第四話 しゃべる雲
瞼を閉じているのに、何だか仄かに明るい……。
電気は消して……寝たはず……なのに?
つまり……もう朝になってしまったのか?
辟易するような想いを胸に掻き抱き、重たくなった両瞼を嫌々ゆっくり持ちあげる。
しかし、両の瞼を開いて、目に最初に飛び込んできたのは、見慣れた自室の丸型の蛍光灯が設られた天井ではなく、どこまでも高い黄金色の空だった。
「ど、どういう……こと……だ?」
とつとつと困惑を滲ませる言葉を溢した俺は、そのまま起き直ると、目をこすって、四辺をぐるりと見渡した。
それは、困惑から来る不安を拭い、安心感を得るための行動に他ならなかった。
が、起きがけの寝ぼけ眼に映じるのは、見慣れた狭い自室ではなく茫漠たる雲の草原であった。
黄金色をした一幅の名画を想起させるような雲が、あたかも草の絨毯のように切れ目なく広がっていた。
それから間もなく、自分が今座っている場所を、確認すべく視線を下に向ける。それと同時に両手で自分が座っている付近をぽんぽんと押すように触る。
手のひらに感じたのは、柔らかい感触。しかし、マットレスの風合いとは明らかに異なる。
まるで綿菓子を軽く握ったときのような手触りが、両手のひらから神経を伝って脳にじんわりと伝わってくる。
どうやら俺は……巨大な雲の上にいるらしい。
ん?
巨大な……雲の……上?
あり得ない状況に、パニックを起こしそうになるが、一閃、ある考えが忽然として脳裏をよぎり、ことなきを得る。
その考えは次の瞬間、自然と口からこぼれ落ちていた……。まるで、重力に引っ張られる水の雫のように。
「なーんだ。夢か……」
そう呟き、ゴロンと寝転がる。
雲の上で寝転がる夢とか初めて見るな……。
起きたら夢占いのサイトで調べてみよ……。
そんなことを思いながら、奥行きのある黄金色の空を漫然と眺める。
「天国って現実にあったらこんな感じなんかな? にしても、リアルな夢だな。クオリティがあまりにも高過ぎるぜ……」
そう独りごちながら、ぼーっとしていると、か細い声が突然俺の耳朶を叩いた。
「願いを……叶え……よ……う」
「へ?」
気のせいだろうか?
なんだか男の人の声のようなものが聞こえた気がする……。
「少年! 願いを叶えよう!」
今度ははっきり聞こえた。
誰かいるのか?
そう思い勢いよく起きあがり、周囲に響き渡るような大きな声を出す。
「あの〜誰かいるんですか?」
「おるよ」
打てば響くように、そう告げられるが、周囲を見渡しても、その声のぬしらしき人物の姿は、どこにも見当たらない。
「どこにいるんですか?」
再び疑問を口にした瞬間、目の前に光の粒子が集まり、忽ち五メートルを優に超える黄金色の入道雲のような巨大な雲が、湧き立つようにして出現した。
「は?」
突然の出来事にポカンと口を大きく開け、目を白黒させていると、再度聞き覚えのある男の声が耳に届く。
「私だ。少年。少年の願いを叶えよう」
「雲が……しゃべった……?」
どうやら俺はかなり疲れているらしい……。こんな……雲がしゃべる夢を見るだなんて……。
「これは夢ではない。現実だ。さぁ、少年の願いを叶えよう」
そう言われ、慌てて口を押さえる。
口にしていないはずなのにどうして……?
お、俺の思考が読めるのか?
「その通りだ。早く願いを言え」
「その通りなのか⁉︎」
たじろぎながら、眼前の雲をまじまじ見つめる。
どこから声が出てるんだ?
そう思って怪訝な表情を浮かべ、腕組みをすると、痺れを切らしたかのように、唐突にしゃべる雲の厳かだった口調が一変する。
「なあ? 少年? 早くしようか?」
声にわずかではあるが、苛立ちが滲んでいる。
これはまずい……。
きっと時間を無駄にしたくないせっかちなタイプの雲なのかもしれない……。
直感的にそう考え、反射的に言い淀みながら懸命に言葉を紡ぐ。
「ね、願い……? 願いかぁー。え〜と、あ‼︎」
閃いた俺は左手のひらを右手の拳でポンと打つと、包み隠さずありのまま抱いた心からの願いを、しゃべる雲に告げてみることにした。
「オニザキに復讐を……いや……違う……。異世界だ! 異世界に行きたい……です! 異世界に行って、それでいろんな美少女とイチャコラして、魔王とか叩きのめして、かわい子ちゃんにきゃーきゃー言われたいです!」
心からの願いを告げかけたところで思い直し、別種のかねてからの願望を赤裸々に告げる。
そうだ! 異世界行きさえすれば、オニザキのやろうとも、つまらない学校生活ともおさらばだ!
もしかして、天才か? 俺?
心の中で自画自賛しつつ、ワクワクしながら、しゃべる雲の返答を待つ。
「うわー。引くわー」
どういうわけか、返ってきた声には、俺に対する不快な感情が含まれていた……。
「引くわ? は? あんたが願いを言えって言ったんだろ⁉︎ 引くわ、とはなんだ? 引くわ、とは⁉︎」
羞恥と怒りで、顔色をわずかに紅潮させ、語気を荒げて不満を口にする。
すると、しゃべる雲は、げふんげふんと大仰に咳払いをして、まるで仕切り直すかのようにしてから言葉を口にした。
「あーすまないすまない。今のなし」
今のなし……?
この俺の感じた羞恥と怒りをなかったことにできると……本気で思っているのか? こ、この……しゃべる一塊の水蒸気は?
手が血の気を失うくらいに拳を強く握りしめ、さながら蛇蝎を見据えるかの如く、目睫の黄金色の水蒸気の塊をキィッと睨み据える。
「まあまあ、許せ! 少年! ほら土下座するから勘弁してくれ! ほら一二の三で、はい! 土下座!」
「はい……? 土下座……? 土下座はどこだ⁉︎ 土下座は⁉︎ そもそも、雲が土下座できて堪るか‼︎ 人をおちょくるのも大概にしろ‼︎」
身じろぎ一つしないでそう声を発した巨大な雲に、じれた風情で激しくツッコミを入れた俺を尻目に、しゃべる雲は仰々しい調子で言葉を続けた。
「では、気を取り直して願いを叶えよう! 少年! 少年を異世界に転移させてやろう! そして、その前に、いろんな美少女の心を掴み、魔王を叩きのめすことのできる武器と力を少年に授けよう!」
ゴクリと自身の喉の鳴る音が耳に届く。
いつの間にか溜飲はさがり、胸いっぱいにワクワク感がみなぎっていた。
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも」
「どんな武器を……どんな力をいただけるんでしょうか?」
俺の問いにしゃべる雲はうーんと考えるように数秒唸ると、今度は老人のような口調で返事を返してきた。
「うーん。そうじゃな。まずは武器じゃな。それでは、少年が『最後に認識した武器』を授けることにしよう! 」
「俺が最後に認識した武器?」
俺は顎に手を当てて、現在から数日前までの記憶を遡る。
しかし、一向に思い至らない。
なんだ? 武器って?
そういえば小学生の頃、博物館で日本刀を見た記憶はあるが、もしかしてそれか?
どんな刀だったけ? 無理だ! まったく思い出せない!
「それは日本刀でしょうか?」
「うーん、ちょっと違うな。まあとにかく受け取りたまえ」
その言葉が俺の耳に届くと、すぐにしゃべる雲の中心からホタルのような、光でできた球体がポンと現れ、放たれる。
その光球は、俺の胸の辺りまでしずしずと移動すると、ピタリと静止して、風船のように浮いたままの状態で、ゆらゆらと俄かに揺蕩った。
「さあ、両手を出しなさい」
「は、はい!」
そうおずおずと返事をして、諾々と両手を前に差し出す。
すると、パチンと弾けるような音がして、球体がシャボン玉のように破れ、光の粒子が霧散すると、一本の両刃の剣が姿を現した。
「お、おっと」
慌てて、出現したその剣を受け止める。
そうして、捧げ持った、両の手の上にある剣を、改めて、繁々と見つめる。
素材は銅……だろうか?
刀身がピカピカに磨いた銅貨のような輝きを放っている。
そして、柄は水色だ。
どこか神秘的なものを感じさせる雰囲気を纏っている。
しかし、こんな剣……今まで見た記憶がない。
怪訝な顔で、小首を傾げる俺に、しゃべる雲が語りかける。
「『天の剣』という凄まじい能力を秘めた業物じゃ。大切にするんじゃぞ!」
「ああああああああああ‼︎」
その名前を耳にして、思わずそんな驚きの声をあげる。
なるほど! そういうことか! たしか……現文の授業中に読んだ物語の中に、そんな剣が出てきたっけか……。
実物じゃなくて物語に登場する武器とかでもいいんだ……。
そう思いつつ、しゃべる雲の言葉を待つ。
「どうだ少年。覚えがあるじゃろ?」
「は、はい! たしかに記憶にあります! そ、それでこの剣にはどういった能力があるんでしょうか? 物語には何か能力があるような記述はなかった気がするんですけど……?」
「いい質問じゃ。この剣は天の剣。とある海神の所有物じゃ。能力は大きく分けて二つ。まず水のエンチャント。グリップを強く握り込むことで、刀身が水の魔力で覆われるのじゃ! 次に海神の力の一端を装備者に付与するという能力じゃ!」
「なんかすごそうですね(小並感)。その海神の力というのは具体的にどんな能力なんでしょうか?」
「うーんと、たしか……怪力、水上歩行、水中でも呼吸ができる、水に触れると微回復するとか、あと、低級から神話級までの水魔法の行使が可能とかだったと記憶しておるんじゃが……」
「けっこういい能力ばかりなんですね?(汗)」
「まあのう、それにこのくらいの能力がなければ魔王には到底勝ってんからのー。まあこんな感じじゃ。何か質問があれば答えるが? 何かあるかの?」
しゃべる雲にそう言われて、顎をさすりながら沈子黙考する。
なんか……急にいろんな情報が出てきたぞ。
まずあれだエンチャントとはしゃべる雲の言う通り、剣を魔力か何かで覆って属性効果を付与する的なやつだったはずだ。
まさか、ゲームの知識がこんなところで役に立つとは……。
怪力や回復、その他諸々の能力もなんとなく想像はつくな……。
で、あとは魔法についてだけは訊いておいた方がいいかもな……。
だいたい想像はつくけど……。
「じゃあ、魔法について詳しく教えて欲しいのですが……?」
「魔法か? いいとも、少年がこれから転移する世界には、魔法という概念が存在する。その魔法には使用難易度に応じたランクがあり、大きく分けて、低級、中級、上級、超級、伝説級、神話級と六つのランクに分類されておる。難易度があがるごとに威力や効果は強力になるきらいがあり、神話級ともなれば国や世界を滅ぼすことができたりするのじゃ!」
「ほぇー。つまり、水魔法に関しては、すべてのランクの魔法が行使できるという認識でいいんですか?」
「まあそういうことじゃ。しかし、覚えられる魔法は少年の場合、五個までじゃ。さらに、一日に使用できる回数は無制限ではないんじゃ」
「そ、それは? 増やすこととかはできないんですか?」
「できるともできるとも、その方法はモンスターを倒すことで増やせるのじゃ。さらに生命力や体力と言ったパラメータも増やすことができたりもするのじゃ」
「そうですか……。まるでゲームみたいですね…」
「一応そういう認識で問題ないが、ゲームと違って攻撃されれば痛みは普通に感じるから覚悟するようにしておくんじゃぞ!」
「わかりました! 望むところです!」
「いい返事じゃ! では、好きな魔法を五個選ぶんじゃ!」
そう言うとしゃべる雲の中心から、再び光球が放たれる。
光球は俺の目の前までくるとパチンと弾け、青い表紙をした辞典くらい分厚い本が、剣のときと同じように出現し、俺の足元の近くに落下してドサリという音を立てた。
「これは?」
剣を左手で持ち、右手でその分厚い本を拾いあげる。
「水の魔法書じゃ。少年がこれから転移する世界に存在する水魔法がすべて記載されておる。この中から魔法を五個選ぶんじゃ。選んだ魔法を少年に授けよう。よく考えて選ぶんじゃぞ」
「ありがとうございます!」
俺はお礼をしゃべる雲にのべると、その場にどかりっと座り込んで、魔法書の表紙を捲り、最初のページに目を落とした。
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