第四十三話 初めての城塞都市で大混乱

 俺はさっきまでまどろみの中にいた。


 『城塞都市イルアルエルリネ』へと向かう幌馬車に、エルフの少女?メアとともに乗り込んだ俺は、疲労のピークから眠りに落ちてしまった。


 眠りに落ちる直前、メアが目的地に着いたら起こすと言ってくれたので、今の今まで呑気に眠りこけることができていたのだが、メアが俺を起こしてくれることはなかった……。


 何を隠そう、俺を起こしたのは、メアの鈴を転がすような声ではなく、嗄れたカラスどもの鳴きしきる割れ鐘のような声だった……。


 「うるさ……」


 そう溢しながら、不承不承目を開けて、今自分が置かれている状況を確認すべく左右にギョロリと目を動かす。


 まず左を見ると、薄汚れた天井付近にある鉄格子が嵌め込まれた小窓が目に入ってきた。


 その鉄格子の隙間からは日の光がわずかに差していて、俺が現在横になっている室内を仄かに照らしてくれていた。


 そこで、はてなと思った。


 どうやら、俺はいつの間にか馬車を下車していたらしい。


 そう思いながら、今度は右に目を向ける。するとそこには、小窓に嵌め込まれていた鉄格子よりも大きくて頑丈そうな鉄格子あった。


 そしてまた、はてなと思った。


 それからすぐに、直感的に理解した。自分が置かれている状況を、自分がどこにいるかを……。


「は?」


 背筋に冷たいものを感じた俺は、冷たい床に膠着させていた背中を無理矢理引き剥がし、起き直る。


 それから、即座に首を巡らせ、周囲を見渡した。

 

 何かに縋るような気持ちで周囲を見渡した……。


 しかし、辺りには俺が望むようなものは何も見当たらなかった。


 もしかして、親切な誰かがよく寝ていた俺を気遣って、宿屋にでも運び込んでくれたのかと一縷の望みをかけてみたのだが、その想いは最も簡単に打ち砕かれてしまった。


 俺が今いるこの空間には、宿屋に必要不可欠な要素の一つである寝台すら見当たらなかったのである……。


 つまり、俺は宿屋ではない、どこかで、今の今まで、眠りこけていたということになる……。


 俺は宿屋とはほど遠い宿屋特有の温かみの欠如した無機質な部屋で、惰眠を貪っていたのである……。


 俺は知っていた。薄汚れた天井と床に挟まれ、三方をモルタルの塗られた灰色の壁に囲まれている俺は、知っていた。


 今俺がいる場所がどんな場所であるかを、知っていた。


 この狭い部屋が俗に何と呼ばれる場所であるかを知っていた。


 そう、この場所は、俗に『牢屋』と呼ばれる場所に他ならなかった。


「ど、どういうことだ?」


 戸惑いながらそう呟いて、恐慌をきたす一歩手前で、はたと脳裏に白い髪を生やした嫌な笑みを浮かべるエルフの姿が、ありありと浮かんできた。


 そして、その直後、ある言葉が感嘆符疑問符をともなって口を突いて飛び出してきた。


「は、嵌められた⁉︎」


 そして、間髪入れずに頭を抱えながら表情を歪めて、怨嗟の言葉を口にする。


「あの若作りエルフが〜。ちくしょう〜。嵌めやがったな〜」


 牢屋に放り込まれた俺とその牢屋に存在しないメア。


 この二点だけで、メアが俺を裏切ったと断言するのに十分過ぎる証拠が揃っているのだが……わからないことが一つだけあった。


 それは、なぜあの赤い瞳のエルフがこんな恩を仇で返すような真似をしたのかということだ。


 まさか、俺が怪力が使える稀有な人材であると言って、あの幌馬車に乗っていた狡猾そうな商人に高値で売り払ったのか?


 そう考えれば、今の状況にも納得がいく……。


 そして、ついに完全に気がついてしまう……。


 自分がどこかに売っぱらわれたということに、完全に気がついてしまう……。


 そう気がついた瞬間、突如として腹の底で瞋恚の炎がゴーゴーと逆巻き始めた。


 それは、今まで感じたことのない怒りだった。


 これが……裏切られるということか。


 それは、今まで友だちや仲間と呼べる存在が身近にいなかった俺には、未だかつてない、あまりに辛過ぎる経験だった。


 短い人生の中で、初めて感じた心の痛みだった……。


 次第に、その痛みが総身にみなぎり、思わず立ちあがり、大声をあげながら地団駄を踏んだ。


「よくも裏切ったなあああああああああ‼︎  赦さんぞおおおおおお‼︎ うおおおおおおお‼︎」


 復讐に取り憑かれた俺は、怨嗟の声を喉から搾り出しながら、幽鬼のような執念深さを持った復讐鬼へと変容を遂げようとしたのだが、まるでそんなムードに水を差すかのように、出し抜けに俺よりも大きな声が辺りに轟き、俺の耳朶をぐらりと揺らしてきた。


「喚くな‼︎ 静かにしろ‼︎」


「ひぃ」


 その怒号を全身に浴びて、冷水をかけられたかの如く反射的に身をすくめて、小さい悲鳴を漏らす。


「次また大声出したら鞭で打つからな! わかったか?」


 そんな物騒な言葉が聞こえてきた方向に目をやると、古さびた鉄格子を挟んで向かい側には、手に黒い短鞭を持った鬼のような相貌をした男が一人、額に青筋を浮かべて、ギロリと俺を睨み据えていた……。

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