第24話 星の欠片が降ってくる①

 (1)


 ミランダが三年以上守ってきた断酒の禁を破った日から一年近く経過した。





「ミラ、これは何?」


 玄関へ向かったミランダの後をリカルドがすぐさま後を追う。珍しく厳しい顔つきで、その手に握るのはラム酒の小瓶。

 ミランダは気まずげに、リカルドと酒瓶から必死で目を逸らす。


「ミラ、僕の目をちゃんと見て」

「…………」

「買い物は僕が付き添っている時以外、一人ではしないって、約束だろう?何で破ったの?」

「……えっと……、仕事帰りに、ちょっと疲れてたから……、つい……、ふらふらと……」

「……まあ、そんなことだろうとは思ったけどさ。けどね、こうも何回も同じことをされると……、ね?」


 わざと深いため息をつくリカルドに、ミランダもつい表情を歪めてしまう。


「……あのね、ミラ。僕の方がそういう顏をしたいんだけど」

「したければすれば?どうぞご自由に」

「ミラ!!」

「わ、私、これから仕事に行かなきゃいけないから!じゃあ!!」

「ミラ!!まだ話は終わって……」

「いってきます!!」


 憤慨するリカルドを尻目にバタンと勢い良く扉を閉めると、ミランダは仕事場へーー、彼女が働く洗濯屋へと一目散に向かう。

 逃げ去っていくミランダの後ろ姿を見届けると、リカルドはもう一度、先程より大きくため息をつく。


 約一年前の出来事の直後、突然ミランダが切り出した、『外へ働きに出たい』というお願い。

 四六時中、家の中でずっと過ごすよりも働きに出ることで気が紛れるかもしれないし、お金も稼げるからーー、と。だが、ミランダが働きに出ることにリカルドは断固反対であった。


 仕事に没頭している間は彼女の頭を悩ませている事々から解放されるだろう。しかし、その分、仕事で受ける心労でまた鬱屈したものが積りはしないか。そのせいで、仕事帰りに酒屋へつい足を運んでしまわないか。


 リカルドの反対を押し切って働き出したミランダは、思いの外仕事での心労は感じていないらしく、重労働にも関わらずむしろ楽しんでいるくらいだった。が、やはり、たまに酒屋へ寄り道してしまう時があり、一長一短といった印象がどうにも拭えない。


 だからと言って仕事を辞めろと言おうものなら、ミランダは烈火のごとく怒り狂って大暴れするだろう。せっかく仕事を楽しんでいるのに、無理矢理辞めさせればアルコール依存が悪化してしまうに違いない。


 言いたいことをちゃんと言い合うようにはなってきた。

 楽しいと思えることもできたし、以前と比べて明るくはなってきている。


 しかし、あともう一歩、克服には至らない。


 リカルドは頭をガリガリ引っ掻きながら、作業部屋へと戻った。






 (2)


 洗濯屋の裏手にある大きな井戸端で、二人の女がそれぞれ桶にガラス製の洗濯板を突っ込み、衣類を洗っている。

 防寒着を着用しているとはいえ、寒風吹きすさぶ中で肘まで袖を捲り上げ、冷たい水に手を長時間晒し続けるのは結構な重労働。冬場は井戸から汲み上げた水を沸かし、お湯を使っている。それでも、時間と共に湯は冷めていく。


 すでに寒さによって手先の感覚がなくなりつつある中、女の内の一人ーー、ストロベリーブロンドの長い髪、アイスブルーの大きな瞳を持つ若い娘は、更に困惑する状況に陥っていた。


 早く洗濯を終わらせて次の作業に移りたい。何より寒いから早く中に入りたいーー、と思い、仕事に集中したいのに。相方にあたる老女にペラペラと無駄話、それも返答し辛い一方的な会話を次から次へと繰り出され、仕事がちっとも捗らないでいる。


 娘は割と気の強い質ではある。けれど、この仕事を始めてからまだ日が浅く、一応は先輩である老女への遠慮が捨てきれない。それとなく話を切り上げようと試みるも、老女は一向に気付いてくれない。

 はっきり伝えない限り分かってくれないし、伝えたら伝えたで機嫌を損ねてはあることないことを周りに吹聴されてしまう。

 大変面倒臭い相手のため、とりあえず適当に相槌を打つより他にない。


「ねぇねぇ、そう言えば、あんたが同じくらいの年頃の男の子を家に連れ込んでるって本当?この辺りでは見掛けない、男なのに女みたいにきれいな顔した子だって?あんたとどういう関係?実は結婚してるの?」

「……え、あ……、結婚はして、ません、が、将来的にはするつもりですけど……」

「あら、嫌だ。結婚前なのに、部屋に男を上げるなんてだらしないわねぇ」


 娘は老女の好奇心に満ち溢れた、いやらしくも愉しそうな顔つきに絶句してしまった。心の中で思う分には自由だが、面と向かって言わなくてもいいのに。


「メリッサ、あとどのくらいで終わりそう?アイロン掛けが立て込んできたから手伝って欲しいんだけど」


 娘ーー、メリッサの前にミランダが現れ、思わず大仰に胸を撫で下ろしそうになった。


「あ、私の分は終ったんですけど……」


 メリッサは横目で老女の様子をちらり、窺う。洗濯は基本二人一組で行う。自分の持ち分が終わっても、相方の持ち分が残っていたら手伝わなければならない。

 戸惑うメリッサに構わず、ミランダは幾分厳しい口調で老女に告げる。


「リーさん、悪いけどメリッサ借りるよ。自分の分くらい、人に頼らずちゃっちゃと一人でやって」

「でも、洗濯は二人一組って決まりなんでしょ?勝手に破ったら店主が何て言うか」

「アイロン掛けの方が忙しかったし、洗濯は二人でやる程の量ではなかったから、臨機応変に動いたまで、って説明すればいいだけの話よね?怒られたらその時はその時。そういう訳で行くよ、メリッサ」


 ミランダは有無を言わせぬ厳しい態度で老女を黙らせると、半ば強引にメリッサを自分の持ち場へと連れて行く。


「ミランダさん、ありがとうございました」


 中に戻る途中、小さな声でメリッサはミランダに礼を言う。小柄なミランダよりも一〇㎝以上背の高いメリッサが身を縮ませるのが可笑しくて、くすりと笑む。


「いいよ、いいよ、気にしないで。量の割に洗濯に時間掛かり過ぎていると思ったら案の定、あの能なしの口たたき婆があなたに絡んでて、やっぱりってね。アイロン掛け手伝って欲しかったのも本当だけど」


 ミランダの痛烈な悪口にメリッサは苦笑いを浮かべる。その様子を見ながら、日に日に彼女の表情が和らいできていることを実感し、ミランダは安堵した。


 メリッサは、とある事情により、ファインズ家が治めるあの街から一時的にウィーザーへ逃げてきた身だった。


 彼女の事は事前にシーヴァから手紙で知らされていたこともあり、ミランダとリカルドで住む場所や仕事の紹介を始め、何かと親身になって世話をしてあげたのだ。

 当初は憔悴しきっていたメリッサも徐々に本来の明るい性格を取り戻していき、今では「洗濯屋の看板娘」として周りから可愛がられるほどに回復していた。


 メリッサは取り立てて美人という訳ではなかったが、青空に輝く太陽のような、明るい笑顔が印象的で、彼女の笑顔を見るだけで元気になってくる、そんな魅力を持つ娘だった。だからか知らないが、メリッサと一緒にいると自然にミランダも明るい気持ちになってくる。


 しかし、それでも疲れが溜まったり落ち込むことがあると、ついつい酒に手を伸ばしてしまう。

 いけないことだとは分かっている。いい加減仕事帰りにこっそり酒を買うことを辞めなければ。リカルドの堪忍袋の緒もそろそろ切れてしまうかもしれない。


『せっかく、愛する人と結ばれたのだから……、簡単に諦めたりしないでください』


 先日、メリッサの居場所を聞き出す為にミランダの元へ訪れた青年ーー、メリッサの恋人であるマリオンから告げられた言葉を思い返してみる。


 サラサラとした銀髪に高級な猫を思わせるコバルトブルーの瞳を持つ、中性的な美しい顔立ちのマリオンを初めて見た時、一瞬ダドリーが現れたかと思い、身構えそうになった。

 だが、次の瞬間、彼が見せた真っ直ぐな優しい笑顔は若い頃のリカルドとよく似ていて、ミランダの警戒心はすぐに解けていった。


 最も憎しみを抱く男と、最も愛情を抱く男。その両方の特徴を併せ持つ、マリオンの一点の曇りもない、純粋な言葉はミランダの心に少しずつ変化をもたらそうとしていた。

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