1-4

 ――次の瞬間、怪物の姿が消えた。


「……えっ?」


 機関車の車両ほどもある異形いぎょうの巨体が、まるで紙くずのように吹き飛んで通り一つ分をなぎ倒しながら転がってゆくのを、夢でも見ているのではないかと思いながら、ただ見つめる。あまりにも展開が速すぎてよく見えなかったが、改めて一瞬のうちに起こった出来事を脳内で反芻はんすうする。

 まず青年が黒服の下から取り出した細身の剣のような金属体を掲げて、流水の動作で馬脚ばきゃく軌道きどうをずらし、隣の地面に叩きつける。そして怪物がバランスを崩した隙に、童女がその懐に飛び込んで、力任せに巨体を蹴り飛ばしたのだ。

 およそ人間技とは思えない二人の技量に、ごくりと唾をのみ込む。


「カカッ! 最近の若いのは腰が入ってないな。軽い軽い」


 斑髪まだらがみの童女は、傷を負ってもがいている怪物を前にヒラヒラと手を振りながら笑い飛ばした。一方で青年はあくまで冷静に、つかつかと怪物の傍に歩み寄り、その顔面を一瞥いちべつする。


「こいつ、手遅れだな。……ったく、今は非番だってのに。悪いけど、クソ忙しいから手短にいくぞ。」


 そして先ほど剣を取り出したのと同じように服の内側に手を突っ込むと、そこから真っ黒な拳銃を取り出して、怪物へ向けた。それは酷く嫌な気配の感じさせる代物だった。


「ダメっ……!」


 青年が引き金を引こうとしたその時、今まで茫然ぼうぜんと様子を見ていたアッシュが稲妻のように飛び出した。

 そこには多分、攻撃の意志などなく。少し青年の動きを止めるくらいの目的だったのだろう。

 しかし、焦りのせいか、怪我のせいか。

 踏み出した足は早々にもつれて、驚くほど速やかに体勢が崩れてゆく。

 結果として、拘束のために上げたてのひらは、助走付きの不意打ち全力パンチにグレードアップした。

 そんなコメディみたいなことあるかと言われるかもしれないが、事実なのだからしょうがない。

 さらに信じがたいことに、彼女の伸ばしかけた腕の肩から先がにわかに光を帯びるのが見える。


「オワッとっと……、まっずい⁉」


 幸いにして青年は直前で背後から殴りかかるアッシュの存在に気付き、間一髪で身体を反らせて拳をかわした。


「なんだおいっ……⁉」


 多少助走で運動エネルギーを得ているとはいえ、所詮はうら若き乙女の拳だ。普通は青あざを与えるくらいが精々のはずであるが、その時は様子が違った。

 空を切った拳の先端が、眩い光と青の鱗粉りんぷんを伴って空気を震わせる。

 それは、まさしく破壊光線と呼ぶに相応しい、圧倒的な暴力の塊だった。光線はパンチの軌道の延長線上にあった家屋に文字通り風穴を空けてゆく。そして周囲の建造物をのき並み破壊し尽くすと、しばしの余韻よいんを残して、空の彼方へと消えた。

 後に残されたのは、戦争の後みたいに壊れた街。それと静寂。


「あちゃ……、わたし、また……」


 最後まで言葉を言い切る前に、アッシュはぐったりと力を失ってその場に倒れた。

 風穴の周辺の煉瓦れんがが、まるでレーザーで打ち抜かれたように赤熱せきねつして融けているのを見て、童女はヒュウと口笛を吹く。


「わお。この嬢ちゃん、なかなかやる」

「……お陰様でデカブツには逃げられたけどな」


 見れば、先程の怪異はいつの間にか煙のように何処かへ消え去っている。

 あの巨大な図体ずうたいで隠密行動などできるものかとか、アッシュが見せた力が何なのかとか。

 二転三転する状況に疑問は尽きなかったが。

 それ以上のことを考える力は、もうワタシには、残って、いなかった。

 緊張の糸はほどけて。忘れていた疲労感が急速に全身に行き渡って。

 何とか保たれていた意識は、急速に暗くなってゆく。

 そして、ワタシの視界は。

 落ちた。

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