第31話 過去との対峙②

(1)


  十二月某日・朝ーー


  ダドリーは屋敷内の自室にて目覚めの紅茶を飲みながら、使用人がアイロン掛けを行った新聞に目を通している。


 彼は国内だけでなく、諸外国からも新聞を幾つか取り寄せている。その総数は十種類以上に及ぶ。アイロン掛けをする者は朝早くからご苦労なことだ。

 ダドリーは非常に速読な質のため、一時間と経たずに全ての新聞を読了してしまう。流し読みなどではなく、しっかりと記事の中身を理解し、頭に叩き込んでいる。


 最後に残った新聞を読み終えると、ダドリーは丁寧に畳み、ベッド脇のテーブルに投げ置いた。

 それが合図だったと言わんばかりに、彼の傍らに控えていた従僕が寝間着から礼服への着替えを手伝い始める。別に着替えくらい一人でも充分行えるが、使用人に着替えを手伝わせるのが上流階級の慣わしだからだ。


 着替えを終えると、ダドリーは家族と共に朝食を摂るため、食堂へと向かう。

 深みのある赤で統一された壁紙、天井の中央には豪奢な巨大シャンデリア。

 シャンデリアの灯りはやや明度が暗く、程良く落ち着いた雰囲気の光を放ち、部屋全体を優しく照らす。おかげで、通常ならくどく見えがちな赤い壁は暖かな印象を与え、厳しい冬の寒さを気分的に和らげてくれる。

 もちろん、食堂の最奥に設置され、冬の間は常に火を絶やすことのない大きな暖炉の功績も大きい。三十帖に及ぶ広さにも関わらず、部屋の中は充分に暖かい。


 その暖炉の手前、真っ白なテーブルクロスが敷かれた長テーブルの最奥左側ーー、上座の席が家長であるダドリーの席だ。向かい側には妻のデメトリア、自分の隣には十八歳の長男アルフォンス、それ以降は他の子供達が年の順に着席し、静かに朝食を口に運んでいる。


 やがて朝食を終えてそれぞれが自室に戻る中、彼らに倣うようにダドリーも席を立とうとした時、六歳の末娘エミリアが彼の膝元にすり寄ってきた。

 この末娘は四十過ぎてから儲けたこと、子供たちの中で唯一ダドリーの外見的特徴である、銀髪とコバルトブルーの瞳、美しい顔立ちを完璧なまでに引き継いでいた。そのため、ダドリーから随分と可愛がられている。


「おとうさま、今日もおしごと?」


 エミリアはダドリーに甘えるように彼の膝に両手をつき、全身をもたれかけさせてくる。


「あぁ、そうだ」

「今日はおやすみなのにぃ?」

「たしかに今日は安息日だが、毎年この日には大事な仕事があるのだ」


 するとエミリアはダドリーの膝から小さな身体を離し、代わりに彼の上着の裾を掴んで強く引っ張った。


「どんなおしごと?エミリアもつれていって?」

「今は駄目だ。もっと大きくなってから連れて行く」

「えぇー?!」


 エミリアはダドリーの上着の裾を更に強く引っ張り、頬をプクッと膨らませた。


「そんなの駄目に決まってるじゃないか!僕だって連れて行って貰えないのに、僕より小さいお前なんかもっと無理に決まってるだろ!!」


 不満がありありと込められた声の方向へ目を向ける。サンディブロンドの髪にハシバミ色の瞳をした、妻とよく似た男の子ーー、八歳の四男ドミニクが不機嫌な顔で少し離れた場所からエミリアを咎める。


「なによぉ、ドミニクにいさまのいじわるぅっっ!!」


 エミリアはダドリーの上着から手を放すと、憤然と兄の元へと駆け出していく。幼い兄妹喧嘩が始まってしまった。


「ドミニク、エミリア。朝から騒々しい。くだらないことでいちいち喧嘩などするな」


 淡々と冷たい口調かつ、言い知れぬ威圧感が含まれたダドリーの叱責。子供ながらにそれを感じ取った二人はすぐに喧嘩を止め、代わりにしょぼんと頭を項垂れてみせる。


「ドミニク、エミリア。お父様のお邪魔をしてはいけないでしょ??お父様、申し訳ありませんでした。さっ、二人共、私がお部屋で遊んであげるから一緒についてきなさい」


 幼い弟妹が大きな声で言い合うのが聴こえたのか。

 サンディブロンドの長い髪にハシバミ色の瞳、ダドリーとよく似た美しい顔立ちをした、十三歳の長女ヴィクトリアが慌てて食堂へ駆け込んでくる。

 そして、しきりにダドリーに謝りながら、ドミニクとエミリアを食堂から連れ出していく。


 子供たちによる賑わしさからようやく解放されると、ダドリーは傍らに控えていた従僕を呼びつけると。上着についてしまった皺を伸ばすよう命じた。

 従僕は無言でダドリーの上着を脱がし、早急にハウスメイドの元まで持って行く。


「お父様。まだ食堂にいらしていたのですか」


 従僕と入れ替わるように食堂に入ってきたのは、先程自室に戻ったはずの長男アルフォンスだった。


「エミリアとドミニクに掴まっていた」

「またですか……」


 アルフォンスはさも呆れていると言いたげに、冷たくも美しい顔立ちを僅かに歪めた。彼は髪の色こそ母親譲りのサンディブロンドだが、瞳の色と顔立ちは父親と全く同じであった。


「お前はもう支度が済んだか?」

「えぇ。お父様と共に初めて公務に出席できるのですから、少し気合いが入っているのです」


 従僕に渡した礼服の上着が戻ってくるまで待機せざるを得ないダドリーに対し、アルフォンスは礼服のみならず防寒用のオーバーコートまでしっかり纏っている。


「公務と言っても大したものではない。ただ、お前にもそろそろ次期当主としての役目を少しずつ果たしていって欲しいだけだ」


 大したものではない、などと素っ気なく言い捨ててはいるが、三年前から毎年この日に行う行事はダドリーにとって、いや、この街にとって、決して忘れてはならない後世にまで引き継ぐべきものであった。


「あの事件から早四年が過ぎようとしているのですね」

「そうだな」

「僕は、あの時、お父様が咄嗟に取った行動には深い畏敬の念を抱いています」

「…………」


 先程とは打って変わり、アルフォンスはコバルトブルーの瞳に強い尊敬の念を込めた眼差しをダドリーに送りつける。


 だが、あえて口には出さないものの、四年前に起きた忌まわしい事件について、ダドリーの中には非常に苦い思いとして残されていた。

 たとえ、己の的確な判断で犠牲者数が予想を遥かに下回る数だったとしても、多数の犠牲者が出てしまったことには変わりない。


「お父様?」


 知らず知らずの内、ダドリーの眉間に深い皺が刻まれていたようだ。

 不審に思ったアルフォンスが問い掛けようとしたのと同時に、ダドリーの上着を持って来た従僕が再び姿を現した。そのため、この話題は自然と流れ、立ち消えとなった。






(2)


 この街の経済を発展させるべく三年もの月日を費やし、ようやく完成させた巨大商業施設・クリスタルパレスが開園したのは四年半前だった。


 温室を参考に、全面ガラス張りで作られた施設内には植物園が開かれ、他の街や国からの美術品や工業機械なども展示。後に、舞台観劇ができるよう劇場まで増設されていた。


 施設の外には大観覧車や移動遊園地、数々の屋台が設置され、身分や老若男女関係なく楽しめる、夢のプレシャスガーデンとして連日満員御礼状態だった。


 しかし、クリスタルパレスの繁栄はその半年後、突如として終わりを告げる。


 ちょうど四年前、ダドリーが長年頭を悩ませていた犯罪組織クロムウェル党の一味によってクリスタルパレスに火を放たれ、夢のプレシャスガーデンは跡形もなく崩れ去り。

 死者五十名以上に上る悲劇の場所へと成り代わってしまったのだ。



 被害者の遺族や展示品への賠償金の総額は、ファインズ家の資産で持ってしても厳しいものだったが、事件時クリスタルパレスに居合わせたダドリーの行動を目撃した王族関係者が女王に進言。女王直々に各街の王侯貴族達にこの街の復興支援を呼び掛けてくれたのだ。


 各街からの多額の寄付金のお蔭で(純粋な慈善の思いの者もいれば、女王への覚えを目出度くしたいが為、もしくはダドリーに恩を着せる為など、様々な思惑が交錯してはいたが)、賠償金の支払いも完了し、予定よりも随分早くこの街は復興した。

 しかし、周囲から援助を受けなければならなかった事態に陥ったことが、ダドリーの天よりも高い自尊心を大いに傷つけた。


 クロムウェル党員がクリスタルパレスに火を放つ計画を予見できなかったこと、多くの犠牲を出してしまったことを遺憾に思っていた所に、彼が最も嫌う憐憫の情を大勢の者からかけられたのだ。それらを甘んじて受け入れざるを得ない、窮地に陥った己が何よりも憎くて堪らない。


 己への戒めも兼ね、ダドリーはクリスタルパレスの跡地に慰霊碑を建立。

 翌年から事件が起きた日に毎年慰霊の儀を行っている。


 そして、今日は三回目の慰霊の儀を行う日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る