第四十四話 衛兵
知り合って一日そこらの、エルフを信用したのが運の尽きだった……。
よく知りもしない赤の他人(エルフ)を信用した結果、俺はこうして牢屋に囚われ、鉄格子越しに鞭を握った鬼のような形相の見ず知らずの男に怒鳴られるという憂き目を見るという羽目に……。
ん? ちょっと待てよ……。
ぶつぶつと胸中で後悔を語る傍ら、漫然とその見ず知らずの男の顔見る中で、親しみのような、憎しみのような、筆舌に尽くしがたい感情が胸裏に去来してきた。
心ならずも、はてな? と思った俺は、その感情を呼び起こした原因が、なんであるかを探るべく、目の前の男のその恐ろしい顔にピタリと目を据える。
すると、その見ず知らずであるはずの男の凶悪な容貌に、やはり何回も目にしたかのような親しみと、何度も冷や飯を食わされたかのような憎しみめいたものを感じた。
そうして、気がつく。
目の前の男が、俺が異世界に転移する原因の一端を担っていた人物とまったく同じ顔をしているということに……。
「オ、オニザキ……先生? どうしてこんなところに⁉︎」
目を丸くして、零したのは、以前自身が通っていた高校で、俺になかば強引に、また偉そうに『現代文』を教授してきた傍迷惑な教諭の名前であった。
俺の零したその名前を耳にして、錆の浮いた鉄格子の前に佇む男が訝るように眉を顰める。
「オニ……ザキ、なんだそれは? 先生? もしかして俺のことを言ってるのか? 俺はオニザキでもなければ、先生でもない。俺は衛兵で、かつ、ここ『イルアルイルリネ』で衛兵としての任務をまっとうする『衛兵団副団長アムル・ザキオーニ』が一人息子、『アメル・ザキオーニ』だ。覚えておけ!」
目と鼻の先にいる毅然とした態度の男から紡がれたのは、明確な否定の言葉と自身の身分を表す言葉であった。
それらの言葉を聞いて、目の前の男が、俺が蛇蝎の如く嫌厭するオニザキではなく、ただの他人の空似だとわかり、安堵しかけたところで、突如として胃痛のような猛烈な違和感に襲われた。
そして、俺は「アメル……ザキオーニ?」と漏らすと、「いや待て、誰が信じるか! 百歩譲ってあんたが俺の知ってるオニザキじゃないと……して……どう見ても衛兵なんかじゃないだろ絶対!」と声を荒げて言った。
俺の口から発せられた懐疑の念を含んだ声を全身に浴びて、自身を衛兵だとのたまう男が、一対の太い眉を曇らせる。
「この俺が、衛兵じゃないのだとしたら、なんだと言うんだ?」
男から呈された疑問を受けた俺は、蚊の鳴くような声で、うつむきながらボソリボソリと単語を口にした。
「奴……商人……」
俺の発したその小さな声をきちんと聞き取れなかったのか、男が、右の耳をそば立て言い募る。
「何? よく聞こえん! もっとはっきり言え!」
その苦言を耳に入れた俺は、リクエストに応えてやろう、と思い立ち、今度は顔をあげて、その胡乱なザキオーニだとかいう男をキッと睨めつけると、はっきりした声で一つひとつ言葉を口に出してある熟語を完成させる。
「奴隷……商人」
直後、その四字熟語を認識したザキオーニが、眉を吊りあげたかと思うと、血に飢えた野犬のように一目散に、こちらへ、鉄格子すれすれに、猛然とにじり寄ってきた。
「貴様! この俺を奴隷商人だと言うのか⁉︎」
その怒声を浴びて、竦みあがりながらも、まるで言い訳するように滔々と言葉を口にする。
「だって、そんな鬼みたいな悪人面をした衛兵なんているわけないじゃないか! それに、その鞭……明らかに奴隷商人のそれだろうが‼︎」
「ぐぬぬ。貴様、俺の気にしていることをずけずけと……」
俺の疑念をはらんだ言葉を受けて、顔を熟れたトマトのように上気させるザキオーニ。
その真っ赤な面を見て、自分が、奴隷商人だと思われる人間を怒らせるというとんでもない大失態をおかしてしまったことに気がつき、冷や汗をかく俺。
そうして、二人の間に流れる重い沈黙。
川のように流れるその沈黙を前に、俺の脳裏にはある光景がありありと、あたかも走馬灯のように浮かんでいた。
それは、四肢を鎖に繋がれた俺が、ザキオーニに鞭でしばかれるという身の毛もよ立つような光景だった……。
その光景にギョッとした俺は、我に返ると、ザキオーニをフォローするための言葉を泥縄で探し、その目を覆いたくなるような未来を変えるべく、口を動かしてみたが、何も思い浮かばなかったので、言葉に詰まってしまった。
「あ……」
苦し紛れに飛び出したその一語が、壁に反響し、周囲の張り詰めた空気に溶けて消えると、その沈黙を破るかのように、ザキオーニが溜息を漏らした。
「はぁー。まあいい。見たところお前は精神に異常をきたしているようだし……今回だけは大目に見てやる」
目の当たりにした俺の一連の行動から、ザキオーニは俺を異常者である、と判断したらしい……。
それはそれで納得いかないが、とにかく今は下手に出るべきだろう、と思い、悲劇的な未来を変えることに成功した俺は、不承不承、お礼を口にすることにした。
「あ、ありがとうございます」
そのお礼を聞いて、ザキオーニが眉を開くと、ザキオーニが出し抜けに、何か思いついたかのように「そうだ!」と声をあげ、身に纏う丈の長い灰色のチュニックの左胸のあたりを骨張った太い指で指し示してきた。
「ほら、これを見ろ!」
言われるがままに、透かして見ると、そこには孔雀を模した緑色の刺繍が施されていた。
「刺繍? それがなんだって言うんだ……ですか?」
首を傾げた俺が、タメ口から敬語に切り替えるという高等テクを披露すると、ザキオーニが意味不明なことを言ってきた。
「これは、この都市の領主さまの家紋だ。それが何を意味するか言わなくてもわかるだろ?」
「は、はい……」
ザキオーニのもっともらしい言葉を受けてポツリとそう返す。
すると、ザキオーニは善人のような笑みを浮かべて、臆面もなくこう口にした。
「ようやくわかったか。なら大人しく。騒がずじっとしていろよ」
その言葉を受けて、疑心暗鬼に陥っていた俺の中で、何かがブチンと千切れる音がこだました。
それから、こう思った。
こいつもあの腐れエルフのように善人面で俺を扱いやすいように油断させて、最後には食いものにするつもりなのだと……。
そう思った瞬間、ザキオーニの恐ろしい顔に、悪女のような微笑を浮かべるメアの憎たらしい顔が重なって見えた。
と、またしても、身内で何かが千切れる音がこだました。
その瞬間、もの凄い勢いで血液が頭にのぼっていくのを感覚した。
『力』を持つ俺にいっぱい食わせようとするということが、どれだけ愚かなことであるかを示してやりたくなった。
だから、強気にこう切り出してやった。
「はい……わかりました……なんて言うと思ったか! 誰がお前みたいな奴隷商人を絵に描いたような顔面の人間の言うことなんか信じられるか! 適当にそれっぽいこといいやがって、馬鹿にするのも大概にしろ‼︎」
そう怒号を飛ばして、今まで腹の底にわだかまっていた熱い想いをぶちまける。
直後、その暴言を受けたザキオーニの態度が一変する。
「貴様! いい加減にしないと、本気で鞭で打つぞ!」
射すくめるような視線を向け、鞭を振りかざそうとするザキオーニに対抗するように、喉から声を絞り出す。
「うるせぇ! 早くここから出せ! さもないとこの目障りな鉄格子をぶっ壊すぞ!」
俺の警告が耳に届くと、ザキオーニがまるで呆れたように鼻を鳴らして、さながら挑発するかのような言葉を紡ぎ出す。
「ふん。やれるものならやってみろ。お前みたいなヒョロガリにできるわけ——」
その紡ぎ出された言葉の中にあったキーワードを知覚した刹那、脊椎反射するように大声をあげると、腹立ち紛れに目の前の鉄格子に手をかける。
「今なんった? オラぁ‼︎」
すると、格子を握る俺の両の手を認めて、ザキオーニが慌てふためきながら言い募る。
「何⁉︎ 馬鹿なのか? やめろ‼︎」
その慌てようを目にして、思わず笑顔を作ると、「うおおおおお‼︎」一際大きな声を出しながら、両手に力を込めた。
「誰がやめるか‼︎ ぶち壊してやる‼︎」
辺りに鉄格子の軋む音が響き、ザキオーニの張り詰めた声がそのあとに続く。
「違うそういうことじゃない!」
「違うって何が、な……」
そのザキオーニの声に応答しようとした瞬間、俺の握る鉄の格子に黄色に輝く文字が浮かびあがる。
その不可思議な光景を目の当たりにして、言葉を失ったその数瞬後、俺の全身に雷のような衝撃が走った。
鉄格子から電気が生じ、瞬く間に俺の腕を伝って、それが全身へと流れてきた。
「ぎゃああああああああ‼︎」
電撃をもろにくらい、もんどりを打って、その場に仰向けに倒れると、そんな俺を見据えて、ザキオーニが嘆息混じりに言葉を漏らす。
「はぁー、ほら言わんこっちゃない。牢屋の鉄格子に十秒以上触れたら電流が流れることを知らないのか?」
その異世界の常識を聞いて、身体から白い湯気ををあげながら、言葉を切れ切れに吐き出す。
「知らねぇよ……。はぁはぁ……身体が……痺れる……」
ピクピク痙攣する、その死にかけの虫のような姿の俺を見おろしながら、やれやれといった調子で、ザキオーニが言葉を口にする。
「ちょっと待ってろ。今、麻痺に効く薬を持ってきてやるから、いい加減もう動くなよ。たく」
そうして、遠ざかっていくザキオーニの足音を聞きながら、呟く。
「動きたくても……はぁはぁ……動けねぇよ。ふ、ふざけ……はぁ……やがって」
そう呟くと同時に、俺の意識は湯気が虚空に消えるようにして、雲散霧消してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます