第2話 それは降って湧いた幸運か否か①

(1)


 この街の歓楽街には公認非公認含め、多くの娼館及び売春宿が存在する。

 その中に置いても、スウィートヘヴンは高級娼館としての格自体は中の上ながら、在籍する娼婦の質は良く、上流階級の人々も隠れて足繁く通い詰める人気店だった。




「……あ、あんた……。なかなか良かったよぅ……」 

「そーお?どういたしましてー」


 ひと仕事終え、後ろ手でビスチェの編み上げを結ぶミランダの背中に、ベッドからの掠れた声が届く。 一瞬手を止め、ベッドを振り返る。未だ半裸で寝そべったまま、放心状態の客へとにこっと愛らしく微笑む。

 アーモンド型の大きな瞳は笑った途端、愛嬌が更に増す。子猫が甘えるような表情に男は見惚れ、たちまち顔を真っ赤にさせる。


 この男、女に免疫なさすぎ。事後でもこの反応って……。

 いい歳した男に生娘じみた反応されてもちっともかわいくもなんともないんだから。どちらかといえば、気持ち悪……。


 愛くるしい笑顔の裏で散々毒づき、乱れた髪を櫛で丁寧に梳き直す。櫛に流れる、癖のないプラチナブロンドの長い髪はミランダの自慢だ。

 髪を梳き終わり、下着の上にガウンのみ羽織ったミランダを、いつの間にか服を着ていた男が呆けた様子で眺めている。人の行動を逐一観察しているなんて……、と、益々嫌悪感は募ったが、絶対に表には出したりしない。冴えない中年男はこう見えて寄宿学校の教師。そこそこの上客なので手放したくはない。


「名残惜しいけど、もう時間よ。あなたと会えて嬉しかったわぁ。また遊びましょう」


 完璧な作り笑顔で部屋を出るよう促す。そして、自分も玄関まで男を見送るために共に部屋を出ていく。

 男を店の玄関先まで出て見送った後、周りに誰もいないことを確かめ、すぐさまミランダは煙草を咥え、火を点けた。


「ミランダ、店先で煙草を吸うのは止めなさいと何回言えば分かるの?まだ次の客が貴女を待っている。しかも二人もね。煙草なんか吸ってないで、さっさと身体を拭いて身支度して頂戴」

「……ママ、煙草の一本くらいさ、ゆっくり吸わせてよ」


 背後から飛んできた、品のある穏やかな口調、それでいて冷たさを感じる熟年女性の声に、心底うんざりする。蓮っ葉な物言いで口答えするも、ママ、もとい、この娼館の主であるマダムは、つかつかとミランダに近づき、煙草を強引に取り上げる。


「なに、どうしても私が相手しなきゃダメなわけ?私、今夜は三人も相手して疲れてるんだけど」


 尚も反抗するミランダに、マダムは一段と冷たく言い放った。


「駄目に決まっているでしょ。二人とも長い時間貴女を待っているの。一分一秒でも早く相手してあげなきゃ、待ちくたびれて帰ってしまうわ」

「他の娘に代われないの?」

「しかたないでしょう?私だってね、かなり長時間待たせることになる、いつ相手できるかはわからない、って説明したわよ。でもね、二人ともミランダじゃなきゃどうしても嫌だと言うから……。上客じゃなきゃ、また日を改めてくれと断ってるわ」


 マダムは、『客にはあらかじめ断りを入れた。その上で、貴女に仕事をしろと言っているの』という旨を強調させてくる。

 いつもなら、すぐ自分の言い分を正当化して、と鼻白むが、『上客』という言葉にミランダの顔色は変わる。つい数秒前までやる気のなさを全面に出していたのに、一気に大きな琥珀色の猫目が爛々と輝き始める。


「やっとやる気になってくれたかしら」


 やれやれと言いたげに肩を竦めるマダムを無視し、ミランダはいそいそと店内へ戻り、身支度を始めたのだった。







(2)


 一人目の上客は医者だった。

 医者は紳士的な態度を終始崩さず、更に「これは内緒だよ」と部屋代の他にチップまで渡してくれるという(この娼館では本来、客が個人的に娼婦へのチップを渡すことを禁じている)気前の良さに、ミランダは大変気を良くした。同時に、毎回こういう客ばかりであればいいのに、と、心中で深く嘆息する。

 医者が質実共に上客だった分余計に、二人目の上客を相手するのが少し億劫だな、と思いつつ、化粧と服装をすぐに直す。程なくして扉を叩く音が部屋に響いた。


「どうぞ入って頂戴」


 呼びかけた後、少し間を置いてから部屋に入ってきた男の顔を見て、ミランダは思わず「……あっ……」と声を上げそうになった。


 ブロンドを通り越したシルバーに近い髪色、彫像のように完璧に整った顔立ち。何を考えてるか判り難い、冷酷そうなコバルトブルーの瞳。すらりとした長身に高級スーツを身に纏う彼の顔を、この街で知らない人間など誰一人いない。


 彼は――、この街を二百年以上に渡り統治するファインズ男爵家の次期当主、ダドリー・R・ファインズであった。



 ダドリーは、男爵家の跡継ぎとして以上に途方もない道楽者として有名な人物だった。毎晩のように取り巻き達を従えて酒場や賭博場、娼館などに顔を出し、金を湯水のように使い、遊び歩いていた。

 男爵家ではそんな彼の素行に頭を悩ませているようだが、ミランダたちのような歓楽街で生きる者達からすれば最高の上客だ。


 ――これは千載一遇の好機チャンスだわ――



 彼を上手く篭絡できれば、この娼館から出て行くことができるかもしれない。


 希代の放蕩息子だろうと何だろうと、ゆくゆくは爵位を受け継ぐ男。男爵夫人は厳しくとも、愛人くらいなら目指せる可能性だってなきにしもあらず。

 もちろん身分や立場の壁があるし、そう単純に上手くいく訳がないことは理解している。


 まずは今回一度きりにならない。必ず次に繋げてみせる。

 ミランダは初めて客を取らされた時以上に、緊張した面持ちになる。厳密に言えば、初めての時は恐怖心ゆえの緊張、今夜は高揚感による緊張だったが。

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