第29話 星屑が齎すは希望の光②

 (1)


  二年という月日は瞬く間に流れていく。

 十五歳になったスターは、独り立ちする日を間もなく迎えようとしていた。


「いらっしゃい」


 店頭のショーケースに焼き立てのパンを並べていたスターが、客が訪れた気配を感じて、振り返る。


「あっ、ポール。久しぶり」

「やぁ、スター。元気だった?」


 ポールと呼ばれた、スターとさほど年が変わらなさそうな少年は親しげな様子でスターに話しかけた。この店の常連らしいポールに話し掛けられ、スターも他の客に向けるよりいくらか華やいだ笑顔で応対する。


「いつもので良かった?それとも、別のものにする?」

「うーん、値段によりけりかなぁ?でもなぁ……、今回もいつものでいいや」


 スターは焼き立てのホワイトブレッド食パンを一斤、手際良く紙袋に包み、彼に受け渡す。


「ありがとう」


 代金を手渡しながら、ポールはスターに笑顔を向けた。スターは早鐘を打つ胸の音にに気づかない振りをし、平静を取り繕う。スターはポールの爽やかな笑顔になぜか弱い。


 ポールが店から去った後、スターは引き続きパンを店頭に並べながらしばし物思いに耽る。ただし、それはポールについてではなかった。


 一か月前、スターが十五歳の誕生日を迎えると、リカルドとミランダは彼女が一人で暮らす為のアパートを探し始めた。すると、すぐにリカルドの知人から女性専用のアパートを紹介され、あれよあれよとそこに住むことが決定してしまったのだ。


 思いがけず住居が早く決まった。

 二人の協力の元、そのアパートで暮らす準備が着々と進んでいく。気づけば、あの家で過ごす時間が今日で最後となっていた。


 どうせなら、あの家で暮らす最後の日は安息日にすれば良かった。

 パンを一通り並べ終わると、店の奥にいる店主に聞こえないよう、スターは小さく溜め息をつく。


 天涯孤独の上に、無知で軽薄な不良娘だった自分に世間の常識や家事など、一人でも生きていける術を教えてくれた。

『母親になる気なんかない』と言いつつも、実の娘のように時に厳しく、時に愛情深く接してくれた。

 だからこそ、スターには二人と離れるのが寂しいという気持ち以上に、どうしても気掛かりに感じていることがあった。


 自分が家から出て行ったら、ミランダのアルコール依存が再発しないだろうか。


 スターが二人の元で暮らしていた二年間、ミランダは一滴も酒を口にしていない。

 だが、それはスターを一人前の娘に育て上げるという目標に奮起していたからであり、その目標は今日限りでひと段落ついてしまう。目標を失い、抜け殻状態となったミランダが、寂しさを埋める為に再び酒に手を出してしまう可能性は充分あり得る。


 そうなってしまわないようにと、スターはミランダにどうしても伝えたいことがあった。


 ミランダの性格上もしかしたら、「何を甘えたこと言ってるの」と厳しく叱責してくるかもしれない。

 けれど、自分の嘘偽りない、正直な気持ちを知ってもらうだけでも、ミランダにとっての救いになれば。酒を飲みたくなった時の歯止めとなれば。


 ミランダがアルコール依存症を完全に克服できれば、リカルドもずっと抱え続けている肩の荷を、ようやく降ろすことができる。

 スターだって、死が二人を分かつ時まで、二人にはいつまでも仲良く暮らしていて欲しいのだ。


 二人は最早スターにとって、実の両親以上にかけがえのない大切な存在へと変化していた。






 (2)


 閉店間際に相次いで客が訪れたた、めスターが帰宅する頃には日がとっぷりと暮れ、空一面には暗闇が降り立ち始めていた。


「ただいまー」


 いつものように大きな声で帰宅を知らせ、二人がいるであろう居間へ向かう。台所から漂う夕餉の匂いが鼻先を掠める。


「お帰り」


 いつものように、ミランダとリカルドもスターを迎える。


「ひょっとしてまたシェパーズパイ?!」

「またって何よ。贅沢言わないの」


 いつものように夕食の内容に文句を言えば、ミランダがぴしゃりと叱りつける。そのやり取りを、苦笑しつつもリカルドが黙って眺めている。


 いつもと変わらない、何気ない日常の光景。でも、これも今日で最後。


 考え出すと気分が落ち込むばかりなので、スターはいつもと同じように、いや、いつも以上におどけた態度をしてみせ、その都度ミランダから注意される。


「……まったく、いつまで経っても子供なんだから。こんな調子で本当に明日から一人で暮らしていけるのかしらね」


 いつになくふざけまくるスターに、ミランダはすっかり呆れ果てている。


「えぇー、別にいいじゃない。アタシ、ずっとミランダとリカルドの子供でいたいもん」


 スターのこの言葉を聞いたミランダとリカルドは、すぐさま彼女を凝視した。二人とも、心なしか表情が強張っている、気がする。

 二人の様子に一瞬たじろいだものの、先程とは打って変わり、スターは真剣な面持ちで二人を見据えた。


「アタシにとって、ミランダとリカルドは父ちゃんと母ちゃん同然だって勝手に思ってるから……!明日からはこの家には帰らないけど……、それでも……、これからも二人の子供でいさせて欲しいんだよ……!!」


 スターがずっと伝えたかった言葉を二人に告げると、つぶらなマリンブルーの瞳から大粒の涙をボロボロと零れてくる。普段は強気なスターが初めて見せた涙にミランダとリカルドに動揺が走る。

 二人は慌てて席を立つと、泣きじゃくるスターを囲むようにして寄り添い、二人がかりで彼女の背中を撫でさすった。


「スター、私たちにとってもあんたは家族同然なの。『母親になんかなるつもりはない』と言ったのは、まずは自分の足をしっかりと地につけた生き方を学ばせたくて、あえてそう言っただけ。だからね、あんたが一人で暮らすようになったこの先も、何かあったら、ううん、何もなくても、いつでもいいから家に遊びに来てくれればいいんだよ」

「……へ?……」


 ミランダの言葉が思いがけなくて、スターは目を丸くして彼女を見つめる。


「もしかして……、明日から僕たちとは二度と会ってはいけない、とでも思っていた?」

「え……、だって……。独り立ちしたら、もう二人とは関わっちゃいけないのかもって……、思って……」

「バカね、そんな訳ないじゃない。そりゃあ、独り立ちした以上ある程度のことは自分でやって欲しいけど、私達に会いに来るくらい全然かまわないのに」


 やれやれ、相変わらず困った子、と言いたげに、ミランダは微苦笑する。

 スターは妙な思い込みをしていた自分に恥ずかしくなり、憮然と顏を俯かせた。


「ほらほら、そんな顏しちゃいけないよ?そうやって、すぐに不貞腐れるのは君の悪い癖だよ」

「何度も言うけど、本当に明日から大丈夫かしら?」


 子供っぽい仕草を口々に窘める二人に、「……あー!もう!うるさいなぁ!!ちゃんと一人暮らししてみせるから、そう心配なんかするなよ!!」と、スターは鬱陶しそうに叫び散らす。


「じゃあさ、安息日はこの家に遊びに行こうかな。ミランダが酒飲んだりしてないか、じっくり調べてやるんだから」

「言ったね?それじゃ、家中くまなく調べつくしても酒瓶が見つからなかった時の、スターの口惜しがる顔を見るために、絶対お酒を飲まないようにするから」

「うっわ、何それ?!ひっど!!そこまで言うんなら、きっちり約束守ってもらおっと」


 涙で顔をくしゃくしゃにさせて泣き笑いしながら、この様子なら自分が心配しなくともきっと二人は大丈夫。


 そう確信したスターはこっそりと胸を撫で下ろした。

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