第17話 星だけが見ていた②

(1) 


 リカルドが意識を取り戻すと、他のマクレガー家の人間も客間へと訪れた。とはいえ、この家にはシャロンの以外ではこの家の女主人であるシャロンの母ことマクレガー夫人、二人の身の回りの世話をする初老の女中、家事を担当する中年の女中、力仕事を任されている下男の四人しかいなかったけれど。


 マクレガー夫人はシャロンとよく似た涼しげな美貌に反し、とても気さくな女性だった。また、息子が連れてきたとはいえ、得体の知れない男の面倒を受け入れるくらい肝も座っている。

 実際にそう伝えてみると「いつも自分のことだけ、他人を顧みないあの子が珍しく人助けをしたからねぇ。できるだけ協力しようかと思ったの」と、随分あっさり返されたのだ。


「シャロンさんに随分と手厳しいですね」


 ベッド脇の丸椅子に腰掛け、息子へ辛辣な物言いをする夫人に、ベッドで半身を起こして思わず苦笑する。


「中流家庭で医学研究者を目指すのは至難の道だし、あの子は誰よりも努力をしているのは親ながら認めます。けどねぇ……、自分に厳しい分、他人への評価も自ずと厳しくて人を見下しがちなのよねぇ。昔は思いやりのあるとても優しい子だったのに。私の育て方が間違っていたのかしら」

「彼もまだ十八ですし、肩肘を張りたい年頃なんですよ」

「だといいけど」

「お母さん。ここにいたのですか。今からちょっと出掛けてきます」


 呼ぶより謗れとは上手く言ったもの。ちょうどシャロンがリカルドたちの部屋へと姿を見せた。

 マクレガー夫人はさも楽しそうにころころと笑い声を立てる。


「あら、噂をすれば何とやら」

「どうせ僕の悪口をリカルドさんに吹き込んでいたのでしょう」


 シャロンは呆れ顔で鼻を鳴らす。見るからに仕立ての良いフロックコート、温かそうな薄いグレーのショールを纏ったシャロンはまるで上流の子息のような佇まい。

 しかし、中背で線の細い体格に加え、やや童顔なのも相まって、彼が無理して大人ぶっているようでどこかちぐはぐだと感じた。


「シャロンさん!」

「何です?」


 退室しかけたシャロンを呼び止めれば、ドアノブを握ったまま、煩わしげにこちらを見返された。リカルドは少しだけ怯みつつ、負けじと話を切り出す。


「ひょっとして歓楽街に出かけるんですか?」


 返事をしかけたシャロンだったが(おそらく「貴方には関係ない」など突き放した言葉かもしれない)、数秒程黙って思案する。


「だとしたら、何です?」

「ずうずうしいお願いになるけど……、僕も一緒に行かせてもらえませんか?」

「駄目に決まってるじゃないですか。リカルドさん。貴方ようやく怪我が快方に向かってきたんですよ?貴方の左足は酷い捻挫だと医者は見立てましたが、僕はもっと症状が重いような気がしています。近いうちに別の医者にもう一度診てもらうので、それまで安静にしてください」


 困惑を隠しきれないマクレガー夫人がリカルドを諭すよりも早く、シャロンがまくし立ててきた。語調は落ち着きつつ一段と冷たい声で。


 たしかにシャロンの言葉は正論である。

 特に、左足の膝を強く蹴られたかしたかで(リカルド自身はよく覚えていない)痛みが酷く、杖なしではしばらく歩けそうにないくらいだ。そんな状態で雑多な歓楽街に出て行くことは身体に負担を掛けるだけ。シャロンにも迷惑をかけてしまう。


 それでもリカルドにはどうしても歓楽街に出向きたい理由があった。


 あのクリスマスの夜からミランダがどうなったのか知りたい。

 彼女に関する情報を何でもいいから掴みたい。


 知ったところで今の自分に出来ることは何もない。嫌と言う程理解している。

 ただ、彼女は無事なのか。それだけは最低限知っておきたかった。


 リカルドはいつになく真剣な眼差しをシャロンに送り、彼の顔に穴があくのではというくらいに強く見つめ続けた。

 シャロンは相変わらず、褪めた瞳でリカルドの視線を避けることなく受け止める。


「……お母さん。リカルドさんに僕の服を貸してあげてください。彼と僕は似たような体格をしていますし、おそらくそれで充分間に合うと思います」

「ありがとう!」


 服を用意する為、夫人が部屋から出て行く。リカルドはベッドからゆっくり抜け出し、深く頭を下げて礼を言う。


「服と一緒に杖も用意させますし、辻馬車を利用します。そうすれば身体への負担も多少は少なくて済むでしょう。ただし、一つだけ忠告があります」


 気のせいか、シャロンのダークブラウンの瞳に冷たさがより一層増したような、気がする。


「貴方にとって、必ずしも有益な情報が得られるとは限りませんよ」


 シャロンの言葉に、リカルドはぎくり、頬をひきつらせる。そんな彼を蔑むように、シャロンはまたもや鼻で軽く笑い飛ばす。


「……何のことかな?」


 リカルドはわざといつものように微笑んでみせるが、その笑顔はどこかきごちないものだった。


「……いえ、今の言葉は忘れて下さい。ひょっとしたら僕の思い違いかもしれませんし」


 折よく、マクレガー夫人が用意した服を抱えて戻ってきたため、二人の会話はここで打ち止めとなった。

 しかし、リカルドの内心ではシャロンが自分やミランダに関する情報を知っているかもしれない、という疑念が晴れなかった。ミランダについて一言もマクレガー家の人々に話していないにも拘わらず。


 すっきりしないまま、リカルドはシャロンと共に辻馬車に乗り込み歓楽街へと向かった。






(2)


 この街の中流以下の建物は概ね二種類に分かれる。

 一つは赤い煉瓦造りの二~四階建てのコテージ風のもの。もう一つは白い石造りのもの。

 赤と白の二色に彩られた街並みは歓楽街も例に漏れず。目当ての店に入るには立て看板をよく確認しなければならない。

 似たような建物の群れの中の一軒。やや小洒落た雰囲気の小さな酒場へ二人は足を踏み入れる。


 店の扉を開ければ、左奥には黒檀製の五角形のカウンター席。真ん中で仕切られた柱を間に挟む形で椅子二脚と、様々な種類のグラスや酒瓶がずらりと並ぶ棚。

 右側にはカウンター席よりやや低めの、白木で作られた八角形のテーブル席には椅子が五脚。更に右奥にはカウンター席と同じ材質の硝子扉付きの酒棚。

 簡素な内装、十名足らずで満席となる手狭さだが、静かに酒を嗜みたい者には打ってつけで隠れ家的な場所だ。


 リカルドとシャロンはカウンター席に座ったものの、特に会話を交わすでもなくお互い黙って酒を飲んでいた。

 ミランダの前では饒舌だったが、かつて彼女に話していたようにリカルドは実はそこまでおしゃべりではない。

 その上で着慣れないスーツを着用していること、シャロンに少なからず苦手意識を抱いていることなどから、どうにも居心地の悪さを感じていた。自分から連れて行けと頼んだ癖に勝手だとは思うけれど。


 体調を考慮してライトエールを注文したリカルドに対し、シャロンは度数の強いスコッチ、しかも氷割りを注文していた。

 若いのに随分と強い酒を飲む、などとぼんやり考えていると、新たな客ーー、若い女性二人組が入店してきた。二人の女性客はリカルドとシャロンの姿に目を留め、意味ありげに目配せし合う。


「ねぇ、お兄さんたちぃ。こっちの席で私達と一緒に飲まない?」

「やぁ、こんな素敵なレディ達にお誘いいただけるなんて光栄の極み。喜んでそちらに参りましょう」


 シャロンが女性たちに向け、これ以上ないくらいさわやかに微笑む。あまりの変わりようにリカルドは少々引いてしまったが、女性たちはシャロンの端正な笑顔に思わずほぅっと見惚れている。


「リカルドさん。貴方も僕と一緒にレディ達と同じ席へ」


 穏やかながら有無を言わさぬ威圧感を含むシャロンの口調に、リカルドは重い腰を上げて席を移動した。その間にもシャロンは女性たちとにこやかに談笑している。

 おそらく、いや間違いなくシャロンは女好きで、女性には好かれやすいが同性には嫌われる質であろうことを、この時リカルドはようやく悟った。


「そうそう、年末から歓楽街でこんな面白い噂が流れているの」


 男女一組ずつに分かれて白木のテーブル席に座り、リカルドは相方の女性の話に適当に相槌を打っていた時である。 

 女性が一段と目を輝かせて話しだした内容に、リカルドは凍りつく。


「男爵様のご子息ダドリー様の囲い者が情夫と共に逃げ出したけど、ダドリー様が差し向けた追っ手によってすぐに捕まってしまったんだって!で、情夫は広場で制裁を受けた末に行方不明なんですって!人の女、それもダドリー様の女に手出すなんてバッカよねぇ?でも、もっとバカなのは囲い者の女だと、わ私は思うわけ!娼館の雇用娼婦らしいけど、逃げ出さなければ行く行くは愛人くらいには納まれたかもしれないのに……、って、大丈夫?顔色悪いわよ?」

「……だ、だいじょうぶ。少し酔いが回っただけ。それよりも話の続きを聞かせてくれないかな?その囲い者の娼婦はどうなったの?」


 心配そうに顔を近づけ、リカルドの肩に触れようとする女性の手をさりげなく避け、続きを促す。ミランダを『囲い者の娼婦』と言ってしまったことに酷く罪悪感を覚えながら。


「その事件の噂は男爵様の耳にまで届いてしまったみたーい?だからね、ダドリー様が体面を気にしてあっさり捨てた、って話!」

「何だって?!」


 大声を上げ、詰め寄ったリカルドに気圧され、女性は目をまんまるにして口を閉ざすも、そんなことはどうでも良かった。


 身分差を考えればダドリーがミランダを正式な妻に迎えることはまずない、と、リカルドも薄々感じてはいた。

 だが、自分との仲を引き裂いてまでミランダに執心していたのだ。せめて愛人くらいには迎えるつもりかもしれない。

 もしそうであれば、少なくとも彼女が身を売る必要はなくなるし、生活面に限っては一生保証される。


 ならば、辛い事には変わりないものの、リカルドは大人しく身を引くつもりだった。

 どんな形であろうとダドリーが彼女を愛し、しっかりと庇護してくれるのであれば。


 しかし、現実はリカルドの予想をあっさりと覆した。

 きっと今もミランダは、偽りの気取った笑顔を浮かべ、嘘の愛を売っているに違いない。


「噂の真偽は分からないけど。新年迎えると同時に、ダドリー様はかねてから婚約していた伯爵家のご令嬢デメトリア様とのご結婚の日取りを発表されたわ。ということは、彼が爵位を継承する日も近いかもね」

「……そうなんだ。それは、大層慶ばしいことだね」


 感情が伴わない相槌を打ちつつ、リカルドは今にも張り裂けそうな胸の痛みに耐えていた。

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