第三十話 エルフの友だち?

 魔力を帯びた荒縄で、ぐるぐる巻きにされた白い兎のようなメアの長い長い身の上話を、聞くこと三十分……。


 メアの話を短くまとめるとこうだ。


 まず邪竜は長年の封印のせいで、魔力が枯渇しており、全盛期よりも弱体化している。


 そこで、魔力を持つ生命体を捕食し、魔力の回復を速め、完全復活を目論んでいるらしい。


 そこで、白羽の矢が立ったのが、『ヒュドラ村』に住む多様なエルフ族の中で、魔術を扱うことに長けたメアの一族であった。


 また、村では、棍棒を片手に邪竜やその配下たちを魔法の類いも用いずに完膚なきまでに叩きのめして村を救った大英雄を信仰する風潮があり、魔法より武術を扱うエルフたちの方が発言権を持ちやすく、そのため、村に暮らすエルフ族の中で、メアの一族は長い間、他のエルフたちから冷や飯を食わされるかのような扱いを受けてきたのだそうだ。


 そのような理由も相まって、なかば強引にメアの一族は邪竜の『生け贄』として役目を背負わされることになったらしい……。


「で……つまり……おま、じゃなくて、メアが最後の生き残りってことでオッケー?」


「全然、オッケーじゃないけど……そうよ……。お母さんもお父さんもお姉ちゃんも妹も、従兄妹たちも叔父さんも……叔母さんも……他のみんなも……あいつに喰われてしまったわ……。従妹のティアに至っては魔力がなかったのに……喰べられてしまったわ……」


 萎れた花のような表情を浮かべ、目を伏せるメアを見据え、いたたまれなくなった俺は、思わず同情するかのような言葉をかける。


「そうか……辛いな……」


 俺の言葉を受けてティアの表情が、急に一変する。


 メアは、はたと何か思い出したかのように突然顔をあげると、俺の顔をマジマジ見つめ口を開く。


「ところで……あなたは何をしに来たの?」


 硬い声でそう訊ねられ、一瞬言葉に詰まるが、暗澹とした雰囲気を変える絶好のチャンスだと思い、自身を右の親指で差し一際明るい声でこう返答する。


「もちろん! 邪竜討伐だ!」


 俺の答えを聞いて、メアのルビーのような目が大きく見開かれ、ついで、驚愕の声があがる。


「な⁉︎ 無理よ! あなたみたいなヒョロガリじゃ絶対無理!」


 この野郎という言葉が喉から飛び出そうになるが、それをぐっと腹の底に落とし込んで、冷静かつ大人な回答をすべく口を動かす。


「ははは……人を見た目で判断するものじゃないですよ……。お嬢さん?」


 軽く笑いながらメアを窘める言葉を紡ぎ、続いて、お嬢……さんでいいのか?という疑問を滲ませた単語を吐きかける。


「なんで、疑問系なのよ!」


 眉を八の字にして、大仰に反応するメアを無視するように一瞬視線を逸らし、ヒョロガリと言われたことに対する仕返しをすべく、できるだけ自嘲的な笑みを浮かべメアを挑発するかのような言葉をぶん投げる。


「だって、二百歳超えてんだろ? 完全におばあさ……ぐがぁぁぁぁ‼︎」


 核心に迫る言葉を吐き出し切る前に、額に強い衝撃が走る。


 メアの渾身の頭突きが、俺のおでこにクリティカルヒットしたのである。


 ちくしょう……親父にも頭突きされたことないのに……。


 ぶつぶつとそんな文句を心中で吐きながら、ひりつく額を手で押さえ、ふとメアを見ると、その美しい容貌に怒りの色を湛え、ピリピリとした空気を醸し出し、こちらを睨み据えていらっしゃった……。


 そんな彼女と視線がぶつかり、その鋭い視線に思わず圧倒されてしまう。


「……」


 さらに、その無言の圧力を受けて、たじろぎながらやり過ぎたかな……でも……先にやってきたのはそっちだしな……と逡巡しながらも、不承不承、謝罪の言葉とメアをフォローする言葉を紡ぎ出す。


「すみません……。美魔女的なあれですもんね……。ははは」


 その言葉を聞いて、メアがギロリと、さらに強い目力で俺を睥睨する。


 それから、ポツリと疑問を口にする。


「……何? ……その美魔女って? ……聞き慣れない言葉だけど……その魔女って言うのやめてくれる……。村のやつらを思い出すから……」


 その疑問に続いた険のある言葉に、ひりつくような熱と凍えるような冷たさを全身の肌で感じて、思わず、嫌な汗を流す。


 そして、心の中で大声を出す。


 ぎゃー!地雷だあああ!また踏み抜いてしまったと胸中で叫びつつ、鼠色の脳細胞をフル回転させ、挽回すべくもっともらしい言葉を苦し紛れに口にする。


「いやいや……あれですよ! あれ! 俺の故郷の褒め言葉ですよ! 褒め言葉! 見目麗しいってことです! はい!」


 俺の泥縄で用意した取り繕うような言葉を受けて、メアの目力が緩み、満面に湛えられていた怒りの色がしだいに抜けていく。


「なら……いいけど……。もう魔女って呼ばないでちょうだい」


 まんざらでもない様子のメアを認めて、案外チョロいなこのエルフと思いながらも、『魔女、メア、禁句、地雷』という単語の羅列を忘れないように大脳皮質に殴り書きする。


「申し訳ありません……。以後気をつけます……」


 最後にとどめを刺すように、深々と頭をさげて陳謝する。


 すると、メアがその均整の取れた容貌に、満足げな色を浮かべる。


 そして、改めて俺の目をしっかりと覗き込むように見つめて、警鐘を鳴らす。


「よろしい……。まあ……とにかく、早く逃げなさい。あいつが潰れてる今ならまだ間に合うわ……」


「潰れてるってどういう?」


 メアの言葉の意味が、イマイチ理解できず小首を傾げる。


「そのままの意味よ。ほら……」


 メアはそう言うと、顎をしゃくて、俺の傍らにある大きな土器を見るように促した。


「これは……うわ! 酒くさ!」


 促されるままに、その土器の中身を確認すると、中には何も入っていなかったのだが、代わりにむせかえるような酒特有のきついアルコールが如き残り香が、俺の繊細な鼻腔を何の躊躇もなく鋭く貫いてきた。


 思わず渋い顔をして鼻をつまみ、メアに目を向けると、待ってましたと言わんばかりにメアがその小さな口を開いてみせた。


「あいつが飲み干したの……」


「あいつって邪竜が⁉︎ この器の中身全部?」


 空になった土器は、酒の類いが十リットル以上は、余裕で入りそうな大きさだった。


 それだけで、邪竜がどんなに大きい生物なのか、容易に想像できてしまう。


 人間サイズではないことはたしかであり、邪竜という通称を踏まえ、名が体を表すというならば、きっと大型の恐竜くらいの大きさなのだろうなと空恐ろしい想いが胸中に去来する。


「ええ……でも、それだけじゃないわ……。あれを見て……」


 そう言って、顔を渋面に変容させたメアが指し示す方向を見やると、同じくらいの大きさの土器が十個以上軒を連ねており、メアが言わんとすることを十秒もかからずに即座に理解してしまう。


 その想像も及ばなかった事実を前にして、背筋が凍りつき、恐怖心から無意識的に口をキュッと結んで押し黙った俺は、空になった傍らの土器に触れながら、恐る恐る口を開きメアに問いかける。


「こ、こんなにいっぱい……人間じゃ考えられない量だな……。邪竜は普段からこんな馬鹿みたいな量の酒を飲むのか?」


 俺の問いを受けメアが思案顔を作って、ゆっくり首を横に振る。


「いえ……なんか……ヤバい敵が……もうおしまいだ……とかどうのこうのって言って……いかにも、やっけぱちって感じで、酒を浴びるように飲んでいたわ……」


 その話を聞いて、さらに背筋が凍りつき、身の毛もよだつ思いになる。


「なんだそれ……? つ、つまり……邪竜より強いやつが、この近辺に潜んでるってことか?」


 百リットル以上の酒を腹に収められるほどの巨体を誇るであろう邪竜が、恐れを成す存在が近くに潜んでいるかもしれないという事実に肌が粟立つのを覚え、固唾を呑んでメアの言葉を待つ。


「わからないわ……。けど、邪竜の召喚獣たちもピリピリしていたし、その可能性は否定できないわね……」


 聞きたくなかった言葉を耳にしてしまい、先ほどまで高ぶっていた士気が、徐々に萎えていくのを頭で感じつつ呻く。


「マジかよ……」


 俺の蒼白に染まった顔面を見て、憐憫の情を抱くような面持ちになったメアが、強い口調で言い放つ。


「とにかく、あなたは早くこの場所から立ち去りなさい!」


 その忠言を受けて、反射的にに、否定の言葉を発する。


「いや、それはできない!」


 せっかく異世界に来たのに、尻尾を巻いて逃げ出すなんて、異世界に来た意味がないじゃないか!


 ある種の貧乏性のような思いが、胸中を身体中をどす黒い血液のように駆け巡る。


「ど、どうしてよ⁉︎」


 俺が口にした答えに対して戸惑うような声でメアが叫ぶ。


 メアから紡がれたその疑問を受け、間髪入れずに、ニチャリとした笑みを口元に浮かべた俺は、自身の顔を再び親指で差すと、紳士然とした態度で諭すように言い放つ。


「男には、男、夜雲龍彦には、やらなければならないことがあるのだよ。ふふふ」


 俺のジェントルマン顔負けのハードボイルドな台詞に、メアが真っ赤なお目々をぱちくりさせる。


 そして、表情が豹変する。それは、少女が憧れの王子さまを見たときの表情……ではなく胡乱な不審者を見たときの表情であった……。


 そうそれは、ドン引きのそれであった。


「……」


 メアの冷ややかな白眼視と無言から滲む「こいつはいったい何を言っているんだ……?」という思いを全身に浴びて、冷水をぶっかけられたかの如く現実に引き戻される。


「なんだその目は! そんな目で俺を見るな!」


 大仰に頭を抱えて、何かから逃げ出すように身をよじらせながら、堪らず、悲痛な叫び声をあげる。


 そんな俺を目にして、メアは大きく溜息をつくと、肩をすくめて耳を疑うようなことを口にする。


「はぁー……。まあいいわ。じゃあ……私を連れて行きなさい」


 その言葉を聞いて、それまでのオーバーリアクションがバレたときの嘘のように掻き消え、真顔でメアへと向き直り、平坦な声で疑問を口にする。


「なんで?」


 俺の反応を見て、メアがしたり顔で理路整然と考えを語り始める。


「一応、私は魔法が使えて戦うことだってできるの。だから、きっとあなたの助けになると思うわ。よくよく考えてみれば、戦えるのに、このまま邪竜の餌にされるのをただじっと待つだけだなんて馬鹿らしいわ……。それに、何より『友だち』が無駄死にするかもしれないのに、黙って何もしないでいるなんてこと……私にはとてもじゃないけどできないわ」


 言われたことのうち、前半の話は、なんとなく胃の腑に落ちたのだが、後半の話はなぜだか上手く飲み込むことができなかった。


「……?」


 頭上に疑問符を浮かべた俺は、小首を傾げながら、腕を組んでメアを繁々観察する。


「何よ? その顔?」


 怪訝な表情のメアに、再び疑問を投げかける。


「友だちって?」


 俺の言葉を受けてメアが、目をパチパチと瞬かせる。


 それから、「ん」っと発して、顎で俺の顔を指し示す。


「俺?」


 その不可解なメアの顎の動きを認めた俺は、思わず自身の顔を指で指し示し眉根を寄せる。


「そうよ」


 それから、真顔でそう呟くメアを見て、手のひらを顔の前でブンブン振り、同時にかぶりを振って即座に否定する。


「いやいやいやいや……友だちじゃないないない」


 俺の否定の言葉を受けて、メアの表情が崩れることはなかった。


 返ってきたのは耳を疑うような言葉だった。


「いえ、私が友だちだと言ったら友だちよ」


 あけすけに言い放たれた餓鬼大将イズムを感じさせるメアの言に、思わず目をパチクリさせて、解せぬというニュアンスを含んだ「はぁ」という短い言葉で返答する。


 そんな俺を歯牙にもかけずにメアの視線が、メアの身体を蛇のように締めあげる荒縄へと動き、返す刀で、俺の呆けた顔へと動く。


 そして、最終的にはその小さな口が忙しなく動き出し、サブマシンガンが如く、言葉という名の弾丸を立て続けに俺へと撃ち込む。


「ほら! ぼさっとしてないで早く縄を解いてちょうだい! 早く! ほら! 急いで! 急いで!」


「う、うん、わかった……。わかったから、ちょっと待ってくれ」


 メアの急がすような口調に、嫌な顔をしながら、彼女の後ろ手に回り込むと、その怪しい光を帯びた縄に、嫌々、手を伸ばした。

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