみれば、この二カ月、ミランダは酒についてほとんど考えることなく、いや、考えることすらも忘れてしまっていた。

 もしかしたら、子に恵まれず行き場を失くした母性をスターに注ぐことで、長い間渇いていた心が徐々に満たされていた、かもしれない。


 スターを救ったようで、実はミランダの方が救われていた?


 リカルドから、彼の隣に座るスターに目線を移す。

 どことなく重苦しい空気だというのに、スターはビスケットを口一杯に詰め込み、モグモグと咀嚼を繰り返していた。呑気なスターの姿にミランダは拍子抜け、盛大に噴き出した。


「……な、なんだよ!」


 笑われるなんて心外だと、顔を赤くして怒るスターをよそに、ミランダは尚もクスクスと笑う。


「そうねぇ、すぐムキになって怒るようじゃ何かと心配だし、せめて十五歳までは様子見してあげようかしら」

「じゃあ、決まりだね。スター、明日にでもラドクリフさんのお店に一緒に行ってみようか」


 ミランダが出した結論に安心したのか。先程とは打って変わり、リカルドもにこにこと満面の笑顔を浮かべた。


「え、別にいいよ。そのラドクリフさんって人の店の場所を教えてくれれば、アタシ、一人で行く。『自分のことはできるだけ自分でやりなさい』ってミランダにいつも言われてるしさ」

「そっか。スターがそう言うなら君に任せる。粗相のないようにだけはよく気をつけるんだよ」

「はーい」

「返事は『はーい』じゃなくて、『はい』でしょ」



 今後もこの生意気娘には悩まされることがあるかもしれない。

 スターの横顔を見つめながら、今から覚悟を決めるミランダであった。

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