3. 馬車と顔合わせ

3-1

 扉が開け放たれると、春霞のフィルターを通した柔和な日光が出迎える。薄暗い牢屋の中に居たせいか、工場排気で曇った空気でさえも、心なしか美味しい。

 普段の日常では味わえない日光のありがたさを噛み締めながら、アッシュは一つ大きく背伸びをする。


 太陽は丁度空のてっぺんを回った頃で、あの怪物に襲われたのがまだ朝だったことを考えると、それなりに長い間気絶していたようだ。人間を覆い立ち塞がるように伸びた山の中腹に、まるでカブトムシのように山体に齧りつく超巨大な掘削機械の骨組みが、斜陽を浴びてキラキラと煌めいているのが綺麗だった。


 周りを見渡すと、そこは町の中心からは随分離れた場所のようだった。

 その割に往来の脇にはやたら人集りができていて、遠巻きにこちらを見ながら、コソコソと何かを話している。

 それもそのはずで、留置場の入口には明らかに場違いな、二頭立ての大きな幌馬車がどんと構えて止まっていた。

 農業用のバギー位なら地元の田舎村でも見ることができたけど、四人乗りの客室が付いた馬車など、庶民にはそうそうお目にかかれない代物だ。それがどうにも物珍しいようで野次馬たちは皆顔を寄せ合いながら、チラチラとこちらを盗み見ている。


 すると、白楊は一つ舌打ちをして、道端に落ちてた石を蹴り飛ばした。

 石は正確に野次馬の一人の首元を掠めると、すぐ背後の樹にぶつかり、木くずを飛ばす。石は弾丸のように木の内側に食い込んで、止まっていた。その衝撃的な光景に彼らは皆ギョッとした顔をして、どこかへそそくさと逃げてゆく。


「やりすぎですよ」

「足が滑った」

「んなわけないでしょう」

「すまんな。謝ろうと思ったが、もう居なくなっちまったみたいだ」


 言葉とは裏腹に全く悪びれた様子もなく、白楊は歩き出す。これは何を言っても無駄だなと、アッシュは浅く溜息を吐くと、留置場のひさしを超えて日向の土に踏み出した。


「時間通りね。ちゃんと来てくれたようで良かった」


 馬車の傍にはタキシード姿の初老の男が立っていた。

 老人は一行を一目見て、僅かに眉をひそめる。それは軽蔑に近しい色だろうか。


「教授様の頼みとあらば、勿論でございます。――しかし、これはまた面妖めんような集まりですな。冥界の死神に、聖徴せいちょう持ちとは」

「おう。良かったな、俺に会えて。サインとか要るか?」


 相変わらず天然か皮肉か分からない調子で白楊はペラペラと喋る。その能天気さを一%くらい分けてほしい。

 客車の中に目を向けると、ベルベットの赤い帽子を被った若い女が腰掛けていて、所在なさげに手を揉みながら、ひっきりなしに周囲を伺っていた。その忙しない瞳が、今しがた留置所から出てきたアッシュの姿を認めると、ぱっと華やぐ。女は待ちきれない様子で立ち上がり、扉を開けた。


「アッシュ!」

「ベルタさん! 良かった、無事だったんですね!」


 車飛び出そうとした彼女を、執事の男は静かに制止し「お話は馬車を走らせながらでもできましょう」と言って三人を客車へと招き入れた。

 一行はそれに従って、向かい合わせになっている客車の座席の片方に、ベルタと教授がアッシュと白楊が隣り合わせになって座る。幾ら大きな馬車とはいえ、体格の良い白楊が座ると席が一杯で、アッシュはなるべく膝の触れないくらいの距離に詰めて腰を下ろした。

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