第十一話 侮辱するかのようなハンドサイン

 モンゴルにあるあっちの世界最大の茫漠たる草原を、彷彿させるほどの大きさを誇る草の大地の中心で睨み合う。


 相手はもちろん、自分自身だ。


 結局、人生は自分との戦いだ。


 自分を律して、欲望を断ち、努力を積み重ね、成功を勝ち取る。


 どれだけ敵となる自分自身がムカつくような表情で、こちらを挑発してきたとしても、泰然自若の態度でさらりと受け流し、不退転の決意をもってすれば、きっと……きっと……。


 そうご立派なスピーチを心中で滔々と語る最中、視界に映るのは変顔をする俺の分身体である……。


 そう……レプリカだ……。


 俺は「チッ」と忌々しげに舌打ちをして、額に青筋を浮かべる。


 こいつは……こいつは……。


 心の中でそう独りごちながら、腹の中でメラメラと怒りの炎が遍く燃え広がるのを感じつつ、炯々とした鋭い険のある視線をレプリカに向けていると、不意に素晴らしいアイデアが花が綻ぶようにして忽然と閃く。


 胸中で「ヨシ! これだ!」と声を弾ませ、ガッツポーズをして、決意を固める。


 そして、身を切る忿懣から、固く引き結んでいた口元を緩め、自分とは思えない強気な言葉を口にする。


「もういいぜ! てめぇなんかに構ってられるか!」


 俺はレプリカに吐き捨てるようにそう言うと、大きくその一歩を踏み出す。


 そしてそのまま、どすどすと憤りを如実に表すような足取りで、前方へ一目散に歩みを進める。


 レプリカから二十メートルほど離れたところで、背を向けながら原っぱにどかりと座り込むと、再びレプリカに今度はわざと聞こえるように「チッ!」と大きく舌打ちをする。


 それから、バレないように見えないように、細心の注意を払いながら、ゆっくりと右手を草が生い茂る地面に伸ばし、ポンと手のひらをその緑のラグへと乗せる。


 そして、ニヤリと僕の勝ちだとばかりに、したり顔でほほ笑むと、即座に早口で詠唱を開始する。


「魔法陣展開! 水鮫!」


 すると、面前にマンホール大の半透明な魔法陣が、たちどころに展開され、瞬く間にそれが青く染まり五、六倍の大きさに拡大する。


 その一部始終を確認した俺は瞬時に立ちあがると、一陣の風を思わさせる速度で前方へと駆け出し、拡大した魔法陣からそそくさと抜け出す。


 そして、少し斜めに移動しながら魔法陣から召喚されるであろう水鮫と、その奥で間抜けに佇むレプリカを見るためにくるりと振り返り、目を大きく見開く。


 まず目に飛び込んできたのは、青く輝く巨大な魔法陣だ。


 魔法陣の中心には、海面に小さな岩を投げ込んだときにできるような大きな波紋が生じている。


 そして、数秒のときを経て、ザブンっと耳触りのいい音を立てて、何か巨大な影が、勢いよくその魔法陣から飛び出してきた。


 俺は目を凝らし、その影を自身の眸で追う。


 そして、理解する。


 その正体が何であるかということを……。


 その正体は……巨大な鮫であった。


 透き通るような空を背景に、淡い水色に輝く巨大な鮫が、宙を遊泳するようにして俺の頭上を旋回する。


「成功だ‼︎」


 興奮からそう言い募ると俺は即座に視線を水鮫から外し、返す刀でレプリカに自身の視線を釘づけにする。


 俺は覚えていたのだ……。


 まるでついさっき起きた出来事であるかのように、鮮明に思い起こすことができるのだ……。


 レプリカを召喚したとき、水鬼がどうなったのかを……。


 水鬼の呻くような、悲哀に満ちた最後の言葉(仮)を……。


 そして、俺は鎮魂歌の調べを奏でるが如く、愁いを帯びた声でもって紡ぎ出す……。


 最大の感謝を込めて、今は亡き水鬼(?)への言葉を……。


「ありがとう……水鬼……」


 感謝を述べた瞬間、なぜか心がパァッと華やぐのを感じた。


 きっと水鬼が俺の勝利を祝福してくれているのだろう……。


 そうしみじみ感じながら、どこか遠くにいるであろう水鬼に思いを馳せ微笑む。


 思いが通じたという嬉しさと、仇を討ったという高揚感が、混ぜこぜになった色で、自身のやるせない気持ちが滲んでいた満面に、鮮やかな彩りを与える。


 しかし、勝利を確信した俺の喜色は、忽ち蒼白なものへと変貌を遂げることになる……。


 なんと……。


 レプリカは慌てふためくことも絶望することもなく、俺をせせら笑うような笑みを俺と瓜二つのその面に浮かべながら、こちらを鷹揚に眺めていたのである。


 その予想外の光景を目の当たりにした次の瞬間、レプリカは俺を侮辱するかのようなハンドサインをこれみよがしに見せつけると、瞬く間に水の塊と化しビシャリという水の入ったバケツをひっくり返したときを想起させる音を立てて、草の群がる地面の染みとなり果て、俺の眼前から泡沫の夢であったかの如く掻き消えてしまう。


 一連の流れを見ていた俺は、そのまま呆然と草のカーペットに立ち尽くす。


 予想がハズレたこと、勝ち逃げされたことによるショックにも似た感情が、胸中で複雑に絡まる。


 この嫌な絡まりかたをしたイヤフォンみたいな心を、解きほぐすには、あいつを……。


 レプリカをやるしかない……。


 そう心の中で思い定めて、両手を強く握り絞める。


 そんな折、百折不撓の覚悟をもって、一矢報いることを決断した俺の左肩を、嘴でも容れるかのようにして、誰かがツンツンとつついてくる。


 無粋なやつもいたものだ……。


 覚悟を決めた我に、ちょっかいをかけるとは……。


 忌々しく思いながら、他者を威圧する鋭い目つきをして、チラリとその不届き者を、その鋭い視線でもって射止めて、冥土の土産に後悔の念のひとつでも掻き抱かせてくれようと思い、自信満々に堂々といかめしく振り向く。


 プロ野球選手やゾンビと対峙する洋画の主人公が、その強靭な肩をもってして振り抜くバットと比肩する速度をもって、勢いよく振り向く。


 すると、目を白黒させ、よろめきながら尻餅をつく。


 誠に情けないことである。


 気圧され、尻餅をついたその誠に情けないやつの正体……。


 それは……。


 何を隠そうこの私……。


 夜雲龍彦である……。


 この私の左肩をその大きな鼻でつついたのは、あの有名な鮫映画の鮫を彷彿とさせるほどに、巨大な淡い水色に輝く鮫の形をしたゴーレムであった……。

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