第20話 閑話休題 リカルドとシャロン

(1)


「ねぇ、ミラ。この街を離れる前に、一か所だけどうしても寄りたいところがあるんだ」


 ミランダを身請けしたその夜、宿のそれぞれのベッドで寝そべりながら、リカルドがミランダにこう切り出した。


「もしかして、怪我をした貴方を助けてくれた人のところ?」

「うん。マクレガーさんっていう、当時医学生だった人なんだけど……」


 シャロンについて説明しようとしたリカルドだったが、あの、端正だが冷たく生意気な顔を思い出しすなり言葉を詰まらせる。


「恩人って言う割に、ものすごーく嫌そうな顔してない?」

「……うーん、何ていうか、その、ちょっと癖が強い人でね。彼のお母さんはとても良い人だったんだけど……」


 リカルドは苦笑を漏らし、言葉を濁す。


「人の良いリカルドが苦手に思うなんてよっぽどなのねぇ。ん?マクレガーさん?……ひょっとして、シャロンさんのことかしら?」

「えぇ?!ミラ、彼と知り合い?!」

「知ってるも何も。シャロンさんはね、娼婦御用達の薬屋店主なのよね」


 ミランダ曰く、その薬屋の主な顧客層は歓楽街の娼婦たち。月経痛や婦人病の薬、身体の冷えを改善する漢方などの他、媚薬、精力剤、避妊具、性交時の潤滑剤など性に関わる薬や用品も販売している、少々変わった店だという。


「昔はシャロンさんのお母さんが店主だったんだけど、四年前に代替わりして彼が店主になったの。歳は私の一つか二つ下で、まぁまぁいい男。……女癖は相当悪いみたいだけど」


 その薬屋店主がシャロンである可能性はまず間違いなさそうだ。だとすると、医学研究者の夢を諦めたことにもなる。一体なぜ?理由は?


 ミランダにその旨を尋ねれば、「うーん、私も詳しい事は知らないねぇ。彼に媚売る他の女がうざくて、そんなに話したことないし、どっちかっていうと従業員の女の子と話すことが多いし。ま、とりあえず、明日その店に行くだけ行ってみたら?何なら、私もついてくよ」

「うん、そうするよ。あと、ミラの言葉に甘えてついてきてもらおうかな」

「じゃ、そうと決まればそろそろ寝よっか」


 カンテラの灯りを消し、二人は眠りについたのだった。






 (2)


 翌日、リカルドはミランダに案内されて件の薬屋へ向かった。

 

 当時のシャロンの性格を考えると、自分のことなどとっくに忘れていて「申し訳ありません。貴方のことなど何一つ覚えていないです」と冷たく返されそうな気がしてならない。

 だが、やはりけじめをつけるため、治療費を返済するため(図らずもミランダの身請け代が安かったので、余ったお金で治療費が工面できたのだ)にも彼に会わなければいけない。


「この店だよ」


 この街の建物の特徴の例に漏れず、二階建ての白い石造りの建物の前には、『薬屋マクレガー』と書かれた立て看板。

 ミランダの後に続いて入店。薬草と化学薬品が入り混じった独特の臭いに、思わずくしゃみしそうになった。


「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」


 黒檀製のカウンターの中にはシャロン、ではなく。アッシュブロンドの短髪に白いシャツ、黒いサスペンダー付ズボン姿の小柄な少年、いや、落ち着きがあるものの高めの声質から察するに小柄な少女が佇んでいた。


「今日は何を買われますか?」


 少女はミランダの隣に立つリカルドに対し、最初呼びかけたきり何の反応も示さない。にぶいとか興味がないというより、余計な詮索をしないでいてくれる、気がする。せいぜい十五、六といった年頃の娘であれば、興味津々で色々聞き出そうと目論みかねないのに。

 理知的な顔立ちから察するに、彼女は思慮深い質なのかもしれない。


「あぁ、今日はね、私じゃなくて彼がシャロンさんに用がある、ってここへ来たんだよ」

「店主に、ですか?」


 ここで初めて、少女はリカルドを一瞥する。よく見ると愁いを帯びた薄灰の瞳が神秘的、儚げな雰囲気の美少女だ。

 無造作な男装ではなく髪を伸ばし着飾りさえすれば、高価な陶器人形のように美しくなるだろうに。


「ちょうど一〇年前、彼にお世話になってね。ようやくお礼を返す目途がついたからこのお店にお邪魔してみたんです」

「そうでしたか。店主は今奥の部屋にいますので、すぐに呼んできます」


 少女はカウンターの奥へと一旦姿を消していく。すると、ミランダがさもおかしそうに、ニヤニヤと笑いを噛み殺していた。


「何で笑ってるんだい?」

「理由はすぐに分かるよ」


 そう言えば、奥の扉が半分程開いたままだ。


「シャロンさん。いつまでスポンジが置いてある場所を探しているのです。この前言ったじゃないですか。避妊用のスポンジは売れ筋商品で多めに注文するようにしたので、今までの引き出しじゃなくてこちらの棚の広い引き出しに移し変えたと」


 何と、あの少女が淡々と、それでいて険のある口調でシャロンを厳しく叱責しているではないか。


 仮にもシャロンはこの店の店主。更に、気位の高い彼に向かってそんな口を利いてだいじょうぶなのか。

 リカルドは内心心配になり、少女を案じる。が。


「いやぁ、すまない。聞いた覚えはあるんだが、どうも忘れてしまってね。悪いけど、もう一度教えてくれないかね」




 ……は?……


 少女の叱責に対し素直に謝り、低姿勢で返事をするシャロンと思われる声。リカルドはポカンと呆気に取られた。


「これで八回目ですよ?いい加減にしてください。シャロンさんの場合、覚える気がないだけですよね」

「……う……、そ、そんなことはないぞ?!」

「でしたら、なぜ目が泳ぐのですか」


 リカルドの複雑な心情などおかまいなし。少女は次から次へとシャロンを厳しく追求していく。


「……ミラ、君が今、必死で笑いを堪えているのは……」


 隣でミランダが、肩をぷるぷると震わせ、こくこくと何度も頷いてみせる。少女とシャロンの応酬が面白くて堪らないらしい。

   

 どうやら、シャロンもこの一〇年の間に、彼の性格どころか人生を一八〇度変えてしまう経験したのかもしれない。

 






 (3)


「お待たせして申し訳ありません。私にどのようなご用件でしょうか」


 程なくして、シャロンと、スポンジが入った袋を手にした少女がカウンターへ戻ってきた。


 シャロンは相変わらず仕立ての良さそうなスーツを纏い、年よりやや幼い、さわやかな笑顔を浮かべている。

 だが、一〇年前とは違い、ダークブラウンの瞳には冷たさの欠片も見当たらなかった。


「……シャロンさん、お久しぶり。リカルドです」


 シャロンに向かって軽く会釈すれば、彼の笑顔はみるみる内に消え失せていく。


「一〇年前、瀕死の僕を助けてくれたこと……」

「えぇ、よく覚えています。忘れるはずなどありません。貴方が、リカルドさんが突然姿を消した後……、何が気に入らなかったんだろう、と、ずっと自問自答していました。しかし何年か後、貴方が出て行く直前に私が言った言葉が原因だったのだろうと理解したのです。あの頃は優秀さを鼻にかけ、自分以外の周りの者は全員愚か者だと信じきっていた、傲慢な子供でした。今考えると本当にお恥ずかしい限りです。ですから、貴方にもう一度お会いする機会があれば、当時の非礼の数々を謝りたいとずっと思っていました。こうしてまたお会いできて本当に嬉しいです」

「いえ、僕の方こそ、貴方は命の恩人ですし、それに……。貴方は後悔しているようですが、あの時の言葉のお蔭で僕は自分の愚かさに気づけたんです。時間はかかったけれど、こうして彼女を迎えに行くことができたんです。謝る必要なんてありません」

「あぁ、リカルドさんの大切な方と言うのはミランダさんだったんですね」


 シャロンは二人を交互に見比べた後、再び微笑む。


「彼女から、あなたがこの薬屋の店主だと聞いて。お礼をしたくて訪れたんです。それと……、多分、全額にはまだ満たないと思いますが、治療費を返済しようと」


 リカルドが茶色い肩掛け袋から、お金の入った袋を取り出そうとしたが、「リカルドさん、お金は結構です。あの時も言いましたが、貴方の怪我の治療費は全額負担すると」と、止められてしまった。


「……でも……」

「本当に結構ですよ。それよりもミランダさんとの新しい生活を送る上での資金に回すべきと思います」


 口調こそ穏やかだが、有無を言わせぬ威圧感に(こういうところは以前と変わっていない)、リカルドは仕方なくお金の袋をもう一度、茶色い袋へ押し戻す。

 その様子をどこか満足そうにシャロンは眺めていたが、すぐに真剣な表情へと切り替わる。


「リカルドさん。あの時の度重なる非礼、本当に申し訳ありませんでした」


 シャロンはカウンター越しに、リカルドに向けて深々と頭を垂れた。

 シャロンが頭を下げるのが意外なのか。彼の隣に佇む少女は、無言のまま驚いた目で彼を凝視している。


「シャロンさん、顔を上げてください。さっきも言いましたが、あなたには感謝すらしているんです」

「……感謝?」


 シャロンの肩を掴み、顔を上げるよう促す。顔を上げながら、シャロンは怪訝そうに見つめてくる。


「感謝、ですか。ならば、私も貴方に感謝……、という訳ではありませんが、どうしても伝えたいことがあります」


 シャロンは、彼を心配そうに見上げる少女をチラリと横目で見返した。


「『……自分の、今までの生き方を変えてでも、例え夢を諦めてでもいいから傍にいたい。そう思える人と出会ったら……、君にも僕の愚かな行動の意味がわかるだろうね……』という貴方の言葉、あれからずっと頭に焼きついて離れませんでした。そして、今の私にはその言葉の意味が痛い程理解できます」

「そうですか。今のシャロンさんにはとても大切にしている人がいるんですね」

「えぇ」


 一〇年前の彼からは到底想像できない優しさを湛えるシャロンを見て、リカルドもつられて微笑み返す。


「シャロンさん。もう一度会えて良かったです」

「こちらこそ。また、何かの折にこの街を訪れた時はぜひここへ遊びに来て下さい、母もまだ健在ですし、私の実家の方へ来ていただいてもかまいません。きっと母も喜んで迎えてくれますよ」

「ありがとう、シャロンさん」

「いえ、お二人が末永く幸せでいられるよう、願っています」


 リカルドとシャロンはカウンターの上で互いに握手を交わした。





 (閑話休題 終)

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