Enigma? ―花の章―

斑鳩彩/:p

Case1. フォゲット・ミー・ノット

1. Record: ベルタの主観的叙述

1-1

 この街が嫌いだ。

 埃を被ったような、つまらない、田舎町。

 遊び場もない。周りは老人ばっかり。おまけに石器時代のような古臭い慣習にみんな縛られてる。 

 いつかこのしがらみを飛び出して、ワタシは――、ワタシだけは。

 退屈の無い世界で生きるのだと、子供の頃から思っていた――


 ――どおん! と地獄の巨人が地を踏み鳴らしたような轟音が骨を震わせて、冷たい浮遊感が心臓の下に差した。

 瞬く間に天地が二転三転しているのを見て、「嗚呼。これは地面ではなくて、自分の身体がクルクルと回転しているのだな」と、理解したかしないかの間に、脇腹を突き刺すような酷い衝撃が襲う。


「うくっ……⁉」


 想像を絶する痛みに呼吸もままならないで、粉々になった煉瓦れんがの硬質な味わいを、パラパラと頬に浴びる。柔らかな走馬灯は砕けて、非情な現実がそこにあった。

 赤黒いまぶたの裏の景色に意識が溶け込んでゆくのを感じながら、それが冬の朝の二度寝の誘惑の抗いがたさと似てるなんて、どうでも良い新事実を思う。しかし、その心地好さを断固として拒絶しているのは、詰み上がった瓦礫がれきの向こうに今しがた己を吹き飛ばした巨大なシルエットを見つけたからだ。

 町の工業廃棄物を全てし潰したような、鼻の奥にこびり付く腐乱臭。

 一見して、それは何か巨大な獣のように見えた。

 見た目だけの印象を言えば、鹿か狼に近いだろうか。ただし体の大きさは道路脇のアパートメントと同じ位の高さがあって、硬い灰色の毛皮が鎧のように全身を覆っており、まるで動く要塞だ。長く伸びた毛皮に隠れた胴の下には、無数のひづめ百足むかでの脚の様に生え揃っていて、空中浮遊の如く地面を滑り歩いている。

 しかし、真に目を引いたのはその顔面である。

 それはまるで獣から首だけ斬り落として人間の顔とげ替えたような、異常な造形だった。悪魔の如く湾曲わんきょくした角が二本付いた、感情の見えない微笑を浮かべた男(恐らく)の顔面は、獲物を探して絶えず辺りを見回している。


「――もしもし。生きてます?」


 肩を軽く撫でられて思わず悲鳴を上げそうになる。

 すんでの所でそれを飲み込んで首を回すと、傍に一人の少女が膝立ちになっていた。


「アンタは……、さっきの」


 それは頬の輪郭にまだあどけなさの残る、初等教育を受けているくらいの見た目の女の子だ。

 青単色のワンピースに身を包んだ姿はいかにも伝統的なスタイルで、実際このような恰好の子供はこの辺りでもよく見られた。それは奔放ほんぽうに散る癖っ毛についても同じことだったが、ただ一つ、その髪色だけは異質さを放っていた。

 青を帯びた白色――というよりむしろ半透明に近いその色彩は、日の当たり方によって絶えず光沢を変え続けている。流石に地毛だとは思えないが、芸術作品の一部と説明されるより、いっそ天の奇跡だと言われた方が納得できるくらいには、異様な質感だった。


「逃げましょう。アレが見失ってるうちに」


 そう言って、こちらへ伸ばした手はワタシよりもずっと細い。

 しかし爛々らんらんと光る銀の瞳には一点の曇りもなく、それは恐怖に竦むワタシの芯に光を与えた。

 まるで神の垂らした救いの糸を掴むように。

 ワタシは彼女の手を取ろうとして――、躊躇ためらう。

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