6-6


「――伏せろ!」


 真っ白な頭の奥にそんな怒号が響いて、次の瞬間倒れてきた触腕が払いのけられた。


「ったく。向こう見ずの鉄砲玉か何かかお前は」


 思わず閉した瞼をゆっくりと開くと、土煙に塗れた視界の中で、白楊の背中があった。

 自分が死んでいないことに一瞬ほっと息を零して――次の瞬間、全身の血の気が引く。


「……おっと? マジかよ、完全に防いだつもりだったんだけどな。パワーは伊達じゃねぇってか」


 あり得ない方向にひん曲がり、グチャグチャに壊れて白い骨が覗く自分の拳を、白楊は睨みつける。

 あの圧倒的重量の一撃を拳一つで受け流したことも衝撃だが、この怪我はさすがに命に係わる。

 非日常の空気感に高揚していた精神が、一気に現実に引き戻される。

 自分の無鉄砲で自分が苦しむなら別に良い。でも、それに人を巻き込むのは最低な人間のすることだ。

 お前は一体何を学んできたのかと、酷い呵責の念が心臓を絞り上げる。


「下がってください! 早く治療をしないと……!」

「んあ? おいおい、服を引っ張るなよ」


 沼の外へ引っ張ろうとするアッシュを制止して、白楊は「よっこいしょ」と曲がった手首を元の向きに戻す。バキバキと骨が割れる嫌な音がしたが、彼は清しい顔のままだった。

 すると驚いたことに、手首の根元の方から切れた拳や砕けた関節や、弾けた肉の細胞の一つ一つが、まるで逆再生をしたかのように元の形を取り戻してゆく。それは獣の怪物の超再生とはまた違った、空間そのものが彼の存在に置き換わってゆくような、不思議な現象に見えた。


「えっ……、えっ? 傷が……?」

「死神だからな。この程度何ともないぜ」


 ――何だそれ。本当に。

 遅れて、ジワリと涙が目の端に滲みだす。それは恐怖か安心か。いずれにしても計り知れないほど巨大な何かに押し上げられた感情の欠片だった。

 それなのに、この不安と焦燥が馬鹿らしいくらいに、白楊は通常運転で。

 ひらひらと手首を振りながら、「やっぱ痛ぇな」とタンスの角に小指をぶつけた位の温度感の感想を口にする。


「すみません……、迷惑を掛けました」

「全くだ。無茶は俺の仕事なんだから、キャラ被りは止めてくれよ。それより何か作戦があるんだな?」


 頷き、言葉を口にしようとして――、悩む。

 息を吸う。目を閉じる。

 それは作戦なんてお世辞にも言えない、直観と私情に塗れた破壊衝動だ。

 それでも己の常識に全く囚われないことを成し遂げる、彼ならば。或いはと。

 零れかけた涙を、目蓋の奥に押し込めて。

 ゆっくりと、世界を見据えた。


「私をあの怪物の下に連れて行って下さい。身体に触れられれば、変えられるかもしれません――何かを」


 そんなあまりに根拠のない主張にも、彼は静かにうなずいた。


「……オーケー。なら、お前はなんにも考えず走れ」


 そう言うと、白楊は不意に自分の腹に手刀を突き刺し、引き抜いた。

 真っ赤な血液が宙に橋を掛けるように弧を描き、泥に鮮やかな斑を描く。

 それと同時に、彼の肚の中から一本の金属片が現れた。それは〝490246〟を退けた時に振るった、あの短刀だった。

 白楊は緩慢な弧を描きながら、その切っ先を怪物の正中線に構える。

 ツヤの無い刀身が、中空に溶け込んだ。


「化け物の相手は、化け物がすればいい」

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