第三十四話 竜の顔をした青年

 俺の視界に映るのは、変わり果てた邪竜の姿だった。


 古さびた玉座のような椅子に深く腰掛けるダークエルフのような風貌の青年——邪竜の皮膚が、メアが放った炎魔法によって焼き過ぎた焼き魚が如くところどころ真っ黒に焼け焦げ、白に近い金だったはずの御髪は高い熱が加えられたことにより、ヘアアイロンでしくじったときのようなチリチリとしたものへとその姿を変容させていた……。


 あけすけに申しあげると、実験に失敗した博士と見紛うばかりの風体と言っても過言ではない……そんな滑稽な姿に邪竜は変容を遂げていた。


 そんな邪竜の変容ぶりに笑いを堪える一方で、ある意味、恐ろしいことに攻撃を受けた邪竜は、反撃することも怒りを露わにすることもなく、その均整の取れた満面に邪悪な笑みをなみなみと湛え、押し黙ったまま、じっくりと俺たちを見据えていた。


 そして、さらに恐ろしいことに、その間抜けな……ぐふふ……姿からは想像も及ばない肌がピリピリとひりつくような威圧感が、邪竜の全身からかすかに滲み出ていた。


 その滲み出ている幾許かのひりつく威圧感が、怒りから来るものなのかどうか判然としないが、肌がひりついているのは、真っ黒焦げになっている邪竜の方だということだけはたしかだった。


 とりあえず、今は、それらの考えてもしょうがないしょうもないことは一旦置いておくことにしよう。


 俺はそう考え、深淵を覗くとき深淵もこちらを覗いているという感じで、こちらを見据える邪竜を改めて繁々観察する。


 件の邪竜は青年のような風貌をしてはいるが、その笑みからこぼれる剥き出しの剣山が如き白く鋭い歯に、爬虫類を想起させる縦に裂けた瞳孔が鎮座するエメラルド色の虹彩といった組み合わせから、目の前の青年らしき生き物が人間やエルフといった人もしくは人に近い種族でないことは、異世界素人目から見ても一目瞭然だった。


 そんな未知の生命体であり、攻撃を受けているのにも関わらず、反撃もせずにただ不気味に頬を緩めている鷹揚な態度の邪竜をじっくり見つめていると、ある考えが稲妻のように忽然と脳中に去来してきた。


 それは、もしかしたら邪竜に攻撃が炎が効いていないのではないか?という疑念だった。


 もしそうなら、邪竜が反撃もせずに鷹揚な態度で構えていることにも納得がいくのだが、一方でメアが言っていた炎が弱点という情報が間違っているということになる……。


 そうなると、首が弱点という情報の信憑性も低くなり、それすなわち計画した作戦が水泡と帰す可能性が生じ、非常にまずいことになりかねないのだが……邪竜の皮膚が焼け焦げていることと、魔法攻撃をくらっている最中に絶叫していたことを踏まえると、やっぱり有効だったのだろうか?という相反する考えが湧いてくる。


 また、別の角度から考えてみると、邪竜は俺たちを油断させるために、わざと痛がるふりをしていた?つまり、ブラフというやつなのか?という考えが湧いてくる。


 さらに、予想の斜め上の視点から考えれば、邪竜がシンプルに痛いのが心地よくて思わず微笑んでしまうという、いわゆるマゾ系の悲しきモンスターなのか?という考えが湧いてくる……。


 考えを巡らせれば巡らせるほど謎は深まるばかりで、思考の沼にはまった俺の思考回路は焼損する一歩手前だった……。


 頭からもくもくと白い煙を出し、首を捻りながら、そんなおびただしい疑念に頭を悩ませていると、突然、ひりつくような空気をかすかに滲ませていた邪竜が、その不気味な笑みを消して、凶悪な猛獣を喚起させる眼光で俺たちを睨めつけ始めた。


 その瞬間から、さっきまでとは比べものにならないくらいの殺気が、俺の全身の皮膚という皮膚を粟立てた。


 それは、馬鹿にでもわかるほどの凄まじい殺気であった。


 きっと下手に動いたら確実に殺されるであろうある種の凄みが、洞窟内を、俺の心を、途端に掌握した。


 背中に冷たい汗が伝うの感じながら、どうしていいかわからなくなった俺は、助けを乞うように横目でレプリカを一瞥する。


 すると、あの冷静沈着かつ性格の悪い意地悪なレプリカも口を真一文字に結んで、緊張した面持ちで蛇に睨まれた蛙が如くその場に釘づけになっていた。


 その姿を目にして、諦めのような感情が胸裏に渦巻いたのだが、同時に、それが正しい反応であると頷くこともできた。


 俺と同じようにレプリカの本能が下手に動くなと、警鐘をけたたましく鳴らしているに違いなかった。


 こんな場面では、そうせざるを得ない。


 こんな場面で、動くのは愚かにもほどがあ——。


「そいや!」


 心の中で俺がセリフを言い切るのを遮るかのように、聞き覚えのあるヘンテコなかけ声が出し抜けに耳へと届く。


 その刹那、目の前の邪竜が再び太い火柱に呑み込まれ、「ぐわああああああああ‼︎」と一際大きな断末魔と聞き紛うような叫び声が洞窟内に響き渡る。


「があ⁉︎」


 突然の出来事に驚愕し、声にならない声をあげた俺は、反射的に、肩越しにかけ声のした方向へと自身の目を向ける。


 すると、「やってやったぜ」と言わんばかりにキメ顔をする……愚かにもほどがあるエルフ族の女——メアが目に飛び込んできた。


 実に愚かだ……。


 こめかみを抑え、そんな所感を胸裏で述べる一方で、メアの愚行を踏まえて、確信する。……邪竜に炎は有効であると……。


 つまり、首が弱点だという情報も、眉唾ではないということになる……たぶん……。


 俺は瞬時にそう判断し、構えている剣を強く握り締め、虎視眈々と機会を窺う。


 そして、火柱が消えた瞬間がチャンスだ!とそう思い立ち、邪竜に接近すべく足を動かそうとするが、足がすくんで思うように動くことができなかった……。


 先ほど味わった邪竜の刺すような殺気が、尾を引いて、俺の身体ことに足の自由を奪っていた。


 情けない話だが、この状態は俺だけに当てはまるものではないらしかった……。


 助けを求めるように、首だけを動かし、再び視線を横に移すと、俺の分身体であるレプリカも俺と同様に剣を強く握り締め、足がその場に凍りついたかのように棒立ちになっていた。


 さすが、俺の分身だ……。


 そういった皮肉めいた考えが一瞬脳裏をよぎったのだが、レプリカの表情を見て、その考えを即座に改める。


 レプリカの表情に浮かぶ感情は、恐怖ではなく驚愕であった。


 あの冷静沈着かつマジで性格の悪いガチで意地悪で狡猾なレプリカが絶句して、眼前で煌々と燃えあがる火柱を呆然と眺めていた。


 そう、レプリカは、オリジナルである俺とは異なり、恐怖心を抱いてはいなかった。


 ただ、びっくり仰天して、言葉を失っていただけだったのだ。


 メアの大胆かつクレイジーな行動に、俺とレプリカが唖然……というか、ドン引きしていると、後ろから「何してんの⁉︎ あんたたち! ぼさっとしてないで、早く首を切り落とす準備をしなさい‼︎」と大きな声が響く。


 メアの声だ。


 まず、何してんの⁉︎というセリフは、俺とレプリカのセリフであって、決してメアのセリフではないことをここに明言したい。


 それと、そんな簡単に首を切り落とす準備とか言うんじゃないよ!できねぇから、足が動かねぇから、やってねぇんだよ!こちとらちょっと前まで、ただの高校生だったんだぞ!なめんな!と心の中で、そう叫ぶと、目の前で燃え盛っていた火柱が突如として消失し、再び邪竜がその姿を現した。


 そして、再び背後からはメアのぜーぜーという荒い息遣いが聞こえてくる。


 それから、その音を掻き消すように、俺の心の臓がけたたましく早鐘を打ち鳴らす。


 心臓がはち切れそうだった……。


 どうして、突然そうなったのか……?


 メアの荒い息遣いに、興奮したから?……いや……そうではない。


 そうなった原因はただ一つ。


 目の前で発生した異常事態が、原因に他ならない……。


 その異常事態とは何か?


 それは……なんと……邪竜の顔が、青年の如き相貌から一転、竜を彷彿とさせる容貌へと恐ろしいことに変貌を遂げていたのである……。

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