第二十九話 エルフの少女?

 孜々として『オロチ山』の山道をのぼること数時間、遂に開けた場所に出る。


 真っ正面には断崖絶壁。


 その急峻な崖の壁面には洞窟が、ぽっかり大きな口を開けている。


 そして、洞窟のすぐ横には、大きくて真っ赤な布が敷かれており、その上には大小さまざまな土器のようなものがたくさん並べられていた。


 俺は、本能的に並べられているものが、食べられるものだと察知する。


「やっと……ついたぜ……。食い物……食い物……腹……減った……。食わせろ……。よこせ……食べ物」


 譫言のようにぶつぶつこぼしながら、花に吸い寄せられる蜂のように近づいて、縋るような気持ちで近場にあった小さな土器を覗くと、中には、予想通り食べ物——真っ赤な果実がみっしりと一部の隙もないくらいに詰まっていた。


 土器から一粒つまみあげ、繁々とその果実を観察する。


 何と言う名前の果実だろうか?蛇苺に似ている気がするが……もしかして、森の蛇たちは鳥とかではなく、この果実を食べて命を繋いでいるのだろうか?


 すると、考えを巡らせるさなか、グゥ〜と不意に腹がけたたましい音を発する。


 想像を絶する空腹に悩まされること数時間……遂に食えそうなものを発見したからか、きっと胃の腑が歓喜乱舞しているのだろう。


 しかし、この果実は果たして食べられるのだろうか?


 今すぐにでも食べ尽くしてやりたいという欲求がある一方で、空腹という責苦によって、ずだずだになった死にかけの理性が、「少し待て」と諭すように語りかけてくる。


 相反する欲望と理性とがかち合う葛藤に苛まれる中で、食べるか食べないか逡巡していると、再び胃の中に巣食う虫がグゥーグゥーと一際大きな声を出して、じれた幼子が如くぐずり出す。


 痺れを切らし、我慢の限界に達した俺は朦朧とした意識の中、胸中で叫ぶ。


 まあ死にはしないだろう!


 どうにでもなれ!


 そんな都合のいいことを思案しながら、瞑目した俺は、その蛇苺もどきを一粒口へと放り込む。


 するとその瞬間、口内にさっぱりとした甘味と酸味が広がり、鼻腔を爽やかなバラ科の植物特有の馥郁とした甘酸っぱい香りが、颯爽と駆け抜ける。


「うまい!」


 両目を見開いて、口から感想を涎のように迸らせる。


 大仰に表現するならば、死地に降り注ぐ慈雨といったところだろうか。


 上手い表現が見つからない!


 まあそんな些細なことはこの際どうでもいい!


 この蛇苺もどきをただひたすらに食らうことこそが、俺に与えられた使命であると錯覚させるほどの美味しさである。


 気がつけば、右手のひらいっぱいにその赤い果実を掴み。


 正気を失ったかのように、機械的にその一塊を口に運んでいた。


「何だこれ⁉︎ なんて! なんて! 美味しいんだ! 頭がおかしくなりそうだぜ!」


 べらべらとそんな所感を独りごちながら、次々と蛇苺もどきの入った土器を空にする。


 その最中、不意に耳に誰かの声が届く。


「それはスネークベリー……食べ過ぎると夜眠れなくなるから食べ過ぎない方がいいわよ……」


「へぇー……そうなんだ……。コーヒーみたいなもんか?」


 あたかもコーヒーに浮かされたかのように、双眸を爛爛と輝かせながら、反射的にそんな豆知識を発した誰かに訊ねる。


「うーんと? そのコーヒーとかいうのがどういうものなんだか知らないのだけれども……とにかくそのベリーには軽い覚醒作用があるから……私の村では……嗜好品として……親しまれていたりするわ」


「ほぇー。じゃあコーヒーみたいなもんじゃん……。うま……。コーヒーと違って苦くないのは……甘党の俺には有難いぜ」


「甘党? また知らない言葉ね……。あとあれね……そのベリーを発酵させてお酒にしたりするのもおすすめね……」


「お酒はいいや……未成年だし……」


「未成年……またまた知らない言葉ね……。どうして飲めないの?」


「いやいや法律で決まってるじゃん……。何言ってんのさ……。俺は十六歳……あと、四年は飲んじゃダメだろ……。にしてもうまいな……。つか、そんなことも知らないとか……何歳だよ」


「二百十七歳……」


「に……ひゃく……なんだって?」


 とんでもない答えが返ってきたことに、ベリーを食べるのをやめて、視線を声がした方向に移し……大きく目を見開く。


「な⁉︎」


 目に飛び込んできたのは、禍々しい紫紺の光を帯びた荒縄で、ぐるぐる巻きにされた幽玄な美しさを湛える白い髪の少女だった。


 少女のその白い髪は長くシルクを彷彿とさせるきめ細かさであり、均整の取れた容貌には真紅の双眼が珠玉の如く輝いていた。


 誰だ?この美少女は?


 見てくれは美しいが、確実に人間ではない……と思われる。


 また、新手のモンスターか?


 ちくしょう!食うのに夢中で気づかなかった!夜雲の馬鹿!ドジ!マヌケ!


「え? 何? お前だれ? 二百十七歳? いつからいたの? どゆこと?」


 口から滔々と流れ出る数々の疑問を受けて、少女がぶすっとした膨れ面になりながら、ゆっくりと言葉を口にする。


「お前じゃなくて、メアよ。最初からいたわ……。あなたがふらふら近づいてきたから、亡者かと思って、あの大きな土器の陰に隠れて様子を窺ってたのよ」


 そう言ってメアが空になった大きめの土器を指差す。


「亡者? おいおい待ってくれ。俺は人間だよ。腹が減って正気を失ってただけだ」


 大仰に手を振りながら、弁解する。


「見ればわかるわ。だから話かけたのよ」


「そ、そうか……。てか、お前こそ何なんだ? モンスターじゃないのか?」


「だ・か・ら、お前じゃなくて、メアだって言ってるでしょ! それと、どこからどう見てもエルフでしょうが!」


 メアが眉根に若干皺を寄せて、顔を少し逸らして、自身の妖精のようにとんがった耳を見せつけながら、そう言い募る。


「ほ、ほんとだ」


 見覚えのある耳を認めて、心の中でそっと胸を撫でおろした俺は、この若干ピリついた空気を変えるために話題を変えようと、片笑みを浮かべながら泥縄で用意した言葉を発する。


「そ、それで、その二百十七歳というのは? 冗談か何かで?」


 ヘラヘラしながら、年齢に関して口にすると、メアの白い眉がさらに吊りあがる。


「何? 私が老けてるって言いたいの? こちとらまだピチピチの正真正銘の二百十七歳よ! まったく! 失礼しちゃうわ! フン!」


 真剣な面持ちで、軽い苛立ちを滲ませ、不満を吐露するメアを見据えながら、思わず首を捻り、高度な思考を巡らせる。


 メアはどう見ても俺と同じくらいの年頃の少女のように見えるのだが、エルフ族では、あれなのか、二百歳辺りは若者扱いなのか?


 てか、ピチピチって言うあたりに年齢を感じるのだが……あれだ……。


 なんだ……。


 たぶん……あれだ……。


 美魔女的なあれだ……。


 そうだ……。


 きっとそれだ……。


 つか、フンってなんだ⁉︎


 ちくしょう!わからん!わからないことだらけだ!


「そうなんですね。あはは」


 大仰に頭を掻きむしりたくなるほどのカルチャーショック的な衝撃を受けた俺は、そのストレスを無理矢理胃の腑に押し込めると、ごまかすかのように取り繕うかのように愛想笑いをする。


「何がおかしいの?」


 その苛立ち混じりの言葉を聞いておかしいことばかりだろ!と叫びたくなるが、更なる混乱を招くことになりかねないと瞬時に判断し、じっと堪える。


「本当にすみませんでした! それで何でそんな格好を?」


 下手に出るようにメアに大仰に謝り、再び話題をチェンジすべく言葉を紡ぐ。


 俺の言葉を受けた途端、メアの表情が曇る。


「これは……その、私、生け贄に選ばれたの……」


 目を伏せながら、弱々しく発せられた彼女の言葉には、侘しさや悔しさに似た形容し難い感情が含まれているような気がした。


「……生け贄?」


 俺はメアの口から吐き出された物騒な単語に、思わず疑問の声をあげる。


 すると、メアは顔をあげ、結んでいた口を再び開き、何があったのかをつぶさに語り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る