第3話 視られたくない奥 side朝陽
1
「朝陽ー!」
「松田くん!」
「松田!」
いつも輪の中心にいて誰とでも仲が良くて、頭もよくて運動神経も抜群。そして明るい性格。それが、松田朝陽。
そんなおれの人生は、イージーモード。
……のはず、だった。
それをたった今自分の手で崩してしまったことを、おれはベッドの上で非常に後悔していた。
なんで、あんなことしたんだ。おれのキャラじゃないし。
あそこで叫んでも叫ばなくても、結局何も変わらない。いや、空気を悪くしたか。
夕方の日差しが窓から差し込み、部屋中が橙色に包まれる。
……ああ、なんで。自分を見失ったみたいだった。人生でたぶん初めて。
声を荒げて、場の空気を自ら悪くさせるような発言。普段なら癇癪を起こしたりなんかしないはずなのに。
暑さでおかしくなってんのかな、おれ。
そのまま30分ほどぼーっとしていると、窓に何かが当たる音がした。
何も考えずにそばまで行って鍵を開ける。
すると向かいには、部屋着の心那の姿があった。
さっきの音は心那が小石を投げた音だろう。おれを呼び出すためだけの小石を、心那は昔から部屋に常備していたし。
「なんか用ー?」
いつものように大きな声を出すと、ちょっと気持ちが浮上してくる。
さっきまでの暗い感情が少しだけ吹き飛ぶようだった。
「いや、別に〜。勉強しないからってお母さんにスマホ没収されたんだよね。そしたら、暇になっちゃってさ」
用がないなら呼ぶなよ。とか言うと怒られるに決まってるので、適当に明るく返事をしておく。
「へ〜。おれも勉強やだな〜。受験勉強なんか特に」
「だよねー。てかさ、朝陽はどこの高校受けんの?」
心那の鎖骨と胸の中間くらいの長さの髪が、風でふわりと揺れる。
……ここでなんて答えたら、心那はおれを認めてくれるんだろうか。
1秒にも満たない時間で考えて出した回答。
「まだ、分かんないな~」
ごまかすようにおれは笑う。
どう答えても結局おれは心那に“内”を見せることになる。
それはどうしても怖かった。
心那との距離は、3mにも満たないほど。表情は、読み取れない。
おれが心那のことが分からないように、心那もおれのことが分からない。
はずなのに。
「じゃあさ、等花高校にしよーよ」
「は?なんで」
おれは間髪を入れずに会話のボールを投げ返す。
声には多少の刺が含まれていた。
また強い風が吹き、今度は心那の髪が顔半分を覆う。
「朝陽はさ、怖がってるだけじゃん。そんなんじゃなんもできないよ」
……言われなくても、分かってる。
俺が一番、知ってる。
だけどそれに一番に気付くのは心那で、一番気付かれてしまいたくないのも、心那だ。
「じゃあね朝陽。邪魔してごめん」
つまらなさそうな声でそう言い、窓の奥へと姿は消えていく。
おれは黙ってそれを見つめていた。
恥晒しなんてどうでもいい。誰かに怒られるようなことをしてもいい。
心那が笑ってくれたら、よかった。
初めはただそれだけだったのに、やってるうちにだんだんとこの性格が板についてくるようになって。
『運動も勉強も得意で、“いつも明るい”』。そんな自分で作り上げた人格。
いつのまにかどれがどの自分か分からなくなって、でも、作られた“おれ”はみんなに受け入れられてるんだし、別にいいか。
そしたら—―—明るくない、ふざけたりしていない自分。悩んだり弱ったりしている自分を見られるのが怖くなっていった。
等花高校になんて行ったら本当に優秀な兄と比べられる。それも怖い。
そして、本当のおれに感づいている心那の存在もまた怖いんだ。
家族の誰とも似ていないゆるい猫っ毛の髪をくしゃっと雑ぜる。
窓を閉めて鍵をかけ、カーテンを閉じた。
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