第二十六話 ラミア対空飛ぶ巨大鮫!
焼け焦げた大地のど真ん中で立ち尽くす俺の視線は、吸い寄せられるように上空へと向けられていた。
俺の目に映るのは、朗らかに晴れた大空をバックに矛を交える二体の怪物の姿だ。
一体は半女半蛇の見目麗しい女の怪物で、手には錫杖のような銀のスタッフが握られており、そこから明らかに闇属性だと思われる紫色に輝く光弾を、飛礫のように休みなく撃ち放っている。
一方で、女の怪物と相対するもう一体の怪物は、容赦なく間断なく撃ち放たれるおびただしい数の光弾を、縫うように最も簡単に回避する空飛ぶ巨大な鮫だ。
もっと詳しく言うなら、その鮫は、鮫の形を模したウォーターゴーレムと呼ばれるゴーレムの一種であった。
俺はそんな激しい空中戦を見守る傍ら、急いで魔方陣を展開させる。
急ぐのには、もちろんきちんとした理由がある。
それは、もうすぐ俺のために戦ってくれているウォーターゴーレムの『水鮫』が消えてしまうからに他ならない。
水鮫を呼び出してから、もうすぐ七分が経過する。
水鮫いわく、どうやら召喚したモンスターには現界に制限時間があるらしく、水鮫もその例に漏れず、あと一分も経たぬうち消えてしまうというのだ。
水鮫が消えるということは、それすなわち、『誰か』が、ナーガと戦わなければならないということを意味する。
そこで、その『誰か』を召喚すべく、こうして泥縄を編むように魔法陣を展開しているというわけである。
もちろん、モンスターを召喚せず自分で戦うという選択肢もあるにはあるが、あの水鮫と戦闘を繰り広げている女の怪物——『ラミア』は、これもまた水鮫いわく、なかなかの手練れであるらしく、また水鮫の言葉のニュアンスから戦闘初心者で怪力だけが取り柄の俺では、どうやら単体でラミアに勝つことは困難であるらしい。
たしかに先ほどから伝説級のモンスターに分類される水鮫と一分以上渡り合っているところから、俺では到底太刀打ちできないであろうということは火を見るよりも明らである。
「しっかし……凄まじいな〜」
魔方陣を展開し終え、手持ち無沙汰になった俺はそんな所感を述べながら、両者へと交互に視線を走らせる。
二体の怪物の繰り広げる互角の死闘を観察するうちに、なんとなくではあるが、その戦いが互角ではないことに気がつく。
朧げながらではあるが、水鮫にラミアが押されているように感じるのだ。
というよりも、水鮫はラミアの攻撃を避けるばかりで、反撃しようとする素振りすら見せない。
というか、正直言って、ラミアをおちょくってるようにしか思えない……。
ラミアの間合い入っては、大きく口を開けて威嚇しているというか脅かしているというか……明らかに手というかヒレを抜いている。
「何してんだ? あいつ?」
どうして、とどめを刺さないのだろうか?
怪物であっても女は攻撃しないポリシーを持った紳士的な鮫なのだろうか?
ぶっちゃけないこともないな……。
物腰の柔らかいところもそうだが、あのラミアの弟である『ナーガ』を一瞬で無残な姿にしたのに、一方で、ラミアには慈悲のようなものをかけている。
男女で対応に雲泥の差があることをしみじみ感じながら、憐れみの目を瀕死のナーガに向けるべく、首を振り向けるが……仰向けで野辺の小石のように倒れていたはずのナーガが、いつの間にか忽然とその姿を消していた……。
「なぁ⁉︎ どこ行った⁇」
驚きの声をあげながら、慌てて周囲を見渡す。するとすぐに、早馬を思わせる速度を出しながら腹這いで疾駆するナーガの後ろ姿が目に留まった。
ナーガの目指す先には、激しい空中戦を繰り広げるラミアと水鮫がいる。
ナーガは二体の真下付近に到達すると、俺との戦闘で見せた常人離れしたジャンプを繰り出す。
ナーガは数十メートルほど上に飛びあがると、手を伸ばして水鮫の尻尾をがっしり掴んで、ぐいっと引っ張り、機敏だったその動きを封じる。
それから、雷鳴を連想させるほどの大きな声を出す。
「ねぇちゃん! 今だ! やれぇぇぇ‼︎」
口から血のように絞り出された声に、ラミアが即座に反応して、スタッフを両手で握り、水鮫目がけて魔法を放つ。
「くらえええええええ‼︎」
スタッフから放たれたのは巨大な紫紺の槍のような形状をした魔力の塊であった。それがドリルのように高速で回転し、一目散に水鮫へと肉薄する。
「あ、危ない‼︎」
不意にそんな声が俺の口を突いて飛び出すが、もう遅い……。
その魔力の塊が水鮫にぶつかる直前、無意識的に斜め横に顔を逸らして目を背ける。
そして、数瞬後、彼らのいるであろう方向へおずおずとその視線を動かす。
すると、目に映り込んできたのは、水飛沫と化して消える……水鮫の姿であった。
やられたのか⁉︎
そう一瞬思ったが、力なく地面に落下するナーガに目を留めることなく、驚いたように目を瞬かせるラミアの様子から、水鮫がやられたのではなく時間切れで消失したことを察知する。
一方、ラミアは硬く焼け焦げた地面に吸い込まれつつある自身の弟に気がつくと、弟をピンチから救出すべく、魔法を発動させる。
銀色のスタッフから模糊たる紫の靄が放たれ、瞬時にその紫色の靄がナーガの巨体をしっかりと包み込む。
直後、その光景を認めたラミアがそっと胸を撫でおろす……。が、見えない……。
悔しさを滲ませ血に飢えた獣のような目で様子を窺ううちに、俺の熱い視線に気がついたのか、ブルッと身震いしたラミアと不意に視線がぶつかる。
まるでパンをくわえたヒロインとラノベ主人公が不意にぶつかるかの如く視線が衝突する。
露骨に嫌そうな顔をするラミアが、落下する羽根のように地面に舞い降りる。
そして、魔法の靄に包まれ気絶しているナーガに、今度は別の魔法を行使する。
スタッフから摩訶不思議な緑色の光が放たれナーガを優しく淡い緑色に照らし出す。
すると、気絶していたはずのナーガが死の淵から蘇るようにしてその目を覚ます。
どうやら回復魔法の類いを行使したらしい。
厄介に思いながら、霧散する魔法の靄から不死鳥の如く復活を果したナーガを見据える。
ナーガは大きく伸びをすると、ラミアに視線を向けて口を動かす。
会話する二体の怪物を見ながら右腕だけ動かし、恐る恐る展開した魔方陣に手をのせる。
そのまま、二体の怪物が姉弟水入らずで会話する微笑ましい姿をジーッと凝視するが、楽しそうに談笑する二体の怪物はこちらに一瞥もくらずに、まるで俺なんか最初からいなかったかのような様子でいる。
そんな様子の彼らに痺れを切らした俺は、彼らに聞こえるように、左手の拳を口に添えて、大仰にゴホンと咳払いをする。
すると、焦土と化した森の大地の空気を揺らすように俺の咳が轟く。
そして、ハッとした様子で、何か思い出したかのような表情を浮かべた二体の怪物が、ようやくこちらに視線を向ける。
二体の怪物の目は皿のように丸くなっている。
マジで……俺の存在……忘れてたん?と心の中で弱々しく呟く悲哀に満ちた俺は、そいつらを強い目力で睥睨する。
別に……忘れられていたことが……許せないんじゃないんだからね……と吐き捨てて、フンと脳内で鼻を鳴らす。
そんなツンデレヒロインムーブをかましていると、小さな笑い声が耳朶を揺らす。
その音の発生源はラミアだ。
勝ち誇ったかのような表情を浮かべるラミアがそこにいた。
そんなラミアを見ていたナーガも姉を真似るように、あけすけに勝利の微笑を浮かべる。
まったく……愚かなやつらだ。
俺はそう思いながら、左の人差し指で魔方陣を指差す。
俺のジェスチャーに気づいたラミアが、俺の指が差し示す方へとゆっくり目を動かす。
次の瞬間、山の天気にようにラミアの表情が崩れる。
そして、何か恐ろしいことを思い出したかのように自分自身を掻き抱き慄く。
その美しい満面に蒼白な色を湛えるラミアを見て、ナーガが慌てるように困惑する。
ラミアだけが、そういう感知能力を有しているのだろうか?
そんなことを思いながらも、即座にポツリと「水鬼」と呟く。
そして、巨大化し始める魔方陣から抜け出すように、ラミアとナーガに背を向け爆走する。
二十五メートルほど走ったところで背後を顧みると、涙を流しながらガタガタ震えるラミアと巨大化した魔方陣を見て、何かを思い出したかのようにびっくり仰天して自分の髪を引っ張るナーガが目に届く。
ラミアとナーガの大仰なリアクションに若干引きつつ、目の前の魔方陣から這い出る鬼型のウォーターゴーレムを見やる。
そして、夜雲龍彦は不意に余裕ぶっこいていた相手を絶望の淵に突き落とせたことに愉悦を覚える自分に気がつき、やれやれといった風にラノベ主人公然とした鷹揚な態度で肩をすくめるのだった。
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