別離と宝石
7-1
「えっ! この町から引っ越しちゃうんですか⁉」
早朝の駅のホームに、溌溂な声が木霊した。
普段より数倍増しで忙しない、雑然としたホームを行き交う人々が、一瞬何事かと顔を上げて。しかし、すぐに興味を失ったようで元の喧騒へと戻ってゆく。
アッシュは思っていたより自分の声が周囲の視線を寄せたことに。さっと頬を赤らめて、今度は声のトーンを抑えて話し出す。
「どうしてです。折角事件は解決したのに!」
それに向かい合って立つ女性――、ベルタは少し困ったように宙を見上げて、悩む素振りを見せた。
「――アタシ、この街にはあんまり良い思い出が無くてね。分かるでしょ? アタシみたいなのは、この町ではハグレ者だからね。それで結構前からココを出て、婚約者と暮らそうかと計画してたんだ」
「それは……ベルタさんの、おばあさまと同じですね」
「そう。それで、やっとこんな町とおさらばできて清々する! ――って、思ってたんだけどさ。おばあさまが亡くなった後、どうにもホームシックに駆られてね。それが、忌々しくてしょうがなかった。今更お前は何を考えてるんだって」
そうして言葉を紡いでいる内に少し気分が乗ってきたのか、過去を懐かしむように彼女は僅かに微笑んだ。
「……でも、これで良かったんだと思うよ。今回の件が無かったら、私はきっと後悔してたと思う。確かに私はこの街が嫌いだったけれど、それでも心の隅に後悔を覚える位には、大切なものがあったのさ。それを認めて、初めて私は胸を張ってこの町を出ていける」
雨雲でも浮かびそうなしんみりとした声色とは裏腹に、どこか遠くに向けられた微笑みはむしろ晴れやかで。
――うん。
色々大変なことはたくさんあったけれど。
これで良かったのだと思えた。
「色々、ありがとうね。やっぱりこの町はアタシには合わないと思うけど、アナタとの冒険はなかなか楽しかったわ。お陰で最後は良い思い出で終われそう」
「いえいえ。すべてはベルタさんの思いがあってのことです! 私はちょっと手助けをしただけですよ!」
「そういう所、好きよ。アンタの道程も簡単ではないんだろうけど――、アタシと違って人には恵まれそうな性格だから、きっと大丈夫ね。また、どこかで会いましょう」
ベルタの差し出した手を握り返し、アッシュは満面の笑みで返した。
「はい。きっと!」
汽笛が鳴り、車掌の機械的なアナウンスがホームに拡がる。
いよいよ、別れの時間のようだった。
「それじゃあ、名残惜しいですが。私もう行きますね!」
ベルタは駆け出そうとしたアッシュの服の袖を引っ張ると、「お待ち。これを持っていきなさい」とポケットから紐のついた装飾品のようなものを取り出した。見ればそれは中心に大きな石の嵌められたタリスマンで、春の陽光を吸い込んだ透明度の石がキラキラと煌めいているのが、綺麗だった。
「本当は旅の資金でも渡そうかと考えたんだけどね。そっちは先生が何とかしてくれそうだから、別のものにしたよ」
「ありがとうございます! 大切にしますね!」
「もし先生に愛想を尽かされたら、アタシを呼びなよ。アンタなら何時でも歓迎だからさ」
「はい! 色々ありがとうございました!」
アッシュは、何度も後ろを振り向いて手を振りながら、乗車口へと走る。
そして一旦列車に乗り込んだ後、まだ名残惜しい気がして。ドアの隙間から身を乗り出して、「さよーならぁ‼」とあらん限りの声で叫んだ。
そうして最後の一瞬まで目に焼き付けながら、身体をスライドさせると、視界はもう列車の中に切り替わった。
一つ深呼吸をして。細長い廊下を歩きだすと、背中を追い駆けるように清かな風が吹き抜ける。
その中にすっかり嗅ぎ慣れた花の匂いを見つけて、僅かに寂しさが滲んだ。
ああ、楽しかったな。という漠然とした感想が。心にしみじみと。染み渡る。
旅とは、楽しく刺激的なものであると思っていた。
いや、確かに。楽しく、刺激的で。
大変なことが沢山あって。でも美しいものも沢山あって。
輝かしい思い出の一ページであったのは間違いないけれど。
「……寂しい。お別れって、こんなにちゃんと寂しいんだ」
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