1-2

「悪いわね。アタシは置いて行って」

「どうして……っ⁉」


 彼女はそこで初めて、ワタシの太腿に赤い血の滲みが広がっていることに気付いたようで、小さくうめき声を上げる。

 どうやら先程吹き飛ばされた拍子に、材木の破片が突き刺さっていたらしい。とてもじゃないが、走って逃げられるような状態ではなかった。


「……肩、貸します」

「ダメだ。足手まといになる。子供の命を危険にさらしてまで生きたいと思う人間に見えるかい?」


 額に脂汗を流れるのを感じながら、ワタシは少女を強く睨みつける。

 これでひるんで大人しく逃げてくれれば良いという思いもあったし。

 何より、こうでもしなければ今にも痛みで泣き出してしまいそうだった。

 しかし、彼女は表情一つ変えず、ただ流麗な銀瞳ぎんとうを毅然と輝かせて、ワタシの眼を貫いた。


「いいえ。お姉さんが逃げないならワタシも逃げません。ホラ、早く!」

「……全く。見た目に反して強情なのね」


 一つ息を吐き、うようにして身体をじると、赤黒く染まったももの裏へとしずかに手を添えて、一息に木片を引き抜く。真っ赤な感覚が体の奥から込み上げる。悲鳴は気合いで飲み込んだ。

 立ちくらみで崩れかけたワタシを、少女は己の肩を貸すことによって支えてくれる。

 全く情けない話だが。今はなりふり構っていられる状況では、なかった。

 嗚呼。身体が酷く寒い。生命いのちの熱が、傷口から流れ出ているみたいだ。

 不思議と痛みは感じなくて。ただ強烈な眠気がワタシを地面に貼り付けようとする。

 それを跳ねけるのは痛みを堪えるよりもずっと難しく、少女が居なければワタシはとっくの昔に地面に寝転がっていただろう。

 今となってはなまりのように重い腕の下に感じる僅かな温もりだけが、生命維持の活力だった。

 それからは、どこをどうやって逃げてきたのか分からない。

 ただ、時折後ろから怪物の遠吠えが聴こえてきて、無心で足を動かした。それは人とも獣とも違った、金属質な響きを伴った悲鳴のようだった。

 怪異の気配が完全に途絶えたことを確認してから、やっとワタシはカラカラにくっ付いた唇を開いた。


「……アンタ、名前は?」

「相手に名前を聞く時には、先に自分からですよ」


 フィクションの影響を受けすぎたみたいな調子の外れたセリフに面食らって、何を言おうとしていたのか忘れてしまう。

 しかし、この怖いものなさが無ければ自分はここに居ないだろうという予測が胸をかすめて、苦笑が漏れた。


「ベルタだよ」

「ふむふむ。私はアッシュです」

「そう。――じゃあ、アッシュ。何かあったら、アタシを置いて逃げて頂戴」

「ここまで来て、まだそんなこと言います? もう〝いちれんたくしょう〟ですよ」

「違う。アレの目的は、多分アタシだ。見捨てれば逃げられる可能性は高い。」

「見捨てませんよ。それに、どうしてそんなこと言い切れるんです?」

「それは――」

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