第5話 水の魔法書
しゃべる雲から渡された水の魔法書をパラパラと捲る。
国語辞典みたいに、魔法名とその魔法の説明が割と明確に日本語で記載されている。
低級魔法から神話級魔法の順番で並べられているようだ。
低級魔法は数が多い。
予想通りだが、魔法のランクがあがるにつれて、そのランクごとの魔法の数は減少していくようだ。
何ぶん数が多い……。
目に余るほど多い……。
ゲームの説明書を読まない派の俺としては、さっさと魔法を選択して、いそいそと異世界に出発したいところなんだが……。
そんなことを思いながら、神話級の魔法が、記載されたページに目を通す。
ページ数は三ページと少ない。
しかも、内容は神話級の災害を引き起こすような肌が粟立つような内容の魔法が綴られている。
例えば、三六五日間、間断なく雨を降らせるだとか、洪水を引き起こし地表のすべてをことごとく一掃するだとか、たぶん水に耐性のある俺以外は確実に死ぬようなそんな目も当てられないような内容が綴られている……。
魔王を倒せるが……ついでに異世界の民草の命も根こそぎ刈り取ることになるな……これは……。
ぐすん……このままじゃ……。
魔王を討伐した勇者が新たな魔王として君臨するフラグみたいなのが立っちゃうよ……ぐすん……。
しくしく……ぐすん……ぐすん……しくしく……ぐすん……ぐすん……。
いやー泣いたらすっきりしたわ!ガハハ!
さあ気を取り直して、次のページだ!
気を取り直した俺はページを数枚捲り、伝説級の水魔法が記載されたページに、泣き腫らした真っ赤な目を向けた。
羅列された魔法名を流し読みしているとカタカナばかりの単語の中に、漢字で表記された魔法が二つあることに気がついた。
まるで、これを選べと言わんばかりに表記されている。
水鬼、水鮫……。
どうやらウォーターゴーレムという土や泥ではなく水で構成されたゴーレムを使役して、戦えるようだ……。
これはなかなか、俺の厨二病的な感性を刺激する魔法だ。
ゴーレムという単語に、食いつかない厨二病患者はいないと思うんだ……うん……。
とりあえずこの二つにしとくか……。
まあ、この二つの魔法が俺の必殺技的なポジションになるのかな?……たぶん……。
続いて、超級魔法の記載されたページに目を通す。
ざっと見た感じ、サポート系の魔法っぽいのが多いなぁという印象を受けた。
たとえば、ウォーターベールという魔法は、身体を水の膜で包みこみ、どんな一撃でも一回だけ無効化するという能力……。
他にも、ウォーターレプリカという魔法は、自身の実力の八十パーセントの力を持つ分身体を一体、水で創り出すという魔法だ……。
まあ、たまたまではあるが、便利そうだし、この二つを選択しておこうと思う。……断じて早く異世界に行きたいから、こんなに早く選んでいるわけではないんだからね……。ふん……。
そう考えて、胸中で鼻を鳴らした俺は、残り一つの魔法を選ぶべく、上級魔法が記載されたページを開く。
剣があるから、近距離はカバーできる……。
つまり、俺に足りないのは遠距離攻撃専用の魔法ということになる……。
俺なんか、今凄く論理的じゃね?
やばくね?
凄くね?
自分の論理的思考能力の凄さに瞠目しながら、懸命に頭を働かせ、自分のお眼鏡にかなう魔法を捜索する。
そんなさなか、遠距離攻撃専用の魔法っぽいものを三つ発見した。
一つは、ウォーターバレット。
人差し指の先から、鉄をも穿つ水の弾丸を射出する魔法。
もう一つは、ウォーターアロー。
水で弓と矢を創り出す魔法。
最後の一つは水手裏剣。
水で手裏剣を創り出す魔法。
まあ、この中だったら、無難にウォーターバレットだろう……。
異世界とか関係なく飛び道具の中なら、確実に銃の部類が強いだろうからな……。
とりあえずは決まった。
伝説級は、水鬼と水鮫。
超級は、ウォーターベールとウォーターレプリカ。
上級は、ウォーターバレット。
まあ、こんな感じでいいや。
「決まりました!」
俺は魔法書を抱き抱えながら立ちあがると、数歩進んで、しゃべる雲に話しかけた。
「よし、では少年が選択した魔法を転移すると同時に、使えるようにしておくぞ!」
「ありがとうございます!」
俺はしゃべり終えた雲にきちんと頭をさげてお礼を言うと、雲を見据え、現在、黙っている雲が、再度しゃべり始め、再びしゃべる雲と化すのを待った。
「では、夜雲龍彦よ。準備はよいか? 何か質問があれば答えるが?」
そう言われて、再び、顎に手を当てて考える。
そして、あることが忽然として脳裏をよぎる。
「あ! 言語は? 日本語ってさすがに通じないですよね?」
「ん? ああ言語か? そのことは心配しなくとも大丈夫じゃ。水の魔法書もなんなく読めたじゃろ? 実はその魔導書は異世界の言葉で、書かれているんじゃ!」
その発言を受けて、頭の上にぷかぷかと疑問符が浮かびあがる。
その疑問符を掻き消すために、うーんと小さく唸りながら、数十秒間、考え込む。
そして、遂にしゃべる雲の言葉を朧げながらではあるが理解する。
「もしかして、自動翻訳的なことですかね?」
「そんな感じじゃな。それに実は……」
「実は……?」
俺はそう言って、しゃべる雲の言葉を待つ。
「何を隠そう、今ワシは異世界の言葉で、少年に話しかけているのじゃ!」
驚愕の事実に、濡羽色の虹彩がくっきり見えるくらいに大きく目を見開く。
「な、な、な、なんだって⁉︎」
どうやら文字だけではなく、音声も自動翻訳されるらしい。
これはありがたい。
「まあ、頑張れ少年。魔王を倒せば元の世界に帰ることもできる。なんにせよ悔いのない人生を歩むのじゃぞ」
「はい! がんばります!」
まああれだな……。
誰があんな退屈な世界に戻るもんですか!
てやんでい!
そう思い、江戸っ子になりかけた俺は、剣のグリップを強く強く握り込んだ。さながら江戸前寿司を握るように。
「あ! そういえば剣を入れる鞘的なものが、あれば嬉しいのですが、いただけないでしょうか?」
「ああ! 鞘は少年、君自身じゃ‼︎」
一瞬、このしゃべる水蒸気は何をおかしなことを口走ってやがるんだと思ったが、今までの経験からその思いは、すぐに霧散した。水蒸気だけに。
「それはどういうことでしょうか?」
「剣は君の身体の中に収められるということじゃ。なに、剣だけじゃあないぞ。アイテムも収納可能なのじゃ!」
つまり、あれか?
マジシャンが、よくやる剣を飲み込むマジックみたいなことを言ってるのか?
怪訝な表情を浮かべ、目を細めてしゃべる雲を凝視する。
「違う違う! その剣を自身に取り込むイメージをすればいいだけじゃ!」
「それはどういう?」
「まあとりあえずやってみるんじゃ」
俺はしゃべる雲から視線を外し、『天の剣』に目を向けた。
そして、両目を閉じて、何となく剣と一体化するようなイメージを瞼の裏っ側にまざまざと浮かべてみた。
すると、剣が手のひらに吸い込まれるような、くすぐったいような、奇天烈な感覚が手のひらから脳にじんわりと伝わってきた。
その感覚を覚えた刹那、天の剣の存在が、俺の手から忽然と消失する。
その違和感に気づいた俺は、すぐに両瞼を開け、手のひらを確認するが、手のひらにあったはずの剣は予想通りその姿を消し、まるで剣なんて始めからそこにはなく、幻だったのではないかと、頬っぺたをつねりたくなる想いに駆られた。
そして、狐につままれたかのような顔になった俺は、空気を握るように、シャリを握るように、手のひらを数回握り締めると、固く真一文字に結んだその口を開き、ポツリと疑問を口にした。
「これは……どういう?」
そんな疑問をまるで遮るかのように、唐突にしゃべる雲が言葉を紡ぎ出す。
「成功じゃ! おめでとう! では、次は身体から剣を取り出す自分をイメージするんじゃ。さぁ早く! やってみるんじゃ!」
俺は眉根を寄せたまま、しゃべる雲の言葉にコクリと頷くと、再び、両目を閉じてイメージを膨らませる。
剣を取り出す。
そう、俺は鞘。
剣は友だち。
そう、無二の友だち。
その代わり……。
リア友は少ない……?
いや、ていうか、いない……。
ぐすん……。
なんか……つらい……。
途中から悲しい連想ゲームをしていることに気がつき、頭をブンブン振って、思考を安定させる。
気を取り直した俺は、今度こそはという思いで、自分を鞘であるとイメージし、もう一人の俺が俺から剣を勢いよく引き抜くイメージを膨らませる。
……どういう状況?
すると、シュンという効果音とともに、手のひらに何かが、突如として出現するといった今までに味わったことのない感覚を覚える。
再度、両瞼を開けて視線を右手に向けると、そこには天の剣がしっかりと存在していた。
驚いていると、パチパチと拍手の音が、不意に俺の両耳に届く。
その音は、どうやらしゃべる雲から発せられているようだった……。
どこに手があるんだ?
俺は訝しむような目で、しゃべる雲を繁々見つめる。
「再び成功じゃ! あとは、慣れれば剣のみならず、アイテムも瞬時に出し入れ可能じゃ! よく練習しておくように!」
そう言われ、改めて手に握られた剣を見る。
遂に、異世界か……。
ゴクリと生唾を飲み込む。
ワクワクと少しの恐怖とがないまぜになったような形容し難い感情が、胸中に渦巻く。
その胸裏にみなぎった感情を吐き出すように口を開く。
「はい! 精進します!」
「いい返事じゃ! では、今から少年を——あ! そういえば、これも渡しておこう」
しゃべる雲はそう言うと、雲から懐を漁るような音を立て始める。
あの雲の中に、誰かいるのか?
そんなことを思いながら、まじまじ雲を見つめる。
すると、「あった! あった!」という声が聞こえ、再び雲の中心部分から光球が放たれ、再度、俺の胸の前までしずしずと移動しピタリと静止してふわふわ浮遊する。
「さあ、剣と魔法書をしまって、その光を受け取りなさい」
「は、はい!」
そう言われて、剣と魔導書を身体に仕舞い込む。
今度は最初のときよりも、早く仕舞うことができた気がする。
もしかして、俺って天才?
なんだよ身体にアイテム仕舞い込む天才って……。
自分で自分に突っ込むといった禁忌を犯しながらも、気を取り直して、胸の前でかすかに揺蕩う光球に目を向ける。
地味に眩しいな……。
そう思いつつ、目を瞬かせる。
そして、両手でその光球を蛍を捕まえるかのような要領で包み込むと、またしてもパチンという音とともに光球が弾け、何かが手の中に落ちる。
手の隙間からちらりと中を覗き込むと、なみなみと液体の入った透明な小瓶が手の中に収まっていた。
その小瓶を右の人差し指と親指でつまんで、じっくりと観察する。
液体の色は濃い紫色。
ポコポコとちょうど炭酸飲料水のように、細かい泡が瓶の底から湧き出ている……。
なにこれ?
毒?
それとも、葡萄ジュース?
「何ですかこれ?」
考えることを放棄し、しゃべる雲にしゃべりかける。
「それはポーションというやつじゃ! だが、ただのポーションではないんじゃ! 飲んでも復活するポーションなのじゃ!」
ポーションということは、回復薬的なやつか?
「復活するというのはどういうことでしょうか……?」
「液体を飲んだら普通、空になるじゃろ? だが、そのポーションは飲んだらすぐに補充されるのじゃ! 一日に、二回だけ!」
「つまり、一日に、三回、回復できるということですか?」
「そう言うことじゃ! 話が早くて助かるわい」
「あと、回復っていうのはどの程度の傷を回復できるのでしょうか?」
「死んでいなければ、骨が折れていようが、四肢が切断されていようが元に戻るのじゃ!」
軽い感じで告げられたポーションの凄まじい効果に、大きな皿のように目を丸くする。
「そ、そんな万能薬があるんですか? すげえええええ‼︎」
俺が感嘆の声をあげていると、しゃべる雲が小声でボソリと呟く。
「まあ……それくらい危険な場所だということなんじゃが……」
「なんか言いました?」
「いや、なんでもない……んじゃぞ!」
俺の質問に対して、しゃべる雲はなぜかバツが悪そうに、言葉を濁す……。
そして、仕切り直すように大袈裟に大仰にゴホンゴホンと咳払いをし、再度、言葉を紡ぎ出す。
「まあとにかく、少年! 早く異世界に行くんじゃ! さあ早く! そこに横になるんじゃ! そして、目を閉じるんじゃ!」
「は、はい! わかりました!」
俺はしゃべる雲の急かすようなその言葉に、唯々諾々と従い、すぐさま仰向けになって、そのままゆっくりとしずしずと瞼をおろした。
「ではいくぞ!」
しゃべる雲の一際大きな声が耳朶を打つ。
そして、その声をきっかけに俺はあることを思い出し、疑問を口にする。
「そういえば……」
「なんじゃ少年?」
しゃべる雲が、不思議そうな声をあげる。
「あなたは誰なんですか? 神さまですか?」
「それは秘密じゃ!」
ピシャリと告げられた応えに、どうしてか妙に胸中で頷いてしまう。
そんな素直な自分自身に思わず破顔してしまう。
秘密なら仕方ないかと思い、その言葉を飲み込んでしまう。
しゃべる雲の言葉が胃の腑の底に落ちるのと同時に、なぜか睡魔に突然襲われた。
突然、睡魔に襲われたから、必然的に俺の意識がぼやけ始める。
「ふぁあ、いろいろとありがとう……ござい……ました」
俺は大きく欠伸をすると、ダメ押しで馬乗りになって攻撃を続ける睡魔に抵抗しながら、最後の力を振り絞って、切れ切れではあるが、きちんと感謝の言葉をしゃべる雲に告げ、やりきった感をありありと満面に湛えた。が、その一瞬の隙を睡魔は見逃さなかった。
睡魔の一撃が顎にクリティカルヒットし、抵抗も虚しく完全に眠りに落ちてしまった。
しゃべる雲は、燃え尽きたように眠る俺を認めると、優しく語りかけるように、言葉を紡いだ。
「どういたしまして……少年……。よい異世界を……」
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