第十五話 落ちても死なない魔法
五十メートルほどの高さから滑り落ちるということはどういうことか?
それはきっと死を意味する。
死を意味するはずなのだが……なぜか生きている。
原っぱに仰向けに寝そべる俺の目に映るのは大空だ。
どこまでも広がる澄んだ空だ。
美しい蒼天を前にして、「何で俺は生きてるんだ?」と思わず呟く、さながらエスエヌエス上によくいる身体が痒くなるようなことを紡ぐポエマーのようにあけすけに問いかける。
が、一向に空から答えが降ってくる気配はない……。
痺れを切らした俺は、パッと上体を起こして、頭を左右にぶんぶん振り、他力本願に傾いていた思考を一旦クリアにする。
それでもって、両手でポンポンと草が群がり生えた大地を触り、その感触をたしかめる。
「草が……クッションになったのか?」
あんな高いところから落ちたのにも関わらず、自分がなぜ怪我一つしないで生きていられるのか?という疑問を解消すべく、さながら虫メガネを忘れた私立探偵が如く、手がかりを素手で手探りで探す。
「こんな短い芝生みたいな草じゃ、クッションにはなり得ないよな……」
推理を唱えながら草から手を離し、なんとなく手のひらに視線をやると、些かの違和感が胸中にさざ波を立てた。
「あれ? ウォーターベールが……切れてる?」
自身を覆っていた水の薄い被膜が消失していることに気がつき、魔法書に書かれていた説明を記憶の糸を手繰り寄せるようにして思い出す。
「たしか、どんな攻撃でも一回防ぐというか……ダメージを一回だけ無効化するみたいなことが書かれていたような……」
まるで名探偵のように顎に手を当てて、何が起きたのかに神経を集中させる。
そして、気がつく。
「つまり、ウォーターベールがあったから助かったのか! なるほどな!」
得心がいった俺は、右手で左の手のひらをポンと打ち鳴らし、口元を綻ばせ華やいだ表情をする。
そして、笑顔を湛えたまま、何の気なしに肩越しに巨岩のてっぺんに目をやると、途端に背筋に怖気のようなものが這いあがり、瞬く間に顔色が頭上に広がる空よりも青く変色する。
「つ、つまり、ウォーターベールがなかったら、わんちゃん……死んでたってこと? こわ……」
いつの間にかデッドエンドを回避していたことを理解し、切れ切れにおずおずと短く所感を口にする。
俺は身体に纏わりつく恐怖心をかなぐり捨てるように勢いよく立ちあがると、ブレザーのポケットから薄汚れた靴下の塊を取り出して無言のまま履く。
そして、遠くに見えている村だと思われる場所(というか確実に村だと思われる場所)を目指して、厳しい現実を忘れるように、嫌なことから逃げ出すように、一歩一歩足を前に出して歩を進める。
「そういえば、靴が欲しいなぁ……」
自分の足元を見つめて、愚痴るように言葉を紡ぐ。
そして、不意に立ち止まって、自分の着ている服を触る。
学校の制服に靴下というなんともいえない格好だ。
きっと学校から帰って着替えないで、すぐにベットに潜り込んだことが原因だろう……。
「完全に異世界にはアンマッチな服装だよな……。これが原因でいじめられたらどうしよう……。せめて……靴があればなぁ……。ああ、土足文化のある国に住んでたらなぁ……。靴持ってこれたのになぁ〜はぁ〜」
ありそうでなさそうな不安に駆られながら、生国の文化にエスエヌエス上で蠢く知識人が如く、割と大きめの声で苦言を呈して、大きく溜息をつくと、何ごともなかったかのように再び歩みを進める。
「まあパジャマで、異世界に飛ばされるよりはマシだけどさー」
自分のだらしなさに救われたことに若干感謝した俺は、すぐに別のことに意識を奪われる。
「それにしても、ウォーターベールって便利だよな〜。一応、もう一回ウォーターベール発動しておくか〜。村人が友好的だとは限らんし……」
スタスタと歩きながら、つらつらと自分の考えを呟きつつ、自分自身を抱くようにして両肩を掴み、割と大きめの声でもって叫ぶ。
「ウォーターベール!」
しかし、ウォーターベールは発動しない。
「ウォーターベール! ウォーターベール! ウォーターベール! ウォーターベール! ウォーターベール‼︎」
サブマシンガンみたく魔法の名称を口に出し続けるが、魔法が発動する気配は微塵もない。
「くそ! 不良品かよ!」
一杯食わされたような気持ちになり、毒を吐き、歯を苛立たしげに噛み締める。
「ちくしょう‼︎」
そう言って前を睨み据えると、目の前には村があった。
ついでに、村の入り口には、村人の姿があった。
三人の柄の悪そうな村人たちが、しゃがんで大声を出して会話を楽しんでいる……。
不意打ちのような出来事に「な⁉︎」と言葉を発して、目をパチクリさせる。
最初、村や村人が忽然と現れたかのように感じたのだが、魔法を詠唱しながら歩いたからそのように感じてしましたのだろう……。
巨岩とエンカウントしたときもそうだが、何かをしながら歩くとどうしてだがすぐに、目的地に到達する。
まるで、テレポーテーションのようだ。
便利だが、何かしながら歩くのは本当に危険だ。
歩きスマホとか歩きタバコは特にやめた方がいい。
危険でしかないし、誰も幸せにならない。
この世界に歩きスマホや歩きタバコをする人がいないことを心中で祈りながら、目の前の柄の悪い三羽烏を見据えていると、唐突にバチんと視線がぶつかり、続いて、母音に濁点が掴みかかるような常識ではありえない音が、耳の中に殴り込んできた。
そのあまりの出来事に目玉を剥きながら、さらに凝視すると村人はさながら挨拶を返すように、ぎょろりと血眼を剥いて「あ゛?」「あ゛ぁ!」「あ゛‼︎」とドスの効いたカエルの合唱みたく順々に声を荒げる。
その凄みのある輪唱を合図に獲物に飛びつく大虫が如く、柄の悪い村人たちが目睫に迫る。
そのうちの、真ん中にいた村人が、悪鬼のようなその面を、俺の顔へと近づける。「こ、これが、ふ、ファースト……キ——」と思う純粋な俺に水を差すように、そいつは口を開いて雷鳴を周囲に轟かせる。
「何みとんじゃ我‼︎」
突きつけられたその鋭い声音と鋭利な視線に、たじろぎながら心の中で思う。
どうしてこういうタイプのクリーチャーは目が合うと、勝負を仕かけてくるの?
モンスターを使ってバトルとかしたい感じのあれな感じのあれなの?
しかし、そんな疑問が解消されることはなく、夜雲龍彦の眼前にはモンスターや魔王よりも厄介な現実が鎌首をもたげている。
今ならばわかる。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが……よくわかる。
そんな気がした……。
蛙の目線に立つことができた気がした……。
そんな昼さがりの午後だった……。
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