7-3

「……あの」

「――? どうかしたの」


 教授はきょとんとした表情で首を傾げる。


「さっき部屋に入ってきた時に、なんか意味深なことを言ってましたけど。説明してくれないんです?」


 それで初めて自分の言葉を思い出したらしく――何かものを考え込んで一人で自己解決するのは、彼女の癖らしい――「ああ」と言って教授は紅茶のカップをコースターに戻す。


「〝490246〟の記事のタイトルが『フォゲット・ミー・ノット』だったでしょう。これは一般的にワスレナグサ属の植物を指す言葉だけれど、元はこの区域の辺りの民話に由来しているのよね。たぶん記事の作者は、民話とあの怪物の起源が似ているから、この名前をつけたのだと思うわ」


 教授によるその民話のあらすじを簡単に要約すると――、ある騎士が恋人のために川の小島へと花を摘みに行った。しかしその帰りに急流に呑まれた騎士は、「私を忘れるな!」と言って摘んだ花を恋人に投げ渡した。恋人は生涯その花を大切にしたという。というような話だ。


「勿忘草というと、小さくて青い花を咲かせるアレですよね! 亡くなった人をいつまでも忘れずに愛するなんて、ロマンチックです」

「そうかぁ? 男が身勝手なだけにしか思えないけどな」

「ひねくれ者ですね、お兄さん。そんなだからモテないんですよ」


 非難の意を込めた流し目を、肩を竦めて受け流す白楊。


「感想は色々あると思うけれど。――現実には、死んだ人間の方からすれば、永遠の愛というのは良いことばかりでは無いらしいのよね」

「そう、なのでしょうか」


 話の続きを聴こうとしたら、眼の端で白楊がほれ見ろと言った感じで鼻を鳴らす――ので、足を踏みつけてやった。


「生者が余りに故人の死を悲しむと、故人がそれに引かれてあの世から舞い戻ってきてしまう、という発想は世界的にもそれほど珍しいものではないわ。例えば東欧の人狼伝説なんかは、一部その類の民俗伝承の流れを汲んでいるみたいだし。つまりね――、私たちはあのエニグマに襲われていると思っていたけれど、本当はベルタさんと、彼女のおばあさまの思いの方が、エニグマを引き付けていたんじゃないかしら」


 全く思いもしなかったローズの指摘に一度は疑念を抱く。しかし、そう言われたうえであの怪物の行動を考えれば考える程に、彼女の説明がつじつまが合うように感じてしまう。


「……だから、あの怪異には悪意がなかったと」

「そういうことね。――まぁ、実はここまでは結構早い段階で気付いていたのだけれど、それを理解したところで私には何もできなかったわ。アッシュちゃんが居なければ、今回の解体事案はこうも理想的な結末を迎えられなかったたと思う。感謝するわ」


 唐突な教授からの誉め言葉に「そうでしょうか……」といつものように謙遜をしかけて、くすりと笑みが零れた。


「……はい。そうだと良いですね!」


 なんて雑談をしている内に、また車掌のアナウンスがあって。

 ついに、ゆっくりと。魔導機関車が走り出す。

 半開きの窓に身を寄せて、思い切り肺に吸い込んだ空気の味は、故郷のそれとは大きく違った。


 思えば随分遠くへ来てしまったものだと思う。

 ホームシックを感じるには今更だけれど――、遅すぎるということもないはずだ。

 無意識に己の肩に触れた手で、アッシュは強く骨を握り締める。

 大丈夫だ。例え忘れないことが、唯一の正義なのではないとしても。

 こうやって過去を想う余分のある、今は。

 きっと後ろを振り向かずとも。前を向いて歩いて行けるはずだ。


 ――たぶん。


 後ろへとズレてゆく窓の外を眺めていたアッシュは、「あっ」と声を上げて窓から半身を乗り出す。

 線路と街道の交わる踏切沿いに、あの青い花の群れて咲く花畑があって。そこにベルタと執事が立っていて、此方を見ていた。

 アッシュが手を大振りに振ると、それに気付いてベルタが手を振り返す――なんと執事も手元だけであるが手を振ってくれた。

 一度別れの挨拶はしたけれど。こういうのは何度やっても悪いことは無いな。

 ……ああ。

 遠くなってゆく。

 人が。町が。思い出が。

 二人の姿が、小指の爪の大きさになって。

 秒針の切っ先の大きさになって。

 砂粒の大きさになった所で。

 やっとアッシュは手を振るのを――、止めた。

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Enigma? ―花の章― 斑鳩彩/:p @pied_piper

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