第10話 籠の鳥③

(1)


「ミラ、元気だった?」


 二つの美しい宝石の主――、リカルドは昨日もミランダに会っていたかのような、気安い口調で呼びかけてきた。

 まさか彼の方から会いに来てくれるなんて――、夢にも思っていなかった。

 

 嬉しくて全身が震えそう。

 なのに、気まずい気持ちの方が勝り、彼の真っ直ぐな眼差しから目を逸らす。


『あの男を始末することだってできる』


 ダドリーの非情な言葉が脳裏に甦る。

 ミランダは顎を前に突き出し、わざと高飛車に笑ってみせた。


「何しに来たのよ。店に来てお金を払いさえすれば私を抱けるとでも思ったの?やっぱりあなたもただの男だったって訳」


 まったくもって心外だ、と言わんばかりに傷ついた顔をするリカルドに、『ごめんなさい、ごめんなさい……。本当はそんな顔させたくないの。でも、これ以上私に関わると、あなたがもっと傷つくことになるかもしれない。それだけは絶対に阻止したいから……』と、心中で必死に詫びた。


「今の私は男爵家子息の専属。他の客は取れないの。お生憎さま」

「……知ってるよ。君のこと、あの先輩から全部聞かされた」


 あの男はダドリーから金を握らされたことも手伝い、先輩面でこんこんと忠告する振りで、自分との情事を事細かに話したに違いない。想像がついて軽い眩暈すら覚える。

 頭がくらくらするのに耐えながら、突き放した語調で言い放つ。 


「じゃあさ、本当の私がどんな女なのか、よーく分かったでしょ?私はね、あなたが思うよりずっと、狡くて汚い女なんだから」


 腕を組み、少し自嘲の色を含んだ冷笑を浮かべ、鋭い視線を投げかける。


「違うよ。君は傷つきやすい、綺麗な心を守ってるだけ」


 ミランダの視線に臆することなく、リカルドはいつもの優しい顔で微笑む。

 彼は、どうして私みたいな身も心も汚れた女にも、こんな風に笑いかけてくれるの?


 リカルドの笑顔を見れば見る程、ミランダの心は嵐の海に浮かぶ小舟のように、今にも決壊するのではと思うくらいに激しく揺さぶられていく。


「……何で、笑っているの……」

「いや、流行りのドレスを着てきちんと化粧をしたミラを見るのは初めてで、よく似合ってるし綺麗だなって。でも、変に大人ぶった笑い方はちょっと無理があるかな」

「……悪かったね……」


 先程の彼の笑顔や言葉といい、すべて見透かされてることといい。こっちが恥ずかしくなることばかりしないで欲しい。

 いたたまれなくなり、ぷいっとそっぽを向く。


「今日はこの手紙を渡したかっただけなんだ」


 リカルドは小さく四つ折りにたたまれた紙をシャツのポケットから取り出し、ミランダへと手渡す。


 手紙を一応受け取ってはみたものの、読むべきかどうか。


 手紙とリカルド、視線を何度も往復させた後、意を決して手紙を開く。そして、ゆっくりゆっくりと、文面に目を通していく。


「……悪いけど、この手紙は受け取れない」


 内容を一通り読み終えると、ミランダは手紙をくしゃくしゃに丸めて地面へ投げ捨てた。


「それと、もう二度とここには来ないでね。さよなら」


 尚も何か言おうとするリカルドに背を向け、ミランダは一度も振り返ることなく、店の中へ戻っていった。


 




(2)


  ベッド脇のローテーブルの上、赤い炎を灯す一本の大きな蝋燭。

 僅かな風で揺られた炎はミランダの姿を照らし、一人で思い出し笑いをする。


 リカルドを追い返して店に戻った後、ミランダは積極的にドレスの生地選びに勤しんだ。


「ねぇ、ママ。私、あの生地が見てみたい」


 ミランダにせがまれ、マダムは生地の山の中から一際美しい光沢を放つ、シルバーブルーの生地を手に取る。


「何て綺麗なの……」


 つやつやと真珠色に輝く生地を受け渡されると、その美しさに思わず感嘆の声を漏らす。


「この生地、ただ光沢が美しいだけじゃなくて、厚みがあるのにとても柔らかい。おまけにあなたの肌に最も映える色合いだし……、まさに最高級の代物ね」

「ママ!私、この生地でドレスを作りたいわ!!」


 頬を紅潮させて息巻くミランダとは対照的に、マダムは何やら思案顔だ。さりげなく確認した生地の価格が予想より高かったらしい。頭の中で採算を合わせようとしている。


「そうねぇ……。ファインズ様のパートナー役を務めるなら、いっそのこと大枚はたくべきかしら……?」

「そうよ、ママ!せっかくだから、うんと素敵なドレスを着たいもの」


 マダムはまだ躊躇している様子だったが、ミランダの勢いに押され最終的にはこの生地でドレスを作ることに踏み切った。「絶対にファインズ家の方々に気に入られるよう頑張りなさいよ??」と念を押しながら。

 二人がドレスの生地選びに夢中になっている間にも、時刻は十八時ーー、店の開店時間を迎えていた。


「あら、もうこんな時間。急いで戻らなきゃ……」


 マダムが腰を上げ、ミランダの部屋から出て行こうとした時だった。突然のノック、次いで扉が開き、ダドリーが部屋に入ってきたのだ。


 足音も気配も感じなかった。

 それほどまでにダドリーの動きは静かで。静かすぎて、余計に人間味が薄れてしまう。


「これはこれは、ファインズ様。今日もお早いお越しで……」

「この乱雑な部屋は一体何だ」


 ダドリーは、部屋の床やベッドの上に散乱した、色とりどりの鮮やかな生地を見るなり、徐に眉間に皺を寄せる。


「あ……、これは失礼いたしました。すぐに片付けますわ」

「すぐに片付けることなど、いちいち口に出して言うまでのことではない。何故、こんなに多くの生地がこの部屋に置かれているのか、と訊いている」

「男爵家での夜会のために、ドレスを新調するからだけど」


 マダムの代わりにミランダがダドリーの質問に答える。

 ダドリーはほんの一瞬だけ渋い表情を浮かべたかと思うと、ふっと鼻先で軽く笑ってみせた。


「その話だが……、今朝になって、デメトリアが夜会に出席する気になったらしい、と伯爵家から連絡がきた。だから、お前が夜会に出る必要はなくなった」

「え……、そんな……!」


 ミランダが言葉を発するよりも先に、マダムの方が悲痛な叫びを上げる。


「ミランダのドレスや装飾品、全て注文してしまったのですよ?!おまけに、注文取り消しを受け付けない仕立て屋にお願いしてしまったんです!」

「で、その夜会用に注文したドレスの代金を私に支払えと?私の知ったことか。どうしても新調しなくてもいい物を、お前達が勝手に浮かれてやっただけに過ぎない」

「そんな……!!」


 ダドリーの一際冷たい物言いに、マダムの叫びは更に悲壮感を増していく。だが、その叫びはどこか芝居がかっている。

 軽い錯乱状態のマダムとは違い、ミランダはやけに落ち着き払って彼らのやり取りを眺めていた。


 マダムは何を期待していたのか知らないが、所詮娼婦の扱いなどその程度。夢を見るだけ馬鹿を見る。

 夜会の衣装代は全てミランダの借金に回されてしまうだろう。


 ダドリーは、顔色一つ変えないミランダに気づき、「どうやらお前は納得しているようだな」と、唇を捻じ曲げてみせた。


「えぇ、私は自分自身の価値をちゃんと分かっているもの。ただの囲われ者以上の望みなんて抱かない」


 ミランダの返事を聞いたダドリーは、満足そうに口角を吊り上げて笑う――、ような素振りを見せた。


「私は、お前のような、身の程をしっかりと弁えている女が好きなのだ」


 要は、自分にとってどこまでも都合の良い女として必要なだけ?


 そんなの、愛でも何でもない。


 反発を覚えながら、そういう自分自身も愛を語れるような人間ではない、と、ミランダは自嘲してすらいたのだった。

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