1-3

 研ぎ澄まされた聴覚が、近くの物音を感知した。

 反射的に脚を止め、身体を固くすると、隣で少女――アッシュも息をみこむのが見える。

 しかし、すぐにその緊張は解かれることとなった。

 差し当たった十字路の左側。

 ワタシたちの死角から近付いてくるその話声は、今の緊迫した状況に反して、あまりにも呑気のんきだったからだ。


「なあ小僧。宿屋はまだ見えないのか? さっきから同じ景色ばかりで、我はもう飽きたぞ!」

「少し黙ってろ。こっちはお前と違って地図と格闘してんだよ。――ってか元はと言えばだ。お前が食い物欲しさによく分からん路地裏に突っ込んだのが悪いんだろうが!」


 揉めごとの真っ最中らしい二つの声は、怪物の存在など全く意に介さない声量で真っ直ぐこちらへと近づいてきている。

 まさか、警報を聞いていなかったのだろうか。とにかく、声を静めてもらわないとワタシたちも危ない。などと考えていると、果たして四つつじの角から二つの人影が現れる。

 それは明らかに異国のよそおいをした、観光客らしき男女の二人組だった。

 男の方は、一八〇センチはあろうかという見上げる程の長身で、線の細い輪郭を真っ黒な服で覆った、亡霊のような風采ふうさいをしていた。フードを目深に被っていて表情はよく分からなかったが、声や喋り口調から若者らしい印象を抱いた。

 女の方は、男の長身とは反対に童女どうじょそのものの姿であったが、その語り口調は祖母を思わせる、妙に古めかしい老人言葉をしている。服装もかなり変わっていて、灰色の襤褸ぼろきれを頭から被った合羽かっぱスタイルだ。何より特徴的なのはその頭髪で、全体的に深い藍色をした髪の中にちらほらと白い毛が散っているのが、まるで夜空に浮かぶ星のようだった。

 こうして並んで居ると、色々な意味で酷くデコボコでいびつな印象を受ける二人組だ。


「あ、あのっ――! すみませんっ!」


 アッシュがひかえめに声を掛けると、二人組は口喧嘩を止めてクルリとこちらを向く。


「んあ? こっちは取り込み中だ。後にしろ」


 青年は如何いかにも不機嫌そうなしかめ面をこちらに向ける。

 その眼が血と泥にまみれたワタシたちの惨状を捉えると、わずかばかり眉根まゆねを寄せた。


「おいおいどうした。この街では春にハロウィンをやるのかよ?」

「祭りではないか? 向こうで出店でもやってるかもしれん!」


 あくまで緊張感のない様子で近付いてくる二人に、アッシュは倒れ込むようにして訴えかける。


「あ、あの! このお姉さん、ホントに怪我してるんです! 助けてください!」


 それにも青年は、やはりどこかおどけた風に、「ほう? なんだ仮装じゃねぇのかよ。期待して損したな」と答えて、しかししっかりとした手つきで、ワタシの肩を持ちあげる。アッシュは青年のユルい温度感に困惑しながらも、流石に疲労が勝ったらしく、へなへなとその場に座り込んだ。

 青年は自分の外套がいとうを脱いで――あらわになった腕は決して太くないが、しなやかな筋肉の浮いた線をかたどっていた――地面に敷き、そこにワタシの身体を横たえる。そのままふところからナイフを取り出してそでを割くと、慣れた手つきで止血を始めた。


「おい小僧! 早く行かないとまたセンセーに小言いわれるぞ」


 手持無沙汰てもちぶさたで道の端に座り込んでいた連れの童女が、ワザとらしく頬を膨らませる。


「面倒だが人命救助が優先だ。マ、教授には後で紅茶でも飲ませとけば大丈夫だろ」

「キハハ、違いない! センセーはてぃーたいむとやらを、命よりも大事にしてるらしいからな!」


 なんて冗談を交わしている間にも、ワタシのももの出血は止まったらしい。

 軽薄けいはくな態度の割には、恐ろしく精確な手際だ。

 まだ貧血でくらくらするが、これでまた多少の無理ができるはずである。


「……助かるよ。でも今はここを離れるべきさ」と起き上がろうとしたものの、青年にやんわりと押し留められる。

「やめとけやめとけ。怪我人は黙って寝てるもんだぜ。にしても随分派手にやったな。そんなに楽しい祭りだったか」

「お兄さんはいったんお祭から離れてください……! 怪物が居たんですよ、怪物が。非常事態なんです!」


 心配そうなアッシュの言葉に対して、二人はまったく取り合う様子がない。童女はふふんと鼻を鳴らして胸を叩いた。


「娘。我らを何者と心得る。宇宙さいきょーの死神であるぞ! そこらの怪異如きイチコロゆえ、心配無用である!」

「し、死神って……、えぇ……? あの、これは冗談じゃなくて……」


 瞬間、アッシュの顔が固まる。

 目の前の青年と童女の額に、黒い影が落ちた。

 ――腐臭。

 ワタシはゾッと全身の肌があわ立つのを感じた。

 四つ角の道を見上げた先に、怪物の無機質な顔面が、ワタシたちをじっと覗き込んでいた。


「にげ――っ‼」


 ワタシが声を上げるのとほぼ同時に、二人組は自分たちの背後を振り返る。

 しかし既に振り下ろされた巨大な馬脚ばきゃくが、真っ直ぐにワタシたちを破壊しようと迫ってきていた。

 間に合わない。みんな死ぬ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る