第8話 籠の鳥①
(1)
待ちに待った次の安息日がきた。
ミランダは約束どおり、いつもの銀杏の木の下に行く。リカルドはすでに彼女を待っていた。
「もう!今日こそリカルドより早く来ようと思ったのに!!」
「あはは、そりゃ僕の方が広場から近い場所に住んでるからねぇ。遅れた訳じゃないんだし、別に良いんじゃない?」
それでも、いつも通りリカルドが先に待っていたこと自体ミランダには悔しいのだ。自分自身に向けてぷんぷんと怒るミランダを、リカルドは苦笑交じりに宥めすかせる。
「まぁまぁ、そう怒らないの。今日は屋台の他にもボーリングとかで遊ぶこともできるし、噴水の前で楽団が演奏するみたいだよ。ということで!まずはどこから行きましょうか、お姫様」
恭しい口調で、リカルドはミランダに手を差し伸べた。リカルドの手を取ると、気取った口調、すました顔でミランダは答える。
「そうねぇ。まずは腹が減っては戦はできぬ。屋台で食べ歩きがしたいですわ、騎士様」
「ではでは、食いしん坊のお姫様の仰せのままに……、屋台へ参りましょう」
「誰が食いしん坊ですって!?」
顔を真っ赤にして怒りながらも、ミランダはリカルドに連れられて屋台が立ち並ぶ一画へと向かう。
マフィンやジンジャークッキー、季節のジャムを塗ったスコーン、サンドイッチ、オリーブの実などを買い、ふたり肩を並べて食べ歩く。
「ねぇ、リカルド!あそこに温めた葡萄酒が売ってる!隣の屋台はオレンジも!おいしそう!!」
「えぇ!?ミラ、まだ食べる気なの?!」
小柄で華奢な体格に似合わず、ミランダの食欲はとてつもなく旺盛で、リカルドは驚きを隠せない。
「さすがにちょっと食べ過ぎてる?」
「そうでもないけど……。まぁ、よく食べるのは健康な証拠だよね」
「……リカルド、笑顔が若干引き攣ってない?」
笑顔でごまかそうとするリカルドをミランダは意地悪そうに笑う。
「でも、食べてばかりじゃなくて、身体も動かさないとね」
とりとめのないお喋りを続けながら二人はボーリングや射的など、ゲームで遊べる区域へと移動した。そこは食べ物の屋台が並ぶ場所以上に家族連れがひしめいている。
「安息日だとさすがに人でいっばいね」
人ごみに慣れないミランダは立ち止まり、少し疲れたように、ふう、と息をつく。
「だいじょうぶかい?ちょっと休憩でもする?」
「ううん、へいき」
「本当?」
「うん、本当にだいじょうぶだから……、って……、あ!」
すぐ近くの屋台ーー、首飾りや髪留めなどの装飾品が売られているのを目に留めたミランダは目を輝かせて近づいていく。
装飾品はどれも高級品で有名な異国の硝子で作られていた。財布を開くには少々躊躇してしまうような値段のものばかり。こんな高価な品、庶民ばかりが集まる広場の屋台じゃ売れないだろうに。
「何か欲しいものでもある?」
目を細めて精巧な硝子細工の美しさに見惚れていると、リカルドがひょいと顔をのぞかせた。
「うーん、あるにはあるけど……。私のお金じゃ買えないから見てるだけ」
「じゃあ代わりに買うよ。どれが欲しいの?」
「えぇ!?そんな!悪いからいいよ!!それに使うこともないだろうし……」
慌ててミランダはリカルドの申し出を即座に断った。
すると、二人のやり取りを黙って聞いていた屋台の主ーー、三十代後半と思われるブルネットの髪、やや浅黒い肌の女性がこう切り出してきた。
「物に寄るけど、少しくらいならまけてあげるよ。お姉さん別嬪だし特別だよ」
「えぇ?!そ、そんな……」
「よかったじゃないか、ミラ。ほら、どれが欲しいか言ってごらん?」
女性とリカルド双方から促され、ずらりとひしめく数多の装飾品の中から、琥珀色に光り輝く小さな髪留めをおずおずと指で差し示す。女性はそれを手に取り、ミランダに手渡した。
それは黒いピン留めの先に、琥珀色に加工された小さな星の硝子細工が付いているものだった。
「そこまで値がはるものじゃないし、まけてあげるよ」
「お、おいくら、なんですか?」
女が値段を掲示すると、リカルドは鞄からすっと財布を取り出した。
「リカルド!本当にいいってば!自分で買うよ!!」
「たまには僕に格好つけさせて」
リカルドはにこり、さわやかに微笑む。
彼の、この笑顔に弱いミランダはたちまち二の句を継げなくなる。その隙に、リカルドは女にお金を支払っていた。
「はい」
ご丁寧にも、髪留めは赤いビロードの小箱に収まっている。妙に高級感が醸し出されている箱をリカルドから受け取ると、ミランダは「本当にありがとう……。このお礼はちゃんと返すから」と、神妙な顔で礼を言った。
「うーん、お礼も何も……。この髪留めが君に似合いそう、と思っただけだからなぁ。でも、そうだなぁ……。ミラがそこまで言うなら、ひとつお願いがあるんだ」
「なあに?私に出来ることなら何でもするわ」
「そんなたいしたことじゃないよ」
リカルドは、妙に嬉しそうに微笑んでいる。一体何なんだろうか。
「この髪留めを付けた姿を見せて欲しいかな」
「へ?」
どんなお願いをされるのかと、内心ドキドキしていたミランダは拍子抜け、つい間抜けた声を上げた。
「そんなことで良いの?」
「うん。とりあえず、いつもの場所に戻ろっか。あそこなら人が少ない分ゆっくりできるし」
リカルドの、いつにも増して満面の笑顔に押されては逆らうなどできない。二人はいつもの銀杏の木の下まで踵を返したのだった。
(2)
揃って銀杏の木の下に座り込む。リカルドは幼い子供のような無邪気な笑顔で、ミランダが髪留めを付ける様子を眺めている。
この笑顔だけ見ると彼が自分より六歳も年上だとは到底信じられない、などと思いながら、ミランダは左側の髪を耳に掛け、髪留めを側頭部に差す。
「どう?」
この国特有の、やや陰りを帯びた太陽光に照らされ、琥珀色の小さなガラスの星がキラキラと光る。輝くプラチナブロンドの長い髪、星と同じ琥珀色の瞳によく映えている。
眩いばかりのミランダの美しさに、リカルドは言葉を失う。
「……リカルド??」
呆然とするリカルドに不安を覚え、彼の名を呼ぶ。次の瞬間、今度はミランダの方が呆然とすることになった。リカルドに唇を奪われたからだ。
大きな猫目を見開き、身体を硬直させているミランダに、リカルドは照れ臭そうに微笑む。
「ごめん。ミラがあんまりにも可愛かったから、つい……」
可愛い、と言われたミランダは、恥ずかしくなって思いきり顔を伏せた。
キスなんて今まで数えきれないくらいこなしてきたのに、何を今更、と思う。
一方で、キスだけでこんなに胸がときめくなんて今までにない経験でもあった。
想像以上に初な反応を示すミランダの姿に、リカルドは恐る恐る尋ねる。
「……もしかして、キスしたの、初めて?」
ミランダはどう答えるべきか迷ったものの、無言で小さく頷いてみせた。
好きな男性とするのは初めて、ということであれば、嘘にはならない、筈。
「そっか」
意外にも、リカルドの反応は素っ気ないものだった。もしかしたら、逆に重たい女と思われただろうか、と、ミランダは俯いたまま、またもや不安を感じ始めていた。
「ミラ、僕は君のことが好きなんだ」
リカルドから唐突な告白を受け、驚いたミランダは思わず顔を上げて彼の顔を凝視する。
「街から街へと流れて生きる根なし草の僕は、今まであえて女性と付き合おうとは思わなかったし、付き合ったとしても旅立つ時に後腐れなく別れられる気軽な関係しか持たなかった。でも、君とは、出来ることならこれからもずっと一緒にいたい、って思う。だから、まだ先の話だけど……、この街を出る時は僕についてきて欲しい」
リカルドはいつになく真剣な面持ちで、ミランダに告げる。
「もちろん君にもここでの生活があるし、簡単にイエスと言える話ではないって分かってる。ただ、もしも……、君がこの街をどうしても離れられない、と言うなら……、僕はこのまま、この街に定住しようと思う」
「……え……」
リカルドの意外な言葉に、またしてもミランダは驚かされた。
「でも……、あなた言ってたじゃない。国中の街を回り切るまで、旅を続けたいって……」
「うん、出来ることなら旅は続けたいよ。でも、旅を続けること以上に君と一緒にいたい気持ちの方が強くなってしまったんだ」
「…………」
リカルドがそこまで自分のことを想っていてくれたなんて。
ミランダは嬉しい気持ちで胸がいっぱいになると同時に、心苦しさで胸が潰されそうにもなった。
本当の私は、子供の頃から身を売り続ける娼婦。しかもこの街の次期領主の囲われ者なの。
やはり、真実を彼に打ち明けなければーー
「私も、リカルドのことが、好き。誰よりも好きなの」
ミランダは、精一杯の笑顔を浮かべてリカルドに想いを告げた。
でもね……、と、鉛のように重たい唇をどうにか動かし、その先を続けようとした時だった。
「あれ?リカルドじゃないか」
どう見ても取り込み中にも拘わらず、場違いなまでの明るい口調で一人の男が二人の傍へと近づいてくる。
誰なの、と、ミランダがリカルドに目線で尋ねると、「僕が働いている鉄工所の先輩ってとこかな」という答えが返ってきた。
しかし、その男を間近で見た途端、ミランダは座ったまま、反射的に背を向けた。
その男は、ミランダがまだベビーブライドだった時、何度か指名してきた客だったからだ。
「おい、リカルド。お前いつの間に女が出来……、……あ?」
男はミランダの後ろ姿を訝し気にじろじろ眺めてくる。
お願い!これ以上は何も言わないで!!
せめて自分の正体は、己の口から彼に伝えたい。
けれども、ミランダの願いとは裏腹に、男はリカルドに忠告をし始めた。
「……リカルド、こいつはやめておけ。俺たちの給金二ヶ月分は払わないとヤらせてくれないし、最近じゃ男爵家のお坊ちゃんのお気に入りらしいぜ」
あ〜あ、気の毒にな、と言わんばかりに、男はリカルドの肩をポンと軽く叩く。男の言っていることがいまいち飲み込めないのか、リカルドはただただ戸惑っている。
「なんだよ、知らないのか?こいつはな、スウィートヘヴンって高級娼館の一番人気。つまり娼婦なんだよ」
「えっ……」
リカルドがミランダを振り返るよりも早く、ミランダは自分でも信じられない程の素早さで立ち上がっていた。
そして、リカルドにも男にも目もくれず、一目散でその場から逃げ出した。
逃げ出すしかなかった。
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