第十二話 鮫の召喚獣
灯台下暗しという表現が適切か不明だが、俺のすぐそばには、目に見えないはずの恐怖が、鮫の形をして潜んでいた……というか……現在、堂々と鎮座している。
比喩とかではなく、俺のすぐそばに、近距離に鮫がいる……どうしよう……マジで……。
振り向いてしまったことを深く後悔し、目の両端に涙をいっぱい溜めながら、「た、た……す……け……て……く……れ……」と心中で助けを求める。
悲痛な想いを声にしないのは、目の前の危険なニオイをキツい香水のように、四辺に漂わせる恐ろしい鮫を刺激しないためだ。
一寸先には鮫がいる。
闇ではなく鮫だ。
しかも、超デカい。
闇と鮫の共通点は、ツヨツヨ天体であるところのブラックホールみたいに、何もかも呑み込んでしまうところにあると思う。
大きな違いは、呑み込まれる過程において、刺すような痛みをともなうかどうかだと私は考える。
それを踏まえてよくよく見れば、件の彼奴の大きな口には鋭い歯が剣山が如く生えていて燐光が如く炳乎たる輝きを放ち、そのわずかな隙間からはぬらぬらとした唾液のような液体がだらだらと垂れている。
つまり、闇ではなく鮫にゴクリと呑み込まれるという憂き目を見る前に、イタイイタイシヌシヌシヌのツラミと刺すような痛みを感じることになるということは、火を見るよりも明らかであると言える。
加えて、フシューフシューと生温かい鼻息が顔にかかり、哺乳類なのか魚なのかゴーレムなのか曖昧模糊とした生命体の分際で鼻で呼吸しているらしいということに眉を顰めそうになるが、これも目睫に鎮座する鮫の機嫌を損ねる契機となるやもしれんという憂いから、一切表情を崩さぬよう懸命に歯を食いしばり、努めて平静を擬装し、ただひたすらにこの状況を試練と解釈し受け入れて耐え忍ぶ道を私は選んだ……。
苦渋の決断だったと、このままサバイブすることができればのちに述懐していてもおかしくない絶体絶命のピンチを前に、濁った汗がとめどなく玉のように吹き出し、自然の摂理に屈するが如く、続けざまにそのこうべを垂れてはしずしずと雫と化して、前額から無様に流れ落ちる。
その濁り冷えた意志のない歯車のような汗が、目に入りそうになるが……それでも私はびくとも動かない。
まさに動かざるごと山の如しである。
瞬きすらするのを躊躇してしまうような、身を真っ二つに引き裂いてしまうかのような恐怖が眼前にあるために、瞼を閉じることはできない。
お陰で、左右の眸の面は涸々である。
ありとあらゆる想いに苛まれるが、私……否……俺は動じない。
まさに、山である!
いや、小高い丘かもしれない。
とりあえずそんな自分が、山かはたまた丘かというような野原にぽつねんと転がる小石ほどに些少なことは、ぶっちゃけ、この際どっちらでもいい。
とにかく、このままではいられないことだけは、たしかであり、またこのままであれば、俺の命の灯は風前の灯と同じ結末を迎えることが、火なんか見なくても明らかだった。
小石みたいにただ押し黙っているだけでは、どうにもならないことを実感したそんな小悟を得た俺は、ここで一念発起することにした。
ナウなヤングらしく若いパワーを駆使して、この場を乗り切る他に、手立てはないだろうと……奇跡的に、折れずに腐らずにそう思い定めることができた。
学歴社会から解き放たれ流浪の者と化した俺の瞬発力は、吹き荒ぶ嵐の瞬間風速をも上回る……はず。
まあどうだっていい、俺は自分の人生という名の物語の主人公なのだ、ここで引いたら決まりが悪い!
さて、どうやって逃げ切ろうか?
果たして俺は逃げおおせられるのか?といた具合に一寸先の未来に思いを馳せると、その思いが不安をともなって山彦のように返って来た。
その去来した複雑な思いをやれやれといった感じで、捨て犬を拾いあげるできる不良主人公風に抱きあげると、身を切るくらいにクールかつ剃刀くらいよく切れるさえた思考をもって、神経を擦り減らしながら逃亡の手筈を必死に考える。
これらの相反する性質を身内に宿していることこそが主人公としての誉であり、俗に言うギャップ萌えと言い伝えられる魅力を産むのだ……と思いたい……。
何はともあれ、本当にどう逃げようか?
トカゲのように尻尾を巻いて逃げようか?
カナヘビのように尻尾を切って逃げようか?
はたまた蜂のように刺して、蝶のように逃げようか?
俺がそういった千万の思考を巡らせるさなか、水を差すように空気がその顔色を変える。
恐ろしいことに、ひりつく緊張感が場を無慈悲に支配する中で、最初に動いたのは逃げる意欲をみなぎらせた俺ではなくて、件のどデカい鮫であった。
鮫の微妙な表情の変化と纏っていた空気の動きを、憂いによって研ぎ澄まされた神経で、敏感に察知した俺は深く後悔する。
しまった!と声を大にして叫びそうになる。
後悔の念がコレステロールたっぷりの悪い血潮のように全身を駆け巡り、額に嫌なコッテリとした脂汗が再び吹き出す。
だが、後悔したってもう遅い。
だって、もう先手を取られてしまったのだから……。
剣術の界隈では、先に動いた方が不利になるらしいが、それはカウンターといった攻撃手段を持っているからこそ後攻が有利になるのであって、レプリカとの戦闘で『天の剣』を紛失した咄嗟の攻撃手段いわゆるカウンターを放てない俺の勝率がひきぃことは周知の事実である。
あと、断っておくが、俺には元々正々堂々と戦うというコマンドを選ぶつもりなど毛頭なく、できれば不意打ちすることもなく穏便に敵前逃亡したい旨を伝えたいが、あいにく鮫語が解らぬからどうしようもないのが実情である。
御託はいいと思うので、とりあえず状況を整理しようと思う。
この空飛ぶ巨大な鮫と自由人と化した元高校生の俺とでは、実力にどんでもない開きがあることは一目瞭然である。
だからお察しの通り、山……ではなく小高い丘で居続けることにした。
ハハハ……乾いた笑いが、脳内にこだまする。
到底主人公らしからぬ格好の悪い決断してしもうた俺は、どうすることもできずにただ目をパンダのように白黒させる。
踊る烏賊や蛸くらい憐れな海鮮料理のように右往左往する哀れな俺を認めて、件の鮫が耳まで裂けた口を動かしてヨダレだと思われる体液を口の端から、これでもかと思うくらい大量に垂らし、草の葺かれた大地に日溜まりのように光る水溜りを形成する。
その光景を前にして世界が終わったかのような顔つきになる……が、ついで驚くべきことが起こり今度は忙しなく顔色をカメレオンみたく蒼白な色合いに変色させる。
鮫は普通の鮫ではあり得ないような邪悪な笑みを、その凶悪な満面に猫みたいに湛えると朝飯前だぜと言わんばかりに呪われたマペット人形みたく口をパクパク動かして、俺に食いかかろうと……することはなく丁寧な物腰で、立て板に流麗な水を流すようにして言葉を紡ぎ出すのであった。
「マスター! 水鮫と申します! どうぞお見知りおきを!」
「あ……はい……これは、ご丁寧にどうも……」
思いがけない海のハンターとは思えない荒々しさのカケラもない、丁寧かつ好青年のようなハキハキとした言葉遣いと声音に、言い淀みながら返事を返す。
そして、瞠目して言い募る。
「しゃべんの⁉︎ それもそんな丁寧に⁉︎」
俺の驚愕を内包した言葉を聞いた水鮫が首を傾げる……みたいな動作をして、吻と第一背鰭の間にぷかぷかと疑問符を浮かべる
「それは……どういう?」
「どういうじゃなくてさ! おま、じゃなくて、水鮫は明らかに鮫じゃん! 普通しゃべらんやん! それに、さっき召喚したレプリカは俺を殺そうと……してきたから、俺、その水鮫に……食い殺されるのかと思ったんだ……」
包み隠さず思ったことをつぶさに語ると、水鮫はニィッと喜色満面に鋭い歯を剥き出しにして恐ろしい表情で、はははと笑う……歯だけに。
その表情にぞっとし、戦慄していると小刻みに慄く俺を尻目に、水鮫が明るい調子で言葉を紡ぐ。
「マスターは面白い冗句を仰るんですね! さすが、私の主さまだ! ユーモアのセンスが抜群でいらっしゃる!」
おぞましく笑いながらヨイショしてくる水鮫に、目を丸くしていると、水鮫が言葉を続ける。
「マスター! それでは、ご命令をどうぞ!」
飛魚のように勢いよく飛び出した水鮫の言葉に、ハッと我に返り口籠もりながらも返事をする。
「あ、うん……そうだな……それじゃぁ……いくつか質問していいか?」
「もちろんですとも! なんでも仰ってください!」
その温かみのある言葉を聞いて、温かい何かが頬を伝う。
「マ……マスター? どうかなされましたか?」
心配そうに訊ねる水鮫の目の前で鮫の目もはばからず、ブレザーの袖でグイグイと顔を拭いながら「ああ! 悪い! なんでもない!」と返事をする。
それから、心で「三度目の正直だ!」と呟き、両の手で両の頬を馬に拍車をかけるように叩いて、言葉を続ける。
「それで、うーんと……」
俺は口籠もりながら、訊きたいことを頭で整理する。
すぐに訊ねることができないのは、マトモに会話や質問ができるなんて一ミリも期待していなかったためである。
それだけだと誤解を招く可能性があるので、しっかり訂正する。
正直、一ミクロンしか期待していなかった。
言い換えれば、瓢箪から駒を出す思いで口にしたまでだった。
この世界に来てからまだ味わったことのない嬉しい戸惑いから、慌てて泥縄で質問を探す自分に苦笑しつつ、気になっていたことを一つ一つ一歩一歩足を運ぶようにして訊ねる。
「それじゃあ! 一つ目の質問!」
「はい! なんなりと!」
「召喚に関する質問なんだが、その召喚っていうのは、普通、一体しか召喚できないものなのか? 複数体同時に、召喚できる方法があれば知りたいんだが……」
水鮫は俺の問いを受け、考える人のような難しい表情を一瞬だけすると、すぐに口元を綻ばせ華やいだ表情をして、明るい説明口調で理路整然と答える。
「ええそうですね。サモナーのスキルを所持していない限り、基本的には二体もしくは二体以上同時に召喚して使役することは、不可能です。また、サモナーのスキルがない状態で、二体目以上のモンスターいわゆる召喚獣を召喚した場合、一体目に召喚した召喚獣の召喚はキャンセルされ、再度召喚しなければならなくなってしまいますのでどうかお気をつけください」
……ということは、水鬼は召喚がキャンセルされたというだけで……死んではいないということなのか……?
まあとりあえず、水鬼が無事だということがわかって一安心と言いたいところなんだが……。
そのサモナーのスキルってのは、いったい何なんだ?
サモナーのスキルという聞き覚えのない専門用語が出てきたことに、思わず渋い顔をする。
水鮫が怖い鮫ではないことを知った俺は、気兼ねなく渋い顔を崩さずに質問を続ける。
「そのサモナーのスキルっていうのは、どこで獲得できるんだ?」
水鮫はまた考える人のような顔になり、そして今度はわかった人みたいな顔をする。
きっと、ヒレではなくて手があれば、手のひらを拳でポンと叩いていたに違いない。
「それは……冒険者専用のギルドの受付で、モンスターを倒したときにギルドカードに自動的に貯まるスキルポイントを使用することで、獲得できたと記憶しております」
馬鹿みたいなことを考えていた俺の耳に水のように、続けざまに専門用語が注がれていく。
「そのスキル……ポイントって何だ? あと、そのギルドカードってどこで手に入れるんだ?」
小さい疑問符を頭上にまばらに浮かべ、若干慌てふためきながら訊くと、そんなこともわからないのか?という嫌な態度は見せず、懇切丁寧にこっちの世界の自然の摂理を説き始める。
「えーとですね。モンスターを倒しますと基本的に死骸と濃い紫色をした魂とに分離されるのですが、分離したその魂は瞬く間にさまざまなものにその姿を変えるんです。……ここまでよろしいですか?」
「お、おう……」
魂があるという眉唾な事実に驚きから一時的ではあるけれど、狐につままれたような顔になって、これまた不思議なことに一時的にお以外の発音ができなくなる。
そんな間抜けな顔つきの俺とは打って変わって、水鮫の顔つきが厳粛なものに変化する。
「それでは、話を続けます。ここから些か難しい話になりますので、よく聞いていてください。まず初めに肉体から離れた魂は、空気に触れることによって、さらに分離します。具体的には、赤色の魂と青色の魂に分離します」
「マジか……しかも、そんなに、分離するのか……」
「はいめちゃくちゃ分離します。それで、分離したうちの赤色の魂は魔石やアイテムといった目に見えるモノに、ランダムで姿を変えます」
「霊体が物体になるのか?……しかもランダムで?」
「はい! 霊体が物体になります……しかもランダムです! それでもって、青色の魂は、経験値やスキルポイントなんかの目に見えないモノに変化します!」
「それは——」
「もちろん、ランダムです!」
「そうか、やっぱりランダムか……」
一体どういう原理でそうなるのだろうか?
しかも、ランダムというところが、まるでゲームみたいだ。
もしかして、俺は三次元の異世界ではなく、二次元のゲームの世界に転移しちゃったのだろうか?
でも、ゲームの世界に転移しちゃうあれって、普通、プレイしているか、プレイしたことのあるゲームの世界に転移するもんだよな?
つか、こんなゲームをプレイしたことなんかないし、最後にプレイしたゲームだって死ぬのが前提みたいなゲームだったはずだ……。
そう考えると転移してから現在に至るまで、まだ一回も死んでないっていう今の状況はあり得ない……。
つまり……。
シンプルに地球とは異なる別の三次元の世界にでも飛ばされたんだろうなぁ……。
「それでですね……」
「う、うん。それで、それで?」
まずい、まずい、しっかり聞かなければ、生存確率がさがってシンプルに落命してしまう。
気を引き締めなければ、命がいくつあっても足りない……。
この世界はあくまでもリアル、ゲーム(一部例外を除く)と違って、残機はないしやり直しはきかないのだ。
「……経験値の場合、そのままモンスターの近くにいた人物に吸収される性質があるんですけど……」
「……ん? ……なにそれ⁉︎ 魂だったもんが身体に吸収されんの? 普通に怖くね? もし倒したモンスターに恨まれてたら、祟られたり呪われたりしそうで普通に嫌なんだけど‼︎」
「大丈夫です! 祟られたりしません! 呪われたりもしません! だから、怖くもありません! あとカロリーもゼロでヘルシーです‼︎ 安心してください!」
「……ヘルシーなのか⁉︎」
「ヘルシーです……」
「そうか……なら問題……ないな。たぶん……悪い続けてくれ」
ツッコミどころ満載だが、今は一言一言呑み込むことに徹しよう。
それで腹をくだすことになったら、そのときはそのときだ。
ここで、嘴を容れたらもっとわけのわからないことになりそうだと、俺の野生の感がけたたましく嗄れた声で鳴くカラスのように警鐘を鳴らしている。
「それでは、続けます。次はスキルポイントについてです。スキルポイントの場合は、肉体ではなくギルドカードに吸収されます」
「……ギルドカードに?」
「ええ。ギルドカードに吸収されます。まぁ正確に言えば、ギルドカードに埋め込まれているスキルポイントを、吸収する性質を持った魔石に吸収されます」
「そんな便利な性質の魔石が存在するのか? でも……その……お高いんでしょ?」
「いえ! ギルドに冒険者登録さえすれば、今なら無料です!」
「今なら無料⁉︎ 急がなきゃ‼︎」
「はい! 急いだ方がいいと進言します! で、話を戻します! ギルドの受付にはその蓄積されたポイントを、スキルの獲得に利用するための独自の秘術を扱える受付嬢兼魔法使いのお姉さん、いわゆる魔法お姉さんが常駐しています。ですからポイントが貯まったら、ご利用することを強くおすすめします!」
魔法少女は聞いたことがあるが……魔法お姉さんがいるのか?
いったいどこの層をターゲットにしてるんだ?
誠にけしからんではないか……。
純朴なおの子を絵に描いた俺をお姉さんの如く、虐める煩悩を掻き消すためにかぶりを振り、深呼吸する代わりにむっつりとしてから適当に思いついたな感想を口にする。
「つか、なんかポイントカードみたいだなそれ……」
「ぽ……ポイント……何です?」
「ああ、わりぃ……なんでもない……。それで続きは?」
カロリーとヘルシーは通じるのに、ポイントカードは通じないの何でなん?と訝しげに眉を顰めながら、話の続きを促す。
「失礼しました。とにかく、基本的にはギルドに登録して、カードを受け取り、モンスターを倒してギルドでポイントを利用するっていうのが、この世界での共通認識になっていたりします」
「じゃあ……そのスキルを利用すれば、三体同時にクリーチャーを召喚して使役することもできるって認識でいいってことか?」
「その通りです。私を創った先代水の魔王様なんかは、私や水鬼を始めとした十体の伝説級のウォーターゴーレムを同時に操り、憎っくき火の魔王の総べる国を崩壊の一歩手前まで追い込んだなんてことが昔ありました!」
どこか懐かしむような、在りし日に思いを馳せるかのような色を浮かべ、誇らしげに過去を述懐する水鮫の発した言に、蛙のように堪らず飛びついてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 魔王が、水鮫、お前を創ったのか? あと、魔王って何人もいるもんなのか?」
「ええ! もちろん! 私をデザインしたのはかの有名な先代の水の魔王様です。今はご子息が水の魔王として水の魔王国を統治しておりますが、まあ先代には劣りますね……どうしても……」
嘆息混じりに水鮫が呟く言葉に驚愕している俺を、その鋭い歯牙にかけることなく水鮫が言葉を続ける。
「あと、魔王という存在は、私が知る限り十体以上おられますね。強さはまちまちですが、そこら辺の冒険者や魔法使いではまず歯が立たないと断言できます。討伐ランクでいえば全員が伝説級の化け物ばかりです」
「そ、そうなのか、魔王って一体だけじゃないし、しかも強いんだな……ハハハ……わかった! ありがとう! 水鮫! あと、最後に一ついいか?」
「はい! 喜んで!」
若干頬を引きつらせながら伺う俺に、居酒屋の店員のような口調で水鮫が快く承諾する。
「召喚したクリーチャーは、その言い方はあれなんだけど、消すにはどうすればいいんだ?」
水鮫に、『ピアノがすごく上手になりましたね!』や『ぶぶ漬けいっとく?』などといった、いわゆる、いけず言葉的な捉え方をされたら嫌だな〜と思いながら、憂い顔をしておずおずと待ち構える。
恐る恐る構える俺をよそに、水鮫はというと、鹿爪らしい名探偵みたいな面持ちで、首を傾げる……ような動作をしている。
そして、しばらくすると唐突に泡がパチンと弾けるみたいに、表情を朗らかなものに変えると、幅の広いその喉を震わせる。
「『戻れ』や『消えろ」、『もういい』というような別れを連想させる言葉のあとに、召喚獣の名前を付け加えれば消えますよ」
その返答を聞いて、不安が杞憂に終わったことを悟り、続いて疑問が解消されたことに満足している自分に気がつく。
それから、早速得た知識をアウトプットする。
「なるほどな! わかった! ありがとう水鮫! じゃあ! バイビー水鮫!」
軽くお礼を言ってから、死語と化した別れの言葉を告げる。
「ご主人様! またお待ちしております!」
水鮫は柔らかい口調でそう言いながら、メイド喫茶の店員みたいな物腰でペコリと頭をさげる……ような動作をする。
すると、そのまま瞬く間に細かい水の飛沫と化して、空気に溶けるようにしてどこかへ消えていってしまった。
急に場を領していたシリアスな緊張感がなくなったことに、そっと胸を撫でおろした俺は、はぁーと大きく安堵のため息をつく。
それから、しずしずと目を動かし、ハリケーンが過ぎ去った後みたいに、荒れた草原を見据える。
召喚獣の力の凄まじさをまざまざ見せつける光景を前にして、ポツリと独り言を疑問系で口にする。
「改めて考えると、俺は結構とんでもないチカラを手に入れてしまったのではないだろうか?」
しかし、そんな疑問に応えてくれる人は、ここにはいない。
相槌を打ってくれる人影もない。
「……」
忽然として沈黙が生じる。
水を打ったように辺りが、出し抜けに静まり返ったことに、触発されあることを思い出す。
頭の奥底に遺棄した記憶が、ゾンビと化して俺の脳髄に怨みを晴らそうと渇きを癒そうと食らいつき、ひび割れ黄ばんだ歯と爪でもって桃色の大脳をこれでもかと刺激する。
思い出した……思い出してしました……。
そう、何を隠そう……今俺は、孤独なのだ。
それだと語弊があるな……過去——高校生だったときから現在に至るまで、ずっと孤独感に苛まれていた。
ありありとその事実を裏づける証拠になり得る記憶が、走馬灯が如く蘇ってはストーリーみたいに消えていく。
そして、必然的に次々と証拠を突きつけられたことで、追い詰められる映画のやられ役みたいな気分になってしまった。
愁いに沈んだ面をぶらさげているであろう俺は、洗いざらい述懐することにした。
改めて断言しよう俺は孤独だった。
今この瞬間だけではなく、学校に通っていたときも……孤独だった。
そう、ずっとずっと孤独だったのだ。
前の世界では、孤独を極めていたといっても過言ではなかった。
移動教室……体育のペア……数えればキリがない。
自分が孤独であるという事実を理解するのに、十分過ぎるほどの憂き目を俺は目の当たりにしてきた。「孤独ならさ! 自分から声を掛ければいいじゃないか!」と誰かに言われそうだが、そんなことは断じてしたくなかった。
行きたくもない第一志望ではない高校の生徒なんかと、決して仲よくなんてしたくはなかった。
アグリーなアヒルの雛のような学生生活だった。
白鳥であるはずの俺が、醜い烏合の衆なんかと馴れ合いなんかした日には自慢の純白の羽毛はすべて抜け落ち、生え変わり、凡庸な美しさのカケラもない白鳥属ではない鳥類に堕天してしまう気がして気が気じゃなかった。
前の世界で孤独だったのは、俺に見合うような人間が近場にいなかったという環境のせいに違いなかった。
第一志望の高校に入学できていれば、こんな惨めな思いをすることはなかった。
きっと『リア充』になれていたはずだった。
だが、後悔しても遅い。
過ぎた過去はやり直せない。
もしやり直せたらタイムパラドックスがおきちゃう。
だから、今に賭けることにした。
俺は前よりマシな世界に転移したのだ。
何を根拠にそんなことを言うのかといえば、絶対に、同じ服を着させられて、偉くもないやつを偉いかのように扱う従順な仔羊を演じるのが、常識の世界と比べれば、どんな世界であってもマシだと思えるからだ。
とにかく、俺は絶対にこの世界でイチャイチャ……ではなく……信頼できる……気兼ねなく話せる仲間を見つけ、『リア充』へと昇華し、コンプレックスを解消してみせる!
そう意気込んで「なんて素晴らしいんだ!」と草原を覆い尽くしていた静寂を破る大声をあげ、まるで映画の主人公であるかのように大仰に両腕を広げる。
そのまま、両手をブレザーの両ポケットに、突っ込んでほくそ笑む。
これから、俺の言葉に相槌を打ったり、気軽に返答してくれるような仲間との出会いや、別れがあるということに胸を膨らませずにはいられなかった。
「さてと、最後の魔法を試して、冒険の旅にさっさと出かけますか……」
俺はそうポツリとこぼしながら、ポケットからゆっくり両の手を引き抜く。
「ウォーター……ベール」
俺は魔法名を切れ切れにポツリと呟くと、両腕で自分自身の身体を抱きしめるようにして、両肩に軽く手を置いた。
そして、つらつら考えを口にする。
「魔法書に書かれていた説明だと、水のベールを纏うみたいなことが記述されていたから身体に触れながら詠唱すればいいのか? それとも、魔法陣の上に乗って詠唱すればいいのか? まあ、どっちも試してみよう。時間はまだたっぷりある……」
魔法の使用方法に関する考察を、滔々と口にした俺は、それから大きく深呼吸をする。
そして、魔法を発動させるべく、声を張りあげる。
「ウォーターベール!」
すると、足元にこれまたマンホール大の青白く光る魔法陣が展開され、続けて、吹き棒を勢いよく吹いたかの如く巨大で透明な泡が俺を包むように発生し、急速に縮小してピタリと身体に水に濡れた海パンみたいに密着する。
「ん? 成功か?」
一瞬の出来事だったせいで、自分でも何が起きたのかイマイチ理解できなかったが、ツンツンと左の人差し指で右腕をつついてみると、若干冷んやりとしたスライムを指で小突いたときのような感触がそこにはたしかにあった。
「なんか心なしか涼しい感じがするし、一応、成功したらしいな……。攻撃を一回無効化するみたいな能力があるらしいけど、敵と戦わない限りはたしかめようがないしな……。そういえば、水鬼が死んだわけではないことがわかったことだし、水鬼を召喚して、景気づけに一発殴ってもらうか? ……いや……失敗したら取り返しのつかないことになりそうだしやめておこう……」
背筋に感じる背中に氷を入れられたときのような寒気を振り払うように、ブンブンと頭を振り、これからどうするかを考える。
そして、数秒の沈黙のあと、不意に遠くを見据える。
遠くにポツンと何かがある。
だが、小さな過ぎて真っ白な点にしか見えない。
悪あがきをするみたいに目を細めて、再度凝視する。
だが、距離がかなりあるせいで、見え……た!
「は⁉︎」
驚きから声をあげ、目をこすりながら再度見据える。
再度見据えると遠くにあるそれはどう見ても、点にしか見えなかった。
「幻覚か?」
そう疑問を口にするが、応えてくれる仲間はいない。
そう……孤独だからだ!
まあ何はともあれ、俺の双眼に映ったのは森に囲まれた山とその前にポツンと鎮座する真っ白な……ドームというか輪郭が若干でこぼこしてたから巨大な岩だった……と思う。
でも、岩にしては巨大すぎる気もする……。
何だったんだ?
今のは?
一瞬、目が双眼鏡に変身したか、刹那的に、千里眼を開眼したとしか思えないことが起きた。
「まあいいや……異世界あるあるかもしれんし……とりあえず、あれがドームか岩かをたしかめるついでに、あの山のある場所にでも行ってみますか……」
俺は喉仏を上下に滑らせると、大きく一歩足を踏み出した。
草を踏み締める音が耳に届く。
目的地まで、かなり距離があるようだが、ゆっくり歩いて行けばいい。
もう俺を縛るしがらみはないのだから……。
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