第十話 オリジナル対レプリカ
つま先から頭の先まで、姿見で身だしなみをチェックするかの如く、レプリカに視線を這わせる。
そっくりだ……。
水でずぶ濡れなところに目を瞑りさせすれば、瓜二つであると言えるくらいにそっくりな風貌である。
その再現性の高さを前にして、改めて魔法の凄さに感心した俺は腕組みをして感嘆の溜息を漏らす。
一方、レプリカは俺の値踏みするような粘着質な視線に、なぜかその俺にクリソツな無表情を崩し……。
なぜか困ったように……。
なぜか頬を紅潮させ……ている?
「がぁ!」
突然目に飛び込んできた羽虫のような、眼前の不快な光景に変な声が口を衝いて飛び出し、畳みかけるように言いようのない不快感が腹の底に蟠った。
そして、身内にとぐろを巻き毒蛇の如く鎮座するそのどす黒い感情をゆっくり吐き出すように、「こいつは……」と心中で毒づくと、眉根を寄せて大きく嘆息した。
だが、そんな些少なことで、へそを百度以上曲げた俺の機嫌は治らない。
そこで、レプリカとの腹が煮え繰り返るほどに忌々しい邂逅を経てから、沸々と脳裏に浮かんできていた幾許かの疑問を鬱憤晴らしに、いくつか飛礫を打つようにぶつけてやろうと考えた。
そう考えるやいなや、威嚇するコブラが如く、口を開いた俺は一つ目の疑問を毒の唾のようにレプリカへと無慈悲に吐きかける……ことはなく努めて平静を装いながら問いかける。
怒りをぶち撒けながら詰問することは容易い。
だが、理性を欠いた人間は、引き換えにその信頼を欠くことになる。
これからのことを思えば、このレプリカという俺に似た下劣なクリーチャーは、俺がこの世界を生き抜く上での命綱になり得る存在であると言える。
俺は自分にそう言い聞かせて、冷静さを保ったまま、口火を切る。
「なぁ、ちょっといいか?」
俺の極めて冷静かつ物腰の柔らかさが滲む言葉を受けて、頬を不気味に赤く染めていたレプリカがやにわに無表情になり、口を真一文字に引き結ぶ。
どうやら、俺の言葉は理解できるらしい。
そのことに若干溜飲をさげ、安堵しながら、質問を続ける。
「お前って、水鬼みたいに言葉を話したりはできないのか?」
召喚してから十五分、レプリカは表情を微妙に変化させるだけで、一向に微塵も一言もしゃべろうとしなかった。
そこで、ある違和感が頭に去来した。
まず魔法書には、俺の七割分の能力を保有した水でできた複製体が召喚されるみたいなことが書かれていた。
だから、俺はこう解釈した、俺より戦闘能力がわずかに劣った俺が召喚されるのだと……。
しかし、どうやらそうではないらしかった。
レプリカの今までの挙動が、それを言外に示していた。
俺はレプリカのその挙動を見て、朧げながら理解したのだ。
七割を除く欠落した能力の三割に、良心という名の共感能力が含まれているということを。
つまり、俺はレプリカに反映される七割分の能力と反映されない三割分の能力が、戦闘能力だけを指しているのだと勝手に解釈していたのだ。
今でも、水鬼を想うとわずかに心苦しくなり愁いに沈む俺に相反してレプリカはというと、ケロッとしている……ような印象を受ける……。
俺は人を小馬鹿にするのは大好きだが、良心があるからか、この十六年間、赤の他人に対して憐憫の情を催し、その赤の他人のために青筋を立てることも少なくはなかった……ような気がする……。
まあ俺の良心というか共感能力の話は一先ず置いておくとして、今はその三割の中に言語を理解する能力や会話をする能力が含まれているかどうかを詳らかにしなければならない。
一応、言葉を理解することはできるようだが、油断は禁物だ。
大手外資系企業の面接官くらい神経を尖らせなければならない。
英文読解ができても、英語が話せなければグローバル社会という名のやり手ビジネスマンが跋扈する生き牛の目を抉る戦場では通用しないのと同じように、言葉が理解できるだけで、しゃべることができなければ異世界という名のモンスターが蔓延る生き馬の目を抜く戦場では通用しないというか不利でしかないと元学生の現在自由人という立場ながらに考える。
さらに、これからモンスターなんかの敵との戦闘を想定すれば、言葉を介して意思の疎通というか言葉のキャッチボールができるに越したことはないと、ボイチャで雷のような罵声を浴びせることで雷名を轟かせていた元学生のゲームフリークながらに考える。
仮に野球のようにハンドサインで意思の伝達をするにしても、凶悪なモンスターを前にそれができるとは到底思えない。
てか、たぶん、戦闘中、手が震えちゃうから、普通に無理だと思う……。
そんな凶悪なモンスターと対峙する身の毛もよ立つ場面を想像しながら、レプリカの返事を待つ。
すると、レプリカは唐突に真剣な表情になり、射るような視線を俺に向けてくる。
にわかに向けられたチクリと刺すような視線に、思わずゴクリと生唾を飲み込み。
数秒後、遂にレプリカが、その俺によく似た口を開く。
「ご……ご主人さ……ま……ど……どう……して……」
一瞬、何を言われたか理解できず、「へ?」と呆けたような声をあげる。
そうして、間抜けに放心したような顔つきをした俺を目にして、レプリカの表情が目に見てわかるくらいに一変する。
真剣な表情のペルソナが崩れ、にやにやと下卑た笑いを浮かべるレプリカがそこにいた。
「てめぇ‼︎ だからてめぇは友だちがいねぇんだぁぁぁぁぁ‼︎」
怒りで顔を真っ赤にした俺はレプリカの胸ぐらを掴んで憤るのだが、そのレプリカはというと、なんで怒ってるんですか? 勘弁してくださいよ、みたいな面持ちで、明後日の方向に目を向け、生意気にも白を切ろうとしている。
そんなレプリカのなめた態度が油と化し、俺の怒りの炎がその火力を暴走させる……と思いきや、ふとあることに気がつき、そのメラメラ燃えていた情動が急速に鎮火する。
その気づいたことというのは、レプリカに吐きかけた暴言が俺に効果抜群であるということ、そして俺の七割分の能力を保有するこのクソレプリカの性格の悪さが俺の性格をベースに再現されているとするなら、オリジナルである俺はいったい? という肌が粟立つような気づきであり、その残酷な悟りが千本の針となって胃の腑に落ちたことで、急速に具合が気分が悪くなってしまう。
悟ってしまった俺は力なく、レプリカの胸ぐらから手を放すと、踵を返して、とぼとぼと数メートルおぼつかない足取りで歩みを進める。
それから、立ち止まって腰に手を当てると、どこまでも続く広大な草原に目を向ける。
俺の心もこのくらい広ければなぁ〜、と現実から目を背けようとしたところで、「ふん」という嘲笑混じりの鼻で笑う音が鼓膜を揺らしたことで即座に我に帰る。
そして、大きくブンブンと頭を左右に振って、踵を巡らせて、再びレプリカに視線を向けると、鷹揚に腕組みをするレプリカが目と鼻の先に堂々と突っ立っていた。
俺はそんなレプリカの、ちっぽけな俺を遥かに上回る、どデカい態度を目の当たりにして、諦めたように言葉を紡ぐ。
「わかったわかった……。もうわかったから……とりあえず話すことはできるんだな?」
俺の言葉を耳にして、レプリカがコクリと頷く。
「じゃあ、戦いの方はどうだ? 剣は? 剣は出せるのか? あと、魔法は? 魔法はどうなんだ?」
立て続けにそう訊くと、レプリカは自身の右手に目を向ける。
そうして、目を瞑り数秒してからカッと目を見開く。
そうすると、レプリカの右手に『天の剣』にそっくりな剣が忽然としてその姿を現した。
俺はその輝く刀身を目にして、「おー!」と感嘆の声をあげる。
どうやら、俺のできることはほとんどできてしまうらしい……。
それじゃあ……次は魔法だな。
一応、チェックするだけしておこう……。
そう考えレプリカを繁々見ると、レプリカは突然破顔し、不気味な笑みを口元に浮かべ、剣のレプリカとレプリカのオリジナルである俺の顔へ交互に視線を行き来させた。
嫌な予感が胸中で騒めくのを感じて、俺も瞬時に剣を取り出す。
その刹那、レプリカは剣を強く握り込むと、疾風を思わせる速度で俺の間合いに入り込んで、剣を力いっぱい薙いでみせた。
俺は慌てて剣で防御の体勢を取りながら、一歩後ろにさがって、その突然の攻撃を紙一重で回避する。
「何すんだ⁉︎ やめろ‼︎」
レプリカは俺の叫び声を聞くと、俺から距離を取るように後方へと跳躍する。と見る間に、剣をグサリと草原に突き刺すと、左手をピストルの形にして、人差し指を行儀悪く俺へと向けて狙いを定める。
「てめぇ……。冗談じゃ——」
俺が最後まで言い切る前に、レプリカが高らかに叫ぶ。
「ウォーターバレット‼︎」
レプリカの真っ直ぐに伸びた左人差し指の先に、淡く光る青く小さな魔法陣が展開され、バキューンという音を合図に水の魔力の塊が勢いよく放たれる。
「なぁ⁉︎」
堪らず驚きの声をあげ、目を白黒させていると、慌てふためく俺など意に介さず、魔法の弾丸が、構えていた俺の剣に吸い込まれるようにしてぶつかる。
その衝撃で、剣が俺の手から弾け飛び、何度も弧を描くコンパスのように回りながら中空を舞う。
攻撃の衝撃を受けた俺は、そのままバランスを崩し、重力になされるがままに尻餅をつく。
その光景を前に、焼けた餅に舌舐めずりをするように、待ってましたと言わんばかりの顔をしたレプリカが、目にも留まらぬ速さで駆け出し、俺を追い詰めるべく一気にその距離を詰めようとする。
一方、俺はというと、手から飛んでいった剣を目で探す。
が、見つからない……。
そうこうしている間に、目の前に影が差し、眼前に人影がいることに気がつく。
そして、目を見開き、その俺によく似た人影——レプリカを仰ぎ見る。
見るとレプリカはいつの間にか、手に握っていた剣の柄を逆手に持ち替えており、上段から俺を串刺しにしようとしているところであった。
嘘だろ⁉︎ という驚愕の二文字を貼りつけた俺の顔に、鋭い剣の切先が迫る。
無意識に両腕で頭部を覆い、強く両目を閉じる。
もうダメだ! と心の中で叫び、嫌な想像を膨らませる。
これから自分に起こるであろう最悪の事態が脳髄にまざまざと浮かびあがり、一筋の濁った脂汗が額から頬へと流れ落ちる。
しかし、最も簡単にその想像は裏切られる。
どういうわけか、グサリという刃物が肉を裂く音が耳朶に届くことはなく、血のニオイが鼻腔に届くこともなかった。
ただただ重い沈黙が場を支配していた。
どうしてだか……水を打ったように辺りは静かだった。
俺はおずおずと牛歩の速度で、しずしずと両瞼を持ちあげる。
すると、そこには見慣れた顔に嫌な笑みを湛えるレプリカの姿があった。
そうして、こう呟く。
「ご主人。ドッキリですよ……。ふふふふふ」
俺は豆鉄砲をくらった鳩のように目を見張ると、返す刀で肘鉄砲をくらったかのようにして後ろに倒れ込む。
仰向けになった俺は、鼻で大きく空気を吸い込む。
それから、大きく息を口からふぅーと吐き出して、柔らかい口調で言葉を紡ぎ出す。
「なーんだ。ドッキリか〜」
そう言ってから顔つきと目つき、ついで口調を豹変させ、怒号を飛ばす。
「ふざけんなああああああ‼︎」
その言い募った言葉を追いかけるようにして、目を血走らせながら勢いよく立ち上がると、腹立ち紛れにレプリカへと迫る。
今度はレプリカの胸ぐらを掴むことが、どういうわけだかできなかった……。
理由は誰にもわからない……。
いや、わからなくていい……。
もう……これ以上はやめてくれ……。
怒りと愁いがないまぜになった感情を満面にありありと湛えた俺の胸中を、見透かすようなレプリカの澱んだ目を、俺は決して忘れない……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます